蟹が淵の娘 (創作民話12)
その昔。
弥太郎という若い男がおりました。
弥太郎の暮らす村は、このあたり一帯でもとりわけ貧しいものでした。水をひく川がないため、稲の作れる田んぼがわずかしかなかったのです。
ある日のこと。
弥太郎は山仕事をしての帰り、山あいにある小さな池の淵に倒れている娘を見つけました。
娘はひどくやつれていました。
長いこと飲まず食わずのようです。
「水を……」
娘がかすかに声を出します。
「すぐに飲ませてやるからな」
弥太郎は池の水をくんでこようとしました。
ですがこの年、池は日照りですっかり枯れ、そこにはひとしずくの水もありませんでした。
「ちっとのしんぼうだ」
村に帰れば井戸があります。
弥太郎は娘を背負い、自分の家に連れ帰ったのでした。
娘は日ごとに元気になりました。
そして……。
そのままとどまり、やがて弥太郎の嫁となったのでした。
その年の夏。
日照りは続き、わずかな稲も穂がつかぬまま枯れてゆきました。
村人たちは天をあおぎ雨を待ちましたが、それからも雨の降ることはありませんでした。
そんなときでした。
嫁が弥太郎に申し出ます。
「弥太郎様、わたしが田に水をひきましょう」
「どうやってだ? この村には、水をひくだけの川も池もねえんだぞ」
「なにも聞かないでください」
嫁はなにも語らぬまま、一人、家を出ていったのでした。
――どうしようというんだ。
弥太郎はこっそり嫁のあとを追いました。
山あいの池のそばまで来たところで、嫁が足を止めて池の淵に歩み寄ります。それから、いきなり池に向かって飛びました。
――あっ!
弥太郎はあわてて池の淵にかけ寄りました。
ところがなぜかそこに嫁の姿はなく、水が干あがった池に、ひび割れた底が見えるばかりでした。
次の日。
嫁の言ったとおりとなり、山あいの谷を伝って、水が田んぼまで流れ下ってきました。
――もしや?
弥太郎は水の流れに沿って山を登りました。
すると途中から、水の道はあの池に続いていたのでした。
――やはり!
干しあがっていた池は、なぜだか一晩のうちに水で満ちていました。そして池の淵から、人ほどもある大きな蟹が弥太郎を見ていました。
「おまえなのだな?」
弥太郎は蟹に問いかけてみました。
「人の姿に身を変え、弥太郎様をだまして申しわけなく思っております。わたくしはこの池に棲まう蟹でありました」
「なぜ、そのようなことを?」
「いつぞやは池の水が枯れ、そのとき病の身であったわたくしは命を落とす寸前でありました。そこで人の娘になれば、もしや助けていただけるのではと思いまして」
「そうであったか」
「弥太郎様はわざわざ井戸の水を飲ませてくれ、わたしくの命を助けてくださいました。ですからご恩返しにと」
「では田に水を流してくれたのは、やはりおまえだったのだな」
「みながこまっているのを、だまって見ていることができませんでした」
「ありがとうよ。おかげで稲が枯れなくてすみそうじゃ。だがもう、うちに帰ってくるがいい」
「正体が知られましたからには、二度と人にもどることはかないません」
蟹は悲しそうな声で言うと、池の淵をおりてゆき水の中に姿を消しました。
村では日照りで稲が枯れそうになると、山あいの池からかならず水が流れ下ります。
村人たちは言いました。
「池に棲まう娘のおかげじゃ」
以来。
この池は蟹が淵と呼ばるようになりました。