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ダンス コーチ  作者: kanon
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念願の再会

 大会が終わったからといって、練習が終わるわけではない。夏休み、三年生が引退して少々広くなった体育館のスペースで、転がってきたバスケットボールを投げ返した悠太が片手をついて側転をした。この高校の部活には、三年で引退する部長が次の部長を指名するという伝統があり、悠太が部長に変わったのだが、次の大会では今の所男子が多いということもあって、ややアクロバティックな振り付けはどうだろう、と提案する。側転どころか逆立ちもあまり得意ではない理央はギョッとしながらも、以前キッズダンスのスタジオで見た見事なパフォーマンスを思い出していた。まるで取り憑かれたかのように、あの日の彼の華麗な身のこなしが頭から離れない。指先、つま先まで計算し尽くされた動きはどこを切り取っても美しく、一瞬たりとも目を離すことができなかった。もう一度彼に会いたい。そんな気持ちがずっと理央の中にある。お化けでも何でもいいから、もう一度目の前に現れてダンスを見せて欲しい。理央はそんなことを思いながら、二年生たちがもう来年の大会の話で盛り上がる様子を眺めていた。


 ようやく和気あいあいとした空気の戻りつつあるダンス部だったが、理央はまだルリと一言も口をきいていなかった。ルリのほうは自分から積極的に話しかけるタイプではなく、ごく自然な振る舞いに違いないのに、勝手に後ろめたさという壁を作っている理央は、いつまで経っても帰りのコンビニに誘うことができずにいる。しかし。

「理央くん、最近元気ないね」

 帰ろうとしていた理央に、ルリのほうから声をかけてきた。元気がない?それはルリを含め、大会に出たメンバーのほうだと思っていた。

「そんなこと、ない…と思うけど」

 ハッキリ元気だと言い切れないのは、ダンスに自信がないからかもしれない。動きが小さい、もっと思い切ってやれ。毎日のようにコーチから言われているセリフが耳元で蘇る。

「実は…気に入ってた靴を、なくしちゃって」

 自信がないと口にしたくなくて、理央は全く関係のない事を口走っていた。それはそれでずっと理央を悩ませているには違いなかったが…。

「…靴?」

「駅前のショッピングモールで新しい靴を試着して、古いほうを置いて帰って来ちゃった。親にめちゃくちゃ叱られたよ」

 嘘が嘘を呼ぶ、とはこのことだ。お化けかも知れないという疑いを捨てきれない理央は、あの男に会ったことは言えなかった。しかしその小さな嘘は、思わぬ方向に動き始める。

「ねえ、明日は練習休みだし、そのショッピングモール行かない?お気に入りだった靴、見つかるかも」

 何を根拠にそんな事を言うのか、理央にはわからなかった。しかしあの場所は何故かいつも理央を呼んでいる気がする。忘れた靴が呼んでいるのかも知れない。それともやっぱりお化け…?いい加減気になっていた靴の行方を、ルリと探すのも面白いかも知れないな。そんな思いが心に浮かび、理央は久々の笑顔で頷いた。


 翌日、ルリの指定した時間に駅前に到着した理央は、彼女の姿を探した。よく考えたら私服で会うのは初めてで、髪型もいつもと違う彼女を見つけるのに手間取ってしまった。普通なら、こう言うシチュエーションは恋愛に発展するはずだが、ルリには既に彼氏がいる。本人に確認したことはないが、先日の大会の後の光景から、それは明らかだ。そもそも二人で会って大丈夫なのだろうか?と理央が今さら疑問を抱く一方、ルリはそんなことは全く気にもかけていない様子で駆け寄ってくる。普段の彼女からは想像もつかないワンピース姿に衝撃を受ける間も無く、もう一つの衝撃が理央を待ち受けていた。

「だーれだ」

 突然後ろから両手で目隠しされ、そう聞かれても、当てられるはずがない。狼狽しているとパッと目の前が開け、代わりに生き別れになっていたシューズが現れた。

「あ、俺の靴!」

 同時に、自分の後ろにいるであろう人物の顔が浮かんだ。でも、どうして?恐る恐る振り返ると、そこにはやはり、あの日の彼が立っていた。

「やっぱり理央くんのだった!昨日靴の話聞いて、もしかしてって、」

 ダンス教室を覗き見して、靴を忘れて行ったヤツがいる。そんな話を彼から聞いていたルリは、昨日理央が苦し紛れについた嘘から、その靴の持ち主が理央ではないかと思い当たったのだと言う。理央は改めて、長身の彼を眺めてみた。あの時は薄暗くてよくわからなかったが、深いグリーンにも見える切れ長の瞳が印象的で、金色だった髪は少し落ち着いた茶髪に変わっていた。半袖から出た腕は思った通り筋肉質で意外に細く、身長とのバランスが丁度良い。服装が違うからか、以前ほど派手な印象では無いが、彼自身の放つオーラのようなものはあの日と同じ。ただ立っている、それだけで人の目を惹くのがわかった。理央は彼がお化けなどではなく実在したことにホッとして、ようやく心の靄が晴れていくのを感じた。

