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ダンス コーチ  作者: kanon
13/18

緊急事態

 スキーの一件が無事終わり、いよいよクリスマスイブ。いよいよと言っても理央には普段と何ら変わりない一日であって、今日も平和にその一日を終えるはずだった。しかし。

「あれ、」

 入浴中に、ルリからの着信があったようだ。普段、電話をかけてくることはないと知っていた理央が、何か急な用事かと思い折り返すと、それは正に緊急事態だった。

「柊翔と、連絡取れないの、…七時に迎えに来るって言ってたのに来ないから何度も電話したけど繋がらないの。…もう二時間以上経つのに、」

 泣きそうな声でそう言った。彼はあんな性格だが、大切な約束を破ったりするような人間ではない。何かあったと考える方が自然だ。理央も急に不安になる。…今日は日曜日だから、真央のダンス教室があったはず。真央はもう寝ていたため、理央は少し迷ったが母親に尋ねた。

「今日さ、柊翔先生来てたよね?」

「来てたわよ。何で?」

 何でもない、と答え、逃げるように自分の部屋に戻った。理央と柊翔とは何の関わりもないと思っている母親は、どうしてそんなことを聞くのか不思議に思ったはずだ。いつもは半開きのままにしている部屋のドアをきっちり閉め、理央は再びルリに電話をかけた。

「今日スタジオには来てたみたい。どうしたんだろう…」

 今は午後九時過ぎ…。ルリの家は厳しくて、夜の外出は許されない。事故に遭ったのかもしれない、急病になったのかも知れない。ルリの不安が手に取るようにわかった理央は、コンビニ行ってくる、と言って家を出た。

 電車に飛び乗り、ショッピングモールのある駅で降りると、理央は真っ先にスタジオに向かって走り出した。自分でもなぜだかわからないが、彼が絶対にここにいると確信していたから。今までもそうだった。ここに来なければならないような気がした時、ここに来たいと思った時、いつも彼に会えた。

 理央の慌てように、店内にいる客が皆振り返っている。閉店時間はまだ先だが、時間的に客の数は少なく、脇目も振らずに走る理央の姿は目立った。そんなことお構いなしに明かりの消えたスタジオの扉の前まで来た理央は、暗い空間に一人、鏡の壁にもたれて座り込む柊翔の姿を見つけた。

「柊翔!」

 理央は迷わずドアを開け、中に飛び込んだ。驚いたように顔を上げる彼に駆け寄り、無事であることを確認する。その取り乱した様子に、彼は少しだけ笑った。

「笑い事じゃないよ!ルリから何度も電話あっただろ?何で出ないの?心配するじゃん、」

 責め立てても何の言葉も帰ってこないことに、理央はますます感情的になる。

「今日、クリスマスだよ?酷くない?ルリが可哀想、…」

 そこまで言って、理央は口をつぐんだ。彼が泣いていることに気づいたからだ。声を殺して、片手で顔を覆い、肩を震わせていた。その訳は…。理央は何も声をかけられず、ただ隣に座っていた。


「…ホントに不思議なヤツだな、お前は」

 どれくらい経ったのか、掠れた声で、柊翔が言った。エアコンが切れて冷え切ったスタジオは、上着を持って来なかった理央には寒すぎるはずなのに、何も感じなかった。

「助けてほしいって思った時に、いつも俺の所に来てくれる…」

 柊翔は静かな声で、初めて理央がこのスタジオを覗き見したときのことを話した。あの日…新しいダンスシューズを買いに来て、重い荷物を持たされていた日。ここにダンススクールがあるのを初めて見つけて、自然に足が向いていた。引き寄せられるように。そして暗い空間に見える柊翔のダンスに釘付けになった。あの衝撃は、今も忘れられない。

「もうすぐ大会だっていうのに、振りがイマイチ納得いかなくて…教室が休みの日にコッソリここに来て練習してた」

 それを偶然、理央が見つけたのだ。あの時は、部外者が勝手にスタジオを借りていると勘違いしてしまったっけ。まるで昨日のことのようだ。

「あの時、先生には却下されたけど、どうしても入れたい振りがあって。それをやってみたら、やっぱりこれだって思った。そしたら、ひょっこり現れたお前が、…」

『カッコ良かったです』

 思わず、そう言っていた。情熱的なパフォーマンスに、完全に心を奪われていた。そういえば、あの振りを文化祭のソロで踊ったこと、まだ伝えていない。お礼を言うはずだったのに。

「何でか良くわかんないけど、こいつが言うなら大丈夫だって思えた。あれで吹っ切れてさ。まんま、大会で踊ったら優勝できた」

 世界一を決めるダンスの大会。理央には途方もなく遠いところにある舞台に彼は立ち、優勝したのだ。そんなにも凄い人物が、今こうして自分の隣にいることは、果たして現実なのだろうか。理央はそんなことを考えていた。

「あの日お前が来なかったら、優勝できなかったよ、絶対」

 柊翔はあの時理央が忘れた靴を、どうしても自分の手で届けたくて、色んな人に聞いて回ったのだと言う。靴売り場の店員、ダンス講師をしている友人たち、駅を利用する高校生、そしてルリ。

