03.誕生する新たな悪魔 / 篠原黒香
――怪物遺伝子を左腕に宿そうと思ったのは、何故ですか?
「色々と考えた末の、一つの結論です。もっとも、上手くいくかどうかはやってみるまで分からなかったんですけど、試してみる価値はあると思ったんです」
――色々と考えた末、と仰いますと。
「ユーマは……自分はいつ死んでも構わないって、そう言ってました。私はそんなアイツを放っておけなかった。アイツのいうところの、個人的な感情で」
――それは、大久保さんのことが、大切だったからですか?
「……そういう面もあったかもしれません。私、こう見えてあんまり恋愛経験ないんです。人生に意味はないから、楽しんじゃえばいいと思うんですけど。ただその一方で、ありふれた幸せとか、そういう幸せが持つ力に、憧れたりもしてました」
――ありふれた、幸せ? 幸せが持つ力……ですか?
「何気ないこと。普通なら見過ごしちゃうようなこと。家族を作って、それなりに問題を抱えながらも、明るく平々凡々と生きていく。そういう、それを失った人間じゃないと気づけない幸せ。その幸せが持つ力。私は家族や友人、自分の周りの人間を幸せに出来る人を、尊敬します。それは残念ながら私には無い力。でもユーマには、そういう力がある。気付いてないだけで、アイツにはそういう力がある」
――黒香さんのご家族について、尋ねても、宜しいですか?
「あれ? あはは、調査はしてるんですよね?」
――はい、すいません。職務なので、一応は調べさせて頂いております。
「だったら知ってるんですよね。祐希が、事故や病気で死んだんじゃないことも」
――えぇ。
「……苛められて、自殺したことも」
――…………はい。
「祐希は、私が殺したと思ってる……って言ったら、驚きますか?」
――それは、どういう意味ですか?
「例えば今日も新聞で、人の生き死にに関わる色んな事件が報道されてる。人間って不思議ですよね。一日でも長く生きる為に頑張る人もいれば、一方で死にたがったり、殺したりする変な生き物で……勿論、その事件を起こしたのは本人が悪いと思ってます。でも、もしもその人の隣に、誰かその人の理解者がいたら?」
――衝動的に、犯してしまう……事件もあります。
「それもそう。でも私は、こう思うんです。あぁ、この人の隣に、ううん、隣じゃなくてもいい。この人に誰か悩みを話せる相手がいれば、こうはならなかったのかもしれないって。新聞を眺めてるだけの人間の戯言で、残された家族にはそんな言葉、失礼に当たるってことはよく分かってます。でも思ってしまうんです。事件を起こしたくて起こしてる人なんて、きっといない。狂ってる人もいるかもしれないけど、そういう人は例外で、誰か悩みを話せる相手がいれば違っただろうなって」
――それは弟さんがお亡くなりになる前から、お考えになっていたんですか?
「祐希が死んじゃってから、かな。そういう風に思い始めたのは。遅すぎますよね。いつの頃からか家族はバラバラで、誰も祐希に構ってあげられなくて……。あんなに憎み合っていたのは、その分だけ、愛し合っていたからなんですかね?」
――愛し合って、いたから……?
「私の両親、私が小さい頃はすっごく仲が良かったんです。自慢のパパとママだった。でも、私が小学校の高学年になった頃かな。パパの会社の景気が悪くなって、ママが働き始めて、少しずつ、色んなことが噛み合わなくなっていったのは」
――そのことについて、お伺いしても?
「初めて目にした二人の喧嘩の切っ掛けは、凄く些細なことでした。夕飯の献立の、マカロニの茹で具合とか、そんな、訳の分からない。私と祐希は二人が怒鳴り合う姿を茫然と眺めていて、震えてたけど、アイツは泣かなかった。ただその日から、感情的に怒鳴り合う喧嘩が頻繁に起こるようになって、かと思えば急に仲良くなって、また喧嘩して。でもゆっくりと着実に二人の仲は下降していくんです」
――はい。
「喧嘩になると、二人は過去の失敗を殊更に取沙汰して、自分のことは棚に上げて、相手の欠点を執拗につついて、相手の心を折ろうと腐心してました。憎しみ合うと、人間はこんな言葉だって言えるのかと感心しちゃうくらい、残酷な言葉の応酬もしてて。私は慣れてうんざりしてたけど、祐希はずっと怯えてた」
――それは弟さんが、私立の中学に入られた時にも、続いてたんですか?
「えぇ。祐希の私立が原因で、激しく言い合ってもいました。私と祐希は三つ離れているので、私が高校一年の頃でした。当時はもう、本当に家が嫌で嫌で仕方なくて、家に帰りたくなくて。でも不良みたいにフラフラするのも嫌いで、そんな時に今のモデル事務所の人に声を掛けられて、レッスンをすることにしたんです」
――確か、スパイスガールでモデルを務めたのが、初めてのお仕事でしたよね。
「よく調べてますね。別の世界に入るのは、やっぱり楽しくて、夢中になってレッスンしたり、新しい友達と交流したりしてました。うちの会社、東京にも事務所を構えてて、たまに向こうの雑誌に参加したりして、楽しかったな。そうやって私は家族から逃げてたんです。両親の不和から目を逸らした。祐希一人を残して……」
――弟さんが苛められていたことは、ご存知でしたか?
