第三十九話「スタンピード発生」
前半が第三者視点の三人称、後半が主人公視点です。
4月21日。
ネイハム・ラヴァーティら魔術至上主義者たちに襲われたモーゼスだったが、彼らを無力化したものの、その後どうしていいのか困惑していた。
彼自身、人間を相手に戦ったことはなく、正当防衛だとはいえ、人を殺してしまったことで頭が付いていかないのだ。
近所の人々が心配して見に来るが、明らかに貴族だと思える魔術師たちが倒れている姿に立ち尽くすしかなかった。
そんな中、騒ぎを聞きつけてアーヴィングが慌てて戻ってきた。
破壊された店と血を流して倒れている10人の若者を見て、アーヴィングは驚愕する。
「何があったんだ!」
「魔術至上主義者が襲ってきたみたいです。いきなり魔術を放たれたので、銃で反撃しました。どうしたらいいですかね」
途方に暮れたという感じで答える。
アーヴィングは倒れている若者を見て、まだ息がある者がいることに気づき、やじ馬たちに「治癒師を呼んで」と依頼し、応急処置を施していく。
30分ほどで治癒師が到着したが、それと同時に守備隊の騎士が現れた。
「私はグリステート守備隊の小隊長、ルーサー・リンゼイだ。モーゼス・ブラウニング殿、貴殿を殺人容疑で拘束させてもらう。大人しく、守備隊本部まで同行してほしい」
リンゼイはモーゼスに対し、非礼な態度を取ることなかった。
彼はマーカスに忠誠を誓っているわけでもなく、ネイハムらを唆したことを知っていたためだが、貴族が殺されたという事実を無視するわけにもいかず、内心では苦々しい想いを抱いている。
「こいつらが先に魔術を放ったんだ! この状況を見れば分かるだろ!」
アーヴィングが抗議するが、リンゼイは頭を振る。
「そうかもしれないが、子爵家のご子息が殺されたことは事実だ。取り調べなしというわけにはいかない」
リンゼイの言葉にモーゼスは頷く。
「おっしゃる通りです。いきなり魔術を放たれたとはいえ、相手を殺してしまったことは事実ですから。それに相手が何の目的で私を襲ったのか、明らかにしていただきたいと思っています」
モーゼスはこの騎士なら信用できると考えたが、アーヴィングは守備隊の隊長がマーカスであることに危惧を抱く。
「守備隊の隊長がこいつらと直前まで一緒だったと聞いたんだ。そんな奴が仕切っているところに行ったら、何をされるか分からないよ」
「その点については、私が責任をもって対処する。隊長がラヴァーティ子爵の子息と懇意にしていたことは知っているのでな」
それでもアーヴィングは納得せず、更に反論しようとした。
しかし、その時、迷宮管理事務所の方から“カーンカーンカーン”という激しい鐘の音が聞こえてきた。
それは魔物暴走発生の知らせだった。
「スタンピード?」とアーヴィングが言うと、リンゼイは部下の兵士たちに即座に命令を発した。
「生存者と遺体を持ち、直ちに本部に戻れ!」
兵士たちもスタンピードへの対応の方が、優先度が高いと即座に判断し、行動を開始する。治癒師が治療し、何とか命を取り留めた魔術至上主義者3名とネイハムら7名分の死体を荷車に載せると、本部に向けて走り始めた。
「この件はスタンピード終息後に調査します。ですので、所在が分かるように行動してください」
リンゼイは自分で言った言葉を重要視していなかった。パーガトリー迷宮クラスの規模の迷宮でスタンピードが発生した場合、住民の多くが犠牲になることは明らかで、老人であるモーゼスが生き残る可能性は低いと考えたためだ。
自分自身も生き残って取り調べの続きができるとは考えていない。
リンゼイたちが去った後、「すぐに逃げるよ」とアーヴィングが指示を出す。
「逃げ切れますかね」とモーゼスは懐疑的だった。
ここグリステートの町から脱出する場合、行き先は120キロメートル離れたスタウセンバーグになる。ゴーレム馬車を手配できれば逃げられるかもしれないが、徒歩となったら70歳を過ぎた自分ではたどり着けないと思ったからだ。
「移動手段は僕が何とかする。それにここにいても助かる見込みはないよ」
「地下室に篭っても駄目ですかね。うちの地下室なら扉は分厚いですし。それにライル君を置いて逃げるのもどうかと思うんですが」
「難しいと思うよ。ここの迷宮にはゴーストなんかもいるから、壁があっても関係ないから。それに彼なら君がいない方が生き残れると思う」
「そうですね。足手まといになるのは避けたいですから逃げることにします」
モーゼスはそういうと、収納袋に持ち出す物を放り込んでいった。
アーヴィングはそのままどこかに走っていった。
5分ほどでアーヴィングは戻り、「すぐに迎えが来る」とだけ言うと、自分の準備を始める。
