元の世界のトラウマ
クルヴァがいた村から歩いて一時間の距離に街があった。
街にはそれぞれ聖女神教会の支部があり、そこで聖女力と魔王力を測る手筈となっている。
その役目はライマとクリスに任せ、リツとクルヴァは旅に使う食料の買い出しをした。
計測を望む人はあと10人ほど。それが終われば結果を報告して次の街に向かう。
暫く掛かるなら休んだ方が良いかな……と、支部近くの木陰でリツとクルヴァは腰を下ろす。
「お前は手伝わないのか?」
「計測器持つとエラー起こしちゃうから」
「は?」
この世界に住む人なら、誰しもがクルヴァのように怪訝な表情をする。それは仕方のないだと分かっているものの、自分がこの世界にいるのを認められていない気がしていつも嫌な気分になる。
「計測器がピーピーなるの。私、女神力も魔王力も測定値0だから」
まるで気にしてない風を装い明るく伝えると、上手く誤魔化せたようでゲラゲラと笑い始めた。どうやらクルヴァは笑い上戸のようだ。
「はは、怪力さも含めてどっちも規格外かよ」
「……」
「怪力に能力全部取られるとかすげぇな」
「好きでそうなったんじゃないもん!!」
どうやらリツ自身の中で、知らず知らずのうちに溜まっていた憤りがあったらしい。
クルヴァは悪気があって言ったんじゃないと分かっていても、泣き出しそうな顔を見られたくなくて立ち上がった。
リツ?と問い掛けてくるクルヴァの肩を突き飛ばすと、思いの外力が入り過ぎていたのか、木に背中を打ち付けて痛さで顔を歪めている。
「あ、クルヴァさんごめんなさい……」
痛い思いをさせてしまった。俯き謝ると、溢れそうな涙が地面に落ちそうになる。見られたくない一心で、クルヴァの制止も聞かず慌てて走り出す。
暫く走った所で、街の入り口にまでやってきてしまった。
入った時に見かけた噴水広場で、気持ちを落ち着かせようと考えていた時、街の入り口から腐臭がしてくる。
そこにはローブを着た魔物が一体立っていた。
結界で街まで入れないようだ。でもいつ突破されてしまうのか分からない。
近くにいて魔物を目撃した人に、ライマ達へ伝言を頼む。
1人で挑む時は必ず誰かに連絡を取る。無茶はしない。そう思って臨戦態勢のまま魔物を見つめる。
ふと、結界がピキピキと音を鳴らし、綻びが見えてきた。思ったよりも早く結界が崩れるかもしれない。
そう思うとすぐに排除した方が良いかと思い立つ。
あの魔物はどんな攻撃を仕掛けてくるかは分からないけれど、先手必勝と距離を詰めて拳を振り上げる。
ローブの中にあった、青く光る瞳と視線が合った瞬間、体に電気が流れたように動けなくなる。振り上げた拳がだらりと下がる。
「……あ……」
声すら出せない状況で、青い瞳が更に輝きを放つ。目の奥でチカチカと青白い光が走る。
これは自分を取り込もうとする魔物だと思った時には、もう魔物の手に落ちていた。
***
***
息をする度息苦しくなる。浅い呼吸しか出来ずに何度も息を吸う。
腕には点滴の管が繋がれ、これは病院のベッドだと気がついた。
(ベッド……?)
生まれてからずっと嗅ぎ続けている薬品の匂い。清潔感のある白いベッドと、リツ以外他に誰もいない空間。時折聞こえるアナウンス。パタパタと急ぎ足で歩くサンダルの音。ガラガラと部屋の前を通る配膳の台車の音。
(……夢?)
それはどっちが?と思いながら起き上がろうとしても、小さな体は思うように動かない。
もしかして今までずっと自分に都合の良い夢を見ていたのか。
だとしたらとても悲しく寂しい。だってここには誰もいない……と、ポロポロと涙を流す。
気にしてくれる看護師さんもいるけれど、毎日来てくれる訳じゃない。
(ライマ、クリス、クルヴァさん……お父さん……)
心の中で皆の名前を呼んでも誰も返事をしてくれない。ああ、やっぱり自分は都合の良い夢を見ていただけだ。
ガラガラと開く病室の扉に期待を抱きながら視線を寄越すと、表情のない人間が数人こちらを見ていた。
あれに捕まってしまえば戻れなくなる。何となくそう感じ、苦しい胸を押さえながらベッドから起き上がる。
一歩一歩歩みを進めてくる人間から遠ざかると、病室だった部屋は真っ暗なただの広い空間へと変わっていった。
呆然としながら辺りを見回すと、暗闇の中に暖かな空気を感じた。
空気を辿ると、綺麗な深紅色の光が見えてくる。
追いかけてくる背後の気配を振り切るように走り出すと、深紅色の光から声が聞こえてきた。
「リツ!しっかりしろ!」
「クルヴァさん……?」
空中に浮かび上がった手に、自身の手を伸ばす。
しっかりと握られたその時、深紅色の光が辺りを照らしていく。
目映い光に目をつむっていたけれど、段々と光が収まり恐る恐る瞳を開けた。
目の前にあるのはクルヴァの綺麗な瞳と、心配そうな顔。視線を動かすと魔物と戦っているクリスとライマがいる。
クルヴァの支えを借りて立ち上がると、そこは病室ではなくさっきまでいた街の入り口だった。
