08.化け物 / 藤崎由梨
――大久保さんへの認識が曖昧になった時のことは、覚えていますか?
「えぇ、……覚えています」
――その時のことをお話し頂けますか?
「その年の、十月末のことだったと記憶しています。殆ど大学に人が残っていないような夕方の時間帯に、ドーキンスの悪魔が突然、中庭に現れたんです」
――アナタがドーキンスの悪魔十二号の、第二目撃者となった事件でしたね。
「はい、私は家に帰ろうと一人で中庭を歩いていたんですけど、突然女の子の悲鳴が聞こえたんです。反射的に顔を向けると、黄緑色の怪物がいて……ソイツが、尻もちをついた女の子をじっと睨みつけていました」
――水田小緒里さん、アナタと同じ大学に通う法学部一年の女性徒。同時に、ドーキンスの悪魔十二号の第一目撃者の方でもあり……それから?
「私はその光景を目撃すると、一度に血の気が引いてしまいました。南山動物園に現れた怪物と同じ種類の奴だと気付いて、怖くなったんです。早く逃げなくちゃと思い、足を一歩引きました。でも……恐怖に表情を凍りつかせている女の子を見ると、何かが足を留まらせて……気付いたら鞄を怪物に、十二号に投げていました」
――鞄を?
「咄嗟でしたけど、十二号の注意を女の子から逸らそうと考えたんです」
――殺されるかもしれないのに、ですか?
「……そういうの、自己満足ですよね。自分の身も守れないのに、他の人を助けようとするの」
――いえ、そんなことはありませんよ。立派な行動だと思います。
「すいません。気を遣わせてしまって。だけど……無謀なことをしたのは事実です。ただ、その時に思ったんです。幼馴染の、もういなくなっちゃった幼馴染の女の子なら、多分そうするだろうなって。私は昔、その子に守ってもらってばかりで……。そうしたら、勝手に体が動いちゃったんです」
――幼馴染の……、そうでしたか。それから、どうなりました?
「鞄は十二号に当たりました。それで、十二号が私に視線を向けたと思ったら……お、音もなく、一瞬で目の前まで移動してきたんです。驚いた私が走って逃げようとすると、それも回り込まれてしまって。とにかく離れなくちゃと思って、視線を左右に走らせて、また逃げようとしました。すると、右手を掲げた十二号の手の平から杭のようなものが発射されて……私の髪を掠めて……遅れて耳から血が流れていることに気づいて……」
――あぁ……杭のようなものが、耳を。
「目が見開いてしまって。もう駄目だと思いました。体も震えて、動いてと心の中で叫んでも、全然言うことを聞かなくて。そうしてる間にも、十二号が右手を掲げたまま、力を溜めているような気配を滲ませたんです。思わず声が漏れてしまい、再び杭を発射しようとしているんだと、直ぐに気付きました」
――ドーキンスの悪魔は生物兵器として、それぞれ異なった武器や能力を持っていたようです。一号は触手のような鞭を、十二号は杭のようなものを射出する能力を。……それからは?
「自分が杭に打ち抜かれる光景を思い浮かべると、無我夢中で……アイツの名前を叫んでいました。自分のやったことの責任も取れない癖に、都合が良すぎますよね。だけど助けて貰いたいとか、そういう気持ちがあった訳じゃなくて、ただアイツの名前を叫ばずにはいられなかったんです。そうしたら――」
――はい。
「それに反応するように、声が聞こえたんです。私の名前を呼ぶ声が空から」
――アナタの、名前を。
「はい。芸名でもあだ名でもなくて、とても懐かしい響きでした。幼い頃に何度も聞いた、“ ユリ “って、私をそう呼ぶ……アイツの叫び声が」
――えぇ。
「その声に十二号が顔を上げるのと同時に、変身したユウマが空から降って来たんです。そのまま十二号を右足で蹴り飛ばして着地すると、私の方を向いて” もう大丈夫だ ”と言って、私に離れるよう告げました。それからユウマは十二号と戦闘をして、体に杭のようなものを沢山打ちつけられながらも、十二号を倒しました」
――危機一髪という状況だったんですね。
「えぇ、本当に危ないところだったんです。でも……そうやってユウマが助けてくれたのに……わ、私は……!? 私は……!?」
――ゆっくりで構いませんよ。
「はい……私は……そこにいるのが、二号が、体半分を変身させたユウマだと分かっていた筈なのに……。急に、得体の知れない化け物に見えてしまったんです」
――大久保さんのことが……それで?
