カップル+1
冬休みが始まってすぐの早朝、少し早く待ち合わせの改札に着いた理央は、まだ薄暗い空に少しずつ色がついていくのを眺めていた。頰が凍りそうな寒さ。ついこの間の天気予報では暖冬だと言っていたが、気象庁も全然当てにならない。それとも不安が寒さを増幅させているのだろうか。いつもの駅なのに、行き先が違うだけで何だか緊張している自分に気づいた頃、前の路肩にタクシーが停まった。
「おはよ、早いね」
降りてきたのは柊翔だった。トランクから大きな荷物を下ろして、それを軽々と持ち上げる姿が、妙に頼もしく見える。見知った顔がこんなにも安心できるものだとは…。行き先の決まっている通学時、スマホの画面ばかり見ているせいで、目の前にいる友人の顔すら探さずに過ごしていることを少し反省してみる。
「どうした、ぼんやりして。眠い?」
「…寒い」
その答えに柊翔は鼻で笑った。
「寒くなきゃ、雪遊びはできないんだよ」
別にしたいわけじゃない、と言いたいところを我慢して、
「ねえ、俺が一緒で邪魔じゃないの?」
「ルリに聞いたろ?」
「聞いたけど…、」
「じゃあ、問題なくない?」
「…ルリは良くてもさ、…」
その時ルリが改札から出てきたのを見つけ、理央は口をつぐんだ。柊翔は理央の肩に手をかけて、
「俺が最初に理央を誘うって言ったんだよ。だから、お前は何にも気遣わなくていいの」
この間受け取った手紙には、理央の質問に対する答えは一切なく、今日の行き先や持ち物、待ち合わせの時間が書かれていただけ。母親には、ダンス部の先輩たちとスキーに行く、と嘘をついた。
二時間ほどの道中、カップルと向かい合わせの席で気まずいかと思いきや、理央は何の苦痛もなく過ごした。ルリが途中で眠ってしまい、その寝顔につられて理央も目的地に着くまでぐっすり眠っていたから。
「そろそろ起きて、理央くん」
揺り起こされ、何か良い夢の途中だったような余韻を引きずったまま電車を降りる。若いくせに、と熟睡していたことを馬鹿にされながらゲレンデに向かった。理央は柊翔に連れられてウェアと板を調達し、初めてのスキーに怖気付いている自分に気がつく。まだ板を履いてもいないのに、急な斜面をすごいスピードで滑っていってしまう恐怖を覚えた。怪我をしたらどうしよう…。頭の中は、後ろ向きなことばかり。柊翔の手を借りてその硬いシューズを試着しながら、ふと理央は彼の足の怪我を思い出した。
「足、大丈夫なの?」
「…多分ね」
「多分って、」
「いいんだよ、お前は気にするな」
この話は終わりだと言わんばかりに、これでよし、と立ち上がった。
驚いたことに、自前のウェアに着替えた二人はハッとするほどお似合いのカップル。今までは並んでいるところを見たことがなく、年齢差や身長差のせいでチグハグな印象しかなかったが、今日は何だか無性に二人が羨ましい。理央はやはり自分だけ場違いな気がしてならなかった。
三人で入念な準備運動をした後、柊翔は一回行ってくる、と本当に一人でリフトに向かおうとした。理央が咎めようとするより早く、
「柊翔、無理しないでね。痛かったらすぐやめるんだよ」
その言葉に彼は引き返してきてルリを抱き寄せ、頬にキスをした。まるで映画のワンシーンのような光景。
「分かってる」
今まで聞いたこともない、優しい声だった。額をくっつけて、微笑み合う二人。見ているほうまで心が温まるような気がすると同時に、なぜか言いようのない寂しさを覚える。複雑な気分で柊翔の背中を見送ると、ルリは少し恥ずかしそうな顔をしながら、
「ねえ、ソリで遊ばない?」
スキーは怖いから。意見が一致した二人は板を放棄し、ソリを借りた。小さな子供ばかりで肩身が狭かったが、久々の雪遊びは思った以上に楽しい。斜面を滑っては登り、を繰り返し、さすがに疲れてきた頃、ルリの携帯が鳴った。
「お昼食べよ、だって」
レストハウスで待っているという柊翔のところへ向かうと、彼は既に席を取ってくれていた。ルリが足は大丈夫かと尋ねると、今のところはね、と答える。膝や足首に負担のかかるスキーができるということは、彼の怪我が想像していた最悪の事態は免れたようで、理央もホッとした。
「今年はまだ雪が少ないんだって。人口雪は重いから嫌いだよ」
スキー場がオープンできるギリギリの量しか降らず、人口雪でカバーしたらしい。ソリ滑りには何の支障もなかったが、柊翔は不満そうだ。
「ソリは楽しかったよね、理央くん」
