内緒の手紙
「お前ら、付き合ってんの?」
ある日の練習中、悠太が言った。今日はコーチが休みで、部員だけで平和に練習をしている。…お前らと言うのはもちろんルリと理央のこと。
「違いますよ、」
理央は咄嗟に否定した。しかし、そう言う反応は逆効果になることが多い。
「ふーん。それにしては仲良さそうだけど?」
ニヤニヤして、まあ深くは聞くまい、と離れていく。理央とルリは顔を見合わせて吹き出した。確かに、普段誰とも話さないルリを見ていたら、理央とこれだけ親しくしているのを見て勘違いするのは仕方ないと思う。この部活内でルリに六つも年上の彼氏がいると知っているのは自分だけ。そう思うと、何だか優越感を覚えた。秘密の共有は、いつになっても楽しいものだ。小学校の時、友達と示し合わせてポケットに小さなお菓子を忍ばせて行き、帰り道で食べていた思い出がある。ポケットの中でチョコレートが溶けて、母親に死ぬほど叱られたことまで思い出してしまった。秘密といえば…。週末、真央はちゃんと任務を遂行してくるだろうか。
「そういえば、スキー行くの、クリスマスの辺りかも知れないんだ。理央くん大丈夫?家族の予定とか」
日曜日はダンス教室があるから、行くのは平日になると言った。…やっぱり本当に理央も行くことになっているようだ。彼女のいない理央にクリスマスの予定があるはずもなく、高校生にもなって家族と過ごしたいなどと思うはずもないが…。
「予定とかは大丈夫だけど…。本当に行っていいの?なんか、嫌な予感しかしないんだけど」
いくらルリが良いと言っても、柊翔がどう思っているのかがわからない。ルリが理央を誘うと言えば、イヤとは言えないのかも知れない。理央に彼女でもいれば何の問題もなかっただろうに、今さらながら奥手な自分を反省してみた。中三の時に当時の彼女と別れて以来、進学して見知らぬ女子ばかりになってしまったのもあって、まだ恋愛対象を見つけられていない。部活に熱中している以前の問題だ。
「だって私、他に誘える友達いないし…」
ルリは急に寂しそうな顔をした。理央は慌てて、
「ルリと行くのがイヤなんじゃなくて、二人の、邪魔したくないなって、」
自分の感じるであろう気不味さばかりにとらわれて、彼女の気持ちを察することができなかった。ルリにはダンス部だけでなく、クラスでも気楽に話せる友達がいないと言うことを、理央は知っていたはずなのに。
「うん、わかってるよ。でも本当に、ゲレンデで独りぼっちにされるのイヤなんだ。理央くんが来てくれたら、きっと待ってる間も楽しいから」
去年一人でぼんやりしていたら、見ず知らずの男に囲まれて怖かった、と話した。去年ということは、中三。ルリは大人びた顔立ちなのに加えて落ち着いていることもあり、年齢より上に見えるのだが、大人の男に囲まれるなんて相当な恐怖だったに違いない。それは可哀想だと自分を納得させて、理央はルリたちのスキーに同行することを決めた。
日曜日、ダンス教室から帰ってきた真央が足音を忍ばせて理央の部屋に入ってきた。きっちりドアを閉めた上で、
「兄ちゃん、渡してきたよ」
と小声で囁く。どうやら任務は無事遂行されたようだ。理央はなけなしの小遣いで買っておいたキャラクターのシールをご褒美として与えながら、
「先生になんて言って渡したの」
「内緒のお手紙って言ったよ」
「じゃあ、なんて?」
「ラブレターかな、って」
理央からだとわかっているくせに、ふざけた男だ。真央はちゃんと母親がスタジオを出て行ってから渡したと胸を張ったが、ヒナちゃんには見られた、と言った。しくじってしまったというように残念がっている。そんなことはどうでも良かった。しかし、よく考えたら返事はまた来週か…。じれったいの一言だ。郵便物より返信の遅い、このアナログなやり取りは果たして楽しいのか?理央は首を傾げながら壁のカレンダーに目をやる。冬休みが迫っていることに焦りを感じても、理央にはどうしようもない。もう、なるようになれ、とベッドに身を投げた。
翌朝、通学路にルリの姿を見つけた理央は、珍しく駆け寄っていって声をかけた。最近、ルリと付き合っているのかと聞かれることが増えたせいで、あまり親しくするのは良くないような気がしていたが、今日はそんなこと構っていられない。柊翔から何か聞いているに違いないと思ったのに、理央が手紙を渡したことは知らないようで、話題は実力試験のことばかりだった。ルリはどちらかというと理系の科目が得意だ、と言う。
「でも、英語はこれからちゃんと勉強しようと思ってるんだ。柊翔がやったほうがいいって言うから」
