11.二人の絆 / 大久保悠馬・藤崎由梨
「俺は戦いながらも……再び、生きることを考え始めた」
――ゼロ号を含めた、残り七体との戦いですね。
「アイツに“ 見えてる ”と言われるんじゃ、格好悪いところは見せられないからな。公園暮らしは変わらないが、出来るだけ清潔でいるよう心がけ、戦い続けた」
――えぇ。
「一か月に一度発売される、VERRYの雑誌を立ち読みすることを楽しみにしてな。そこには毎月、マサカドが載ってるんだ。姿を見る度に、アイツも頑張ってるんだなと、静かな勇気を貰ったりもした」
――VERRYを……そうでしたか。そうやってアナタは生き抜いていたんですね。ドーキンスの悪魔たちと、命がけの死闘を繰り広げながら。
「まぁな。十八号を倒してマサカドと会ってからは、死んでもいいとは決して考えないようになった。生きるのに必死だったが……悪くない気分だった。そして、そんなマサカドと二十一号を倒した後にまた会ったんだ。新年を迎えて二、三週間経った頃で、朝の時間帯、カナタの墓参りをしている時のことだった」
――カナタさんの、お墓参りですか。
「十七号を倒す少し前の頃からだと思うが、マサカドが週に一度位のペースで、カナタの墓参りに来ていたようなんだ。命日でもないのに、墓の前が掃除してあったり、花が替えられているのが不思議だったんだが……。その日、それをやっているのがアイツだと分かったんだ」
――その変化に気づいたということは、アナタも随分前からカナタさんのお墓に来ていたということですね。
「マサカドが俺を忘れて暫くした後、誘われるようにな。それ以来、ずるずると通っていた。以前はそうやって死者に甘えていたんだが、十八号を倒してからは、前向きな気持ちで墓前に立っていた。しかしマサカドと鉢合わせるのは初めてだった。鉢合わせと言っても、俺はアイツの気配に気づくと直ぐに隠れたがな」
――そうでしたか。YURINAさんの様子はどうでしたか?
「何かぶつぶつと独り言を呟きながら、熱心に手を合わせていたよ。ドラマじゃあるまいし。まったく」
――嬉しそうに話しますね。何かあったんですか?
「ん? あぁ……マサカドの独り言の中に、俺の名前を聞いたんだ。俺を見守ってくれと、アイツはカナタに祈っていた。上手く言葉に出来ないが、胸に来るものがあった。本当に俺のことを覚え続けてくれたのが嬉しくてな、だが同時に、どうやってアイツが俺のことを記憶に留め続けているのか、気にもなった」
――それは、確かに気になりますね。
「だからその後、こっそりとアイツを着けてみることにしたんだ。何か秘密があるのかもしれないと思ってな。まぁ、マサカドには俺の姿が見えないかもしれないから、こっそりする必要はないんだが……ちょっとした遊びみたいなもんだ」
――ははっ、それからYURINAさんは何処に向かわれましたか?
「どうやら地下鉄で、大学に向かおうとしているようだった。俺もドーキンスの悪魔がいつ現れてもいいように、バイクで大学に向かった。それから大学でマサカドを見つけて、再び後を着けたんだが……真面目な大学生の一日を送っていたよ」
――YURINAさんは随分と目立つ生徒でしょうね。あの容姿ですから。
「入学当時は、それで色々とあった。皆、自分の日常や価値観が脅かされるのを恐れるからな。見た目だけで明らかに違う世界の人間と分かる奴は、無視されたり排除されやすい。だから中々友達が出来なくてな、苦労していた」
――そんなことが……しかし、理解出来る事柄です。人は自分の住む世界の均衡を、無意識に守ろうとしますからね。
「そうだな。その時もそれは変わってなさそうだったんだが、それでも周りと上手くやろうと、一生懸命頑張っているようだった。恐らく他の学部の女だろうが、微かにしか見覚えのない奴とも楽しそうに昼食を取っていたよ。あれには驚いたな」
――それで、何か秘密は見つかりそうでしたか?
「いや、特に見つかりそうもなかった。もともと、大して期待していた訳じゃないしな。ただ、マサカドが一人で解放科目の講義を受けている時、直ぐ後ろの席に座ってみたんだ。その時、アイツが携帯を取り出して画面を凝視しているのに気付いてな。気になって覗き込んで、思わず目を見開いたよ」
――何かが、そこにあったのですね?