結局、午前中は一度も戻って来なかった柊翔に、ルリは少々腹を立てているようだった。確かに、理央がいなければあの時間を一人で過ごさなければならないわけで、どうしても一緒に来てと頼まれた理由がようやくわかった。それにしても…この男は本当に自由奔放というか、誰に遠慮することもなく生きているように見えて、清々しささえ感じる。普通、男が女に振り回されるイメージだが、このカップルの場合は全く逆なのだろうと想像してルリに同情した。
食事を摂りながら、柊翔が午後からは理央とルリに滑り方を教えると言い出し、またソリ滑りがしたかった二人は顔を見合わせる。
「教えなきゃ、お前らいつまで経っても滑らないじゃん。幼稚園の子どもだって上手に滑ってるのに」
柊翔は顎で窓の外を指した。さっき理央たちが遊んでいた斜面でも、小さな子どもたちが親の後をついて滑る練習をしていた。
「怖いのは最初だけだって。スピード出さなきゃコケたってそんな痛くないし。お前らビビりすぎなんだよ」
悔しいが、その通り。余計な知識が多すぎて、なかなかリフトに乗る勇気が出ない。理央は少しだけ、柊翔に教わってもいいかな、と思った。ダンスを教えるのが上手い彼なら、スキーのコツを教えるのも上手いかも知れない。しかし、ルリは、
「去年そう言って無理やりリフトでてっぺんまで連れてかれて、ツルツルの斜面を滑って降りるしかなくて、死ぬほど怖かったから絶対にイヤ」
スピードを出すつもりがなくても、氷のように硬い斜面でスピードが出てしまい、何度も派手に転んだと言う。
「雪の上なら痛くないかも知れないけど、あれは石と一緒」
「あれはたまたま寒くて凍ってただけだよ。こいつ、それっきり二度とリフト乗らないって言って、仕方なく俺一人で滑ってたんだから」
ルリの話を聞いているうちに、やっぱり怖くなってきた。よく考えてみたら、柊翔が常識的な教え方をするとは限らない。
「でも今年は理央くんが来てくれたおかげで楽しいよ。去年はホント辛かったけど」
待っている間、暇すぎて何度もアクビをした、と膨れた。
「で、泣いてると思われて、変な人たちに声かけられたんだから」
「それはルリちゃんが可愛いからだって、」
「ふざけないで!」
「すぐ戻ってきたからいいじゃん」
「嘘!全然すぐじゃないよ。だいたい、一人にして行っちゃうほうがおかしくない?心配とかしないわけ?今日だって一回も、」
仲裁に入るべきか悩んでいた理央が重い腰を上げようとした時、柊翔がルリに唇を重ねて言葉が途切れた。やけに長くて、理央が咳払いをしてようやく離れる。柊翔を押しのけたルリは耳まで真っ赤になって俯いた。
「うるさい女を黙らせるには口をふさぐのが一番手っ取り早い、って聞いたから、試してみた」
柊翔はそう言って可笑しそうに笑う。十中八九、自分の経験からだろう、と呆れながら理央は、
「ねえ、ちょっとは気遣ってよ」
仲が良いのは羨ましいが、目のやり場に困る。誰が見ていようがお構いなしの柊翔に、普通の人間の感覚は分からないに違いない。すると理央にまで文句を言われた柊翔は軽くため息をついた。
「こういう揉め事がイヤだから滑れるようにしてやるって言ってんだよ。もうソリは禁止」
恐らく、去年滑れないルリを一人残して怖い思いをさせてしまったことを彼なりに反省して、一緒に滑れるようにスキーを教えると言っているのだ。そして一人にならないように、ちゃんと理央を連れてきた。理央は柊翔が食べ終わった食器を片付けに行った隙を見て、まだ膨れているルリに、
「あの人、ちゃんと反省してるよ。だから、スキー一緒に教えてもらおう」
「反省なんてしてないよ」
「してるって、」
「男同士だからって、肩持たないでよね」
「おいおい、何揉めてんだ、お前らまで」
諸悪の根源というべき柊翔にそんなことを言われ、ますます怒ったルリは、結局最後までそこから動かなかった。
帰りの電車で、また最初に眠ったのはルリだった。あんなに怒っていたのに、柊翔の肩にもたれて眠る様子は何だかおかしくて、向かい合った男二人は顔を見合わせて吹き出した。
「仲良いね」
「おかげさまで」
喧嘩するほど仲が良い、というのはこの二人のことを言うのだろう。歳の差など感じさせないフランクな関係が、見ていて心地良かった。ただ、車窓を眺める柊翔の表情がいつになく硬いことに気づいた理央は、急に不安になる。もしかしたら、足が…。そう察するのは容易かったが、口にはできなかった。目が合って取り繕うように表情を和ませる様子に理央は、何でもありませんように、と祈るだけだった。