02.二号の正体 / 篠原黒香・大久保悠馬
――ドーキンスの悪魔と大久保さんが戦う姿を目撃した日のことについて、詳しく教えて頂けますか?
「アイツと飲んでから、これも二週間くらい後のことだったと思います。大学でお茶をしてる最中、突然アイツが険しい顔をして、その場から走り去ったんです。トイレだ、とか言って。私は呆気に取られてたんですけど、YURINAちゃんは不安そうな深刻な顔で、何か知ってそうな雰囲気でした。でも必死に取り繕ってて」
――藤崎さんは、南山動物園でドーキンスの悪魔一号と遭遇していました。三号が現れた時も、大久保さんと一緒にバイクに乗って現場にいかれ、それで……。
「そうみたいですね。その時は騙されてあげようと思ったんですけど、やっぱり気になっちゃって。じゃあ私は帰るねってのんびり言って、外に出たら急いでユーマの後をつけました。アイツは駐輪場に駆けつけるとバイクに跨って、私も趣味がバイクで大学までそれで来てたから、急いでエンジンを始動させて後を追って……」
――その日、大学から西に十五キロほど離れた緑地公園内に、ドーキンスの悪魔五号が現れました。出現して僅か数分後に二号が現れ、頭部の核を破壊して殲滅。監視カメラの映像と数名の目撃者を残し、被害者もなく事件は終わりました。
「私も物陰から、その光景を見ていました。灰色のグロテスクな怪物と、大きな赤い右腕を振り回して戦う……すごい形相の、ユーマの姿を」
――重要な点になってきますが、黒香さんはその時、大久保さんを怪物ではなく、“右腕だけを赤く変身させた大久保さん”として、認識出来ていたのですね?
「はい。間違いなくあれはユーマでした。初めは何かの冗談だと思ってました。こんなことが現実にある筈ないって。でも、戦ってるユーマの苦しそうな顔を見ると、短い付き合いだけど、アイツはそんな顔を演技で見せる奴じゃなくて。それが現実に行われていることなんだって、理解しました。大概のことには私、物怖じしないんですけど、久しぶりに足が震えました。懐かしい、怯え、だったかな……」
――無理もないと思います。私も大久保さんが戦っている映像を見たことがあります。まるで早送りをしているようなスピードで行われる戦闘は、凄絶で、しかし重量感が確かにあって。命をかけ、殺し合っている。
「そうやってアイツは七号まで、六体の怪物と一人で闘ってたんですよね。いつ死んでもいいなんて言って。格好付けすぎで、本当、仕方ない奴」
――それは……いえ、話を戻しましょうか。その光景を目撃したことが契機となり、黒香さんと大久保さんの関係がまた一つ、変化した。
「そうなりますね。YURINAちゃんが誤魔化そうとしてたのにも納得がついて、私は一足先にその場から去って、色々と考えながらユーマのバイクと自分のバイクを並べて待ってました。石コロを蹴飛ばす音が聞こえて、顔を上げると驚いた顔をしたアイツがいて。それも僅かな間で、見たことのない、険しい顔に変わって……」
――えぇ。
「見たのかって聞かれたから、見たよって答えると、じっと瞳を覗き込んできました。幾らでも道はあった。ユーマを待たず、そのまま去ってもよかった。何も知らないフリして、ヤッホ! って二人と遊び続ける道もあった。でも私は……見過ごせなかった。必死になってアイツが戦う姿に、弟の悲しく笑う顔が被っちゃって」
――弟さん……篠原祐希くんですね。十四歳の秋にお亡くなりになった……。
「足が震えたのも、祐希が死んだのを知らされた時以来で。私は弟が死んじゃった頃、自分に必死で、構ってやれなくて。そうやって弟のこととか考えながら目を合わせていると、フッとアイツが息を抜いて、苦しそうに悲しそうに笑うんです」
――それは藤崎さんに見せる笑顔とは、全くの別物だったのですね。
「はい。これが素顔のユーマかって、そう思いました。夜の公園で、自分の感情を持て余していたような、迷子になっていたような、そんな顔をしてたユーマの」
――はい。
「それからあの怪物のことを尋ねると、アイツは教えられないって、今日のことは忘れろって、そう言うんです。でもここで諦めたら後悔するだろうなって、そう思って。教えてくれないなら、これからずっとユーマの後をつけるよって答えると、随分と間を空けてから、ついて来いって、バイクにエンジンをかけてそう言ってきたんです。結局私が住んでるマンションの近くの公園に行って、話を聞きました」
――どんな、話を?