10分ほどで準備を整え、店の外で待っていると、外には一台のゴーレム馬車がやってきた。御者台にはドワーフの鍛冶師、グスタフが座っている。
その馬車は荷馬車で、グスタフの工房で重量物を運ぶために使っているものだった。
「迎えに来たぞ!」
グスタフの他に弟子たちがいるが、彼らは馬車に乗らず、鎧を身に纏い、武器を手にして歩いている。グスタフも同じように分厚い鎧に身を固め、角のついた兜を被っていた。
荷台には子供や老人が詰め込まれている。
「モーゼスはこれに乗れ。アーヴィングは悪いが、周囲を警戒しながら歩いてくれ」
「ありがとうございます。ですが、他の人を乗せてやった方が……」とモーゼスが遠慮しようとしたが、
「時間がないんじゃ! 遅れれば遅れるほど道が混む! 早く乗れ!」
グスタフの剣幕に負け、モーゼスはその馬車に乗った。馬車は北に向けて進み始めた。
■■■
今日も僕とローザは昨日と同じく迷宮の101階に入った。
ただし、今日は昨日とは異なり、10階層を踏破し、110階まで行く予定だ。
ラングレーさんの言いつけを破る形だが、昨日と同じ状況なら危険はほとんどなく、僕たちだけなら日帰りで十分に出てこられる。
ローザが強く主張したこともあるが、僕自身、同じ思いだったので予定変更に同意した。
しかし、迷宮に入り探知魔術を使った直後、異常に気づいた。
「昨日より魔物が増えている……」
「どのくらい増えているのだ?」と言いながら、彼女も周囲の気配を探り始める。
「倍……3倍はいると思う。この先にも10メートルごとに1匹いるくらいだ」
「3倍だと……確かに気配は濃いが……」とさすがのローザも驚いている。
「どうする? この情報を迷宮管理事務所に持っていった方がいいと思うんだけど」
「確かに。だが、魔物の状況も見ておいた方がよいのではないか?」
「魔物の状況?」
「魔物暴走の兆候なら魔物がいつもより好戦的になっているはず。それを確かめた方がよいのではないか」
「なるほど。この辺りなら10分も掛けずに戻ることができるし、情報はできるだけ多い方がいい」
僕たちは最も近くに潜んでいる巨大イモリに近づいていく。
普段ならこちらに気づいても奇襲するために息を潜めているのだが、僕たちを見つけたのか、5メートルほどの距離でも沼から飛び出してきた。
「やはり好戦的になっているようだな」と言いながら、飛びかかってきたイモリを愛刀“黒紅”を一閃させて倒す。
その先にいた水毒蛇も同じように向かってきた。
「確定だね。スタンピードが起きているか、起きつつある」
「某も同じ考えだ。すぐに管理事務所に連絡を入れるべきだろう」
僕たちはすぐに踵を返し、迷宮出口に向かった。
迷宮から出た時、管理事務所はいつも通りで、多くの探索者が迷宮に入ろうと列を作っていた。
「彼らに言うべきだろうか」とローザが聞いてきたので、僕は首を横に振った。
「ここで議論しても仕方がない。僕は管理事務所の中に行くから、受付の人にだけ迷宮がおかしいと伝えてくれないか」
「承った」と言ってローザと別れ、管理事務所の中に駆け込んでいく。
まだそれほど知っている人がいるわけではないが、知っている人を捕まえて、僕たちが得た情報を伝える。
若造である僕が言ってもその職員は疑わしいと思ったのか、すぐには信じてくれなかった。
「スタンピードの兆候? 確かに最近そんなことを言う奴はいるが、本当にそうなのか?」
「一刻を争います。この情報を上の人に伝えてもらえませんか」
「そうは言ってもだな。数日前に迷宮に入ったばかりの新人の言葉じゃ……」
職員が渋るので、
「ラングレー・ウイングフィールドさんがやばい感じがするから迷宮の奥には入るなと僕たちに言っていたんです!……もし何かがあったらあなたの責任問題になりますよ」
そう言って脅すと、「ラングレーさんがそんなことを……」といい、すぐに奥に向かってくれた。
5分ほど待っていると、管理事務所のハワード・カーンズ所長が現れた。
「彼に言った話は本当なのかね!」
「はい。僕の探知魔術で見た感じでは昨日より魔物の数は3倍くらいになっています。魔物も昨日より好戦的でしたので、管理事務所で調査してもらえませんか」
「探知魔術……そういえば君はラングレーさんの弟子で、“大物食い”と呼ばれた魔物狩人だったね……」
そこで所長は何かを考えるがすぐに決断を下した。
「君を信じよう。とりあえず、迷宮への立ち入りを禁じて、調査団を派遣する」
それだけ言うと、職員に指示を出し始めた。
それからすぐにローザが合流する。所長が再び話しかけてきた。
「調査隊を派遣するが、君たちにも同行してもらいたい。今すぐ動けるかね」
ローザに目で確認すると、小さく頷く。
「大丈夫です」と答えて立ち上がった。