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ダンス コーチ  作者: kanon
9/18

奇跡の文化祭

 文化祭の練習が佳境に入り、たかが発表会と手を抜くな!と水野コーチに怒鳴られながら、土日も休みなく練習を続けている。舞台の狭さも考慮して、それほど複雑なフォーメーションの入れ替えはなく、理央でも何とか間違えずに移動できるようになった。それは評価されていたし、自分でもよく覚えたなと思っていたが…。ある日の練習が終わり、先輩たちの足を引っ張ることはなくなったと言う実感からか、談笑しながら体育館の清掃をしていると、

「理央、結衣、さくら」

 水野が三人を呼んだ。

「どうして呼ばれたかわかる人」

 三人とも一年生、という共通点でないことくらいはわかったが、誰も答えられなかった。水野は自分の端末で撮ったさっきの練習の動画を理央たちに見せながら、

「客観的に見て、ダメだと思うのは誰?」

 そんな残酷な質問を投げかけた。実際、一番動けていないのが自分だと思った理央は、恐る恐る手を上げる。

「後の二人は?自分はできてると思ってるわけ?」

 水野はいつもの甲高い声ではなく、落ち着いた声で続けた。

「いつも言ってるけど、もっともっと大袈裟に演じてよ。後ろの方で見てる人にもやってることがわかるくらい動いてよ。今のじゃ、ただ突っ立ってるのと変わらない」

 本当に、何度も注意された内容だった。理央の中で、もうどうしようもないよ、という声が聞こえる。これ以上、何をどう努力すればいいのか、もうどこにも道はないように思えた。

 さすがに休日の練習は午前で終わる。誰とも口を聞かずに通学路を歩き電車に乗った理央は、自宅より一つ手前の駅で降りた。大通りの向こうに見慣れたショッピングモール。去年までは月に一、二回来る程度だったのに、こんなに頻繁に通うことになるとは。そんなことを思いながら真っ直ぐにダンス教室に向かっていた。今日は日曜日。今頃真央が練習を終えて帰る準備をしているはずだ。

 先週、柊翔の怪我が治ったと真央から聞いた。どの程度治ったのかまではわからないが、ルリにも聞きにくくて気になったままになっている。まだ踊れなくても、理央のパフォーマンスのダメ出しくらいはしてもらえるかも知れない。要件が要件なだけにいくらか緊張してダンススタジオの前まで来た理央は、思い切ってその窓から中を覗いた。

「あれ?」

 誰もいない。ガラス張りで晴れた外に面しているため明るく、あの日のように目を凝らさなくても、人の気配がないのは明らかだ。真央が持っているスケジュール表を確認してまた出直すか…。理央が諦めて帰ろうとした時。

「今日は休講日だよ」

 いつの間にそこにいたのか、振り向くと柊翔が立っていた。突然のことで何も言えずにいると、彼は少し呆れたような顔をする。

「何だよ。俺に会いに来たんだろ?」

 そう言いながら、スタジオの鍵を開けた。あの日と同じ、スポーツドリンクを一本、理央に手渡す。もう松葉杖も包帯もなく、見た目には歩くことに何も問題なさそうで安心した。

「休講日なのに、何でいるの?また練習?」

「実はさ、なんとなく、お前が来るような気がしてたんだよね」

「…なんで、」

「だから、なんとなくだって」

 ルリから自分の不甲斐なさを聞いていたから?そうとしか思えなくて、急に悔しさがこみ上げてくる。彼女はダンス部で唯一の女友達だけど、やっぱりライバルだ。負けたくない気持ちの大きさに理央は迷わず、こう言っていた。

「ダンス、教えてください」

 後先考えてなんかいられない。文化祭まで、もう二週間を切っているのだ。せめて十人いるうちの半分より上の評価が欲しい。

「バーカ」

 ここに来たわけを聞いた柊翔は、怒ったように言った。

「一番になれよ。たった十人だろうが。そんな奴ら抜いて、俺が一番になるんだって思えねーのか?」

 そんな奴ら、と言った。その中にはルリもいるのに。何万人の頂点に立った経験のある柊翔には、十人なんて数えるにも満たないのだろう。次元が違いすぎて、比べるのも馬鹿馬鹿しい。

「やってみな。曲、あるんだろ?」

 理央は頷き、スマホを取り出した。もう躊躇なんてしない。なんと言われようが構わないと思って音楽を流した。


「…、なーんだ」

 鏡にもたれて腕組みをし、ジッと理央の踊りを見ていた柊翔は、曲が終わるとまた呆れた声を出した。

「深刻な顔してるから、どんな状態かと思えば、…上手じゃん」

 上手?全く予想していなかった台詞だった。理央のありえない、という表情に、

「ステップも綺麗だし、曲にもバッチリ合ってるし、」

「嘘だ、そんなの!いい加減なこと言うなよ!どうせ俺のことなんてどうでもいいんだろうけど、こっちは真剣に悩んでるんだから!」

「おい、」

 感情に任せて畳み掛けていた理央は、柊翔の怒った声でようやく口をつぐんだ。

「お前のこと、どうでもいいなんて誰が言った?」

 鋭い眼差しが容赦なく突き刺さる。理央は思わず目を逸らした。

「俺はどうでもいいヤツのために、休みの日にわざわざここまで来たのかよ?」

 その言葉に、理央は再び柊翔の目を見た。怪我が治ったから、練習するために来たのだと思っていた。まさか本当に自分のためだけに来てくれた?連絡先も知らない、本当に来るかどうかもわからないヤツのために?理央は返す言葉を思いつかず、しばらく黙っていた。柊翔もそんな理央を射るように見ていたが、やがて目を伏せ、小さく息を吐いた。

