第四十一話「対応方針」
パーガトリー迷宮で魔物暴走が発生した。
310階の転送室の扉が開かれていることが確認された。転送室は10階ごとにあり、通常は扉によって魔物の移動を制限している。
その扉が開かれる事態はスタンピードしかあり得なかった。
「ゴーレムだけじゃない! オーガやトロールまでそこで見たんだ!……」
報告に来た魔銀級の探索者が、311階にいたゴーレムや更にその下の350階層にいるはずのオーガやトロールが上がり始めていると叫ぶ。
既に迷宮管理事務所の屋上にある鐘が激しく鳴らされており、カーンカーンカーンという音がうるさいほどだが、僕を含め、そのことを気にしている者は誰もいなかった。
スタンピード発生により、僕たちシーカーは管理事務所の指揮下に入り、迷宮の出口で魔物たちを食い止めることになる。
まだ体制が決まっていないため、管理事務所のロビーで待っているが、ローザの表情が冴えない。
「ラングレーさんたちなら大丈夫だよ」
ローザの両親、ラングレーさんとディアナさんは昨日から迷宮に入っており、戻るのは今日の午後の予定だった。
401階から403階付近で迷宮の状況を確認しつつ、鬼人族のスタンリーさんと獣人族のアベルさんのレベルアップを行う予定であったため、シーカーの中では最も早く影響を受けているはずだ。
「うむ……父上たちなら大丈夫だと思うが……」
ラングレーさんは今回の迷宮の異常を最も気にしていた人で、普段なら4日ほど潜っているところを2日にした上で、すぐに脱出できるよう転送室に近い階で活動すると言っていた。
僕たちのように早い段階で気づけば脱出は可能だが、スタンピードが始まると、すぐに下の階層の強力な魔物が転送室を通るようになるため、安全地帯と呼ばれるところで、スタンピードが収まるまでやり過ごすしかないと言われている。
「もう5年以上、同じ階層にいるんだから、あの辺りのことは熟知しているんだ。セーフティエリアでやり過ごしてくれるよ」
「そうだな。父上たちは最上級なのだ。必ず生きて戻ってくれる……」
最後は自分に言い聞かせるように呟いていた。
「それより、僕たちの方が危険だと思う。最初のうちは大丈夫かもしれないけど、350階層のオーガもそうだけど、400階より下の高位のアンデッドや悪魔が出てきたら、この町のシーカーやハンターじゃ対応できないと思うんだ。その時にどうするかを考えておいた方がいい」
僕たちシーカーには防衛の義務があるが、王国軍ほど厳しい義務ではなく、逃げたとしても処刑されるようなことはない。もちろん、多額の罰金を支払う必要はあるし、シーカーとしての資格を一時的に失う可能性もある。
但し、以前に発生したスタンピードでは多くのシーカーが途中で逃げ出したが、指揮を執っていた守備隊の指揮官や管理事務所の職員が全滅したため、最後まで戦っていたのか確認することができず、お咎めなしに近い状況だったらしいので、有名無実な規定とも言える。
「某は敵に後ろを見せたくない」
彼女らしい答えが返ってきた。予想していたことなので戸惑いはない。
「分かった。最後まで戦おう。だけど玉砕する気はないよ」
「どういうことなのだろうか?」
「最後まで戦うけど、僕の指示には従ってほしい。何も迷宮の出口に陣取って戦うだけが戦いじゃないと思うから」
僕が考えているのは出口で抑えきれなくなり、指揮命令系統が崩壊した後のことだ。
命令を愚直に守って玉砕する気はなく、彼女を連れてその場から離れ、遠距離からの狙撃で攻撃するのだ。
僕の魔銃なら物理攻撃無効のスキルを持つアンデッドであってもミスリルコーティング弾などを使えば倒せるし、魔術と違って遠距離でも回避される可能性は低い。
「最後まで戦うのであれば問題はない。ライル殿の指示に従おう」
そんな話をしていると、管理事務所の職員が説明を始めた。
「これからスタンピード対応体制について説明します! 100階層までの魔物に対しては、青銅級と白銀級にて対応してもらいます。その後は黄金級、白金級とランクを上げていき、300階層以降のゴーレムが出てきたところで、魔銀級に対応してもらうことになります……」
ブラックランクはラングレーさんのパーティの他にもう一組いたが、迷宮に入ったまま出てきていないらしい。つまり、レベル400を超える猛者は1人もいないということだ。
「守備隊はどうするんだ! 俺たちだけが戦うわけじゃないんだろう!」
後ろからそんな声が掛かる。
「もちろん、守備隊も防衛に回ります。今は住民の避難の誘導をやっていますが、それが完了次第、我々に合流すると聞いています!」
「そのまま逃げるんじゃないんだろうな」
「あいつらが戦うとは思えん」
などという声が聞こえてくる。
