年上の友達
ショッピングモールのハロウィンイベントで、ダンス教室の生徒たちがパフォーマンスをすることになった。衣装は自由ということで、母親と真央が楽しげにコスプレの準備をしている。小一のくせにもうあれこれと文句を言い、イヤリングは絶対にキラキラのやつね、とアクセサリーまでつけるつもりでいるのには驚いた。理央はまだ衣装というものを着たことがなく、ひたすら練習に明け暮れているが、文化祭では多分コーチが選んだものを文句も言わずに着るのだろう。特にどんな衣装がいいとか、何の希望もこだわりもないことに気づいて、少し不安になった。真央ですらあんなに自分の意見を言い、積極的に衣装を決めようとしているのに。
理央は自分のパフォーマンスがダメなのは、そういう自主性というか、自己主張のなさが原因なのではないかと思ってみた。何事にも強い意志を持って取り組む。学校の教室の壁に貼ってあるだけの標語のように、知っている言葉だというだけで、今まで一度もそんな努力をしたことがない。それが許されたのは義務教育の中学までで、これからはその標語こそ、常に心がけていなくてはならないのかも知れない。
情けない自分のことはさておき、怪我をした柊翔はあれからずっと仕事を休んでいて、先日母親の代わりに真央を送って行った時も姿が見えず、理央は少し寂しい思いをしていた。彼に会って話す一言二言は、いつも理央に何らかの刺激や変化を与えてくれる。それに気づいたのは会えなくなってからで、レッスンに何の関係もない理央も、彼が戻ってくるのを心待ちにしている一人になっていた。彼には焦らされたり、腹立たしい思いをさせられる時がほとんどだし、励まされたり褒められたりすることは無いに等しいけれど、何もなくなってしまうとつまらない。
一方真央は柊翔の代理で来ている女性講師のほうが可愛いから好き、と彼がいなくても特に何の支障もなさそうなのに対し、ヒナちゃんは毎週不満そうだと言う。本当に四年生が二十二歳を恋愛対象とするのかは別として、そんなにも慕われる彼をちょっと羨ましいと思った。
「ヒナちゃんね、柊翔先生が戻ってきたら、コクハクするんだって。コクハクって何?」
食卓で真央がそんなことを言い、理央だけでなく両親も吹き出しそうになった。
「真央はまだ知らなくてもいいかもな」
父親が困ったように言うが、真央は今知りたい、と怒り出す。
「大好きな人に、大好きって言うことよ。どんなに思ってても、言わなきゃわからないこともあるから」
今度は母親がそう説明した。真央は、ああ、そう言うことね、とわかったような返事をしたが、本当にわかっているのか怪しいところだ。それにしても…。ヒナちゃんはやはり本気なのだろうか。他人事ながら、気になってしまう。
イベント当日、真央だけでなく柊翔のクラスの生徒たちがどれほどのダンスを見せるのか興味があった理央は、両親とは別で会場に赴き、コッソリとイベントが始まるのを待っていた。ステージの前に並べられたパイプ椅子は、我が子や友達のパフォーマンスを見ようと駆けつけた観客で始まる前から満席。最前列を陣取ってビデオを構えている両親に呆れながら、いよいよ始まりそうな気配に自分まで緊張してきた理央だったが、
「柊翔先生!」
誰かの声に、驚いて顔を上げた。もうチームごとに分かれて発表を待つだけの列から、一人二人と駆け出していく。その先に、松葉杖の柊翔の姿を見つけた。
「絶対来てくれるって思ってた」
涙ぐむ女の子の頭を撫で、見てるから頑張って、と声をかけている。この子がヒナちゃんか…。何だか本当に恋愛に発展しそうなシーンを目の当たりにして、ルリという彼女がいることを知っている理央は何だか複雑な気分だ。それにしても。案外律儀なところもあるんだな。仕事を休んでいる間のイベントにもちゃんと顔を出すなんて。こういう気遣いができるのが、彼が子供にまでモテる理由なのだろう。理央が感心していると、司会の女性講師の元気な声でイベントが始まった。
曜日ごとにチームを組み、ハロウィンの衣装に身を包んだ子供達が踊る。オレンジや紫、黒のいかにもハロウィンらしい色合いに、元気なダンス。理央は楽しそうに踊る子供達が羨ましかった。自分はこんなにも楽しく踊ったことがあっただろうか。上手に踊れるようになりたくて入ったダンス部のはずなのに、コーチの怒鳴り声に怯えて萎縮した部員の一人になってしまっている。楽しく踊る、小さな子供にはごく簡単なそれが、高校生になるとこんなにも難しいものなのだろうか。それとも自分はカッコよく踊る自分に憧れていただけで、本当はダンスなんて好きではないのかも知れない。
「どう、最近?」
気がつくと、隣に柊翔の姿があった。黒いシャツにダメージデニム。胸元にはリングを通したネックレス。そんなシンプルな格好も驚くほど似合っている。いつもは上下とも柄のような奇抜なファッションで、それを見慣れていた理央に、今日の彼は違う人のように見えた。夏休みに真央の送り迎えで顔を合わせて以来で、すごく久しぶりのはずなのに、ついこの間会ったばかりのような気がするのは何故だろう。
