07.個人的な感情のために / 大久保悠馬
――どうしてアナタは、ドーキンスの悪魔と戦おうと思ったのですか?
「さぁな、大した理由じゃないさ」
――そこにはひょっとして、春澤カナタさんが関係していますか?
「…………アンタ、交通事故の年間死亡者数を知ってるか? 大体でいい」
――確か、数年前に五千人を切ったという記事を読んだ覚えがありますが。
「そうだ、世の中には年間約五千人もの人間が交通事故で亡くなっている。別に自動車社会を非難している訳じゃない。死亡者数だって、年々減っているしな」
――えぇ。
「カナタが死んで、マサカドも何とか元気になって、しばらくした時のことだ。新聞か何かで偶然その数字を知って……、当時はもっと高かったが、何かに打たれ、茫然とした心地になったんだ」
――何かに打たれた?
「あぁ。俺だけじゃないのか……と。俺が交通事故でカナタを失ったように、世の中には、日本だけでも俺と同じような苦しみを味わっている人間が、年にこんなにもいるのか……とな。人間は一人じゃない、関わり合って生きている。すると苦しんでいる人間の数は、二倍にも三倍にも、四倍にも五倍にも膨らみ上がる」
――それは……その通りですね。
「勿論、苦しみは同じじゃない。だが無機質な数字の裏には、確かに悲しんでいる人間がいるんだ。血と肉と情念を持った人間が。そこには数字じゃない、人間がいるんだ!」
――それがアナタが、人の死に敏感になる所以ですか?
「そんな大層なもんじゃないさ……街ですれ違う人間も、たまたま電車に居合わせた奴も、俺から見ると、ただの他人だ。無関係な人間だ。だけどな、カナタもまたそうであったように、その俺の目に映る他人は、誰かにとっての大切な人なんだ。みんな、誰かにとっての愛しい人間なんだ! 子供であったり、配偶者であったり、兄弟、恋人、友人なんだ! そう考えると……嫌なんだよ。そういう誰かにとっての愛しい人間が、訳の分からない物に巻き込まれて……死ぬのが」
――交通事故……のようにですか?
「……交通事故も、怪物が突然現れて殺されるのも変わらない。いや、後者の方がもっとタチが悪いと言えるだろう」
――つまりは、ドーキンスの悪魔の被害から人を救うために、アナタは戦っていたんですね?
「人を救うために? いや、少し違う。確かに人が怪物に殺されるのは嫌だ。カナタが生きていたとして、訳の分からない怪物に殺されたらと考えると、たまらない気持ちになる。そういう気分を味わう人間が、出来るだけ少なければいいと思っていたことに間違いはない。しかし結局のところ俺は、自分の個人的な感情のために戦っていたに過ぎない」
――個人的な感情?
「あぁ。ドーキンスの悪魔が出現した場合、放っておけば必ず誰かが死ぬ。そして俺には、奴等を倒せる力があった。もし俺が持てる力を行使せずに誰かが死ねば、俺は苦しむことになる。自分の個人的な感情で、ひどく悶えるだろう」
――どのように……ですか?
「“ 俺は出来た筈なのに!? “とな。だから俺は、自分が苦しみたくないから戦っていたんだ。自分が辛い思いを味わいたくないから戦っていたんだ。それだけだ。それに……死ぬことは怖くなかった」
――なぜ? カナタさんの世界に行けるからですか?
「そうだ。俺はカナタが死んでから、ひょっとすると、ずっと死に場所を求めていたのかもしれない。カナタの世界に……行きたいと。死後の世界があるのかは分からない。だが少なくとも、自分の持てる力を奮って、それで誰かの命が損なわれずに済むのなら……最悪、命を落とすことに繋がっても構わない。そう思っていた」
――人の認識から零れ落ちたとしても? 誰もあなたの活躍を認めなくても? 国から、人からドーキンスの悪魔と見なされ、忌み嫌われても?