「隕石が南山動物園に降って来てからのことを。怪物が現れて、ユーマがYURINAちゃんを逃がす為に戦って、同じような力を右腕に宿したことを。なぜか怪物が現れるのを察知出来て、もう四体も怪物を倒していることを。それから――」
――大久保さんが、人の記憶から消え始めているかもしれないこと、ですね。
「そうです。YURINAちゃんはしっかりアイツを認識してて、記憶だってある。でもユーマが変身すると、皆がユーマをユーマとして認識出来なくなる」
――赤い怪物になってしまう。
「それだけじゃなく、変身した後、周りの反応がおかしくなるって話してました。大学で知り合った人がユーマのことを忘れたように振る舞ったり、暫く思い出せなかったり……。YURINAちゃんや家族相手では起きないことが、起きている」
――その話を聞いて、黒香さんはどう思いましたか?
「一度、自分の常識を停止する必要があるなと思いました。凄く、邪魔になるんですよ。科学的な認識とか、既存の社会の文脈とか、そういったものが。だからそういったものを全部停止させて、ありのままを受け入れようと思いました」
――異文化理解の態度、でしょうか。例えばインドにいったら、自分の中で培われた社会常識を意図的に停止させ、現地人と共に素手でご飯を食べるように。
「それに近いかもしれません。とにかくその時は、全てを受け入れる為に自分の常識を停止させる必要があった。話を全部聞いて、そっかって言うと、ユーマは驚いた顔をしてました。お前、信じるのか? って。信じるよ、ユーマのことだもん。そう言うとアイツは、ちょっと震えて、私を通じて他の誰かを見ているような、そんな眼差しで私を見始めました。夕陽が綺麗で、その時に私は決めたんです」
――どんな、ことを?
「私がコイツを、守ってやろう……って」
* * *
――黒香さんがあなたの話を信じると仰ったとき、どう思われましたか?
「……不愉快に、気持ち悪く聞こえるかもしれないが、」
――そんなことは、いえ、はい。
「コイツはやっぱり、カナタなんじゃないかと思った。うまく、理路整然とは話せないが、死んだ筈のカナタがコイツの体を借りて、俺に、俺に会いに来てくれたんじゃないかと。救いの手を差し伸べに来てくれたんじゃないかと、そう思った」
――あなたに救いの手を差し伸べる役目は、藤崎さんでは出来なかった?
「俺は、マサカドの前では笑ってないといけない。笑う必要がある。大丈夫だと、心配するなと、カナタがいない世界でも、俺たちは大丈夫なんだと、そう言うようにな。本当は……俺に生きる理由なんて、ない筈なのに。そうやってこの世界に必死にしがみついて、やっていた。ユリに、マサカドに甘える訳には、いかない」
――そうでしたか。ただ、彼女は、
「ん?」
――泣いてばかりの、自分を失い、部屋に閉じこもっていた頃の少女では、もう、ないのかもしれません。きっと、大久保さんが助けを求めれば、
「…………」
――あっ……す、すみません。私は最低の人間だ。当事者でない癖に、知った風なことを。本当に、何とお詫びすればいいのか。申し訳ありません。
「いや。いいんだ、そうじゃないんだ。頭を上げてくれ。いや、ください」
――ですが……。
「そうだったのかも、しれない。いや、きっとそうだったんだ。アンタの言う通りだ。求めればよかったんだ。助けてくれと。もう、ユリは、昔のユリじゃない。ただ俺は、どうしようもなく……弱かったんだ。生きることに、弱かったんだ」
――大久保さん。
「だが……死ぬことは怖くなかった。俺は個人的な感情で戦っていただけなんだ。誰かを守りたいとか、命を救いたいとか、そういう風に思った訳じゃない。俺には力があった。そして一号の核を弾けさせたのは、やっぱり、俺なんだ。そうした中で、自分はやれるのに力を発揮しないで、カナタみたいに、誰かにとっての愛しい人間が死ぬのが……嫌だった。自分が嫌だから、戦っていただけなんだ」
――だからあなたは、藤崎さんに助けを求めることが出来なかったと。藤崎さんが止めても、警察に任せようと言っても、一人で戦っていたんですね。
「そうだ」
――しかし、黒香さんが……カナタさんの面影を持つ彼女が、あなたの理解者になってくれた。あなたを受け止め、夕方の公園で、話を聞いてくれた。
「あぁ」
――公園での会話の続きを、教えて頂けますか?