「なんか思いつめた顔してたけど、」
柊翔は手元のパンフレットで自分の生徒たちの踊る順番を確認しながら言った。自分が純粋にダンスが好きかどうかを自問自答していたとは言えず、
「足、大丈夫?」
「ああ、思ったより早く治りそう」
「本当?良かった!」
その理央の反応が大袈裟だったからか、柊翔は驚いたような顔をし、
「へえ、そんなに心配してくれてたんだ」
「…、だって、ひどい怪我って聞いたし、」
何だか恥ずかしくなって俯く。その様子に、柊翔は可笑しそうに笑った。
「お前、ホント可愛いヤツだな」
高校生にもなって、可愛いと言われたことに複雑な心境だったが、彼にとっては小学生も高校生も何ら変わらない子供なのかも知れない。しかし、
「ルリは?」
「塾で忙しいんだって」
その言い方が、何だか親に構ってもらえなくて寂しい子供のようで、理央は思わず笑ってしまった。歳は離れていても、精神年齢はルリの方が上なのかも知れないな、と勝手に分析する。しかしルリがここにいると、ヒナちゃんの手前、彼もやりにくいだろう。そんなことを考えているうちに、いつの間にかステージで真央が踊っているのを見つけ、それが案外様になっていることに若干の焦りを覚えながら、理央は拍手を送った。
演技を終えて、自分の親や兄弟よりも先に柊翔の方へと駆け寄ってくる生徒たちが、今のどうだった?上手だった?と口々に質問する。
「みんな超可愛かったよ。衣装、気合入ってるね」
柊翔のその答えに、女子たちは飛び上がって喜んだ。演技に対する問いだったはずなのに、衣装を褒めるとは、さすが女子の扱いに慣れている。彼の思惑通りか、子供達はそれで満足し、ようやく家族の待つところへ戻った。理央がその対応に感心していると、
「…、レベル落ちてんじゃん。何やってんだよ」
意外にも柊翔はそう呟いた。確かに理央から見ても、初めてあの子たちの踊りを見せられた時に比べると迫力に欠けるというか、キレのなさを感じた。それは大会ではなくショッピングモールのイベントだからか、それとも入ったばかりの真央に合わせてくれたのかと思っていた。…そうか。だから今の質問に、ちゃんと答えなかったのか。
「厳しいんだね」
決して下手ではなかった。振りは誰も間違えなかったし、フォーメーションの入れ替えもちゃんとできていた。
「じゃあ今の、お前だったら何点?」
「…、」
答えにくい質問をしてくる。理央は少し迷って、
「うーん、七十点くらいかな」
そう答えた。彼女たちの本気の踊りを見たことがあったから百点はつけなかったというだけで、小学生の、しかも低学年がほとんどのチームだ。八十点をあげても良いと思った。
「本番に七十点じゃ、ダメだろ」
どんなにユルいイベントでも、これは本番。百点以上でなければ、合格はあげられない、と言った。あの子たちの実力を誰よりも知っている彼には、物足りないどころか残念すぎる演技だったのだ。
「あーあ。早く足治んねーかな」
柊翔は明らかに苛立った様子で側にあったベンチに座り、松葉杖を蹴った。その隣で理央は、とんでもない勘違いをしていたことに気がつく。彼は、子供達にダンスを教えるという仕事が好きなのだ。世界大会で優勝するほどの実力のある彼が選ぶ仕事ではないと、勝手に思っていたけど…。
「足、まだ痛い?」
「歩いたら痛いよ」
「…早く治ると良いね。また、踊ってるとこ見たいよ」
治るかどうか、まだわからない。ルリから聞いていたはずなのに、理央はそんなことを言ってしまっていた。柊翔はまだ不機嫌な表情のまま頷いたが、ハッとしたように顔を上げ、理央の顔を見る。理央も驚いて、彼の顔を見た。
「お前さ、」
彼は何か言いかけたが、やっぱやめとく、と言って笑う。
「何だよ、気になるだろ?」
理央のふてくされた顔に、
「いや、そのスニーカー、まだ履いてるんだな、と思って」
「嘘だろ、もっと他のことじゃん、絶対」
「ホントだって」
本当のことを言いそうもないことに、理央はもういいよ、と言って席を立つ。いつの間にかイベントはフィナーレを迎えていて、全員が前で手を振っていた。
「ヤバい、行かなきゃ」
「何、カノジョと約束?」
理央は思わず柊翔を睨んだ。真央と両親が帰宅した時に留守にしていると、またゲームセンターに行ったと濡れ衣を着せられかねないのだ。
「そっか、大変だね、未成年は」
気をつけて帰れよ、と手を振る彼に、理央もつられて手を振る。友達の、彼氏。真央の、先生。でも友達、なのかな。彼があまりに気さくに接してくれるおかげで、気がついたら友達のように話してしまっていたけれど…。まあいいか。一人くらい年の離れた友達がいてもいいよね。理央はそう思うことにして、駅まで走った。




