01.一号との遭遇 / 大久保悠馬
――お名前と年齢、ご職業を教えて下さい。
「大久保悠馬、二十一歳。大学生だ。もっとも、大学には二年程前に休学届を出して、最近復学したばかりだがな」
――二年程前というと、やはり……。
「そうだ。あの怪物が現れて数ヵ月経った頃に、休学届を出したんだ」
――なるほど、分かりました。ではこれから質問をさせて頂く前に、改めてご確認頂きたいことがあります。宜しいでしょうか?
「あぁ、構わない」
――これは取り調べではなく、あくまでも調査となります。お答え難いことにはお答え頂かなくとも結構です。また、事前に書類上で確認頂いた通り、この質疑応答は記録を取らせて頂きます。
取得した個人情報などに関しては、当機関の「個人情報保護方針」に則り、厳重に管理し、決して外に出ることは御座いません。気を楽にして、質問にお答え頂ければと思います。
「分かっている。そういえば俺からも、言っておくことがあった」
――はい、何でしょう?
「俺は少し目つきが悪く、口調もぶっきらぼうだが、怒っている訳でも敵対心を持っている訳でもない。アンタらの機関とは色々あったが、感謝の念を覚えているのも事実だ。だから……まぁ、なんだ、よろしく頼む」
――はい、宜しくお願いします。では早速ですが、こちらの写真をご覧下さい。
質問者が一枚の写真を取り出す。専門家が撮った訳ではないのか、被写体の動きに僅かなブレが見られるその写真には、二体の異形の者が映っていた。
右側には、西洋の甲冑を纏った狂戦士のようでありながら、深海の生物の如きグロテスクさを感じさせる青い怪物が――ドーキンスの悪魔が悠然と構えていた。
左側には、その場から跳躍し、怪物に殴り掛ろうとしている筋肉質な男の姿が映っている。強い意志を瞳に宿らせ、吼えるような表情を作っているその男。
注目すべきは振りかぶっている右手にあった。
一目で凶器と分かる特性を備えながら、生物工学の粋を凝らしたように美しいフォルムをしていた。そして明らかに、人のものと分かる左手に比べて大きかった。
対立する怪物と同じような、しかし色は異なる、人ならざる真紅のその手。よく見れば男の右上半身も、怪物と同じく生物的な装甲に覆われている。
それはドーキンスの悪魔同士の戦いを収めたと言われる、機関の関係者によって撮影された、数少ない貴重な写真だった。
――ここに映っているのは、アナタで間違いありませんか?
「間違いない……これは俺だ。アンタにもそう見えるか?」
――はい。
「そうか……」
――我々は長い間、この写真を見てもただ“二体の怪物が争っている”としか認識出来ませんでした。この他のアナタが変身して戦っている写真や、監視カメラなどの映像に関しても同様です。
「だろうな。最初の時からそうだった」
――最初の時から……。ではアナタが、「ドーキンスの悪魔二号」と呼ばれるようになった経緯を教えて頂けますか。
「経緯か。かなり長くなるが……」
――えぇ、構いません。
「分かった。あれは、大学に入学して暫くした頃のことだ。俺の幼馴染でモデルをやってる奴がいるんだが。ソイツに付き合わされて、南山動物園に行ってたんだ。YURINAという名前だが……どうせ調べてるんだろ?」
――はい、彼女はドーキンスの悪魔一号と十二号の目撃者でもありますので、簡単には調べさせてもらいました。栗色の長い髪をした、手足の細長い雑誌モデルの方ですよね。最近は地方のCMにも出演されていて、これは私も実際に見たことがあるんですが、確かアウトレットモールの……。
「CM? そうか、そんなものにもアイツは出演していたのか」
――えぇ、頑張っていらっしゃるみたいですよ。アナタとYURINAさんは、幼馴染ということで間違いないですか?