「アイツにどうして戦っているのかを聞かれ、答えた。カナタのことも含めてな。ただ、アイツにカナタが似ているとは、言わなかったし、言えなかった」
――あなたの話を聞いた黒香さんは、どうしましたか?
「……これからも戦うつもりなのかと質問してきた。そうだと返した。警察に頼るべきだと諭された。それは出来ないと反論した。死んでもいいなんて軽々しく言うなと、生きることを考えろと、そう言われた。何故だと、そう聞き返した」
――そうしたら、黒香さんは……。
「残された人間のことを考えろ、と、そう、言われたよ」
――そう、でしたか。それで、大久保さんは。
「マサカドのことが脳裏を過った。同時に、それまで恐れて見ないでいたものが、眼前に現れた。そのマサカドすら……俺のことを忘れたら? それこそ、生きる必要なんて、ない。アイツはもう、俺がいなくても立派にやっていける。むしろ俺がいると、カナタのことを思い出す。アイツを外に連れ出すのが俺の役目だった。ならもう、その役目は果たしている。だったら、それこそ……」
――…………。
「いつ死んだって、構わない」
――そういう風に……思われていたのですね。
「すまんな、暗い話をしてしまって」
――いえ。
「とにかく、そういう話をした。そうしたらな。アイツに……頬を叩かれた」
――黒香さんに?
「何が起こったのか分からずに茫然としていると、胸倉を掴まれた。そして言われたんだ。“お前みたいな奴は幸せにしてやるから、覚悟しておけ”と。幸せになった俺を見て笑ってやる、と、そう言ったんだ。お前は今そんなに幸せそうなのに、昔はあんなことを考えてたんだぞって、恥ずかしいだろって、そう言って必ず笑ってやるって。だから二度と、死んでもいいなんて軽々しく言うなと、感情をあらわにして、言われた」
――幸せに、してやる。だから、彼女は……。
「自分を支えていた一本の柱が折れる、乾いた音を、聞いた気がした。それ以降、俺はアイツに甘えるようになってしまったんだ。学校を休学しようか迷ってたんだが、通い続けるべきだと言われた。俺は携帯電話を持たない人間なんだが、無理やり玩具みたいなのを持たされて、何かあったら電話しろと言ってきた」
――えぇ。
「アイツも学生やりながらモデルの仕事をしてて、撮影だレッスンだと忙しい筈なのに、毎日のように電話をかけてきてな。俺はカナタが死んでから、いつも出来るだけ、笑おうとしていた。でも本当は、悲しかったんだ。どんどんカナタのことを忘れていく自分が。何気ないことで本当に笑って、夢中になって、そうやって、カナタのいない世界を受け入れ始めている自分が。カナタがいないことを、悲しく思えない自分が。悲しくなくなることが、悲しかった」
――はい。
「それなのに、アイツとの日々で、久しぶりに心が満たされるのを感じた。それに気づくとまた苦しくなって、悲しくなって、でも俺は、やっぱり、嬉しかったんだと思う。だがその一方で、ドーキンスの悪魔が現れるのはどうしようもなかった」
――それからも六号と七号が名古屋市内に出現し、二号である大久保さんが全て倒していた。警察では、どうすることも出来なかったんです。特殊部隊も後手に回るばかりで……ドーキンスの悪魔を倒せるのは、ドーキンスの悪魔だけだった。
「怪物を倒した後にだけ……俺は自分からアイツに電話をした。俺のこと覚えてるかって、暗に確認する為に。アイツは直ぐに俺を俺だと認識出来たが、七号を撃破した後には、ついに大学の皆が俺のことを完全に忘れ、認識が困難な状態になっていた。アンタの言葉を借りるなら、力と引き換えに存在情報を食われていたんだ」
――大学の友人に……なるほど。そのことを黒香さんに話したんですね。
「そうだ。アイツから電話がかかって来た時に、尋ねられてな」
――そうして、黒香さんのマンションに呼び出された。そこで……。
「アイツをドーキンスの悪魔八号と呼ばれる存在に、させてしまったんだ」