第一話 眼鏡と魔法の研究開発部
「ところで、マツリ。オメェはこれからどうするつもりなんだ?」
「え? そりゃもちろん、風呂に入って寝ますよ」
「いや、そっちじゃねぇよ……今後の話だ」
呑気なものだと呆れる狩猟ギルドの長、アーサー・ファブニール。彼は今日も、先日この世界に来たばかりだと証言する謎の少年から、食事を餌に事情を聞いていた。
「あぁ、そっちですか。そんなの(パクッ)決まってるわけないじゃないですか(シャクシャク)現状だと、ここ以外にアテはないですし」
「だよな」
そして、そんな謎の少年こと、この俺、東城祀理はパンとステーキ肉と野菜スープを平らげ、食後のデザートとして出てきた赤い果物を一口で完食した。
……なるほど。見た目といい、食感といい、ブドウとリンゴの間のような果物だ。悪くない。
異世界ともなれば、未知の食ベ物で溢れている。一度の食事であっても、色々な想いが重なってその味わいは深かった。
「なぁ、マツリ」
「はい?」
文字通り1食1食を噛み締めるように味わう俺に対し、高い酒を次々と流し込む金持ちのアーサー。奢って貰った身としては文句など出るはずも無く、俺は彼の問いかけに素直に応じた。
「さっきも言ったが、オメェさんに手伝って貰えそうな仕事は今日でほとんど無くなっちまった。けど、オレらの狩猟にサポート役として付き添いたいって言うんなら、話は別だ。オメェさんはどうしたい?」
「……えっ? 行ってもいいんですか?」
それはなかなか魅力的な提案だ。
だが、昨日の話とは違っていたせいだろうか。なんとなく違和感があって、俺はやるとは即答しなかった。
狩猟のサポートといえば聞こえはいいが、要するに雑用係だ。戦わない分、危険も収入も少ないとはいえ、物置整理の4割増。全然悪くない仕事だ。
小銭稼ぎになるような簡単なバイトはもうこのギルドにはもう存在しないという話は既に昨日聞かされている。だが、その後に聞いた狩猟の話と、今の話は違っていた。それが違和感の正体だった。
酔って忘れてしまったのだろうか。昨晩のアーサーは即答で「無理」と言っていたのに、今日は雰囲気さえも違っている。まるで映画版のジャイアンを見ているかのようだ。
……ということは、ガキ大将さながら昨日は機嫌が悪かったから意地悪をしたのだろうか?
まったく。しょうがないなー、アーサー君は(ダミ声)。
そんな風に考えた俺は昨日のアーサーの態度を慈愛の心で受け入れることにした。
まぁ、そんな日もあるだろう。思い直してくれてありがとう、と──
「いいや? 昨日も言ったがそりゃダメだ。だって、資格が必要だからな。……ん? どうした、なんか顔が怖いぞ?」
「許して欲しければそのデザートをよこして下さい」
「……? よく分からんが食いたきゃ食え」
さっきの果物を使ったタルトらしきスイーツはしっとり甘く、怒りを綺麗さっぱりの消し去った。さて、話を戻そう。
「……資格が要るなんて初耳なんですけど?」
「ん? 言ってなかったか?」
「言われてませんよ……。だって昨日は「あぁ!? オメェみたいなもやしにゃ無理に決まってるだろうが!!」としか言ってなかったじゃないですか!」
「もしかしてそれ、オレの真似か? 全っ然、似てねぇな! ……覚えてねぇけど」
「覚えてないのかよ!?」
