彼の連絡先
いつの間にか季節は冬へと変わり、友達との会話にも、クリスマスに何を買ってもらうかと言う話題が出るようになっている。彼女のいる連中は、自分のことより相手のプレゼントを準備しなければならず、それが大変だとこぼしているが、今のところそんな相手もいない理央は気楽なものだ。不思議なことに、部活に熱中しているからか、彼女が欲しいとか彼女のいる友人が羨ましいとか、そんな感情は一切湧いてこない。一番欲しいものは何かと聞かれた理央は新しいダンスシューズが欲しい、と言いかけて思いとどまり、もうすぐ発売されるゲームソフトのタイトルを言い直した。…柊翔がいつも履いている白いダンスシューズ。気になって調べたら、三万円を超えていた。さすがにそれは、高校生の練習用には高すぎる。
ダンス部の活動としては、四月の新入生歓迎会まで舞台はなく、比較的穏やかな時間を過ごしている。ただ、文化祭での理央のパフォーマンスは他の部員から見ても驚くべきものだったらしく、未だにからかいのネタだった。
「理央、練習の時に手抜くのやめて」
水野コーチもあれ以来、頻繁にそう言うようになった。いつも百パーセントの演技をしろと。今までは本当にできなかったものが、一旦できてしまうと次からはもっと上を要求されるのだ。理央は、手を抜いているつもりなどない。本番だけ本気でやる、そんな器用なことはできるはずもないのだから。そう説明しても、全く分かってもらえないのだったが。
「でも、来年の大会は期待できるよな。理央センターでいくか?」
悠太がそんな冗談を言う。しかし、まだまだセンターの重圧に耐えられる自信はなかった。
それにしても…。文化祭のステージは自分でも本当に不思議だった。柊翔に言われた通りにやっただけ。ただそれだけなのに、いつもはどんなに伸ばしても届かなかったところに、簡単に手が届いた。まるで誰かが手足を引っ張ってくれているようだった。もしかしたら柊翔は催眠術師で、理央はその暗示にかかっていたのかも知れない、そう思えるくらいに。
あれから、彼には会っていない。真央が毎週、あのスタジオでの出来事を喋ることで、彼がきちんと仕事をしているのを確認するだけだ。想像をはるかに超えるパフォーマンスができたのは紛れもなく柊翔のおかげだときちんと礼を言いたくても、なかなか機会を得られずにいる。
『連絡先、教えてよ』
先日理央は彼と食事をした後、そう切り出した。あの日彼は、来るかどうかも定かでない理央のために、休みのスタジオに来てくれたのだ。連絡先が分かっていれば、そんな不便な思いをする必要もない。しかし柊翔は意外にもこんなことを言った。
『こっちの方がアナログで面白いじゃん。来るかどうかもわかんないけど、来たときは最高に嬉しいだろ』
ギャンブルみたいでドキドキする、と笑う。昔の人たちは、そうやって過ごしてたのかな。電話もなくて、ちゃんと届くかどうかも、読んでもらえるかもわからない手紙で連絡したり…。今なんかより、ずっと刺激的な生活だよね。…柊翔はまるでその派手な容姿からは想像もつかないことを話題にした。何でも手元の端末で済ませてしまう生活に慣れた理央の周囲には、また同じような境遇の友達しかいない。日々の何気ない会話も大事な約束も、端末に並んだ文字で伝える淡白な生活。そんな中で、会わなければ話すことのできない柊翔の存在は、全く異質で新鮮なものだと気がつく。
『じゃあ、ホントに用事ができたときは?すぐ連絡しなきゃならないくらいのことだったら?』
『それでも、昔の人はどうしようもなかったんだぜ?今の俺たちにできないことはないと思うよ』
面白そうだから、やってみよう。そう言われて、理央は渋々了解した。もしかしたら自分にだけ連絡先を教えたくないのかも知れない、と卑屈になりそうな理央の頭を、柊翔は笑って小突いた。