「お前何1人で突っ走ってんだよ!」
「本物……?」
「は?」
「ここ、本物の世界……夢じゃない?」
クルヴァの体にペタペタと触ると人間らしい体温を感じる。
「病院は?私いつ死ぬの?また1人なの?」
「おい、どうしたってんだ?」
「リツ!」
意識が混同して何が何だか分からない。困惑顔のクルヴァもどうしていいのか分からないようだ。
自分だってどうして良いか分からない。そう思っていると、魔物との戦いを終えたのかライマに思い切り抱き締められる。
花のように良い匂いに包まれ、段々と気持ちが落ち着いていく。
「リツ。貴女は1人じゃないでしょう?私達家族がいるじゃない。忘れちゃったの?」
「そうだぞリツ。お前は死なない。病気も怪我もしてないから、病院なんて行かなくて大丈夫。それに皆が傍にいるだろ?」
呼吸するだけで辛かった喉や肺も、ライマとクリスの言葉のお陰で元通りだ。
でもライマから離れたくなくて腕にギュッと掴まる。
「ごめんなクルヴァ。リツはちょっと昔を思い出したみたいだ。暫くしたら元に戻る」
「うん、ごめんなさい。……その、病気だった時の夢を見せられてて……」
過去の嫌な思い出を呼び起こされ、まだ本調子でいられない。迷惑かけてしまったクルヴァに後で改めて謝らないと……と思いつつ、暫くの間ライマの腕にしっかりと掴まっていた。
***
***
今日は街の宿に泊まるようで、遅くならないこと。そして無茶をしないことを条件に夕飯の時間までは自由行動となった。
クリスは今までのアドバイスを元に、ライマを意識させる行動を取ろうとしているようだ。本屋に行くらしく、ファイト!と背中を押しておいた。
そしてリツ自身はと言うと、どこかに出かける気にはなれず、宿屋の人に聞いた癒しのスポットのベンチでボーッとしている。
木々の揺れと風が心地良い。この分なら夕飯迄には気持ちの切り替えが出来ていそうだ。
そう思いながら目を閉じていると、冷たい何かが頬にピタリとついた。
「ぎゃっ!」
「はは、相変わらず色気のない悲鳴だな」
「……クルヴァさん?」
パチリと目を開けると、意地悪そうな笑みを浮かべたクルヴァが立っていた。クルヴァはこの街の名産品である、オレンジを絞ったジュースを2本持っていて1本を手渡してくれた。
「ずっと飲んでないだろ?」
「うん」
昔の夢を見た後など、心が整うまで何も口にしなかった。誰にも見破られないと自信があったのに気がついてしまったようだ。
クルヴァは隣に座り、ジュースの瓶の蓋を開け一気に飲んでいる。良い飲みっぷりだなと思いながら見ていると、飲まないのか?と視線を投げかけられた。
「胃がムカムカしてるから。でも、あと一時間くらいで良くなるから、そしたら飲む!」
「ふーん。……答えたくなけりゃ答えなくていいんだが、お前病気だったのか?」
「そうだとも言えるし、そうだとも言えないというか……」
決して隠している訳でもない。でも召喚された瞬間を目の当たりにした教会の人も初めは疑心暗鬼だったのだから、そう簡単に信じてもらえる話でもない。
視線を泳がせていると、頭をポンッと叩かれた。ゆっくりと視線を合わせる。クルヴァの瞳は、純粋にリツを心配しているような色を含んでいて、ああ、この人に話しても大丈夫だ……と直感的に思う。
「信じなくても良いんだけど、私この世界の人間じゃないの」
召喚される前の生活と、召喚された時の状況をポツポツと語っていくリツの話を、クルヴァは茶化さずじっと聞いてくれている。
やっぱりこの世界の人達は優しい人が多い。
教会の人達を家族と呼んでいる理由まで話した所で、クルヴァは口元に手を当て何か考えている。
「事情は分かった。だから、俺だけ仲間はずれなのは気に食わないな」
「仲間はずれ?」
「そう。クリスもライマも兄さん姉さんなんだろ。だったら俺もその家族になるぜ。空いてるのはなんの役割だ」
「本当!?」
家族が増えるなんて願ってもない申し出だ。パァッと瞳を輝かせ、何が空いているか考えていく。
「お母さん」
「無理だろ」
「あとは弟かペットか……」
「却下。そもそもペットでいる俺を想像出来るか?」
「……」
意地悪な笑みを浮かべるペット。無理だ。想像すらつかない。
「なら、隣に住んでる皆の相談役はどうだ?」
「それじゃあ家族じゃないよ」
「家族ぐるみで仲が良い設定だ。何でも相談できる便利な奴だぞ」
「じゃあそうする!」
家族じゃないけど家族のように仲が良い。その響きが何だか嬉しい。心の中にあった悪夢が塵のように消えていく。
「よーし、オレンジジュース貰うね!」
「お、元気になったか。相変わらずお子ちゃまだな」
「お子ちゃまでいいんですー。ありがとうクルヴァさん」
「ん、どういたしまして」
何かあるごとに優しく頭を撫でてくれる兄。
そんな存在になってくれたクルヴァに笑いかけると、元気になったなと嬉しそうな顔をしていた。