大会の日
連日のように、厳しい練習が続いている。いくらルリが一年生の中で一番でも、上級生の中に入ればその実力の差は歴然で、全く動きが合わない。ルリのせいではない、それは誰もが知っていることだったが、苛立ちがその事実を忘れさせようとする。ルリに向けられたコーチの容赦ない怒鳴り声が、体育館に響き渡っていた。そんな光景を見ていると、あの日に感じた悔しさもいつの間にか何処かへ行ってしまったことに気がつく。手を上げなくてよかった。そんな風に思う自分が情けなくて、理央は一生懸命体を動かした。
「あいつ、凄いよな」
いつものように大会メンバーを残して体育館を出た時、同じ一年のチームメイトたちが話す声が聞こえた。
「あそこまで怒鳴られたら、俺だったら辞めてるよ」
「でも、辞めるに辞めれないだろ」
来年、ゾッとするね。後ろ向きな会話があちこちで聞こえる。理央の心の中でも同じような言葉が渦巻いていたが、それを口に出したくなくてわざと早足でその場から立ち去った。もし言ってしまったら、来年の今、自分はここにいない気がするから。理央はこのダンス部に入部して以来、いつか先輩たちのように堂々と踊れるようになりたいと思って練習してきた。三ヶ月と言う短い期間であっても、それは理央にとって初めて、自分で見つけて続けてきたものなのだ。親に強いられて入った英語教室も、友達に誘われて入ったサッカー教室も続かなかったけれど、自分で選んだこのダンス部からは、簡単に逃げたくない。だから、他人に向けられた怒鳴り声が自分に向けられたもののように感じるほど追い詰められている今も、来年の舞台に立つための試練だと思って耐えている。理央は自分の弱さを振り切るように、最後は走って校門を出た。
重い心を引きずって帰宅した理央は、妹の真央が例のダンス教室に通うことになったと聞いて、ますます複雑な気分になった。予想していたことではあったが、これで真央もライバルになってしまう…。年の離れた妹のことを応援する余裕もなくなっていることに気づき、理央は部屋に閉じこもった。先日真央と一緒に見学したあのダンス教室のレッスンは、子供達のレベルに合わせた簡単なステップを講師が丁寧に何度もやって見せ、子供達はそれを真似て覚えていく。できないことを責めたり否定したりはせず、我慢強く指導する姿が印象的で、初めての真央も難なく二つのステップを覚えて得意になっていた。自分はもっと苦労したはずなのに。そんな簡単なステップ、いつまでかかってるの!と言う水野の罵声が蘇る。高校の部活という場所と小さな子供の習い事を比べても仕方ないことは百も承知だったが、何か自分ばかりが損をしているような気がしてならない。思った以上にレベルの高いパフォーマンスを要求されるにも関わらず、思うように上達しない状況が、理央を今までになく卑屈にしてしまっていた。
心身ともに疲れ切った状態で迎えた大会の日。当然理央たち一年生も応援のために会場に来ていた。最後の一瞬まで諦めるな!と、昨日の練習の最後にコーチが言ったが、奇跡でも起きない限り入賞など不可能。メンバーの誰もが覚悟していた通り、結果は最下位でこそなかったが、ダンス部始まって以来、最悪の順位だった。
「ごめんね、みんな」
松葉杖で来ていたナナが、涙を流して謝っている。自分が怪我をして以降の練習に、一度も顔を出さずにいたことも謝った。そんな言葉も、悔しさに歪んだ回路を通って耳に届いてしまう。お前が怪我さえしなければ。口にしてはいけない台詞が、今にも外に出ようとしていた。
「大会直前に怪我をしたナナも悪い」
不協和音を察したのか、コーチがいつになく静かな口調で言った。大会までの体調管理をすることや、怪我をしないように慎重に行動することは、スポーツをする者にとって当然の義務。挨拶をきちんとするのと同じことだと、淡々と説明する。
「でも、一人二人出れなくなってもいいように、ピンチヒッターを作っておかなかった私が一番悪い」
自分がダンス部に属していた学生時代、大所帯のため本番の舞台に立てるのは選ばれた部員のみ。補欠で死ぬほど悔しい思いをしたその経験から、指導する立場に回った今、出られるなら三年生はもちろん、二年生も全員大会に出してやりたいと思い、補欠を作らなかったこと。怪我人が出ると想定できなかったこと。プロとして失格だと初めて涙を見せた。
その言葉で救われたのは、ナナを含む先輩たちだけではない。ナナの代わりに立候補できなかった一年生全ての罪悪感も、いくらか軽くなったはずだ。そしてたった一人、あの時手を上げたルリの心も。
理央はふと、そこにルリの姿がないことに気がつき、辺りを見回した。会場からはもうほとんどの団体が撤収していて、残っているのは理央たちの高校を含め数校だけ。気になった理央は、そっとその場から離れた。演技中、理央の目はずっとルリを追っていた。いつもいつも差を見せつけられて悔しい思いをしてきたが、今日、心の底から彼女を凄いと思った。全体を見れば合わせきれていない部分もあったのかも知れない。しかし一週間であの難しい振り付けを完璧に覚えただけでも、賞賛に値する。その努力に対して何か言える立場では無いが、今はただ、彼女が過酷な練習から解放されたことにホッとしていた。
客席にルリの姿を見つけられなかった理央は、近くの扉から通路へと出た。それほど複雑な造りの会場ではない。吹き抜けのロビーは人でごった返していたが、二階席から出た踊り場からの見通しは良い。そこから見える限りの場所を順に目で追っていた理央は、すぐにルリらしき姿を見つけた。人目につかないようにか、非常階段の扉の陰に、今日の衣装のまま。一緒にいる相手まではわからなかったが、遠目にも明らかに友達ではないであろうその男性にしがみついて泣いているようだった。気になって探しに来たものの、かける言葉の準備をしていなかった理央は、慰めてくれる相手がいたことにいくらか安心して踵を返す。ちょうど客席から出てきた仲間たちと合流し、
「来年は絶対入賞しろよ」
「リベンジ、頼んだよ」
これで引退する三年生からそんなプレッシャーを与えられながら、先輩たちの顔に僅かながらも明るさが戻っていることに安心して会場を後にした。