深いため息をつかされた俺に、あっけらかんと笑い飛ばすアーサーが一応、言い訳しようと試みる。
「まぁ、アレだ。うーんと、昨日はまだ言う気がなかったんだな。だけど、今日は気が変わった」
「えぇー……」
「いやほら、やっぱ人間って生き物はやりたい事をやってこその人生だからな! 一つの可能性に囚われちゃいけねぇんだよ! ……と、そんな感じでどうよ?」
「いや、なんの説明にもなってないんですけど……?」
「まぁまぁ、こまけぇことはいいから! とりあえず聞けって、な?」
俺の指摘など気にもせず、気まぐれなギルド長は大ジョッキに並々と注がれた発泡酒を豪快に飲み干した。これから長々と語るために喉を潤した、そう言わんばかりの飲みっぷりだ。
そういえば、昨日も自分の狩猟の話だけは聞かれなくても延々と語り続けてたっけなぁ……。
仕方がない。大人しく聴かせてもらうとしよう。
無駄な抵抗だと諦めた俺の前で、ギルド長直々のありがたそうでありがたくない、少しありがたい説明会は始まった。
「まず最初に、資格っていってもアレはそんなに大したもんじゃねぇ。ウチの狩猟組合員が認めたから資格があるって感じの、完全に身内専用の資格だ。だから、資格そのものには権力とか効力らしいものはないぜ。それでも資格を取りたきゃ、それぞれの試験に合格することだ」
「……はぁ」
「ワリィ、いつもの癖だ。オメェさんにはこんなことは言うまでもねぇよな」
「そりゃまぁ、資格ってそういうものですからね」
資格は免許証と違って身分を保証してくれるようなものではない。だから、元の世界でも通信講座で資格が簡単に取れる!というCMが流れているわけだしな。
「だよなー。これがウチの筋肉共だったら、ここでいきなり質問しやがるからな。『資格って何ですか』『それって何をすればいいんですか』ってな」
「あー、なるほど。それは見事な脳筋ですね」「だろ?」
異世界から来た俺の持つイメージそのままな狩猟ギルドのメンバーに対し、アーサーは「ま、そういう連中も嫌いじゃねぇけどよ」とだけ言って、説明は続く。
「重要な資格は主に3つだな。『探査資格』と『魔法使用資格』と『武器使用資格』。この3つがあればウチの狩猟団の一員として、モンスターハントが自由に出来るようになる。逆に、最低でも『探査資格』がなきゃ、サポートだろうと誰かの狩猟に同伴することも禁止だ。無知ほど危険なものも無ぇ。もし何かあったときはオレの責任になっちまうから、絶対に!! それだけはするんじゃねぇぞ?」
「はいはい、分かってますよ。……分かってますから、そんなに睨まないで下さい……」
鋭すぎるアーサーのその眼光にルールを破るつもりの全く無い俺でさえ萎縮してしまった。もしこれで萎縮しないような人物なら、例えルールを無視しても大丈夫だろうな。
「分かってるんなら良し」
「うぅ……心臓に悪いですよ、もう……」
傲慢でも飲んだくれでも、流石はギルド長。何度もこの話をしているのだろう、要点が端的にまとまっていてとても分かりやすかった。
つまり、今後もギルドの仕事をしたければまずは『探査資格』を取れ! ということらしい。
試験の内容は話を一通り聞いたあとにでも詳細に聞くとしよう。
死ぬ気で頑張れば、座学は数日でなんとかなるだろうが……体力の方はまず無理だろうな。
そこは魔法でなんとか出来るといいんだけど……って、あれ?