「あぁ。懐かしい、本当に懐かしい写真が待ち受けに登録してあったんだ。俺とカナタとマサカドが、家の近所の公園の砂山で遊んでいる、保育園時代の写真がな」
――保育園時代の写真が……そうですか。
「胸が詰まる思いがして、暫く呼吸が出来なかった。そのままゆっくりと椅子の背もたれに寄り掛かって、息を吐いたのを覚えている。甘いような切ないような、苦しいような思いが通り過ぎると、よく晴れた空を見上げた。窓側の席に座っていてな。空がよく見えたんだ」
――えぇ。
「だが講義が淡々と進む中、ふと訝しい思いに駆られた。マサカドが俺を覚え続けているのは、待ち受けに登録した写真を毎日眺めているからなのか? そんなことで記憶が維持出来るのか? とな」
――記憶は想起、つまり思い返すことで強固になると言われていますが、確かにそれだけでは不思議に思いますね。
「これ以上マサカドと大学にいても、その答えは得られないかもしれない。そう思った。だから俺は決心して、アイツの部屋を訪れることにしたんだ」
――訪れた……なるほど、その時にYURINAさんの家に入られたのですね?
「不法侵入ってヤツだな。まぁ、昔は平気でお互いの家を行き来してたんだ。マサカドには悪いと思ったが、部屋に秘密があるのかもしれないと考えてな。バイクでアイツの家の近くまで飛ばして、駐車して向かうと、丁度オバサンが出かけるところだった。扉が閉まる前に侵入して、アイツの部屋の扉を開いて……そこで……」
――はい。
「思わず愕然としたよ」
――何を見たんですか? YURINAさんの部屋に?
「部屋中に紙が貼ってあったんだ。壁と言わず、天井にまでな。その全てが、机の上のノートを見るよう促していた。『記憶を失った私へ』というタイトルのノートをな。そこで俺はそのノートを開いて、アイツがしていたことを知ったんだ」
――そのノートに書かれていたことを、思い出せますか?
「思い出せるが……、出来るなら実物で確認してくれ。マサカドにも俺や事件のことを色々と聞いてるんだろ? 確か、俺の調査を開始した翌週くらいから」
――えぇ、ご協力頂いております。実はそのノートもコピーさせて頂きました。少々お待ちを……これ、ですね。宜しければご覧になりますか?
「いや、いい。確認するなら、アンタだけで確認してくれ」
――分かりました。
以下、『特別資料:藤崎由梨のノート(喚起用1-1) 』より、該当項目を抜粋。
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私へ。
まずはこのノートを手に取ってくれて有難う。少し長くなるけど、とても重要なことがココには書いてあります。どうか最後まで読んで下さい。私達に関わる大切なことです。お願いします。
突然ですが、大久保悠馬という名前に引っ掛かりを覚えませんか?
私は今、大切な人のことを忘れてしまう病気にかかっています。大切な人といっても、両親や友人ではなく、大久保悠馬という男の人だけを突然忘れる病気です。
大久保悠馬は、私の世界で一番大切な人です。粗野でデリカシーがなさそうに見えて、いつも馬鹿みたいに笑ってるけど、とっても大切な人なんです。
何故、その人のことを突然忘れてしまうのか。これは私にも分かりません。そして残念ながら、その症状は投薬や治療では治すことが出来ないんです。
加えて私は、その記憶を一人で取り戻さなければなりません。その人のことを誰も覚えていないばかりか、忘れていることさえ、忘れてしまっているからです。
つまりは私が思い出さない限り、その人は永遠に一人のままです。彼を一人にさせないためにも、そして自分のためにも、私はこのノートを作りました。
私は今、混乱しているかもしれませんね。下に降りて、大好きな紅茶でも淹れて飲んで下さい。だけどお母さんに、自分の状態を尋ねてはいけません。
実はこのノートは二冊目になります。以前、部屋の状況とこのノートを見たお母さんがショックを受け、取り乱したことがあります。その際に、一冊目のノートは捨てられてしまいました。
当時は私も自分が信じられなくて、怖くなりました。だけど見せられたノートの内容と、大久保悠馬という人の名前を忘れることが出来なくて、ノートが捨てられると、不思議と心細くなったことを覚えています。
その時は偶然にも、アイツの記憶を綴った写真付きのノート(机の中にあります)の存在に気づき、それを読んで大久保悠馬の記憶は私に戻ってきました。
覚えていないかもしれませんが、それからお父さんと話し合い、今ではこの部屋のことについて、家族間では一応の納得がつけられています。でも改めて話すとお母さんが心配するので、このノートについて触れるのは止めましょう。
不安がらせてごめんなさい。気を落ち着けたら、机の引き出しにしまってあるノートを読んで下さい。全部で五冊あります。それが私の大久保悠馬の記憶です。
