05.二人の理由 / 篠原黒香
――大久保さんから核を奪ったのは、どういった理由からですか?
「単純に、ユーマから戦う理由を奪おうと思ってのことです」
――戦う理由、ですか?
「ユーマは力があるから、力を持ってしまったから、戦っていただけなんです。自分が戦わなければ、誰かが死ぬから。自分が出来た筈なのに、それをやらないで誰かの愛しい人が死ぬのが、嫌だから……。だからアイツは怪物と戦っていた」
――それは、そのようですね。
「そうやって戦いながら、いつ死んでもいいなんて言ってた。でも、そんなのは駄目なんです。YURINAちゃんが、いるから。YURINAちゃんはユーマのことが好き。それは見ていて痛い位によく分かる。アイツもそのことには気付いてただろうし、アイツもYURINAちゃんのことが好きなんです。だけど過去とか記憶が邪魔をして二人の間には何も生まれない。アイツも過去に捕らわれたままになっていた」
――春澤カナタさんに、ですね。
「そう。アイツが私に揺れていたのは、カナタちゃんと私を重ねて見ていたから。小さな頃、ユーマに手を差し伸べてくれた彼女と、私が少し性格が似てたから。丁度いいタイミングで、私がアイツに声をかけたから。私が力になりたがったから」
――はい。
「でもユーマはいい加減、その娘から自由になった方がいいんです。隣にいる可愛い幼馴染に気付いて、目を向けて、手を握った方がいい。そうやって身近な人を幸福にして、家庭を作っていく。そんな健全な力が、未来が、二人にはある。命をかけて戦ってる場合じゃないですよ、ユーマは。例え周囲の人から記憶が失われたとしても、認識されなくなっても、また始めればいい。YURINAちゃんがいる限り、ユーマはそれが出来る。YURINAちゃんは、ユーマのことを、覚えてる」
――だから大久保さんから戦う理由を、力を奪った。
「力がなければ戦えないし、悔いることもない。ただ、自分が一号を倒した際に怪物遺伝子を拡散させてしまったんじゃないかと、そう考えてる節がユーマにはありました。そんなの、誰がやっても結果は変わらなかったのに。でも怪物を野放しに出来ないのも事実。だけど退治する役目は、ユーマじゃなくてもいい。他の力がある人間がやってもいい。完遂するなら問題ない。出来るだけ被害も抑えて」
――その場合、その誰かにやらせてしまっていると、苦しむのでは?
「その誰かのことも、いずれ本人は忘れちゃうとしたら?」
――それは……。
「その怪物を退治する人間も、ユーマと同じような力を持つ代わりに、戦えば戦うほど人の記憶からいなくなり、認識もされなくなったとしたら?」
――そこまで考えての、ことだったのですね。
「ユーマにもドーキンスの悪魔と戦った記憶は残るだろうし、人間の合理的な意識がそこら辺をどう納得させるのかは分からない。変なモヤモヤは残るかもしれない。自分から無理矢理核を切り離して、右腕を永久に動かなくした、誰かがいることを……。私はユーマに、とても重いハンデを背負わせてしまった」
――大久保さんの右腕は、完全に動かなくなったと決まった訳ではありません。
「でも、私が奪ったことに変わりありません。息絶えている男を見て、ひょっとしてユーマの右腕が動かなくなるかもしれないと、考えもしたんです。ただやるなら出来るだけ直ぐがいい。例えば狼狽してる、今、とか。相談しても首を縦に振らないだろうし、冷静な思考や状況を取り戻した後だと、素振りを見せたら変身を解かれてしまうかもしれない。核は不思議なことに変身した後にしかないんです」
――だから二号の核を奪った。大久保さんを戦わせて、これ以上人の記憶から彼が消えないように。ドーキンスの悪魔とは自分一人で戦うことを決めて。
「結局は、それも自己満足です。そうやって、弟が自殺するまで何も出来なかった……何も気付けなかった自分を、慰めているんです。情けない奴なんですよ」
――そんなことは……決してないです。
「あはは。気を遣わせてしまって、すいません。それで、話に戻りましょっか」
――はい、それでは十三号を倒した後のことについて、教えてください。
「腕を重そうに引きずって、ヨタヨタと立ち上がるユーマの姿を観察してました。右腕だけじゃなく、右胸辺りまで怪物化してたアイツがどうなるか……不安がなかったと言えば嘘になります。アイツは叫びながら向かって来たけど、無視して鬼さんこちらをやって、でも諦めなくて、必死で私に追いつこうとして」
――えぇ。
「それが五分くらいすると、怪物化した部分が弾けたんです。さっきの男の人と同じように。でも男の人と違い……ユーマは、ちゃんと生きてた。伸ばしてた右腕が急に垂れ下がって、驚いて咄嗟に視線を向けてたけど、ピクリとも動いてなかったから。あぁ、そっか、やっぱり動かなくなっちゃったかと、そう思いました」
――ドーキンスの悪魔二号は、十三号が消えて以降、姿を現さなくなりました
「ドーキンスの悪魔二号は、そうやって死んだんです。ユーマを説得して力を使わせないようにすれば、ユーマの右腕は今も動いていたのかもしれない。ドーキンスの悪魔が出現する際にユーマよりも早く駆けつけて倒す方法もあった。でも前者だとユーマが納得しないし、後者でも不確実性が多い。だから、そうしたんです」
――決断は、早かったのですね。
「時間は、待ってくれないから。それで決定的に、何かを無くすこともあるから」
――……その後は、どうされたのですか?