「はい、質問」
「おっ、なんだ?」
「『魔法使用資格』があるってことは、もしかして狩猟で使える魔法には何かしらの制限があるんですか?」
狩猟でも魔法を使うということは知っていたが、使うのに資格が必要だとはさっきまで知らなかった。
実戦での使用を禁止された魔法を試験で使える訳がないからな。もし試験で筋力アップの魔法を使いたいなら、先にそれを使えるように魔法使用資格とやらを取る必要があるかもしれない。
もし不要だとしても、必要になる魔法の種類を確認しておいて損はない。魔法の使用にも資格が必要とは、ファンタジーな世界もやはり現実になれば現実的なようだ。
確かに全てを粉砕する爆裂魔法のような魔法を何発も撃たれちゃ、狩猟どころの騒ぎじゃないからな。きっと、その辺りは細かく決められているのだろう。
そんないくつかの意図を含んだ俺の質問に、アーサーは「こいつ何言ってんだ」とでも言いたげに顔を顰めるが、それは一瞬のこと。すぐに元の凛々しい顔に戻った。
「……そうか、オメェさんは魔法に関してはゴブリンよりも詳しくないんだったな。そいつの答えはイエスだ。そもそも狩猟に使う魔法は子どもでも使える生活魔法とかとは全くの別物で──」
「フムフム………………?」
そこまで言ったアーサーが固まった。
そして、次の瞬間。
「あああぁッ!!! そうかっ! そうだよッ!!!」
「ふぁっ!?」
何か大切なことを思い出したというのが丸わかりのリアクションで、ドタンガタンと立ち上がった。
座っていると分かりにくいが、アーサーの身長は190cm近い。数多の獣を屠ってきた屈曲な大男が覆いかぶさってくれば、その迫力はいつかテレビで見た獰猛な肉食獣にも劣らない。
途中まで入ってきていたはずの説明が一瞬にして俺の思考から消し飛ばされたのは言うまでもないだろう。
そんな俺の頭に。
「『魔法研究開発部』だッ!! あそこになら、オメェさんにも仕事と住める場所がある! ついでに魔法も学べるし、まさに一石三頭竜じゃねぇか!」
「…………ふぇっ?」
謎の部署とアーサーのオリジナル諺が飛び込んできたことで、俺の頭はゴブリンの脳ミソよりも使い物にならない代物になってしまった。首を傾げるので精一杯だ。
茫然とする俺を放置いて、一人恍惚の表情を浮かべるアーサーはうわ言のように「やっべぇー、やっぱりオレは無意識に逸材を見つける天才だな!!」と、のたまわっては覇者いでいる。
何が何だかさっぱり分からない。
だが、ゴブリン以下でもこの話を断るのは、一つの石で三つ首の竜を倒すのより難しいということだけは分かった。
彼のオリジナル諺へのツッコミはさておき。こうして、俺の次の仕事は無事に決まったのだ。世界屈指の強引さで。
♦♦♦
「『魔法研究開発部』って、本当に魔法のまの字も知らない俺が行って大丈夫なんですか?」
「あぁ、多分大丈夫だ。何かしら手伝うことはあるはずだ。あそこはいっつも「人手不足だ! 人をよこせ!」ってうるさいからな。希望者が全然いなかったから忘れ……放置してたが」
「いや、言い直せてないですよ、それ……」
しっかりと夕飯を奢ってもらい、俺たちはギルドの食堂を後にした。今はアーサーの案内で町の外れへと向かっているところだ。
「あれだけ人がごった返してるギルドの中でも人手が足りないなんて、随分と忙しい部署なんですね」
「あ~……まぁ、今はそうかもな。でも、オメェさんが入れば多少は緩くなるだろうから、そこは心配いらねぇ」
「……それってつまり、今までは少数精鋭で回してたってことですか? そいつはまたブラックな……」
「ハハッ、たしかにそうだな! その言葉、所長が聞いたら喜ぶぜ」
「えっ、喜ぶの!?」
「おうよ! 少数精鋭なんて聴こえのいい言葉は、誰からも言われてねぇだろうからな!」
「あっ……そっちですか。なら良かった……のか?」
いや、別に良くはないな。そもそもブラックの意味が伝わってないかもしれない。だが、それは自分の目で確かめればいいことだろう。俺が入るだけで緩和されるなら、毎日が残業地獄ということはないだろう。なら、とりあえず一安心かな。
夕闇に沈んだ街は賑わう繁華街と静かな宅地に分かれ、灯る明かりが人々の営みをグラデーション状に映し出す。俺たちはその合間を縫うようにしてのんびりと歩みを進めた。
件の部署は狩猟で使える魔法を研究し開発するという名目で、ギルドの実験施設として成り立っているとのこと。実験には爆発の危険が伴うので、何があってもいいようにその施設はかなりの僻地に建っているらしい。
