第三十八話「愚者」
4月20日。
僕とローザは早朝から迷宮に入っていた。
ラングレーさんからはすぐに迷宮から出られるように深いところには行かない方がいいと言われているため、101階から102階までの間で魔物を狩り、そのまま戻る計画でいる。
パーガトリー迷宮の101階から200階まではそれまでの洞窟と異なり、森の中の湿地帯のような様相になっている。地面はぬかるみ、沼のようになっているところもあり、左右には木が生い茂り、枝が天井のようになっている。
出てくる魔物は湿原に出てくるヒルやカエル、リザードマンなどで、沼の中や木の枝から奇襲を仕掛けてくることが多い。
また、毒を持つ魔物も多く、神聖魔術の浄化が使える聖職者がいないパーティは苦戦すると言われている。
奇襲を警戒しながら進むが、地面のぬかるみが思った以上に神経をすり減らす。一応、対策として滑りにくいブーツに替えているが、それでもねっとりとした泥は思った以上に滑りやすく、何度か足を取られていた。
「歩きにくいね」と零すと、
「そうか? 某はあまり気にならぬが」と返されてしまう。
実際、ローザは全く危なげなく歩いており、身体能力と体術スキルの差が出ているようだ。
そんな話をしながら歩けるのはこのフロアの敵が弱いためだ。
探知魔術を使えば、奇襲を受けることはなく、毒ヒルなどは落ちてきた後はうねうねと動くだけなので、剣で刺し殺すだけで済む。
巨大カエルや毒カエルも同様で、沼から飛び出した後は直線的な動きしかしてこないから、全く脅威にならなかった。
102階も同じように探索するが、訓練にすらならない。
そのことはローザも思っていたようで、
「やはりもっと下の階に行かねばならぬな」
「そうだね。でも、ラングレーさんたちが戻ってくるまではすぐに引き上げられるところにいた方がいい」
「うむ」と頷くものの、あまり納得はしていなかった。
結局、半日ほど迷宮内をうろついただけで、引き上げることにした。
■■■
ライルらが迷宮から出た頃、マーカス・エクレストンは10人ほどの若い魔術師と面会していた。
その中の1人、20歳くらいの細面の若者ネイハム・ラヴァーティが恭しく頭を下げる。
「エクレストン卿、お久しぶりです」
マーカスは立ち上がってネイハムの下に行き、その手を取る。
「ラヴァーティ先輩、本当に久しぶりだな。だが、そんなにかしこまらなくても大丈夫だ」
ネイハムは魔導学院時代、マーカスの2年先輩として面識があった。先輩といえども彼は子爵家の次男に過ぎず、魔導伯家の嫡男であるマーカスに対し、学院時代から阿るような態度を取っている。
そのこともあって、マーカスはネイハムを呼び寄せた。
「そういうわけにもいきません。何といってもあなたは次代の王国を背負って立つ逸材なのですから」
その言葉にマーカスは自尊心を刺激され、満面の笑みを浮かべていた。
二言三言、旧交を温めた後、すぐに本題に入る。
「先輩に頼みたいことがある」
「魔銃の製作者に天誅を加えるということですね」とネイハムは先回りして答える。
「その通り。俺は憂慮しているんだ。嘆かわしいことにこの町の探索者の魔術師どもは魔銃などという穢れた魔導具に頼ろうとしている。我ら魔術師が神より与えられた力を蔑ろにする行為だ。これを見過ごすことはできん」
ネイハムはその言葉に頷くものの、
「しかし、その魔導具の製作者は流れ人と聞いております。七賢者の方々は流れ人の魔導具職人を特に優遇されていると聞きます。そのような者に手を出してもよいのか、いささか疑念を感じております」
そう言いながらも窺うような視線を送っている。後ろにいる魔術師たちもその答えを待っていた。
「先輩の懸念は理解できるよ」と歪んだ笑顔で答えるが、すぐに真剣な表情に戻す。
「俺は黒の賢者より直接お言葉をいただいたことがある。その際に問題がないことは確認済みだ。それよりもあの魔銃という武器は魔術師の存在意義を危うくすると賢者様も懸念されていた」
ネイハムたちは黒の賢者に会ったことがあるという言葉に驚くが、迷いもなく言い切られ、安堵する。
しかし、黒の賢者がそのようなことを言った事実はなかった。
彼の頭の中でそう確信しているだけなのだが、強い精神操作の影響によって引き起こされたライルへの憎悪が、彼にそれを真実だと思い込ませていた。
「ならば問題ございませんね。処分してしまってもよろしいのですね」
魔導具職人を嫌っているネイハムだが、嫌がらせ程度のことはしたことがあっても命を奪うというところまではしたことがなかった。そのため、マーカスの承認を求めたのだ。