「急いでバイクに戻って、携帯電話をちょっと操作して。ユーマを置いてマンションに帰りました。それから、栄にある外国人向けのマンションにバイクで向かったんです。通帳とかお金とか、必要なものだけ鞄に入れて」
――栄にある外国人向けのマンション、ですか? それは、また……。
「そこにフランス人のモデル友達が住んでたんです。帰国してる間、安く部屋の又貸しをしてる住人が結構いるって話を聞いてて。まだ私のことを覚えてくれてた彼女に仲介を頼んで部屋を探してもらって、一か月くらいそこにいたかな」
――自宅から離れたのはどうしてですか?
「ユーマが毎日来そうだったから。オートロックだけど、アイツなら一日下で待ってることくらい、平気でしちゃいそうだし。話し合っても仕方ないことを話すのって、あまり好きじゃないんです。電話も毎日のように番号を変えて掛って来たけど、それぞれ着信拒否にしてたら、三週間くらいしたら掛ってこなくなりました」
――大久保さんとは、それっきり……。
「はい。それでもう……ユーマとは、さよならです」
――分かりました。それでは、その外国人向けのマンションで過ごし始めてからの日々のことについて、教えて頂けますか?
「はい。暮らし始めてから三日後くらいには大学に休学届けを出して、本を読んだり、仕事をしたり、レッスンに通いながらして過ごしていました。ユーマから電話が掛ってこなくなって、一週間後にはマンションに戻りました。ユーマが下で待ってるようなこともなくて……完全に、役者は交代したんです」
――それから黒香さんは、ドーキンスの悪魔と一人で戦っていたんですね。
「そういうことになりますね。一人じゃちょっとヤバい時もありましたけど、何とか怪物は倒せてました。出来るだけ迅速に動けるように、知り合いが私を覚えてる内にバイクを改造してもらって。怪物の被害も最小限にしようとして」
――その、ヤバイ時というと、具体的には……。
「ご存知かとは思うんですけど、腕を変身させると全身が凄く頑丈になるんです。信じられないくらい空高く跳躍することも出来ました。ある程度の傷なら、あっという間に修復することも出来た。ただ、思わぬ攻撃を受けたりすると……ね。それでも左腕から体に向けて怪物遺伝子が侵食していけばいくほど、確実に力は強まっていきました。私の剣、なかなか強かったんですよ」
――黒香さんの戦闘の映像も、拝見させて頂いたことがあります。手を斧のようなものに変えていた、確か十六号との戦闘のものだったと記憶しています。
「いましたね。私はユーマみたいに格闘技の経験もないから、速さを活かして逃げ回って、隙を衝いて攻撃するスタイルだったんですけど。斧の奴は頑丈だったな」
――そのような印象を私も受けました。話を戻して、漠然とした質問になってしまうのですが、当時、黒香さんはどれくらいの人の記憶の中にありましたか?
