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≪空を描写するゲーム》

作者: 待遠鳴


おーい、いま帰りか?


そうだよ。きみ、確か、終礼後すぐに帰ったんじゃなかったっけ。


ああ。掃除当番おつかれさま。いま時間あるか?


ありがとう。いいけど……、どうしたの?


『この空を描写せよ』


……え? この空ってこの空?


ああ、そうだ。


雲は流れていくし、太陽は沈んでいくけど……。


ああ、そうだ。つまり、制限時間つきってことだな。


きみ、『女心は秋の空』って知ってる?


ああ、知ってるぞ。もとは『男心と秋の空』らしいぞ。


そこまで知ってて、今の空なんだ……難易度たかっ。


おう。俺はここを通ったクラスメイト全員にこの問題を出していたんだ。


きみ、スフィンクスみたいなことしてるね……。


俺は間違った者を食ったりなんかしねえぞ。それに答えはひとつじゃなくてもいいんだ。俺が納得できたらなんでもいい。


それならぼくはきみの誘いに乗らなくてもいいんじゃないかな。


ああ。ここで寄り道せず、まっすぐ帰ってもいいぞ。だがな、おまえはこの空を見て何もせずに帰れるのか?


なんだい、やけに自信ありげだね……。


おう。おまえは付き合ってくれると信じてるぜ。


……ここ、見晴らしがいいね。とくにこうして寝そべって見ると、空がどこまでも広がって見える。


いいだろう? 特等席だ。


こんなに広いんじゃ、ぼくひとりじゃ無理だよ。君にも付き合ってもらうよ。


おっ、いいな!


そうだなあ……、あれは火事だ。燃えている。


そうか、ではあれは煙か。通りで焦げ臭そうな暗い色をしているわけだ。


あれは、一筋の光線だ。コロナのよう。暗雲のなか一筋伸びている。


あのあたりの雲は重苦しいな。だが、あこらへんは対照的にファンシーだぞ。


様子見をしている貴族のようだ。


我関せずの顔してその実興味津々だ。このオセロはひっくり返るのか。新しい王権か。革命が起きるのか。


日和見しているんだね。ねえ、あそこを見てよ。あれは、砂を撒いているようだ。風が吹いて巻き上げられたようにも、地面に撒かれたようにも見える。あれらが細かい粒子だというなら、あのへんは砂漠だな。


砂漠といえばさ、あの雲、ランプの魔人に見えないか。


ほんとうだ、ほんとうだ、いかつい二の腕力こぶだな。……雲ってさ、いくつもが何層にも重なって形になってるんだね。これだけ長いこと見ていて気付いたよ。


そうだな。あれらは偶然の連続なんだな。


あるいは緻密に張り巡らされた運命か?


あの暗く分厚く広いのは、大陸だな。帝国だ。きっと侵略を重ねて領土を広げたんだ。だからあんなに重苦しい色をしているんだ。だからあんなに大きいんだ。


でもあれは雲だから――。


ああ、そうさ。


きっとすぐに内部抗争が起きて散り散りになるよ。


あのへんは凪いでいるな。


ほんとうだ、太平洋の大海原だ。


じゃあ、あのへんは?


どこだい?


ほら、あそこだよ、砂漠の左下!


ああ! あそこは、湿っているね、それに広い。草原だろうか。……こうやって見るとさ、空って世界みたいだね。


馬鹿言え、逆だ。この世界が空みたいなんだ。海は空の青を映していると言うけれど、この地表のすべてが空を映しているんだ。


……空を見上げたらさ、悩みなんてちっぽけなものだなんて言うけど、ほんとうだったんだな。


ああ、ぜんぶぜんぶ流れて形を変えていくんだ。


ぼくたちがこうやって河原で寝そべってるのもさ、きっとちっぽけなことなんだね。


ああ、そうなんだろうな。


……じゃあ、やめる?


なんでだ?