「さっきも言ったけど、踊り自体は上手だよ。雑なとこなんて一つもないし、もう前に見せた小学生はとっくに超えてる」

 その口調はもう穏やかで、鋭い眼差しも消えていた。さすがに普段から子供相手に教えているだけあって、感情を抑える術を心得ている。幾らか安心した理央はホッと息をついた。

「できることは全部やったし、努力もしてるのに、これ以上どこ直せばいいの?って感じでしょ?」

 その通りだ。それが知りたくてここまで来た。

「それはね、お前の自信のなさが足引っ張ってんの」

 できているかどうか自信が持てない、そんな中途半端なヤツがいくら一生懸命踊ったって、中途半端な印象しか与えられない。

「ハッタリでもいいからさ、俺が一番だって思ってみろよ。誰かと比べるんじゃなくて、もう俺が一番だって最初から行くんだよ」

 柊翔らしいアドバイスだと思った。彼はいつもそうやって踊っているのだろうか。なんだかおかしくて、理央の顔にようやく笑みが戻った。

「…やっと笑った。お前もルリと一緒だな」

 柊翔はそんな意外なことを言って笑う。ルリとの間に共通点など一つも見当たらないが、大人の彼にはそれが容易に見えるのかも知れない。一方彼は気づいているだろうか。自分が笑うことで、相手を心から安心させていることに。

「あの子たちにいつも言ってることなんだけど、」

 柊翔は壁に貼ってある子供達の写真を見ながら言った。

「俺だけを見ろ、って思って踊れよ。俺が一番だ、他のヤツなんか見るなって」

 そうすれば、自然と体が大きく動く。大勢いる観客の目を自分に向けさせるためには、そうするしかないから。理央は今まで、チームだから一人だけが特別に目立ってはいけないと思っていた。むしろ他のメンバーに同化しようと努力していたかも知れない。それに気づいて目からウロコが落ちた気分だった。

「やっとわかった?理央くん、」

 まるでダンス教室の小さな子供に言うような口調。恥ずかしくなって俯いた理央は、柊翔がいつもの白いダンスシューズを持ってきていないことに気がついた。本当に今日は、理央のためだけに…。

「さあ、もういいだろ?メシ食いに行こうぜ。俺、腹減った」

 そう言えば、部活が終わってから何も食べていないことに気づいた理央も、急に空腹を覚えた。前と同じようにスタジオの戸締りを手伝いながら、この大人の印象が自分の中でどんどん変わっていくことを感じていた。



 俺だけを見ろ。あの日柊翔にアドバイスをもらったけれど、次の日の練習後も、水野にいつもと同じことを言われた。その次の日も同じ。ただ、理央はもう何となく分かっていた。それは目の前にいるのが架空の観客ではダメだと言うこと。自分にとっての、確実な誰かでなくてはいけなかったのだ。不器用な理央は、その誰かを作り出せずに苦労しただけ。

 体育館の中に聞き飽きた曲が流れ出し、一斉にパフォーマンスが始まる。文化祭のステージに立った理央は、今までとは全くの別人。自分でも、これが本当に自分なのかと思うほどだった。曲調が変わるタイミングで前列と入れ替わり、理央たちが前に出る。一人ずつがソロのパートをリレーしていく見せ場だ。理央は初めて柊翔に会ったあの日に見た振り付けを、自分なりにアレンジして披露した。とてもできないと思っていたから、最後の最後まで迷ったけれど。

『文化祭、見に来てよ』

『暇だったらね』

 約束をしたのかしていないのか。そもそも、約束とは何なのだろう。破ってはいけないもの?守ろうと努力しなくてはならないもの?そこまで考えて、理央は心の中で笑った。守りたければ守ればいいのだ。約束なのか約束でないのかは、本人次第。彼ならそう言うであろうことを思い、諦めた。

 あっという間に曲が終わり、最後のポーズを解いた瞬間、理央は体育館から出ていく後ろ姿を見つけた。遠すぎて何の確証もないのに、それが絶対に彼であるような気がした。追いかけて行ってすぐにでも感想を聞きたい。そんな衝動に駆られたが、理央はそれを耐えた。楽しみは、また今度に取っておこう。今日は今までで最高の踊りを見せられただけで十分だから。

 靴を履き替えていた理央は、かなりくたびれてきた白いダンスシューズを眺める。そろそろ買い換えなくてはならないと悟りながら、まだもう少し履いていたいと思う気持ちに戸惑っている自分。…最初、白なんて嫌だった。先輩の悠太と同じ、黒が欲しいと思っていた。でも柊翔が、初めて会ったあの日、白いシューズを履いていた。白でいいや。そう思っていた自分が、今は白がいい、と思うようになったこと。女子が好きなモデルと同じ服を着たがる気持ちが、よくわかった気がした。柊翔は理央の、憧れの人。憧れの人が友達なんて、贅沢だな。理央は大事なダンスシューズをバッグにしまって、体育館を出た。

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