だが、この話を聞いているとき、俺はそこには『別の意図』もあるんじゃないかと邪推していた。
だって、このパターン……どう考えても厄介者や変人や魔法オタクが隔離されてますって感じじゃないか。そうじゃなくても、人見知りな奴ほどそこへの配属を熱望しそうだ。
あれだけ情報収集したのに、そんな部署があるなんて話は全く聞かなかったわけだし……きっと、この部署には何か問題があるに違いない。そんな嫌な予感がプンプンしやがる。
もし偶然、そこの存在を知ったとしても魔法が使えない俺では興味こそ持てど、近寄ろうとはしなかっただろう。手伝える仕事がないとは言いきれないが、わざわざ出向く余裕もなかったしな。
それほどまでに縁がなかった場所だ。向かっている今も正直、あまり気は乗っていない。
アーサーが何故、俺をそこに勧誘したのかもイマイチ分かっていないのが不安でもあった。
これまでにいくつか話した科学技術の発想を魔法開発に活かせそうだから、っていうなら分からないことも無い。
だが、上手く出来る保証も無いのに話を受けるほど俺はアホじゃないし、アーサーもギルド長ならそれくらいのリスクは分かっているハズだろう。そういう所は抜け目無いようだしな。
ん……? ということは、仮に実験が失敗しても業務には差し支えないような部署なのだろうか? もしそうならけっこう楽な仕事場ように思えるけど。
まぁ、聞いてみるのが一番早いか。
「はいはーい、しつもーん。なんで、よりにもよって初歩の初歩魔法すら使えない俺なんかを、しかもギルド長直々に紹介してくれるんですかー?」
「なんだ、その喋り方。もしかしてまた酔って──」
「ないです」
「「…………」」
一昨日の話だ。そこは都合のいい頭らしく忘れとけよ、アーサー。
「……まぁ、いいや。なんでオメェさんを紹介するのかって……そりゃオメェさんには魔法の知識なんかよりもずっとずっ〜と大事な素質があるからだな!」
「『大事な素質』……!?」
俺が酔った時の話はさておき。飛び出してきたのは予想外すぎる言葉だった。それによって夜風に冷やされ復活した俺の頭が再びフル回転する。
素質。それはやはり、研究に必要な発想力とも呼べなくもない現代の科学知識だろうか?
現代の知識であれば中世レベルの異世界程度なら無双できるって言うしな。
……だけど、この世界じゃそうはいかない。多様な魔法で独自の発展を遂げているから生活水準はかなり高く、正直、俺の知識程度じゃ無双なんて到底不可能だろう。それをわざわざ『大事な素質』とは言わないはずだ。
……ハッ!!
もしかして、俺には気づけない素質をアーサーは感じ取ってるのか!?
そう、例えば、魔力の絶対量が常人の何倍もあるとか、他とは質が違っているとか……!
……もしかして、もしかすると……そういう話なのか!?
聞けばその答えはすぐにでも分かるだろう。そう気づいた俺には一瞬の躊躇いもなかった。
「ひゃい、質問!」
「ブフッ!!」
「わ、笑ってないで答えてください! ズバリ、その素質ってのはなんなんですかッ!?」
ヤバイ、声が変になった! 落ち着け、俺。過度な期待だけはするな? 絶対にするなよ!?
……あっ、まずい! これだと期待する方のフリだ!?
俺は必死に、自分に平静を保つように言い聞かせる。いくら他に思い当たる節がないからって、期待して損する可能性は充分にあるのだ、と。
いや、でも! この状況は期待せざるを得ない……いや、期待しても大丈夫な筈だ!
あぁ、胸の高鳴りが抑えきれな──
「ん? そりゃもちろん、そのメガネだ! 魔法にしか興味の無い研究者ですって感じのツラじゃねぇか!」
無防備にもさらけ出されたアーサーの腹部を思いっきりひっぱたいたところ。
「痛ぁッ!? えぇッ!?」
すると、何やら奇妙な発言が耳に入ってきた。
「……痛い? いやいや、ギルド長ともあろう人が、モンスターに比べて貧弱すぎる俺のビンタくらい大したことないでしょうよ。てか、上着くらい着ろ」
「なっ……!? 別にいいだろ、このくらい! 筋肉を見せつけたくらいで文句を言うやつなんて、この街にはいねぇんだよ!」
「イヤ!? それはあんたがそんな格好してるから皆も上着を着なくなってるだけなんでしょ!?」
本当かどうかは知らんが、昨日自分でそう言ってたじゃねーか!! 「オレが流行の最先端だ」って自慢げに!!