マーカスが配属される前から守備隊とシーカーとの関係が良好ということはなかったが、彼が隊長になってからは関係が悪化しており、不信感を持っているのだ。
「守備隊は所長の指揮下に入ります! 既に転移魔法陣でスタウセンバーグに連絡を入れていますから、ここで逃げ出せば、敵前逃亡として地位名誉を剥奪の上、厳重に処罰されることになります!」
とりあえず、それで納得したのか、それ以上守備隊を非難するような声は上がらなかった。
「迷宮出口から魔物が出てくるのは今日の夕方以降と思われます! ゴールドランク以上の方は明日の未明頃から出番になると思われますので、今のうちに準備を行い、英気を養っておいてください!」
僕たちは階層的にはシルバーランクだが、今回は実力を評価され、ミスリルランクと一緒に戦うことになった。
そのため、今日一日は出番がない。
「一度、家に戻ろう。モーゼスさんたちは脱出しただろうけど、アメリアさんは残っているのかな」
ウイングフィールド家のメイド、アメリアさんは彼女自身、凄腕の剣術士であり、ラングレーさんたちに忠誠を誓っている。そのため、自分だけ脱出することは考えにくい。
「そうだな。アメリアは残っていると思う。恐らく、某と共に戦ってくれるだろう」
「なら、僕は一度、モーゼスさんの店に戻ってからそっちに行くよ。1人で店にいても仕方がないし」
「それでは後ほど」
そう言ってローザと別れ、モーゼスさんの店に向かった。
町の中は脱出する人たちでごった返しており、殺気立っている人が多い。どのくらいで魔物が溢れてくるのか正確には分からないが、早ければ明日の午後には魔物が溢れる可能性があり、それまでに少しでも距離を稼いでおきたいのだ。
この町にはシーカーやハンター、守備隊の兵士などを除くと、5千人以上の民間人が住んでいる。
しかし、移動手段である馬車はそれほど多くなく、多くの人たちが徒歩で北に向かっていた。
(町の人が逃げ切るためには3日以上抑え込まないといけない。でも、レベル500とか600とかいう化け物が出てくるのは明日の夜。多分、30キロも離れられないんだろうな……モーゼスさんやアーヴィングさんは大丈夫なんだろうか……)
そんな不安を抱えながら店に向かった。
店がある職人街に入ると、思った以上に人が残っていた。
顔見知りの若い職人がいたので話を聞いた。
「武器を買いに来る奴がいるし、手入れも必要だからな」
「じゃあ、グスタフさんも残っているんですか?」
「いや、グスタフさんにはこの辺りの子供と年寄りを逃がしてもらった。あの人とアーヴィングさんがいれば、そこらの野良の魔物なら倒せるからな。最初は嫌がったんだが、みんなで説得したんだ」
グスタフさんは鍛冶師だが、元ミスリルランクのシーカーでレベル320を超える重戦士だ。斥候であるアーヴィングさんと一緒なら、オーガクラスの魔物でも対応できる。
「ならモーゼスさんも一緒ですね」と安堵する。
アーヴィングさんやグスタフさんが残っているなら、一緒に残る可能性はあったが、あの人たちが護衛として脱出したのならここに残っている可能性は低い。
「ああ。だが、そのモーゼスさんなんだが、大変だったんだ。話は聞いているか?」
「えっ? 何も聞いていませんが……」
「今日の午前中のことなんだが、貴族の魔術師が突然モーゼスさんを襲ったんだ」
「貴族の魔術師ですか! モーゼスさんは」
「魔銃で撃退して無事だ。10人くらいいたが、半分以上は死んでいたな」
「10人も……」
「その後も大変だったんだ。守備隊の騎士と兵士がやってきて取り調べをするとか何とか言ってモーゼスさんを連れていこうとしたんだ」
「えっ?」
「その時にスタンピードの鐘が鳴ったからうやむやになったみたいだな。まあ、あの騎士は嫌々来ていたみたいだから、ちょうどよかったという感じだったが」
職人と別れ、店に入ると、中は酷い状況だった。
何発も魔法を放たれたのか、店の備品や壁はボロボロで、奥の工房に向かう扉にも大きな穴が空いていた。
死体こそなかったが、床には血の跡がたくさんある。
工房に入ると、そこはそれほど荒れてはいなかったが、慌てて荷物をまとめたのか、引き出しが開けっ放しになっていた。
作業台に上に一枚のメモがあった。それはモーゼスさんの筆跡で、僕宛ての物だった。
『私の方は大丈夫だ。マーカス・エクレストンが絡んでいるらしいから君も注意してほしい。地下の金庫に収納袋がある。以前話した武器を入れておいた。使いどころは難しいかもしれないが、持っていってほしい。生き残ることを第一に考えるんだ。モーゼス・ブラウニング』
メモを畳んでポケットに入れる。
地下に行き、マジックバッグを手に入れると、2階の自分の部屋から必要なものを回収してウイングフィールド家の屋敷に向かった。