「まさか、こんな身近で繋がってたなんてな」

 以前、柊翔が言っていた奇跡。そんなにも必死に自分のことを探していてくれたのだ。柊翔の呼ぶ声が、いつも理央の心に届いていた。だから、ずっと気になっていた。

「今も、…歩けなくて、真っ先にお前の顔が浮かんだけど、さすがに今日はクリスマスだから無理かなって」

 ルリでも友達でもなく、自分?こんな時に連絡先もわからない相手に頼るなんて、どうかしている。そして、彼が頑なに連絡先を教えようとしなかったのは、自分との奇跡を、信じていたから。昔の人がそうだったように、来るかどうかも分からないのに、信じて、待っていてくれた。

「でも、やっぱり助けに来てくれた。…理央は俺の天使だよ」

 涙が止まらなかった。必死に堪えようとするほど、溢れてくる。まるで、彼の代わりに自分が泣いているような感覚だった。そんな理央を、柊翔は長い腕を伸ばして抱き寄せる。理央はその腕の中で、長い間、泣いていた。


「もう遅いから、帰ろう。心配してるだろうから家に電話して、」

 理央の体からそっと手を離し、柊翔は穏やかな声で言った。こんな時なのに、彼は理央の心配をしている。理央は何と言い訳をするかも考えられずに、発信ボタンを押した。

『ちょっと、何時だと思ってるの?コンビニ行くって、どこのコンビニ?』

 予想通りの怒鳴り声。すると柊翔は理央の手からスマホを取り、

「こんばんは、ダンススクールの矢田と申します。今日はありがとうございました。さっき偶然理央くんにお会いして、久しぶりだったものですから、」

 自分が引き留めてしまったと詫び、家まで送る、と言って通話を切った。丁寧な口調が似合わなくて、思わず笑ってしまう。

「…矢田柊翔っていうんだね」

「理央は、吉岡、だっけ?」

「うん、よく知ってるね」

 そんな他愛もない会話をすることで、ようやく平常心を保っていた。きっと彼も同じに違いない。理央は柊翔の代わりに戸締りをし、勝手をいつの間にか覚えてしまったことを笑い合いながら、必死に涙を堪えていた。


「スキーで無茶をして靭帯を痛めたってことにしたかった」

 誰かのせいじゃなく、自分のせいで。タクシーを待つ間、彼はそう言った。日曜日でタクシーが出払っていて、なかなか捕まらない。二人は乗り場から少し離れたところにベンチを見つけ、そこで待つことにした。部屋着のまま飛び出してきた理央は凍えそうに寒い。それに気づいて、柊翔は自分の上着を理央の肩にかけた。

 事故のあった日から、柊翔に助けられた子供とその両親が何度も何度も謝罪に訪れるのだという。慰謝料を渡したいという申し出を、柊翔が何度も断るから。子供が道路に飛び出したのは、両親が目を離してしまったのが原因。それは事実だが、謝罪を受ける筋合いはない。慰謝料を受け取ることで、彼らから完全に自責の念が消えるならまだしも、それが絶対叶わない上に、自分の負った傷を消すこともできない。柊翔はもう彼らの顔を見たくもないと言った。

「もう、忘れたいのに。何で忘れさせてくれないんだよ?お前らのせいじゃないって言ってんじゃん、…俺が勝手に飛び出して、怪我したんだって、」

 柊翔は膝を抱え、顔を伏せた。柊翔が怪我をしたのは、飛び出した子供のせい。子供から目を離した、親のせい。子供を責めることのできない柊翔は、自分のせいにしたのだ。スキーに行ったのは、メチャクチャな滑り方でまた怪我をして、今度は誰のせいでもなく自分のせいだと自身を納得させるため?それに気づいて、理央はやりきれない気持ちになった。治らないかも知れない、もう踊れないかも知れない。そんな絶望的な思いを抱える彼に、これ以上辛い思いをして欲しくない。

「じゃあ、助けなきゃ良かった?助かっても、俺が怪我したせいであの子の家庭が不幸になるんなら、」

 理央はただ首を横に振ることしかできなかった。正解がわからない。きっと誰にもわからない。しかし、子供を助けた彼の選択は、絶対に間違っていない。それだけはハッキリ言えた。

「柊翔が悪いわけないよ、絶対。だからもう、わざと足を痛めるようなことはやめろよ。そんなことしたって、柊翔が辛いだけだよ!」

 どうしても足を治して欲しくて、理央は必死に訴えた。もう一度、あの日のように心を奪われるダンスが見たい。誰も真似できないような振りを、自分に教えて欲しい。しかし、彼は何も答えなかった。


「…ずっと言おうと思ってたこと、あるんだった。文化祭、見に来てくれてありがとう」

 今伝える言葉でないことくらい、理央にはわかっていた。しかし、今言わなければ二度と伝えられない気がした。

「…俺の真似は、百年早いわ」

「そうだね」

 やっぱり見てくれていた。もしかしたら、上手だったと褒めてくれるかと期待していたけど…。そんなことはもう、どうでも良かった。理央は言いたかったことが言えたからか、ようやく落ち着いてきて深呼吸をする。吐く息が白い。凍てついた空気が体の中まで凍らせてしまいそうだった。