「ユウマは気遣うような、多分そんな視線を向けながら、私に近づいてきました。でも私は、そんな風に認識出来なくて。十二号と同じような恐怖を感じて……それで、それで……気付くと叫んでしまいました」
――はい。
「こ、……来ないで……この……化け物……と」
――それから大久保さんは、どうされたか覚えていますか?
「ユ、ユウマは、変身したままの姿で私をじっと見た後、その場から消えました。暫くすると遠くの方で、バイクが急発進する音が聞こえたような気がします」
――なるほど、それでアナタは?
「私は……緊張が途切れると、その場にへたり込んでしまいました。それから悲鳴を上げた女の子や他の人に助けられて、保健室に行ったんです。二十分位すると警察の人が来て、保健室で事情聴取をされました。その際に、赤い怪物が現れたことを話している時に、ふと思い出したんです」
――どんなことを?
「あ……あれは赤い怪物じゃ、化け物じゃない……。ユウマだ……と」
――大久保さんのことを思い出したんですね
「はい。だけど、急に色んなことが曖昧になって。何故かユウマの記憶の連続性というか、そういうのが途切れてしまったように感じたんです。よく知っている筈の人なのに、表面だけ見ると、全然知らない別人のようにも思えてしまって」
――大久保さんとは、その頃はあまり会っていなかったんですか?
「アイツ、私に何も言わずに大学を休学しちゃって。今時珍しいと思われるでしょうけど、携帯電話も持たない人間なんです。だから大学という接点が無くなると、突然会えなくなっちゃって。家も近所なんですけど、様子を見に行ってもバイクがいつもなくて、全然会えてなくて……」
――えぇ。
「ただ時折、事務所に向かう途中の道で、バイクに寄りかかって立っているアイツの姿を見かけることはありました。私の視線に気づくと、“よぉ、マサカド”とか声を掛けてくるんです。でも、驚いた私が慌てて何かを言おうとすると、笑いながらヘルメットを被って、バイクに乗って消えちゃうんです」
――それで、大久保さんのことを思い出してからは、どうされましたか?
「はい……何だか急に色んなことが怖くなって、記憶も曖昧になって。家に帰ってアルバムをひっくり返しました。それで昔の写真を見て、あっ、やっぱりユウマだ、と安心した後に……とても嫌な感触がしたんです」
――感触? それはどんな?
「私も皆と同じようにユウマのことを忘れかけていると、そんな事実が冷たく圧し掛かって来るような、嫌な感触です。冷や汗が背中に浮かんで、冷たく流れたのを、よく覚えています」
――当時、大久保さんが周りの人から忘れ去られていたのですね?
「そうです。ユウマが黙って休学届を出す少し前から、みんな変だったんです。ユウマのことを知らない人みたいに見て、思い出すのにも時間がかかったりして。無視するような態度も多くて。それなのにアイツは、ヘラヘラ笑ってるんです。それが嫌で、悲しくて、私は……」
――そのことに、何か心当たりがありましたか?
「確証があった訳じゃありません。けど……変身することに関係してるんじゃないかと思っていました。それはその時まで、私自身、認めようとしない考えだったんですけど、考え始めると、そうとしか思えなくなってしまって」
――大久保さんがドーキンスの悪魔と戦っていることは、ご存知だったんですね。
「はい……。でも、本当は戦って欲しくありませんでした。まだユウマが大学に通っている頃、私は関わるのは止めように説得したんです。だけど、アイツは耳を全然貸さなくて」
――それは、どのように説得されたのですか?
「ユウマが戦わなくてもいいじゃない、そんな必要ない、危ないよって。警察の人に任せておけばいいって。そう言いました。今考えると……全然、説得と呼べるものじゃないですけどね。子供みたいに、駄々をこねているだけで」
――大久保さんは、それに何と答えましたか?
「ユウマは、警察も人間だ……と、そう言いました。あの怪物と戦えば、必ず死ぬ……と。俺はただ、自分がやれることをやっているだけだ。珍しく、真剣な顔でそう言ったんです。私はそう言われると、もう何も言い返せなくて」
――そうやって大久保さんが戦えば戦う程に、人は大久保さんのことを忘れていった。認識すら出来なくなった。自分も他の人と同じ状態になってしまうかもしれない。そう思われたのですね。
「そうです。だから……ユウマの記憶を留めようと、必死になりました」