勉強、などと言う単語とは一切無縁に見えるのに…。しかし、先日初めて立ち話ではなく、食事をしながら話した印象も残っていた理央には、それほど意外でもなかった。不思議な男。彼を簡単にまとめなさいと言う問題が出たなら、理央は間違いなくそう回答するだろう。他の大人との交流のない理央には二十二歳の何が普通なのか判断することはできないが、彼が身に纏う不思議な魅力は他の誰とも違う。それだけは分かっていた。
「昨日ね、柊翔が珍しく困ってて、ちょっと笑っちゃった」
下駄箱で靴を脱ぎながら、ルリが思い出し笑いをする。
「ダンス教えてる十歳の子にLINEで告られたんだって。先生のことが好きですって」
それがヒナちゃんであろうことは、容易に察しがついた。が、そんなことより理央が聞き出せなかった柊翔の連絡先を小学生が知っていることに、若干の、というかかなりの悔しさを覚える。
「なんて返すのがいいのかな、って真剣に聞くんだよ?どう思う?」
答える前に、ルリの教室に着いてしまった。じゃあ部活でね、と手を振るルリにとって柊翔の相談事は大した問題ではないのだろう。十歳の女子に、一回り違う男性は恋愛対象になり得るのか?何回考えてみたところでこの問題に答えが出るはずもなく、理央も自分の教室に向かった。
たった三日なのに長い試験週間が終わり、結果はどうあれ、理央にもやっとクリスマスだの正月だのと言う実感が湧いてきた。クリスマスと言っても、理央は親のさじ加減で決まった金額を現金でもらうだけで、何のイベント感もない。その制度になったのには訳があった。二年前、頼んでおいたゲームソフトを母親が間違えて買ってきたことで大喧嘩になり、欲しいものは自分で買う、と理央が宣言したからだ。しかしこの家にはまだまだサンタクロースを信じて疑わない真央がいる。非常に面倒だが、理央は欲しいものを自分で買いに行き、イブの夜に自分で枕元に置いて寝ると言う作業をしなくてはならなかった。
そのため、昨日奮発したと言う一万円を手に入れた理央は、駅前のショッピングモールでゲームソフトを物色していた。これをやり出すと睡眠時間を削ることになると分かっているけれど、どうしてもやめられない。散々迷って選んだソフトをラッピングしてもらいながら、残りの金額を何に使おうか考えてみる。いや、答えはもう決まっていた。しかし、それを買うにはまだまだ足りない。
とりあえずイベントの進行を妨げないためのものを手に入れた理央は、買い物を切り上げた。今日は木曜日。あのダンス教室は火曜日と木曜日にもレッスンをしている。何となく気になって、スタジオのある方へ足を向けた。
駅からの入り口に一番近い、角のスペース。遠目にも明かりがついている事に何故かホッとしながら、理央はダンススタジオに近づいて行った。レッスン中は子供達の気が散るからという理由で、むやみに覗くなと言われている。それを知っていて堂々と覗くのは気が引けるため、理央はコッソリと窓から目だけを出して中を覗いた。
「あ、」
思わず声を出してしまって、咄嗟にドアから離れる。中では柊翔が高学年クラスの子供達を教えている最中だった。日曜日だけでなく、木曜日もここに来ているとは知らなかった。スキーの件を話したかった理央は丁度良かった、と思い、そこから少し離れたベンチに移動して終わるのを待つことにした。それにしても…。今少し見ただけでも、彼の教えるダンスのレベルの高さは明らかだ。真央が入った時もそうだったが、初心者に合わせてレベルを落とすようなことはせず、常にそのクラスで一番高いところに全員を合わせるように持っていく。それは教える方も、教わる方も大変なことに違いないが、常にトップを意識する彼のやり方なのだ。
待っていると長いもので、待ちくたびれた頃にようやくスタジオのドアが開いた。高学年ともなると意思の疎通が簡単だからか、保護者への説明はないようだった。終わったら待ち合わせる場所を決めているらしく、親が来るのを待たずに帰っていく子もいる。理央は誰も出てこなくなったのを見計らって、開いたままのドアから中に入った。
「…、ほらね。来ると思った」
柊翔は理央の顔を見るなり、驚くどころか勝ち誇ったように言った。
「ちゃんと会えるじゃん。お前、マジですごいな」
柊翔はさらに何か言おうとしたが、次の時間の子供達がやって来たのを見つけ、ポケットから四つ折りの紙を取り出し、理央に渡した。
「楽しみにしてるから」
柊翔先生、次やる曲何?フロア入れないでね、苦手だから。口々に話しかけられ、ここでも彼は慕われているようだった。今日一番の目的を達成した理央は、渡された手紙をポケットに入れ、いつになくすっきりした気分でスタジオを後にした。