「あぁ? いいことじゃねーか! そのお陰で綺麗なネーチャンたちも薄着で外に出歩いてくれるんだ! オメェさんもオレに感謝ぐらいしたってバチはあたらねぇぞ!?」
「それはアンタに感謝することじゃない!」
「……ハッ!! たしかに! 俺の功績とはいえ、直に目の保養をしてくれるのはネーチャンたち……。そうか、そうだよな! ネーチャンたちにこそ感謝すべきだよな! いやー、やっぱムッツリ様の言う事は一味違──」
「だーかーらー! ムッツリって言うな!!」
今度は背中だ。
「痛ッ!! ちょっ、おま、それマジで痛いんだからな!? ほら見れ! 跡ついてる!!」
「知るか!! 人をメガネだのムッツリだのと呼ぶからですよ、上裸長」
「そんなことで!? てか、なんだその威厳の無い呼び方は!? それ、人前では絶対に言うなよ!? ギルドのロビーとか!!」
「あーはいはい、気をつけますよ上裸ギルド長」
「あ、それはいいかもな。ギルメン全員が上裸になってるギルドみたいだ、やっぱエロい発想じゃマッツリに敵わねぇな!」
「何の話だよ!? もう女子から死ぬほど怒られろよ!!」
……なんて馬鹿なやり取りをしている間に、俺と腹と背中に紅葉を刻んだ半裸の変態は目的の建物が見える位置までやって来ていた。
周囲を鉄柵に囲まれた二階建ての頑丈そうな建物はいかにも研究所という感じだ。敷地の外周には広大な荒地が広がっていて、他に建物は一切見当たらない。たしかにこれなら!万一研究所が爆発しても最寄りの住民は無事だろう。
派手に抉れた箇所がいくつもある。この荒地を運動場として使うのは大変だろうが、戦闘訓練場としては持ってこいだな。
……なんて事を考えながら近くの抉れた地面を覗き込むと、なにやら土の焦げた臭いと煙が燻っている。
……よーく見るとよく分かった。どうやらコイツは真新しいクレーターのようだ。これは何かがここで爆発したということを示す痕跡だ。
「この距離で爆発してるのかよッ!?」
「……変なのか?」
「えっ……?」
アーサーの顔はいつになく真面目だった。
いやいや、まだ施設から何百mも離れてるんですけど??
それなのに、地雷でも置いてあったのかよってくらい抉れてるんですけど??
「久しぶりに来たが、特に異常は無さそうだな」
「……これが平常なんですね」
戸惑いを追撃する言葉がアーサーから発せられたことで、俺は腹を括った。
よし、アーサーの陰に隠れて進もう。
「オメェよぉ……それでいいのか……?」
「もちろんです、なんの問題もありませんよ」
こうして、俺は無事に地雷原を抜けきったのだった。結局、爆発の瞬間を目にすることもなかったが、いつ爆発してもおかしくなかったことだろう。俺はこの世界に来て初めて自分の平凡な運勢に感謝した。
もしトラブルを引き寄せるような主人公体質だったなら、降り注ぐ爆発物の中を駆け抜けなければならなかっただろう。
「……でも、なんだかんだで主人公は一発も当たらないんだろうけどな」
そして、爆発を起こした張本人と出会って一悶着あってから話が進むに違いない。
そんな波乱万丈さが、ちょっとだけ羨ましかった。
「ん? 何か言ったか?」
「あー、いや……ただの自虐なのでお気になさらず」
「お、おう。……まぁ、程々にな」
アーサーの哀れみの視線から外れるように、俺が一歩進み出てドアをノックすると。
「はーい! いま行きますねー!」
「…………へっ!?」
それはまさに予想外と言うべき事態に遭遇した。
理工系の大学に進んだことによる弊害。
これまでの話と研究者に対する先入観が引き起こした些細な食い違い。
俺は思わず声を漏らした。
ノックに応えた声。
それは紛れもなく、女の子のものだったのだ。
「どちら様ですかー?」
「えっ、えっと……」
開かれた扉の向こうで出迎えてくれたのは、俺よりも年下と思わしき可憐な少女だった。
少し大きめのダボついた白衣にふんわり茶髪のショートカット。赤いメガネがよく似合いそうだが、残念、かけてない。
突如現れた、大人しそうな少し年下ポジションの美少女に、見とれるなという方が無理な話だった。
