ダンス教室の先生
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!
久々に書いていて、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながらの投稿なので、拙い部分も多いと思いますが、徐々に訂正していきますので温かく見守っていただけると嬉しいです。
まだまだ続きますが、どうぞ最後まで読んでくださいね!
夏休みなんだから暇だろう、と言う親の決めつけで真央のダンス教室の送り迎えを任された理央は、毎週日曜日、駅前のショッピングモールに通うことになった。柊翔が講師だということにまだ半信半疑だった理央は、もう三度目のこのダンススタジオでようやく講師として働く彼を見つけ、何だか落ち着かない気分で中に入る。驚いたことにルリの言っていたことは本当で、柊翔の仕事ぶりは想像以上にきちんとしたものだった。
「こんにちは!真央ちゃん、今日からよろしく」
ちゃんと、子供の目線に合わせるようにかがんで話しかける。付き添いの保護者に対する言葉遣いも、取って付けたものでないのはすぐに分かった。子供達にも慕われ、柊翔先生、柊翔先生、と四方八方から呼ばれている。やがてレッスン開始の時間になり、他の保護者たちが子供を預けてスタジオの外に出て行くと、柊翔は子供達を並ばせ準備運動を始めた。理央は、まだ真央が慣れていないという理由で残るように言われ、一人、後ろのパイプ椅子に座ってその様子を見学し始める。
見た所、真央が一番年下で、他は三、四年生くらいだろうか。男の子が一人に女の子が五人。一人の男の子の肩身の狭い立場を思って同情してみる。女子たちが柊翔と談笑しながら体操する中、終始おどおどして、居心地が悪そう…。そう理央が感じた瞬間、
「マサキ、大丈夫?ついて来いよ」
そう声をかけた。ちゃんと、全員の様子を見ているのだ。見た目からガサツそうなイメージだが、初めて会った日、理央に対してもそうだったように、相手が不安や不満を感じないように気を配る優しさがある。こういうギャップに弱いという女子の気持ちが、理央も少しだけわかった気がした。ルリも彼のそんなところに惹かれたのかも知れない。
理央が感心したのはそれだけではない。小さな子供といっても柔軟体操は本格的で、理央たちが部活で毎日やっているものとほとんど変わらなかった。
「もっと頑張って!体硬いと上手になれないよ」
「痛い痛い!」
まだ体が硬く、開脚に苦戦している女の子の体を、上から容赦なく抑えている。勝手がわからないなりに見よう見まねで体操をしている真央が可笑しくて、理央は思わず笑みを漏らした。しかし。笑っていられたのはそこまでだった。いざ振り付けの練習が始まると、小学生とは思えないレベルの踊りを見せた。真央と同じで入って間もないであろう男の子以外は、明らかに理央より上手だった。ちゃんと、意志を持って表現している。注意されると、一生懸命直そうと努力している。理央は思わず凝視してしまって、鏡越しに女の子と目が合い、ようやく我に返った。
「ヒナちゃん、堂々とやってよ。自信なさげなの、めっちゃカッコ悪いよ」
「舞ちゃん、大きく動けてるのはいいんだけどさ、雑。丁寧にやって」
「マサキはもっと先生のこと見て。できるとこから覚えてけばいいよ」
「真央ちゃん、真似っこでいいからみんなについってってね」
一人一人に、ステップの細かい動きから表現力に至るまで、的確に指示を出す。それぞれの年齢や性格に合わせて言葉遣いを変えているようだった。終わったら、はいもう一回。ダラダラする隙を与えず、すぐに音楽をかけて繰り返し振り付けの練習をさせる。鏡に映して自分も一緒に踊り、子供達はそれを見ながら振り付けを覚えていく。理央なら覚えるまでに何日もかかるであろうステップの組み合わせも、ものの五分で身につけていくことに脅威すら覚えた。
あっという間に一時間が過ぎ、迎えにきた保護者に連れられて子供達が帰っていく。それを一人一人見送り、靴を履き替えるのに手間取った真央だけになると、
「真央ちゃん、どうだった?楽しかった?」
「楽しかったよ!でも難しかった」
「そうだね、ちょっと難しいよね。でも頑張ったらきっと追いつけるから。来週も来てね」
「はーい!柊翔先生!」
他の子達の真似をして、もう柊翔先生、と呼んだ。真央とハイタッチをして、
「お疲れ様」
理央にも声をかけた。お疲れ様でした、なのか、ありがとうございました、なのか、保護者としての挨拶がわからずに、さっき大人たちの挨拶を観察しておけばよかったと後悔する。柊翔はそんなことどうでもいい、と言うように、
「正直、ヤベェって思ったでしょ」