「いえ、顔を合わせる度にヤツれていくような気はしてたんですけど、あまり気にしてませんでした。小さな頃は、とっても仲が良かったんですけどね。ダメなお姉ちゃんだった。でも、一度……一度、祐希が廊下で、私に話しかけようとしてきたことがあったんです。何かにじっと耐えるような表情で、悲しく笑いながら」
――そうでしたか。
「ただ、顔を合わせていると、また両親の喧嘩が始まる声が聞こえてきて……。私、レッスンがあるから行くねって、バイバ~イって背を向けて、手をヒラヒラさせちゃったんです。祐希一人を、家に残して……」
――はい。
「それから、一週間もしない内でした。祐希が、地下鉄に飛び込んだのは。その後の詳細なことは、ちょっと言いたくないかな。って、もう調べてるか。あはは」
――それは……えぇ。
「学校は、苛めはなかったって言い張ってて、記者も結構家に来てました。パパとママの凄いところって、外では夫婦の不和を悟らせないようにしてたところなんです。怒鳴り合う声も外に漏れないよう調整してた。二人は祐希の自殺が、家庭内の不和にあったかもしれないって追及されるのを恐れて、仲の良い夫婦を必死に演じてました。私は目の前が真っ暗になって、祐希が私に何か言おうとしてた姿がこびりついて、離れなくて……たまに夢にも見て……そうやって、ずっと、生きてた」
――つまり、祐希くんの話し相手になれていれば、自殺はなかったかもしれないと。それが、自分が弟さんを殺したと思う理由だと、そういう訳ですね?
「そうです。そして、それは多分。きっと……正しい」
――それは、誰にも分かりません。
「ううん。私だけは、分かってるんです」
――可能性の話です。
「私だけが、祐希のお姉ちゃんだった」
――全ては、不確実です。
「私だけが、祐希の話を聞いて、自殺を防げた」
――黒香さんのお考えは……十分に、よく、わかりました。
「あはは、すいません、こんな話ししちゃって」
――そんな、私がお聞きしたことですから。
「それで、何の話をしてたんでしたっけ? そうか、ユーマだ。ユーマの話だ。私はあの日、苦しんでるユーマの話を聞けて、凄くよかったと思いました。自己満足なのは承知してます。でも、本当によかったと思ったんです」
――それは、どういう意味で?
「もう絶対に……目の前で苦しんでる人間を、見殺しにはしない」
――だから自分もドーキンスの悪魔となって戦おうと、そう思ったのですね。
「はい、アイツが完全に人から忘れ去られる前に、怪物退治に協力しようと思ったんです。仮説だけど、変身して力を行使する度に人から忘れ去られていったとするなら、力を使わなければこれ以上忘れられることはない。もしくは使う力が抑えられれば、記憶から消える量が減るかもしれない。結果、それは正しかった」
――いつ死んでもいいなんて言うなと、そう大久保さんに仰ったのに。自分が人から忘れ去られることは、死ぬかも知れないことは良いと、そう仰るのですか?
「えぇ、私のエゴで。本当に生きる理由がないのは私の方で、アイツじゃない。アイツには、YURINAちゃんがいる。怪物退治は別にユーマじゃなくてもいい。力を持った人間がいるのなら、その別の誰かが代わりにやってもいい。その誰かが人から忘れ去られたとしても……私は、それがいい」
――そう……ですか。それで、大久保さんをマンションに呼んだのですね。
「そこで“私も一緒に戦う”って、そう伝えました」
――大久保さんは、どう反応しましたか?
「狼狽して、馬鹿なことを言うなって、そう言ってました。だから説得しようとしたんです。弟のことは伏せて。でも納得しようとしないから、迷ったけど、こういう時には恋愛を持ち出すのが一番効果的だと思って、ユーマのことが好きなんだよって、力になりたいんだよって伝えたんです。百パーセント嘘ではなかったし。その時には、ユーマがカナタちゃんと私を重ねて見てるんだってことには気づいてました。するとアイツ、凄く焦って驚いて、でも少しだけ、弱さが瞳の奥で踊ってて」
――ドーキンスの悪魔になれる、確証はあったのですか?
「それもやってみないと分かりませんでした。ただ、ユーマの話を聞く限り、怪物には核みたいなのがあって、それが怪物を増やす素になっているかもしれないってことでした。ユーマは南山動物園で怪物の目に指を突き入れ、手に何かが付着して右腕から怪物になった。その怪物は顔が割れて核のようなものを射出した。ユーマの指先がその核に触れていた可能性は高い。そしてユーマは変身すると、二の腕辺りに何か大切なものが、核のようなものがある気がするとも話してました」
――大久保さんと、そこまで話していたのですね。
「あとはエゴとエゴのぶつかり合いです。私は何時間でも粘るつもりでした。何度断られても、実験してみるつもりでした。ただ、その場からユーマは逃がしちゃいけない。この場で決めないといけない。結論だけいうと、ユーマは折れました」
――それで、どうやってドーキンスの悪魔に?
「普通二の腕って、同じ腕から伸びてる指だと触れないですよね。でも変身したユーマの爪みたいになった指なら届いたんです。それで、腕の装甲をユーマが唸り声を上げながら削って、削って、核が見えたら私が左手の指先を核にめり込ませて」
――それからのことは、覚えていますか?
「えぇ、心臓の鼓動みたいに強い脈動を腕に感じたと思ったら、眩暈に襲われて、それでも、はっきりと覚えてます。視界が度の強い眼鏡をかけたみたいにボヤけていく中で、変な音を上げながら左腕が膨らんで、黒く変化していったことを」
――そうやって誕生したのですね。ゼロ号を除き、観測された八体目の悪魔が。
「そうです。黒い悪魔。ドーキンスの悪魔八号の、誕生ってわけです」