「あっ!! お久しぶりです、アーサー様!! ……と、……すいません、こちらの方は?」
「おう、久しぶりだな! ……えーっと」
「マナミ・クリアモールです! 気軽にマナちゃんとお呼びください!」
固まる俺の目の前で、相変わらず名前を覚えられないギルド長が間髪入れずに自己紹介された。
忘れたとは言わせない。大人しそうな見た目とは裏腹に、イケメンを前にした女の意地がビシビシと伝わってくる。
「そうだ! マナちゃんだったな! ワリィな、すぐに思い出せなくて」
「いえいえ、大丈夫です! さぁさぁ、中にどうぞ!」
とても嬉しそうな少女に言われるがまま、ギルド長と俺は建物の奥へと案内された。
「うおぉ……! 思ったよりずっと近代的だ……!」
予想していたものとは違った様子に、俺は思わず目を見張る。ウチの大学の研究棟や実験棟なんかとほとんど同じ無機質な構造だ。
だというのに、照明が少し違うだけでそこには魔法的かつ不思議な雰囲気が醸し出されている。実に面白い。魔法の研究所っぽいなぁ。
使われているのは見慣れた蛍光灯や白色LEDではなく、白い魔法の灯だ。強い光でありながらも時折揺らめくことによって、人工的になりすぎない柔らかさがある。
興味津々に見渡すと、廊下にはいくつか扉があった。きっとそれぞれが個人の研究室になってるのだろう。デザイン筆記体の文字なので読めないが、名前の刻まれたプレートがそれぞれのドアに吊るされていた。
と、ここで。
前を歩く少女が振り返って話しかけてきた。
「あの、アーサー様。結局、この方は……」
もちろんアーサーに、だ。俺にじゃない。
「あぁ悪い、言いそびれてたな。前から欲しがっていた追加の人員だ! ようやく希望者が現れたもんでな」
少しバツが悪そうにコチラを見ながらアーサーはそう答える。当然、俺は一言も希望するなんて言った覚えはない。
まぁ、ここは次に飯をたかるときの算段として黙っておくとしよう。
俺はついでとばかりにそのまま息を潜め、二人の会話をそれとなく伺う。
「へぇー! そうだったんですか、珍しいですね〜。でも、大丈夫なんですか……?」
「あぁ大丈夫、もちろんその辺はきっちり審査済みだ。コイツなら心配は要らないだろうぜ」
「そうですか! アーサー様がそう仰るなら、安心ですね♪」
二人の会話はそれだけだった。いったい何について言われたのか殆ど分からなかったが、なんとなく不穏な会話だ。
でも、どうやら俺は安心されたらしい。彼女の笑顔を見る限り、悪い印象は持たれていない。俺も少しだけ安心した。
突き当たりのドアの向こうから人の気配を感じたとき、マナミが再び話し出した。
「ちょうど今、みんなでご飯を食べてたところだったんですよ。せっかくなので紹介しますね、えっと……」
今度こそ、俺に向けて。
名前を聞きそびれてしまったことを悔やむようなその表情によって、俺の全身を電流が駆け抜けた。
「東城祀理だ! 気軽にマツリンとでも呼んでくれ」
「っ! はい! よろしくお願いします! 私もマナミンでいいですよ」
そう言って、俺たちはクスクスと笑いあった。どうやらこのぶっつけ本番の自己紹介は悪くないものだったらしい。
本当に単なる思いつきを口にしただけだったのだが、上手く気さくな感じを出せてたのが良かったのだろう。
……なんだろう。
なんだか今なら何だってやれそうだ。
……! そうか。俺は今、異世界生活3日目にしてようやくその真髄に辿り着くことができたのか。
何故、異世界物語には必ずと言っていいほど可愛い女の子が登場するのか。そんなことを考えた時期があった。
その時に出した俺の答えは『主人公に勇気とやる気を与え、話を円滑に進めるため』だ。
まさか俺がその恩恵を受けることになるとはな。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。
「所長! アーサー様が新しい人を連れてきて下さいましたよ〜!」
少女の笑顔に引っ張られて、踏み出した一歩。それは……っと!?
