幸坂 ~失われた伝承を求めて~
うだる暑さの中、滝の様な汗をかきながら俺は一本の街道を歩いていた。前の集落を出てどれくらいだろうか…畑が広がり山が間近に見える。緩やかな坂を登り小一時間ほど歩くと、集落が見えて来た。
丁度い…休憩の出来そうな所をと見まわすと、バス停が目に留まった。
バス停の標識を見ると『幸坂』の文字が。
(しあわせざか?こうさか?)
そう言えば、路線バスとすれ違ったがのはどれ程前だったか。道も細く、この先車が通れるのかと、改めてバスの路線図を見ると、どうやらここが終点の様だ。
ともあれ、まだ陽は高く日差しを避けるために、バス停の側に立っている大木の根元に腰を下ろした。
動けない訳ではないが、歩き疲れで根が生えたかのように腰が重い。が、木々を通り抜けてきた風は心地よい。少しばかり涼んでいると、人の好さそうなお爺さんが声をかけて来た。
「どうした兄ちゃん」
「あ休憩をしてるだけです。歩いてきたもので…」
「この暑いのにご苦労やな。みたところ高校生ぐらいじゃが、こんな辺鄙な田舎なんて面白いかの?」
実際俺は物好きだろう。通学路から見えていた、山の先はどうなっているだろうか…そんな些細な興味で、道を歩いてきたのだから。冒険と言うほどでもない…けどいつもと違った、何かを求めていたのかもしれない。
折角だから、先ほどの好奇心を満たすために、バス停を指さして尋ねてみた。
「ところで、これなんて読むんです」
「幸坂じゃな」
「幸せな事がありそうな地名ですね。由来とかあるんですか」
「なに、そんな大層な由来なんてありゃせんよ。江戸時代に殿さんが、元々の地名が縁起悪いと言って、今の地名に改めただけじゃ」
さぞ由緒ある話が聞けると思ったが、期待した程の答えは返ってこなかった。
「それより、元々の地名ってのが興味ありますね」
せっかく遠くまで来たのだから、土産話の一つでも持って帰りたい。我ながら貧乏性だな。
「冷たいお茶でも出すから寄って行き」
「え?良いんですか?」
「年寄りの長話に、付き合ってもらう事になるかの~」
にこやかにお爺さんが、付いてくる様に促した。そう言えば、田舎のお爺ちゃんも人と話すのが好きで、なかなか話が終わらなかった記憶が、頭の中をよぎる。如何にもと言う、日本家屋の平屋に招かれ居間に通されると、よく冷えた麦茶を出してくれた。
「さて…この辺りは元々鬼坂村と呼ばれてた場所でな」
「鬼…何か禍々しさがありますね」
お爺さんは驚いた俺の顔を見て、してやったりと言う顔をしている。まさか妖怪の話になるとは、普通思わないと思う。衝撃からいくらか和らいだころ合いを見て、お爺さんは話を続けて来た。
「兄ちゃんは鬼と言ったら、どんな姿を思い浮かべる?」
「角があって虎の皮を穿いて…金棒を持ってる妖怪ですかね」
「普通はそうか」
「違うんですか?」
俺を試す様に問答を楽しんでいるお爺さん。
「魏志倭人伝を知っとるか?」
「卑弥呼が出てくる?」
これでも歴史は好きな方だ。もっとも、戦国武将や中国の武将が出てくるゲームの範囲だけど、魏志倭人伝なら名前ぐらいは聞いた事はある。
「そのくだりに『鬼道をもって人心を惑わす』とあるが、どういう意味かの?」
鬼道…そう言えばなんだろうか。鬼を操って、人に対して言うことをきかせるのだろうか。頭の中で想像していると、何故か脳裏に小学生の頃に習った、鬼がタンゴを踊る歌が思い浮かんだ。
でも、鬼を操って人に言うことをきかせるなら、恐怖政治みたいなものか…意外な方向に話が進みそうだ。正直考えたことも無いので、素直に降参した。
「なら儒教は知っておるか?」
「子曰く、とか親孝行しろとか、礼を尽くせとか…」
儒教ってたしか、外国の宗教…あるいは道徳観だったか。それにしても、なかなか地名の由来の話にならない。俺の内心を知ってか知らずか。
「儒教では、鬼神を祭るというくだりがあるんじゃが、これは何を祭っていると思うかの?」
妖怪の鬼を祭る…やはりピンと来ない。
「ところで、どうして鬼と言う言葉に拘るんですか?」
「それはな…鬼坂の由来については、一切伝わっておらんからじゃ」