「……あぁ」
――そうですか……。
「孤独に甘えていると言われても、否定出来なかったがな」
――自分が、人の認識から零れ落ち始めていることには、気づいていましたか?
「気付かない方がどうかしてるだろ? 話しかけても反応が遅れたり、“誰だコイツ?”と、俺の存在を訝しむ間が置かれる。中には思い出してくれる人間もいるが、殆どが疎ましげな眼を向けた後に去ってしまう。次に会った時、そいつはもう、完全に俺のことを認識すら出来なくなっている」
――はい。
「人の認識から滑り落ちる怖さと言うのは、ちょっと説明し難いな。寂しい世界の中心にいるような気持になったこともある……いや、今のは忘れてくれ」
――それが、ドーキンスの悪魔の力だと気づいたのはいつですか?
「いつ……か。三号を、いや、四号を倒した後には、何か違和感のようなものを覚えた気がする。世界は確かにそこにあるんだ。俺は間違いなく存在している。だが徐々に人の反応が、薄れがちになっていく気がした」
――えぇ。
「五号を倒した時に疑念は強まり、六号を倒した時には否定したい気持ちにかられた。だが、七号を倒した時に確信した。マサカドのモデル友達の一人に、KUROKAという奴がいるんだが……」
――YURINAさんと同じ、株式会社セントラルモデル所属のモデルさんですね。ショートカットで、どことなくサバサバとした印象を与える。確か化粧品の広告や、音楽のプロモーションビデオなどにも出演されている。
「飾らない面白い女でな。マサカドの面倒をよくみてくれていた。当時は、未だ数回会っただけの状態だったが、比較的、仲は良かったと思う。しかしそいつからも……完全に忘れ去られていたんだ。アンタが言った通り、自分と関係の薄い奴から順番に、俺のことを忘れていったようだ」
――そんな中、YURINAさんはアナタのことを観測、いえ、覚え続けていたんですね。
「あぁ。俺の存在が薄れていることを感じ取って……慌てているようだった。まったく、自分のことのようにな」
――七号を倒した頃には、変身した際の怪物遺伝子の侵食はどの程度進んでいたか覚えていますか? 右腕から徐々に、体の他の部位へと広がっていましたよね?
「はっきりと覚えていないが、頭を除いた右上半身は殆んど侵されていた気がする。変身している時は全く感じないが、元に戻るとズキズキと痛むんだ。新しく侵された所が明滅するようにな」
――それでも、戦うことを止めなかったのですね。
「さっきも言っただろ。戦っていたのは、俺の個人的な感情によるものだと。自分が好きでやっていることだ。怪物遺伝子を腕に宿してしまったことは仕方がないにしろ、力を使う度に人から忘れ去られていくことも、怪物と戦うことも、全て、自分が選択したことだ。誰に強制された訳でもない」
――はい。
「それに……一号の胞子を弾けさせたのは、他でもない俺だ。俺が冷静に頭を働かせて、アイツを捕獲しようと考えるか、核だけを奪い取って処理しておけば、怪物が増えることもなかったかもしれない」
――それは、あくまで可能性の話ですよ。警察の方でも、倒すことが出来ないのであれば捕獲しようという計画も出ました。ですがその計画も……ご存知の通り、相当な被害を出した末に殆どが失敗した。
我々は頭の中で可能性を考えることが出来ます。しかしそれは、やはり頭の中だけで考えることの出来る可能性なんです。現実には即していない。
「アンタは優しいな……そう言えば、何故ドーキンスの悪魔たちは人間を襲っていたんだ? 奴等のエネルギー源は、存在情報などの非物質的なものの筈だろ」
――これもあくまで仮説になりますが、怪物遺伝子の目的が自己増殖にあるとするなら、より多くの胞子をばらまいて宿主に寄生し、個体を増やし続けていくことが効果的といえます。その為にも、胞子嚢を、核を発達させる必要がある。
「あぁ、それで?」
――宿主の肉体を変化させるのは、核が成熟するまでの期間、外敵から身を守る為の措置とも考えられます。つまりは人間を襲い……捕食するのは、宿主の存在情報と意思をエネルギー源とする他に、早期に核を成熟させるためではないか、と。
「核を成熟させる為……か。なるほどな」
――もっとも、三号以降は胞子が飛散する様子は観測されていません。よって胞子嚢が成熟するのか、成熟した場合、どれだけの胞子をばらまくのかということも分かっていませんが……。
「三号から先は、俺が必ず核を破壊していたからな」
――ドーキンスの悪魔の核に着目したのは、いつ頃からですか?