『お前となら、きっと大丈夫だよ。知らないと思うけど、もう何回も奇跡が起こってんだから』
彼との間に起こった奇跡?理央には何も思い当たらなかった。確かに、休講日に彼に会えたのは奇跡に近いのかも知れない。しかし他にどんなことがあっただろう。
『奇跡って何?』
『内緒』
『何だよそれ、』
いつもそうだ。気になる事を言っておいて、核心には触れさせない。そんなありがちな罠に、容易く落ちてしまう自分が情けなかった。悔しいけれど、いつも気になって仕方がない。しかしこれ以上聞いても教えてくれそうもなく、理央は仕方なくこの大人の言うことを信じてみることにした。よく考えたら、出会いの瞬間から奇跡のようなものだ。ダンスを始めたばかりの高校生と、世界一のダンサーとの出会い。確率にしたら、どんなに稀なことか。
『意地悪』
『よく言われる』
『…』
女子ならともかく、同性から連絡先を聞き出すことがこんなにも難しいとは思わなかった。しかし、彼と一緒にいるとき携帯を手にしているのを見たことがなかった理央は、彼なりの考えがあってのことだろうと自分を納得させてみる。例えば相手との大切な時間を携帯の着信で邪魔されたくない、とか。いや、彼女といるとき他の女からの着信で揉めた経験から、携帯を手に持たないようにしている、とか。…なんて不毛な想像なんだろう。理央はこれ以上考えても虚しいだけだと悟り、諦めた。
また今日も、いつ会えるかもわからないまま別れなくてはならない。それがそろそろ苦痛になってきた理央は、別れ際、後ろ髪を引かれる思いで彼に手を振った。
こうして、敢えて連絡を取りづらい道を選択した意味が、理央にはまだわからないままだ。真央を送っていくと言う名目であのスタジオに行けば会えるのは分かっていたが、そうすることもできないでいる。いっそのこと、真央に託して手紙で伝えようか?その方が素直に感謝の気持ちを述べられそうな気がする。それともルリ…。理央は隣を歩いている彼女の顔をチラッと見た。いや、それはさすがにダメだろう。
「もうすぐ冬休みだね。理央くんは、スキーとかやらないの?」
理央の心情などまるで知らないルリが、そんなことを尋ねた。
「やったことないよ。ソリくらいしか」
本当に小さい頃、雪山で遊んだ記憶があったが、真央が生まれてから一度も行っていない。
「今度行こうかって話してるんだけど、理央くんも誘おうって」
誰と、という部分を省略しても当然理央にはわかるが、今日はそれが何だか癪に障った。
「でも…、俺がいたら邪魔でしょ。どう考えても」
「ううん、そんなことないの。スキー行くとね、あの人私のことなんてほったらかしでリフト乗ってっちゃうから」
だから、もう一人誰か一緒に来て欲しい。お願い!と両手を合わされて、理央はわかった、と返事をしてしまった。嫌な予感がする。何の根拠もないが、理央は変な胸騒ぎに苛まれて日々を過ごす羽目になった。カップルにもう一人、なんてあり得ない。いくら柊翔がルリに構わず滑っていたとしても、本気で放っておくはずがない。彼の人となりを少しは理解し始めた理央には、そう思えた。
『どうして俺のこと誘うの』
連絡先を知っていたら、その一行で事足りるのに。腹が立ってきた理央は、ルーズリーフを一枚取り出してそう書いた。
「真央、今度ダンス行ったら、この紙柊翔先生に渡して」
「何?お手紙?」
「そうだよ、でもこれは誰にも見られちゃいけない、ものすごく大事な手紙なんだ。だからママには絶対言うな。コッソリ持ってけよ」
そう耳打ちすると、極秘任務に目を輝かせた真央は大きく頷く。早速、コソコソとダンス教室のカバンにその手紙を仕舞った。本当に手紙を渡されて、彼が一体どんな反応を示すのか楽しみだ。本当は文化祭のお礼を述べたかったことなどすっかり忘れた理央は、少しだけ満足して、もう一度真央に見つからないよう念を押した。