図星。理央が食い入るように子供達の練習を見ていたことに、気づいていたのかも知れない。先日見学した女性講師のクラスは、もっと初歩的な練習をしていたはずだったが…。全くの初心者の真央が入るにはレベルが高すぎる気がする。理央自身も、ついていけるかどうか自信がないほどだ。
「まあ、キャリアはあの子たちのほうがずっと上だから」
早い子だと、幼稚園の頃に初めてずっと続けているらしい。理央は思わずため息をついた。自分もまだ子供だが、年齢が低いほど覚えるということに抵抗がなく、すんなりと身に付く気がする。ただ真似をするということを難しく感じる理央に、今の子供たちを追い抜くことなど不可能に思えた。
「もっと早く始めりゃ良かった?」
この人は、心の中が読めるのか?理央の驚いた顔に、柊翔は笑った。
「俺、ダンス始めたの、お前と一緒だぜ」
高一の時。ということは、それほどキャリアが長いというわけでもなさそうだ。もしかしたらさっきの子供達と変わらないかも知れない。始めるのが遅くても関係ないと言いたいのだろうが、持って生まれた才能にもよる。まあ、頑張れよ。そう言って、柊翔は理央の肩を叩いた。
「兄ちゃん、柊翔先生のこと、知ってるの?」
「…うん」
帰りのバスの中で真央に聞かれ、肯定したものの、理央はすぐに、
「いや、知らないよ。全然」
そう言い直した。知ってる人みたいに喋ってたのに。真央はもう、そんな取って付けたような嘘に騙される歳ではない。そんなことは充分わかっていた。
「名前と顔は知ってるけど、中身は全然知らないの」
説明すると真央は、なんとなく分かった、と大人びた言葉を返した。
翌週から、理央も他の保護者たち同様、レッスンが始まる時間になると、スタジオから追い出された。後ろで親が見ていると子供達が集中できないという理由で本来見学はできないらしい。柊翔は先週、真央が慣れないからと言って理央をスタジオに残したが、本当の目的はそうではなかった。理央に、レベルの高い小学生たちのダンスを見せるため。そんなことをしたって彼には何のメリットもないはずなのに…。しかし理央は彼の思惑通り、小学生なんかに負けたくない、という焦りにも似た感情に苛まれ始めていた。
体育館のあまりの暑さに熱中症を警戒して練習が早く終わった。風通しの悪い体育館で、真夏はどの部活も過酷だが、今年の暑さは異常だ。今日も入口の壁に掛けられた温度計には三十六度と表示されていた。思いがけず早い時間に学校を出て歩き出したものの、暑すぎて歩き続けることができず、結局いつものコンビニで休憩することにした理央とルリは、天国のような涼しさに思わず声を上げた。しかしエアコンの効いた店内でも窓際は温度が高く、ソフトクリームがいつもの倍の速さで溶けていく。
「理央くんの妹、上手なんだってね」
「まだ始めたばっかりだよ」
「柊翔がね、筋がいいって褒めてたよ。振りの覚えも早いし、すぐみんなに追いつけるって」
「…」
できれば聞きたくなかった。柊翔は毎週レッスンが終わると保護者の前で練習内容の簡単な説明をするだけで、それぞれの出来がどうだったかまでは語らない。熱心な親は全体の説明の後、残って個人のアドバイスを受けたりしているようだが、真央がまだ始めたばかりということもあり、理央は敢えて聞かずに帰っていた。しかし…。意地悪なヤツ。理央は心の中で柊翔を恨んだ。ルリに真央のことを喋れば理央の耳に入ることを計算済みで、情報を与えているに違いない。理央だって、真央の上達が早いことは薄々感づいていた。いつもダンス教室から戻ると自宅のリビングで覚えた振り付けを披露するのだが、一週間、また一週間と回を重ねるごとにどんどん上手になっていく。特に必死になって練習しているわけでもないのを知っているだけに、理央はただただ悔しかった。
「…、俺も、もっと早く始めたかったな」
理央の本音。彼は始める時期が遅くても関係ないようなことを言っていたが、早いほうが良いに決まっている。
「うん、私もそう思ってたよ。でも、頑張ったら追い抜けるんだよ」
大会で二年生の代わりを堂々と努めたルリだから言えるセリフだと思った。
「そんなの、選ばれた人だけだって。そういう人を天才っていうんだよ。天才なんて、世界中で数えるほどしかいないじゃん、」
真央に負けたくないという思いからか、ルリに追いつけない悔しさからか、卑屈になった理央の言葉を遮るように、ルリは理央の目を見て首を横に振った。
「私たちとおんなじ、高一から初めて、たった六年で世界一になった人、知ってるもん」
幼稚園から始めて十五年以上のキャリアがある世界中のライバルたちを、柊翔は全部追い抜いたんだから。
「…」
世界で一番。その事実に、理央はしばらく呆然としていた。そんなにすごい人だったなんて。何よりそれを全く鼻にかけることなく、熱心に子供達に教えている姿を思い、理央は少し泣きそうになった。
「すごいね、」
本当に、それしか言葉にならなかった。