話を引っ張っておいて、そう言うオチは流石にないだろうと、内心突っ込む。不満を察してか、お爺さんはこう話を続けた。
「わしは、ずっとこの村に住んどるからな…どうして鬼坂の名がついたのか、気になって仕方がなかった。暇を見つけては、何か手掛かりにならんかと調べてきた訳じゃが…」
失われているなら失われているで、伝承を求めようと言うのか。学者か何かの様だ。こう言うのを郷土史家と言うんだっけ。
「まあ、家内には一円にもならない事に、一生懸命になってと呆れられ取るがな。知りたいと言う好奇心は、男の浪漫とは思わんか?」
道楽だと、あっけらかんにお爺さんは笑いながら言う。
「どうも鬼と言うのは、時代と共に意味が、移り変わって来ているのではないかと。それ故、この村の成立時期と鬼の意味がわかれば、地名の由来に至る可能性があると、わしはにらんでおる」
鬼って、角が生えている妖怪の事だと思っていたが、確かに漢字の本場の鬼とは、意味合いが違うのはおぼろげに理解できる。日本語でも言葉の意味が、数年で変わることがあるのだから、昔に変わっていてもおかしくはないが…
だから儒教や卑弥呼の話を始めたのか。
「延喜式にも乗ってる古い地元の神社の縁起にも、何も地名の由来は何も書かれてはおらん。それどころか、既に鬼坂と呼ばれていたと書かれておる。現に畑を掘ると、時たま昔の土器が出てくるから、古くから村はあったとみて良い」
この村の成立についてお爺さんは語る。渡来人とかそう言った人たちが、村を形成していたなら、元々の意味で鬼が居た村。そう考えてもおかしくはないのか。
俺は、村独自の風習とか行事が、手掛かりにならないかと質問してみた。しばらくして、何かを思い出したかのようにお爺さんは語った。
「…そう言えば、戦前までは節分で豆を撒くとき『鬼は内』と言って豆を撒いていたわい」
「今は言わないんですか」
「豆撒きすら、やらんようになったわ。ただ鬼を恐れると言う習慣は、なかったと言う話の補強にはなるかもしれんな…」
豆撒きの元になった、鬼払いの行事は平安時代の宮中に見られ、それが伝播したと考えられている。平安時代の鬼退治か…陰陽師とか大江山を連想する。
「鬼門とか関係あるんですかね?」
鬼門とは、方角の事で丑寅の方角(東北)を指す。鬼の通り道で、縁起が悪いとされている。一時流行った安部清明から、連想した発言だったが。
「牛と寅…鬼の姿って、角がある牛と寅の皮をひっかけて想像されたとか…」
「ははは、兄ちゃんは想像力豊かじゃな」
唐突な思い付きに、少し恥じ入った。この村独自の風習や行事からの手がかりは、残念ながら十分な調査がなされず、記憶に頼るぐらいしかないと言う。村の風俗を残すと言う、学問的な余裕は無かったのだろう。
そこで手掛かりをこの村以外に求める為に、お爺さんは各地の話を集めたところ、以下の説が有力ではないかと考えたようだ。
・先住民族や異能
・山伏
・隠れ里
先住民説。大和朝廷が統一する過程で征服された部族が滅んだために、伝承を伝える者が途絶え、名残として地名だけが残った。
山伏説。修験道を広めた行者にまつわる話が各地にある。残念ながら、鬼坂にあった寺は戦国時代に焼き討ちに遭い、今に伝わる伝承が無い。
隠れ里説。人を近づけないために、不吉な噂を流す。金銀財宝を隠し持っていたり、平家の落人など詮索を逃れるため。伝承が残らなかったのは訳ありだったから。
他にも鬼の地名の由来となる話はあるが、妖怪の鬼を指す話が多いとのことで、除外したとの事。
「長々と仮説は幾らでも考えられるんじゃが、決定打となる証拠がないのが現実じゃ。そのうち鬼坂と呼ばれていた事実さえ、忘れられるんじゃろうな…」
「分からないことを、調べる意味はあるんですか?」
「真実だと思っていたことが、実は上書きされて別の物になっていた…そう言う寓話じゃな」
江戸時代の殿さまが、鬼坂を幸坂に改めさせたのも、言葉の移ろいの成せることだったと、語り終えたお爺さんの顔は、心なしか満足しているようであった。
話を終えお礼を言って、お爺さんの家を辞した。夏休みの何でもない一日の冒険のはずが、思わぬ出会いに巡り合った。家に向かう足取りは軽く、気が付けば山の端に陽が沈み、静寂の中ひぐらしが鳴いていた。