真剣な神頼み
年が明け、友人たちから初詣に行こう、と誘われた理央は、しっかりと厚着をして駅に向かった。年末に引いた風邪はたちが悪く、病院に行ったら肺炎になりかけていると言われてしまった。そのせいで、体はすっかり元気だが、まだ時々咳き込んでしまう。その度にあの寒い夜の出来事が思い出され、柊翔のことが気がかりでならなかった。
それにしても初詣なんて何年ぶりだろう。前に行ったのは、まだ親に連れられて行動していた頃のことで、真央が音の鳴る靴でヨチヨチ歩きをしていた。そんな真央も一人前に習い事を始め、最近では家で毎日のようにステップの練習をしている。上達が異様に早いのは、教えている講師が飛び抜けて優秀なせいだと思いたい。
理央たちが向かったのは、このあたりでおみくじが異様に当たると評判の神社。それ目当ての若者たちでごった返す中、理央はまず賽銭箱の前にできた長蛇の列に並んだ。結局のところ、最後は神頼み。ちゃんと五円玉も用意してきた。柊翔は理央のことを救いの神様か何かだと思っているようだったが、当然ただの高校生にそんな力などあるわけがない。願うのは一つ、柊翔の怪我が完治すること。今の理央には、それ以外に叶えたいことなど一つもなかった。
ガラン、ガラン、ガラン…
大きな鈴の音。理央はしっかりと手を合わせて目を閉じる。柊翔の怪我が早く治って、また踊れるようになりますように…。
こんなにも真剣に何かを祈ったことがあっただろうか。心の底から何度も何度も神に祈り、ようやく目を開けて列から離れようとした理央は、こっちを見て可笑しそうに笑う二つの人影を見つけた。
「何を真剣にお願いしてたんだ?」
松葉杖の柊翔とルリ。一瞬、夢でも見ているのかと思った。が、そうではないらしい。どうしても三が日のうちにここのおみくじを引きたくて出て来たのだと言った。…この二人に今の様子を見られていたと思うと結構恥ずかしい。
「内緒」
「あー、わかった。今年こそ彼女できますように、だろ」
「内緒だって言ってんの」
「言ったら願掛けにならないよね?」
他愛のない会話にあの夜の深刻さはどこにもなくて、理央はもしかしたら本当に全て夢だったのかもしれないとさえ思った。何事もなかったかのように屈託のない柊翔の様子も、ルリの笑顔も、今この瞬間も夢?そういえばさっきから、友人たちの姿も見当たらない。
「理央くん、どうしたの?変な顔!」
理央の不安げな表情がおかしかったようで、ルリは声を上げて笑った。柊翔もつられて笑い、ひどく咳き込んでいる。
「大丈夫?」
「この人ね、肺炎起こしちゃって、年末ずっと入院してたんだよ?寒い外で練習して風邪こじらせたんだって」
大人がやることじゃないよね、と呆れたように理央に同意を求めた。その練習でまた靭帯を痛めたということになっているらしい。一体どんな顔をしてルリに嘘の説明をしたのか…。しかし、理央はもう気づいていた。いくらでも思いつくという彼の嘘や言い訳は、人を傷つけるためのものではなくて、相手を思いやるが上のものだということに。
「理央くんも寝込んでたよね、そういえば」
「俺もね、お風呂上がりにコート着ないでコンビニ行って、友達と長話してたら風邪ひいた」
随分嘘が上手くなってきたものだ。理央はルリの後ろで唇の前に人差し指を立て、目配せしている柊翔を一瞥する。足の包帯が痛々しくて、あの夜彼が流した涙を思い出した。絶望と不安。誰のせいにもできない事実、誰にも見せられない胸の内を知った理央は、彼の重い荷物を少しでも軽くしてやる方法はないかと考え続けていた。
『夢だったらいいのに』
その彼の言葉がどんなに深刻なものか、時間が経ってようやく理央にも理解できていた。自分まで夢にされたくない。そんな子供じみたセリフを口にしてしまったことを、今更ながら後悔している。
「…ほんとどうしたの?理央くん、さっきから変だよ」
余計なことを言えないということもあって、挙動不審になってしまった理央は、なんでもない、と笑ってごまかし、
「おみくじ、もう引いた?」
と話題を変えた。
「引いたよ、二人とも大吉だったんだよ」
嬉しそうなルリ。ほんと来て良かったね、と二人で顔を見合わせる。理央は少々羨ましく思いながら、
「良いこと書いてあった?」
「内緒」
二人同時に答えて、笑い出した。
「…ホント仲良しでいいね、」