「夢だったらいいのに、」

 今にも雪が降ってきそうな夜空を見上げ、柊翔はそう呟く。

「足の怪我のこと?」

「全部」

 全部?奇跡だと言った出会いから今まで。それが全部夢だったら。

「嫌だ!そんなこと言うなよ!俺まで夢になっちゃうじゃん」

 寂しすぎる。また泣き出しそうな理央の表情に、

「そうだね、ごめん」

 こんなにも素直に謝られると全然調子が出ない。ため息を吐きかけたその時、理央はようやく乗り場に戻ってきたタクシーのライトを見つけた。寒さから解放される嬉しさより、彼との時間が終わってしまう寂しさの方がずっと大きいこと。いつも別れ際に感じる寂しさに、肯定せざるを得ない事実…。理央は半ば愕然としながら彼に肩を貸してタクシーに乗り込む。まずは車を降りても歩けない柊翔の家に行こうと言ったが、彼はそれを断り、理央に住所を言わせた。電車で一駅の距離。あっという間に家に着き、タクシーを降りる時に理央は、全ての感情を閉じ込めてこう言った。

「今すぐルリに電話してあげてよ。言い訳くらい、いくらでも思いつくんだよね?」

 閉まる扉の向こうで、柊翔は笑って頷いた。これで一件落着?それならいいけど。理央はまだおさまらない鼓動に、胸を押さえた。心臓が痛い。今あったこと全てが強烈な刺激となって理央の胸を刺している。

 また連絡先を聞かないまま別れてしまったことに、これで良かったのだと自分に言い聞かせて夜空を仰いだ。



 翌朝、目が覚めた理央は、ぼんやりと見える天井にそこがどこなのか考えてしまうほど混乱していた。昨夜ルリからの電話を受けて家を飛び出したまま、帰らなかった夢を見ていた。そんな理央の部屋に勝手に入ってきて、クリスマスプレゼントのおもちゃを見せびらかしながら真央は、

「部活行かないのってママが言ってるよ。もう八時だよ」

「…うん、今日は休む。熱あるみたい」

 柊翔を真似て、流暢に嘘をついてみた。が、母親に言われて熱を測ってみたら、本当に三十八度の熱があった。

「そういえば、ヒナちゃんね、また泣いてたよ。お正月休みでしばらく柊翔先生に会えないからって」

「…」

 真央はどうしてヒナちゃんの話ばかりするんだろう。理央は何も聞きたくなくて、頭から布団を被った。

 次に目が覚めた時、理央はルリからの着信に気づいた。熱で身体中が痛いけれど、もっと酷い痛みを、心にも体にもかかえて苦しんでいる人がいる。彼の負った傷を思うたび、胸が苦しいほど痛んだ。事故の日から今まで、悩んでいるそぶりなど少しも見せずに振舞っていた彼は、どんなに辛かったことだろう。何とかして元通りにしてやりたいと願っても、神様でもいない限り叶わない。理央は重い体を起こし、ルリに電話をかけた。

「理央くん、風邪大丈夫?昨日はごめんね。あの人、ダンス教室が終わった後、急に具合が悪くなって病院で点滴してたんだって。連絡できないくらい辛かったみたい。もう、ほんと最低だよ」

 クリスマスなのに。しかも、

「年末に風邪うつすといけないから、しばらく会えないっていうんだよ?」

 電話越しの不機嫌なルリは、まだ本当のことを知らない。理央は熱でぼやけた頭をフル回転させ、

「そっか、俺も風邪ひいちゃったし、流行ってるのかも知れないね。ルリも気をつけて」

 心配かけてごめんね、お大事に。そう言ってルリの電話は切れた。彼のせいで、どんどん嘘が上手くなりそうだ。理央は深いため息をつき、もう一度目を閉じた。


 翌日、まだ熱が下がらない理央は、今年最後の練習日だというのに部活を休んでしまった。母親には、お風呂上がりに上着も着ないで外に出るなんて頭がおかしい、と罵られ、緊急事態だったとは言えない立場に黙り込んでいる。あれから柊翔はどうしただろう。病院に行っただろうか。

『ホントに不思議なヤツだな』

 彼の声が蘇る。そんなことを言われるとは思ってもみなかった。不思議なのは彼のほうだと思っていたから。激しく人を惹きつけるダンス、鋭いけれど暖かい眼差し、心に残る、穏やかな声。彼を構成する全てが、理央には魔法のように見えた。その鮮やかな魔法に、何度助けられただろう。彼の存在を見つけたあの日から、確実に理央は変わった。自分の限界を決めず、必ず突き抜けていけると信じる強さを教えられた。誰に対しても正面から真剣に向き合う姿を、見習いたいと思うようになった。そんな彼から、必要とされているのなら…。魔法など使えないけれど、自分にだけ本当のことを打ち明けてくれた彼を、何とかして助けたい。それしか考えられなかった。 

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