「いつ頃か、と聞かれてもはっきりと覚えていない。ただ一号を倒した後に玉が弾けたことが、ずっと気がかりだった。それが三号と接触した時、ハッとなった。自分の中で何かが繋がった気がしたんだ。ひょっとして、あれが原因でこの怪物は現れたんじゃないか……と、そう思ったんだ」
――なるほど。それからもドーキンスの悪魔の核を破壊し、四号五号、六号七号と倒していく。そして七号を倒した直後に、大学に休学届を出した、と。
「戦いに集中するためにな。それに……大学には、行きたくなかったんだ」
――ドーキンスの悪魔との戦いを、警察に任せようとは思いませんでしたか?
「考えなかった訳じゃない。だが、警察官だって人間だ。そしてあいつらでは、ドーキンスの悪魔には勝てない」
――そうですね。実際問題、警察の力ではドーキンスの悪魔を倒すことが出来ませんでした。
「あぁ……しかし警察は職務の為にやらざるを得ない。公共の福祉を守るために、無謀にも、銃や警棒で立ち向かうしかないんだ。国もドーキンスの悪魔の件を、有事や災害とは判断しなかったんだろ?」
――えぇ、自衛隊を出動させることは出来ず、秘密裏に特殊部隊が愛知県名古屋市内に派遣されましたが……装備などの都合上、俊敏な対応を取ることが難しく、常にアナタの後手に回っていました。
「俺には何故か、ドーキンスの悪魔が出現するタイミングやポイントを、直感的に察知することが出来た。皮肉なことにも、怪物遺伝子の体への侵食が進めば進む程に、力が強くなればなる程に、その予感は強くなった。ん……そう言えば、こいつも聞いておきたかったんだが――」
――はい、どうぞ。
「お前たちにとって、二号が他のドーキンスの悪魔を倒すのは、どういう風に納得されていたんだ?」
――破壊した核を、何かしらの方法で体内に取り込んでいるのではないか? と言われていました。自身が最強の個体となる為に。その頃には、核に胞子が詰まっているかもしれないという仮説はありませんでした。
「そうか……」
――えぇ、当時は今以上に不明なことが多かったんです。ドーキンスの悪魔に関する情報統制も敷かれていましたし、目撃者も全体から見ると僅かでした。一部ネットでは騒がれてもいましたが、目撃者の中で冷静に写真を撮ってSNSなどにアップする人もいませんでした。
「情報統制か。そういうところは恐れ入るよ」
――本当に。そして何よりも、被害者が少なかった。ドーキンスの悪魔化した人を除けば、十人に満たない数だった。どうとでも誤魔化せる状況だったんですよ。
「それは、よかった……と言うべきなんだろうな」
――勿論です。アナタはそういった状況下で、次々とドーキンスの悪魔を倒していった。変身した際の、体の侵食も進んだ。人々から認識されなくなっていった。
「そうだな。無駄だと思いながら、当時は色々と試してみたさ。だが紙に書いた言葉も、ネットでの書き込みも、俺という存在から発せられたモノは全て認識されないような状態になっていた。笑ったよ……どうしようもなくてな」
――そして、ある日を境に……。
「あぁ」
――YURINAさんも、アナタのことを忘れ始めた。
「……そういうことだ」