ここまでくると嫉妬する気にもなれず、理央はそう言ってため息をついた。また咳き込んだ柊翔の苦しそうな様子に、ルリがもう帰ろうよ、と声をかけている。入院するほどひどい状態だったにも関わらず今日ここにいるのは、きっとルリのため。でもルリには、自分がどうしても行きたいと言い張って来たんだろうな。なぜか理央にはそんなやりとりが手に取るようにわかり、当たっているかどうかを本人に聞いてみたくなった。
「理央ー!やっと見つけた。おみくじ並ぼうぜ」
一緒に来ていた友人たちに呼ばれ、理央はその目的を達することなくその場を離れた。彼らに会う心の準備が出来ていなかった理央は、今になって鼓動が倍くらい早いことに気づく。
「あれ、二組の佐々木ルリじゃん。美人だよな」
「ハーフかクォーターらしいぜ、知ってた?」
「お前と付き合ってるって聞いたけど」
「ガラ悪そうな連れだな、」
「人は見かけによらないんだよ」
好き勝手なことを言いながら並んで引いたおみくじは、小吉。パッとしないけれど、こんなことが書いてあった。秘めたる願いは待てば叶う。思い当たることがありすぎて、思わず友人たちに見られないように隠した。いつまで待てばいいのかわからないが、何にしても願いが叶うなら嬉しいことだ。評判通りに当たってくれることを願って、理央はそのおみくじを木の枝に結んだ。
新年最初のダンス教室に、冬休みだということで真央を連れて来ていた。真央はもう慣れたもので、スタジオのドアまで来るとシューズの入ったスポーツバッグを理央から受け取り、一人で中に入っていく。その後ろ姿に頼もしさすら覚えながら、理央は遠慮がちに中を覗いた。髪の長い女性の講師が柊翔の代わりに子供達の相手をしていることに、今日はさほど驚かずに済む。その時、駆け足で入って行ったポニーテールの女の子が、柊翔先生は?と尋ね、前の怪我が悪くなったからしばらく休むと伝えられて大袈裟に涙を零した。真央がよく話題にするヒナちゃん。身長が高いのもあって、とても四年生とは思えない。大きなイヤリングも似合っていた。きっと柊翔に気に入られたくて背伸びをしているのだろう。理央は以前、告白されて困っていたという彼が、どう返事をしたのかが気になった。
今日理央がここに来た一番の目的は、実は他にあった。真央を預けた理央は、真っ先に調べておいた店に行き、目的の商品を探す。ハイカットの、白いダンスシューズ。お年玉という臨時収入を得て、ようやく手に入れることができる。よく見たら、ちょっと派手だけど…まあいいか。柊翔のファッションの一部として見ていた時は気づかなかったが、普通の高校生には似合わないかも知れない。完全に、自己満足。でも。理央は今までで一番嬉しい買い物をした気分だった。
『サイズ、大きすぎませんか』
試着をした理央に、店員が言った。
『いいんです、今すぐは使わないから』
まだ早い。もっともっと練習して、少しでも彼に近づいたときに履くためのシューズだから。
レッスンが終わり、代理の講師は今日の成果を保護者たちに説明した後、柊翔の足の怪我について説明をした。しっかり治療するため、手術をするのだと。そのため、動けるようになるまでは自分が毎週来ると言った。不満そうと言うより絶望的な表情を浮かべるヒナちゃんは、先生いつ帰ってくるの?と、最も答えにくい質問をして代理の講師を困らせた。
「吉岡さん、」
ヒナちゃんが泣きながら帰って行くのを見届け、真央を連れて帰ろうとした時、女性講師が理央を呼び止めた。
「柊翔先生からです」
差し出されたのは、ダンス教室の茶色い封筒で、宛名は吉岡様と書かれていた。理央への手紙だろうとすぐ察しがついたが、こうなっていれば、中身が何であろうとダンス教室の書類に見える。こういう小細工を思いつく柊翔に感心しながらお礼を言って、理央は今度こそスタジオを後にした。
『この前はありがとう。本当に助かった。それとクリスマスを台無しにしてごめん』
手紙には前と同じ、ぶっきらぼうな字でそう書かれていた。それと、あの神社のおみくじ。大吉と書かれたその短冊に、怪我は必ず良くなる、と書かれている。手術、うまくいくといいね。それにクリスマスが台無しになったのは俺じゃなくてルリだよ。今すぐそう言いたいのに、彼が勝手に決めたアナログな関係のせいで、そのメッセージは未送信のまま理央の心の中に仕舞われる。次に会ってからでは遅いよ…。いつもいつも、物足りない。理央はもどかしさに耐えきれず、ルリに連絡しようとして、やっとの事で思いとどまった。それだけは、ダメ。そんなことくらいはわかっていた。何かの罰ゲームなの?そう聞きたかったが、それも叶わなかった。