「探したぞ、お前」

 世話の焼けるヤツだな、と言いながら、理央にスニーカーを渡す。

「…ありがとうございます」

 理央が礼を言うと、ぎこちなかったからか、二人が顔を見合わせて笑った。

「でも、柊翔(しゅうと)の本気のダンス見れたなんて、羨ましいな」

「え?」

「私には絶対見せてくれないんだよ?めんどくせーとか言って」

 ルリの台詞から、この二人の関係は容易に知れた。ふぅん、と相槌を打ちながらも、年齢差だけでなく、何を取ってみても違いそうな二人がどうやって付き合うに至ったのかが気になった。

「ルリが前に言ってた、ダンスやってる知り合いって、この人のことだったんだ」

 彼氏、とは言わず知り合いと言ったこと。友達につく、そんな些細な嘘が無性に羨ましい。何だか全てが不公平に思えてきて、理央は思わずため息をついた。一方彼は、年下の高校生の不機嫌のわけを汲み取ったのか浅く笑って、

「お前、なんでダンス始めたの」

 自分が以前、ルリに投げかけた質問。その答えはもう色褪せて、見つけられないほどになっていた。

「俺はね、モテたいから」

 派手な容姿を裏切らない、ある意味納得の理由。

「お前も頑張ってれば可愛いカノジョできるよ」

と理央の肩を叩き、仕事に行くと言ってショッピングモールの方へ歩いて行った。

「…あの人、本当にダンスの先生なの?」

 残る彼の香りに、あのスタジオの暗い空間を思い出しながら言った。

「そうだよ、あそこのダンススクールで教えてるんだよ」

 今からレッスンなのだと言う。勝手にダンス教室のスタジオを使って、勝手に練習していた悪いヤツ。そう決めつけていた理央には、その事実がちょっと物足りない気がした。

「あんなチャラいのに、よく雇ってもらえたね」

 彼女の前なのに思わず言ってしまって、咄嗟にルリの顔をうかがった。が、予想に反して声を立てて笑う。

「あはは、本当そうだよね。でも柊翔って、案外真面目なんだよ?」

 ああ見えても、と付け加える。真面目そうには一切見えない。そう言おうかと思ったが、

「うちの妹、あそこでダンス始めるんだ。真面目な先生に教えてもらえるといいな」

 全く違う事を口にして、ようやく戻ってきたスニーカーを見つめた。


 そのあと空腹を覚えた理央はドーナツの良い匂いに誘われ、久しぶりにルリと二人で話をした。大会の練習が大変だったこと、うまく行かなくて毎日泣いたこと。今まで聞けなかったルリの気持ちを、全部打ち明けてくれた。そしてナナの代わりに、立候補したわけも。

「柊翔がね、人より前に行きたきゃ後先考えるな、っていつも言ってるから。考えてる間に盗られるぞって」

 彼はあんなにもダンスが上手いのに、ルリには踊って見せないし、教えない。彼がどんな仕事をしているのか。どんなことを考えて踊っているのか。教えてくれないなら自分が体験して知ろうと思ったのだと話した。

 ルリの話を聞きながら、理央は柊翔という名のあの大人のことが、少しわかってきた。自分も、知り合って五分で彼のことをもっと知りたいと思うようになったこと。向かい合った人を瞬時に惹きつける魔法のような力を、ハッキリと感じた。周囲に与える力が大きいからこそ、彼は多くを語らないのかも知れない。今の理央はそういう結論に達した。

 後先考えずに、か。そんなふうに生きられたら、人生楽しいだろうな。まだ十六年しか生きていないくせに、今までの自分を振り返ってみる。するとつい先日、ダンス教室を覗いている自分の後ろ姿が見えた。ダンスシューズを買いに行った日。母親と一緒に帰らず、彼との時間を選んだ。律儀な理央に、あのまま姿を消すことができなかったにしても、それまでの自分にはない選択だった。あの日の選択が、人生を変える?そこまで考えて、理央はフッと笑った。もしそうなら、楽しみだ。

「何笑ってるの?」

「靴が戻ってきて良かったと思って」

「そんなに大事な靴だったんだ」

 柊翔も渡せてすごく嬉しいと思うよ。理央の嘘にそんなことを言ってくれるルリは、少しでも彼が踊っている姿を見たいから、ダンススタジオをコッソリ覗いてから帰ると言う。もしまた会えたら彼のダンスを見たいと思っていた理央だったが、今日はもうこれで満足だった。まるでずっとできなかったステップができるようになった時のような達成感。ここ最近ずっと味わっていなかった感覚に、自分でも驚いていた。


 翌朝、久しぶりに玄関に戻ってきたスニーカーを履こうとして、中に何か入っていることに気がついた。雑に折りたたまれた白い紙を開くと、そこには…

『大事なシューズ、もう忘れんなよ』

 ぶっきらぼうな文字で、そう書かれていた。きつくなれば買い替えてきた、今までのスニーカーと何ら変わらないこの靴を、特に大事にしていたわけではなかった。でもそういうことにしておこう。いつか人生が変わった時、何より大切なものになるかも知れないから。

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