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さようならはコーヒーとともに。

作者: 水菜
掲載日:2019/08/28

彼が愛した人のためにできた最後のことは。

「もう、終わりにしよう。」

薄暗い店内のたった二人のお客様が今、他人になろうとしていた。


「元から譲れないものがある。それを分かった上の関係だっただろ。」

この町には2つの敵対する組織がある。

組織のメンバーが今、店内の様子を見たら自らの脳が作り出した幻想だと思うだろう。


「…それでもいいと思ってた。でも、上に立つ者としての覚悟がそれじゃ足りなかった。本当は分かってる癖に。」

この場にいるのはその敵対する組織のトップ二人と私だけだ。


「…じゃあ、どうすれば良かったんだよ。あの時手を取ったのはお前だろ?」

毎週火曜日は定休日だ。私がこの店で火曜日に二人以外のためにコーヒーを淹れることはない。今までも、この先も。

「…うん。だから自分の責任は自分でとる。終わりも、自分で決める。」

この店は火曜日だけ、本来交わらないはずの二人が恋人として過ごせる場だった。


「じゃあ、もう行くから。」

立ち上がり、コートを羽織る。その一挙手一投足に覚悟を見た。彼はソファーに深く腰かけたまま動こうとしなかった。


「あー、それから。」

歩みを止め、振り返る。彼はゆっくりと顔をあげた。


「そうやって、すぐ人のせいにするところ、変えられなかった。それだけは…ごめん。」

少しだけ唇が震えたように見えた。

「マスターもお元気…。いや、さようなら。」

いつも通り、裏口から出ていく姿を見送った。最後に一瞬揺らいだ目は迷子の子供のようだった。


組織のために生きている人だった。いや、組織に生かされている人、というのが正しいのかもしれない。駒のように人々を操りながら、その実、組織という大衆の操り人形だと、自嘲気味に話していたのはいつのことだったか。


互いに譲れない信条がある。それでもどうしようもなく惹かれあってしまった。無理矢理絡ませた糸は完全に切るしか術は残されていなかった。


「おかわりをどうぞ。」

最後のお客様の前に新しいコーヒーを置く。


さて。立ち上がり、ゆっくりと準備に取り掛かる。

いつも通り丁寧に。使った器具を洗い、店内のテーブルを全て拭き、床をほうきで掃く。

いつもと同じ店仕舞いだ。


「ごちそうさま。」

静かな店内では小さな声でもよく通った。

カップを下げ他の食器とともに乾燥機にかける。

便利な世の中になった。


さて。

「お待たせしました。」


最期の仕事だ。

彼の前に立つ。


この町でも当然銃の所持は禁止されている。だが、持っている人間がいないというわけではない。

射殺体が見つかっても犯人を特定はできないほど、当たり前に蔓延っている。


「悪いな、マスター。」

ゆっくりと銃口をこちらに構えられた。

逆光で彼の顔は見えない。


「何か、言い残したこととか、やり残したことはあるか?」

彼の声は早朝の湖面のように静かだった。


命乞いが無駄なことは分かっていた。完全に糸を断ち切るのなら、私という存在は消さなければならない。言うなればこれ行為は彼なりの最後の愛情表現なのだろう。


「何もありません。元々この10年がアディショナルタイムでしたから。」

本来既に死んでるはずだった私を10年も生かしてくれた。それだけで十分だった。

だから、私は正しく準備をしたのだ。


「あぁ。でも、もし良かったら明日の仕込みのためにチーズを買ってきてくれたら嬉しいです。あなたのお好きなチーズケーキをお作りしますよ。」


そう言って笑ってみせる。このくらいのジョークは許されるだろう。

「ああ、わかった。」


彼が笑ってくれたか確認する間もないまま店内に3回銃声が響いた。

衝撃で後ろに倒れこむ。

銃弾はきっと私に3つの穴をあけたのだろう。脳が拒否しているのかまだ痛みは感じない。

だが、確実に温かい何かが服に染みていくのはか分かった。


足音が遠ざかっていく。ドアベルが静かな店内に響いた。


───私の人生にやり残したことはない。

しかし唯一後悔があるとするなら、コーヒーの香りとこの店のマスターだったものの匂いが満ちたこの場所から離れる彼が、どんな目をしていたのか、それを私は知ることができないことだ。


マスターは彼に命を救われた過去がありました。しかし逃げなかったのはそのためではなく、「喫茶店の主人としての矜持」のためでした。

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