「無論。このままのさばらせておいては王国のためにならん。俺も近くで見ているつもりだから、もし間違っているなら黒の賢者様が声を掛けてくださるはずだ」
「なるほど。確かにその通りですね」
その言葉でネイハムらはお墨付きを得たと確信する。
「すぐにでも向かった方がよいでしょうか?」
「いや、あの店にはシーカーたちが出入りする。そろそろ奴らが迷宮から出てくる時間だ。明日の朝、奴らが迷宮に入った後に行った方が確実だろう」
翌日の4月21日の午前8時過ぎ。
マーカスは取り巻きの若者からアーヴィングが出かけたと聞き、ネイハムらを引き連れ、職人街に向かった。
「目的の店はあれだ」と指さすと、マーカスはネイハムから離れていく。
自分も加わりたかったが、守備隊の隊長という地位を思い出し、見るだけで我慢しようと思ったのだ。
しかし、ネイハムらと一緒にいることを隠そうともしておらず、その配慮は中途半端だった。このようなことに慣れていないマーカスは迂闊にもそのことに気づいていなかった。これも強い精神操作の影響だった。
ネイハムは仲間と共にモーゼスの店に入っていく。
「いらっしゃい。何をお求めかね」と聞くものの、見るからに魔術師という姿にモーゼスは嫌な予感がした。
「魔銃を売っているそうだな」
「ええ、ご入用ですか?」と笑顔で聞くが、どう対応すべきか考えていた。
「そのような穢れた物などいらぬわ! やれ!」
その声で後ろにいた若い魔術師たちが一斉に杖を構える。
店の中でいきなり魔術を使ってくるとは思っておらず、モーゼスはパニックに陥りそうになった。
しかし、魔術師たちの補助スキルの練度は低く、発動までに時間が掛かる。そのため、モーゼスは落ち着きを取り戻し、店の奥の工房に逃げ込むことに成功した。
「何をしている! 早く撃たぬか!」
その言葉で9人の魔術師は一斉に魔術を放った。
初級魔術であったが、店の中の備品などを破壊し、ガシャンという派手な音が響く。
モーゼスが逃げ込んだ工房の扉にも命中し、その一部を破壊した。
「奴を引きずり出せ!」
その言葉で魔術師たちは工房に向かっていく。
ネイハムはこれでモーゼスが完全に委縮すると考えた。
(たかが職人の老人、これで抵抗する気力も失っただろう……)
工房に逃げ込んだモーゼスだが、無抵抗でやられるつもりはなかった。
「ここまでやられたら正当防衛は成立するはず。存分に反撃させてもらうよ」
そう言って不敵に笑い、護身用に作ったM16ライフルを取り出すと、弾倉を装着し、扉に向けて構える。
扉が蹴破られた瞬間、引き金を引く。
フルオートにセットしてあり、パンパンパンという軽快な発射音と共に数発の弾丸が魔術師たちを襲う。
「うわぁぁぁ!」
「痛い痛い痛い! 助けてくれ!」
「ぎゃぁぁぁ!」
悲鳴が店の中に響くが、モーゼスは油断せず、ライフルを構えている。
「これ以上無法な行いはやめなさい! 杖を捨てて守備隊が来るのを大人しく待つのです!」
モーゼスの脅しにネイハムは「貴様!」と怒りを見せ、杖を向ける。
再び、ライフルの発射音が響き、魔術を発動する間もなく、撃ち倒されてしまう。
最初の一連射では運よく当たらなかった者たちもネイハムと共に撃たれ、10人全員が銃弾を受けて倒れていた。
外にいたマーカスには何が起きているか分からなかったが、ネイハムたちの悲鳴が聞こえたことから、失敗したと直感した。
(使えぬ奴らだ……ジジイ1人に何を梃子摺っているんだ!)
この時、マーカスはモーゼスが持っている魔銃が一般的な拳銃型だけだと思っていた。モーゼスは親しい者にはライフルを見せていたが、極力目につかないようにしていた。
ライルの魔銃のように連射機能を持つものは特殊な才能が必要だと思い込ませるためで、普段はM1911コルトガバメント型の魔銃しか持ち歩いていない。
マーカスもライルの活躍を知り、魔銃の危険性に気づいていたが、単発であればどれほど強力であっても、一度に襲い掛かれば問題ないと高を括っていた。
マーカスは証拠隠滅とモーゼスの殺害のため、自らが使える最強の魔術を店に撃ち込むことを考えたが、そこで思い直した。
(ラヴァーティたちは貴族だ。いくら流れ人とはいえ、貴族を傷つければ罪に問える。幸い、この町の守備隊は俺の支配下にある。守備隊に連行した上で拷問にかけて自白を引き出せば処刑できるはずだ……)
マーカスは急いで守備隊本部に戻り、騎士と兵士を派遣した。