「あぁ、保育園の頃からずっと一緒だった。あと、もう一人……いや、これは今は関係ないな。脱線した、経緯に戻ろう」
――はい、お願いします。
「その日、俺はアイツの……YURINAの……度々すまん、愛称で呼んでもいいか? どうもその方が慣れてるんでな」
――えぇ、構いません。
「助かる。俺はアイツのことをマサカドと呼んでいてな。以後、そう呼ばせてもらうことにする」
――” マサカド ”ですか? 随分と個性的な愛称ですね。
「胸が無くて平だから、平将門、そこからマサカドというあだ名にした。意味なんて有って無いようなもんだが……アイツをそう呼ぶと、” そんな名前で呼ばないでよ ”と、怒って元気になったからな。中学三年の頃に名付けたんだ」
――そうでしたか。
「そのマサカドの撮影の付き添いで、あの日は南山動物園に朝早くから行ってたんだ。アイツが専属モデルの一人を務めることになったVERRYという雑誌で、名古屋市内のデートスポットを紹介することになったらみたいでな」
――VERRY、愛知県内で月に一度発売されている、女性向けの雑誌ですね。
「まぁ、そんな感じだ。マサカドは今こそ立派にモデル業をやっているかもしれないが、小さい頃から臆病でな。大学生になってモデルに復帰したのも、確かそんな自分を変えたいと思ってのことだったと記憶している。復帰と言ったのは、アイツは小学生の頃にも通販カタログのモデルをしていたからだ」
――小学生の頃に、なるほど。
「だと言うのに……久しぶりの大きな仕事で心配だからとせがまれ、しょうがなく着いていったんだ。マネージャーに頼み込んで、雑用係として」
――仲がいいんですね。
「どうだろうな? ひょっとすると、そうなのかもしれない」
――それで、動物園で撮影をしている最中に隕石のようなものが飛来したと?
「そういうことになるな。まったく現実感がなかったよ。撮影クルーの一人が空を見て何か叫んでいたんだが……すぐ近くに降って来るなんて思いもしなかった。隕石が上空で風を切る音を聞きながら呆気に取られていると、暫くして凄まじい爆音が聞こえた」
――それから、現場に向かわれたのですね。
「撮影が一時中断されて、カメラマンもいたし、第一発見者になれると撮影クルーは浮かれていた。それこそ、動物園の関係者は顔を真っ青にしていたがな。不幸中の幸いで、隕石は植物園の方に落ちたことが分かったんだが……」
――隕石のような物が落ちた場所は、すぐに分かりましたか?
「植物園の木がなぎ倒されていたからな。分かり易かったと言えば、分かり易かった。ただ凄い砂ぼこりで、中心がどうなっているのかまでは見えなかった。カメラマンの男はかなり張り切っている様子で、一人で前に出てシャッターを切っていたんだが……男が怪物と化したのは、それから直ぐのことだった」
――宗形敦さん、当時三十二歳。職業、カメラマン。その方が一連の事件の最初の……。
「あぁ……最初の被害者だった。あまりにもカメラマンの男が浮かれていたんで、つい視線を向けていたんだが、突然、砂埃とは違う煙のようなものに男が包まれた気がしたんだ。目の錯覚かと思ったが、その後、男の動きが急に止まった。カメラを持っていた手を下げて、虚脱したような感じになったんだ」
――煙のようなものに包まれた後に……なるほど。それで?