「そうですね。一人で戦い始めてから、二体目までは仕事も何とか大丈夫でした。親しくしていたスタイリストさんが、怪訝な目で私を見てきたのが三体目を倒した後。その頃には徐々に徐々に色んな人の記憶から消えちゃってて、四体目を倒した時には、マネージャーからも完全に忘れられてましたね。誰あれ状態で、酷いのになると、私がそこにいることすら分からなくなってました」
――黒香さんが一人で戦い始めて、一体目が十四号、二体目が十五号。ということは、四体目の十七号を倒した時には、もう……。
「殆どの人から忘れられていたんだと思います。それでモデル活動は実質的に休止です。ホームページに名前は掲載されてて、事務所にも間違いなく在籍はしてるんです。それでも仕事は何の違和感もなく、私じゃなかったらその娘がやるだろうなって感じの娘が継いでて、YURINAちゃんも私の仕事を何個かやってました」
――そうでしたか。それからは日常を、どのようにお過ごしになったのですか?
「人の記憶から抜け落ちたり認識されなくなっても、ちょっと習慣が変わっただけです。住んでいる部屋が急に空き部屋として扱われないか心配だったんですけど、そういうこともなくて。とにかく住居はあったので、のんびりやってました」
――確か、電気やガス、水道、そういった生活インフラも機能していたんですよね。ちなみに食糧に関しては、どのように用意してらっしゃったんですか?
「スーパーのセルフレジを利用してました。私が手にしたものも相手の認識から消えちゃうみたいで、普通のレジでは駄目だったんです。ただ機械はちゃんと相手をしてくれて、セルフレジなら清算も出来たし、お金もATMで引き落とすことが可能だったんです。私、派手な買い物とかはしないタイプなので、大学生にしてはそこそこ貯金はあったんです。だから、なんとか」
――なるほど。衣食住に関しては、なんとかなっていたと。
「それで時間だけはあったから、折角だから今まで出来なかった料理に挑戦したり、映画をネットで見たり、ちょっと格闘技のことも勉強したり。怪物の気配を察知したら現場にバイクで向かって、倒して……そうやって過してました」
――警察にドーキンスの悪魔を任せようとは思いませんでしたか?
「ユーマには警察を頼ったらと言ったこともありましたけど、実戦して分かったんです。任せたら、死んじゃう。悪魔を倒せるのは悪魔だけ。私のことを打ち明けようとしても、多分、信じて貰えない。それに一人の方が、気楽な面もありますし」
――気楽……寂しくはありませんでしたか?
「どうでしょう。目の前で社会は流動してるのに、自分だけその流動から取り残されているような感じ……かな? そういったものなら確かにありました。でも、あぁ、これが祐希がいた世界かもしれないって、そう思ったんです」
――弟さんの?
「えぇ、シカトされて、苛められてた……アイツの。祐希の方が、もっと酷い世界に生きてたと思います。シカトされるだけじゃなくて、酷いこと、されてたみたいだし。でも少しだけ、安心したって思ったんです。全てが同じじゃないけど、死ぬ前に、こうして祐希と少し似た世界を体験出来て、安心したって。この世界がずっと続くのかと思ったら、ほんの少しだけ、胸の内が寒くなったこともあったけど」
――人はそれを、“寂しい”と呼ぶのではないでしょうか?
「突然ですけど、フランス人って、ある時まで肩こりがなかったみたいですね」
――フランス人が? あぁ、肩こりという概念が存在してなかった話ですね。
「そう、それと同じです。私は寂しさという概念を、ことさら名前を付けて自分の中で立ち上がらせたり、意識を向けさせたりしたくないんです。人は一人で生まれて、一人で死んでいく、ただそれだけ。その最中に誰かと親しくなって、自分が一人だということを忘れてしまう。でも寂しさって、状況じゃなくて、存在そのものと同義だと思うんです。寂しさからは、結局、人は一歩も外には出られない」
――寂しさを、そうやって受け入れていると、そういうことですか?
「受け入れているというよりも、当たり前のものだと考えていたんです。人間存在のゼロの状態。ゼロをゼロのままにして、そこに苦痛を見出したくない。ゼロはゼロ以上でも以下でもなくて、そこに意味づけをしたくない。ただ漠々とした胸の内の広がりを見つめながら、口角をあげて、一人、生きる。自分で自分を楽しくさせて、自分で自分を肯定して、自分が自分であり続ける。それはきっと、悪じゃない。自己欺瞞は、きっと……悪じゃない」
――黒香さん……。
「それが一人で、楽しく生きていくコツだと思ってたんです。ある時まで、は」