「遅いッ!!」
「ぐふっ!?」
「危なっ!!?」
案の定、入って早々に風の魔法か何かをおでこに喰らい、吹き飛ばされる管理不足長。それを想定していたことで運動神経の悪い俺でもギリギリ避けることが出来た。
やはり、所長はご立腹の、よう……だ?
想定の範囲内だったのはそこまでだった。
魔法を放った研究所の所長の姿に目を疑った。
「……っ!? 嘘だろ?」
さらに。
テーブルに並ぶ美味しそうな家庭料理の数々と、その食卓を囲んで待っていた2人の姿も俺の想定外。
一歩を踏み出したその先にあったのは、禁断の花園。
そこに俺の想定していたような同族とも言うべき理系陰キャ男子の姿はどこにも見当たらなかったのである。
「全く……今になって人を寄越すだなんて、随分と気の利くギルド長様ですわね」
「……ったく、褒めても何も出やしねぇよ。いっそのこと、普通に貶してくれた方がマシだぜ……」
「……あら? 貴方ってマゾだったかしら?」
「いや、そういうことじゃ……あーもう、いいやめんどくせー……」
少し天然の入った所長の受け答えに、あのアーサーの調子が狂っている。……かなりの大物だ。
一般人にも感じ取れる程の圧倒的な強者のオーラを纏う彼女は廊下に吹き飛んだアーサーから踵を返すと、今度は俺に近づきながら話しかけてきた。
「この子がそうなのね? …………不思議な子。魂と肉体がこんなにも綺麗だなんて……」
……って、近いんですけども!?
すぐ目の前にいる女性の透き通るような声のせいで耳が異様にくすぐったい。ほんのりと甘く優しい香りが鼻腔をもくすぐった。
金と白が溶け合ったかのような真っ直ぐで美しい髪が俺の肩に触れてしまうほどの距離で、俺は彼女にマジマジと観察された。
エルフ。それは、ファンタジーのド定番。長寿で優れた魔法を扱うその種族は長い耳を持つ美形というイメージが強いが、そのお蔭で、どう見ても人間ではない彼女の正体に俺はすぐ思い当たることが出来たのだった。
が、それどころではない。
「……な、何をッ!!?」
我に返った俺は焦りを隠せるはずもなく、一歩二歩と後ろに下がる。
それによって生活感に包まれた部屋全体を見渡せた時、これから自分の異世界生活がどうなってしまうのかがハッキリと目に浮かんだのだった。
「あらあら、ごめんなさいね。でも、たしかにこの反応なら問題は無さそうね」
「えぇー!? マジかよ! アタシは嫌だよ!?」
「自分はどちらでも構いませんよ。人手不足なのは確かですから」
「私は所長に賛成ね! マツリさん……じゃなくてマツリンなら問題ないと思いまーす!」
ここで働いている少女たちが好き好きに意見を述べる中、突如、女子の空間に放り込まれた俺はといえば。
この世界に来たときと同じくらい……いや、その次の日の朝……いや、そのとき以上に頭を働かせていた。
女の子に囲まれて過ごすハーレム系主人公は数知れず。それを羨ましがる男子は星の数。ましてや、魔法のある異世界でのそれは夢のまた夢、泡沫の夢だ。
現実味の無いこの状況に巻き込んで、この世界の神様は俺にいったいどう対処しろというのだろうか。
「じゃあ多数決ね。2.5票対1.5票、よって賛成多数で承認されました〜!」
「えっー!!」
「ま、そうなりますよね」
「ワーイ!」
「ちょっ、ちょっと待ったッ!!!」
最初から決まったも同然の決議に、かかる筈のない待ったが掛かる。
「「「「「えっ?」」」」」
それはあろう事か、この多数決によって今後を決められる立場にいる者から発せられていた。
「反対に一票! 2.5票の同票で、このお話、一時保留でお願いしますッ!!」
後に、彼は語る。
目の前に拓かれた異世界ハーレム系主人公への道を、自分からヘタレて拒否したのは後にも先にも自分だけだっただろう、と。