「様子が変わったのを不審に思ったのか、他の撮影クルーが呼びかけたんだが、反応がなかった。マサカドは俺の後ろで心配そうにしていたよ。すると男の体が小刻みに痙攣し始め、ベキベキと骨が砕かれるような……嫌な音がし始めたんだ」
――嫌な音……ですか。
「人間の尊厳を鼻で笑うような、そんな音だった。場違いにも、男がカクカクと奇妙なダンスを踊っているような印象を受けた。だが違うんだ。体を徐々に作り変えられていたんだ。俺の体は言うことを聞かず、悪寒も止まらなくて、ただ漫然とその光景を眺めていることしか出来なかった。熱でもないのに頭が朦朧として……あんな経験は、生まれて初めてだった」
――そうやって、ドーキンスの悪魔一号が誕生したんですね。
「まさしく” 悪魔 ”と呼ぶに相応しい奴だったよ。赤く発光する禍々しい両眼に、黒い甲冑のようなもので全身を覆った巨大な体。俺の身長は百七十七センチだが、奴の身長は恐らく二メートル近くはあったと思う。腕と足も二つずつで、形こそ人間のようだが、まったく違う生き物だった。そんな奴が俺たちの前に現れて、ギロリと睨みつけたんだ」
――ドーキンスの悪魔一号を前に、アナタはどうしましたか?
「明確な敵意を奴から感じた。それで、とにかくマサカドを逃がさなければならないと思ったんだ。動物園は開園前で、その場には数名の従業員と撮影クルー位しかいなかったが、皆が呆気に取られ、現実を認識出来ていないような状況だった」
――無理もないでしょうね。
「あぁ。だが俺には、皆殺しにされるかもしれない、という恐怖があった。体が言うことを聞かなかったが、どうにか“ 逃げろ! ”と叫ぶと、ハッと現実に立ち返ったような顔になり、撮影クルーや従業員は一目散に逃げ出していった」
――「株式会社セントラルモデル」のマネージャー等を含め、五人の撮影クルーが、その場から退避したようですね。爆音を聞きつけ、異変を感じ取ってその場に駆けつけた南山動物園の従業員の方も、それにつられるように逃げています。
「だが……」
――YURINAさんだけが、その場に残されていた。
「そうだ。そういう時、人はパニックになるものだ。マネージャーも含め、撮影クルーはマサカドに構う余裕がなかったんだろう。何もそいつ等が非道という訳じゃなくて、その場面に居合わせた人間なら誰もがそうなると思う。人間が我を忘れるところは、それから幾度となく見た。どうしようもないことなんだ」
――それは……そうかもしれませんね。それで、アナタはその場面で、それからどうなされたのですか?
「叫んだ後、俺もどう逃げようかと、怪物から視線を逸らさずにじりじりと後退した。だが、ふと気配を感じた。斜め後ろに視線を向けると、マサカドは腰が抜けて動けないでいるようだった。無我夢中で再度叫んだよ。“ 逃げろ! “と」
――はい。
「するとアイツは正気を取り戻して、俺を驚いた顔で見た後、震えながら頷いた。さっきも話したが、アイツは昔から臆病でな。だけど自分がお荷物になることは嫌うような、そんな奴で……必死に腕だけで、這って逃げようとしていた」
――なるほど……それから?
「怪物がマサカドに視線を向けているのを感じた。そう認識した直後、俺は奴の視線からマサカドを隠すように、前に躍り出ていた。前と言っても、奴と五メートル近くは離れていたがな」
――YURINAさんと一緒に逃げようとは思わなかったのですか?
「それも考えた。だがマサカドを抱えて逃げても、直ぐに二人とも標的にされると思ったんだろうな、その時は。怪物と目が合うと、奴は俺に襲いかかってきた」
――ドーキンスの悪魔一号と、戦闘を行ったということですね。
「戦闘、と呼べるほどの代物じゃないがな。俺は小さい頃は病弱で、そんな自分が嫌になって小学二年の頃から空手を習い始めたんだ。中三まで続けて、それからは自主鍛錬に変ったが、そこそこヤレる自信もあった。だが、襲いかかって来る触手を叩き落とすので精一杯だった」
――触手……。
「正式には何と呼ぶのか知らんが、奴の体から数本の触手のようなモノが伸びていたんだ。鞭のようにしなやかでありながら、その一撃は想像を絶するほどに重たかった。しかし何とか捌けていた。それが……慢心を誘った。目の前に集中していればいいものを、マサカドがちゃんと逃げているか気になってな。一瞬だけ、目を逸らしてしまい……気付くと奴が目の前にいた」