『大きな男になる』っていつも教室で言ってるからさ。


ほんとうに大きな男は待ち伏せなんてしてないぜ。でもさ……、みんなしっかり立ってあくせくしているだろう? それは空から見たら小さな点が動いているように見えるわけだ。


点って頭?


ああそうだ。だけど俺たち、こうやって誰もいない芝生の上でもう一時間近くも大の字で寝そべっているんだ。空から見たら、そりゃあ目立ってると思うぞ。ひょっとすると、力士より大きいかもしれない。


ははは、眩しいね。


ん? ……ああ、夕日か? あ、一番星だ。


どこどこ?


ほら、あの薄暗がりの……。


ほんとだ。


そろそろ寒くなってきたな。明日の現国、課題出てたっけ。


そうだね、ぼくもまだ出来ていないや。


……なあ、またこうして《空を描写するゲーム》してくれるか? 俺の周りにはなかなかこういうことに付き合ってくれるやつ、いないからさ。みんなせっかちなんだ。


確かに活発そうな子が多いよね。いいよ。ただし今度からは前もって教えてくれないか。寒くて仕方がないんだ。きみ、最初からぼくを狙っていたなら、羽織り物の一枚くらい用意しておいてくれてもよかったんじゃないか?


なんだ、気づいていたのか。悪いな、気が利かなくて。


きみ、挙動不審だったもの。


俺さ、おまえの書いた小説読んだんだよ。クラスの誰ともろくに関わろうとしないお前の内面にあんな世界が広がっているなんて思わなくてよ。興味が湧いたんだ。


ぼくの小説って……、この前の公募の?


ああ、たぶんそれだ。精緻な文章はまるで縁取っているようだったし、展開はハリウッドのアクション映画みたいだった。映像が頭に浮かぶんだ。そして、他人の感情なのに、まるで自分の感情のように胸が苦しくなって泣いた。


お褒めの言葉、ありがとう。素直に嬉しいよ。でも意外だな。君が小説を読むなんて。それに公募作だろう?


意外か? これでもな、俺は作家志望なんだ。誰にも言ってなかったけどな。


へえ、こりゃまた意外だ。


お前もなかなかクラスの様子からは想像がつかないぜ。


ぼくは仲良くしたくないと思っているわけじゃないんだ。ただ、周りの様子を観察しているとつい、そのなかに参加し忘れてしまうんだよ。


「それで、今も鍵括弧だけだったのか」


 橙と赤でまるで炎のように揺らめく夕日に照らされた顔は、野球少年のようだ。しかし、その目は冷徹な科学者のもののように見える。

 この男の顔は夕日に照らされて焼けているように見えるのか。それとも、もとから日焼けしていたのだっけ。思い出せない。

 これまで、この男のことをしっかりと見てきていなかったのだと、このときになって初めて気づいた。教室では、どこか他人事のように見ていた。起こりうる事象をただ眺めていた。登場人物のひとりひとりに想いを馳せることなんてしてこなかった。


「なあ、おい。聞いてるのか?」


 目の前でひらひらと大きな掌が揺れている。生命線の長い、ごつごつとした手。


――ぼくは、ぼくの世界のなかに籠っていたのか。


「おまえ、なんにも興味なさそうにしてる様子だったのによ、俺が『大きな男になる』って言ってたの、聞いてくれてて、覚えてくれてたんだって、俺、嬉しかったよ」


 太く濃い眉毛も一緒に弓を描かせて、男が笑う。上がった口角の上に乗ったニキビ面の頬肉が夕日に照らされて秋映林檎のようだ。


「お前の心に映る世界はきっと、あの小説みたいに綺麗なんだろうなって思ったんだ。同じものを見て、どんなふうに見えているのか、知りたかったんだ」


 少し目を離していた隙に空は夜の装いを増していて、小さく輝くだけだった一番星が燦然と輝いている。

 こんなに長い時間、こいつといたんだな。


「おまえに寒い思いさせちまって悪かったけどよ、めちゃくちゃ楽しかったぜ」


「ああ、ぼくもたのしかったよ。またしようね」



《空を描写するゲーム》



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