ノートを読めばアイツのこと、必ず思い出せます。大丈夫です。記憶は必ず回復します。もう何度もやってきたことです。
アイツは今も、町に現れた怪物と一人で戦っています。だから私も頑張りましょう。皆がユウマを忘れても、私だけは、絶対に、絶対に覚えていましょう。
先にも書きましたが、それは私のためでもあるんです。
私の人生の大切なことは、全部、ユウマの記憶と共にあります。笑ったこと、泣いたこと、怒ったこと、わくわくしたこと。人間の持つ当たり前の気持ちが、当たり前のものとして、全部、ユウマの記憶と共にあるんです。
それは今も、私の中にちゃんとあります。何処へ行っても、何をしても、どれだけ時が経っても……変わらずに、ちゃんとあるんです。
だから自分のためにも、どうか思い出して。大久保悠馬のことを。
私の、大好きな人のことを……。
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――YURINAさんはアルバムからアナタと映っている写真を取り出して、写真に纏わるアナタの記憶を、コピーした写真と共にノートに残していました。それを読み直して、記憶を回復させていたんです。何度も、何度も何度も。
「そう……みたいだな。『記憶を失った私へ』と題されたノートは、それから先、俺が置かれている状況やアイツとの関係性が綴られた後、日記になっていてな。俺のことを忘れて、それをまた思い出して……ということが、悲痛な調子で繰り返し書かれていた。俺を化け物と呼んだことを思い出し、酷く悔いているようだった」
――机の中にあった、コピーした写真の貼られているノートは読みましたか?
「いや、読むと自分を抑え切れなくなりそうだったからな。最初の一ページだけ覗いて、後は見なかった。保育園の頃の写真が貼ってあって驚いたよ。細かいことを……アイツはよく覚えているんだ」
――それからアナタは、先ほどのノートに言葉を残したそうですね。
「……そうか、そうだよな。当然、そこまで見られているんだな」
――それで、何と書いたんですか?
「楽しそうに笑いやがって。どうせ知ってるんだろ? なら別に聞かなくてもいいじゃないか」
――そうですね。ですが私は、是非アナタの口から聞きたいんですよ。
「全く……。なんてことはないさ。ただ、」
――えぇ。
「ありがとう、と」
――ノートに、そう書いてあったのですね?
「えぇ。部屋に戻ったらノートが開いていたので、窓も開けてないのに変だなと思ったら……そう、そう書いてありました。ユウマの字で。もう小学生じゃないのに、か、勝手に入ってきて、そんなことされたら、わ、私……」
――それが事件解決前の、アナタと大久保さんの最後の接触だった。そのことに間違いはありませんか?
「はい、間違いありません」
――分かりました。それからも大久保さんは一人でドーキンスの悪魔と戦い続け、やがて二十四号を、その後に現れたゼロ号を倒した。それ以降、ドーキンスの悪魔が出現することはなくなりました。大久保さんが事件を解決したんです。
「そうみたいですね。私たち一般人はそのことを知りませんでしたけど、一年位続いていた、市内での物騒なニュースがなくなったように思います」
――同時に大久保さんも、ドーキンスの悪魔二号も消えた。
「それでも私は、ユウマのことを記憶し続けていました。以前のように、急に忘れたりすることがなくなったんです。ただ私以外の全ての人が、ユウマのことを忘れたままで……誰もユウマのことを思い出すことなく、時間だけが流れました」
――しかし、大久保さんは……。
「えぇ……ちゃんと、ちゃんと帰ってきてくれたんです」
――その時のことについて、教えて頂けますか?
「はい。今から半年程前の、大学三年生になったばかりの頃です。ユウマの記憶が私から失われなくなって、一年近くが経過していました。私はその日、モデル友達のKUROKAという娘と、南山動物園にいました。二人でお花見をしてたんです」
――南山動物園でお花見ですか。
「えぇ、アイツを待っていたんです。結局ユウマとは、去年はお花見が出来ませんでした。約束の日になっても、アイツは姿を見せなくて……」
――その頃、大久保さんは二十四号と、後に現れたゼロ号と戦っていました。
「ユウマは苦しんで、頑張ってたんですよね。でも当時はそういったことも知らず、動物園が閉まるまで、桜の近くでユウマを待っていました。半年近く前のその日も、昼からアイツを待ってたんですけど、一向に姿を現す気配を見せなくて」
――なるほど。
「そうしたら、気を利かせたKUROKAが缶ビール片手に来てくれたんです。前の年にも、私がそこで誰かを待っていたのを知ってて……あっ、缶ビールは無断で持ち込んだ訳じゃないですよ。南山動物園はアルコールの持ち込みも大丈夫で」
――ははっ、えぇ、分かっていますよ。
「よかった。KUROKAは……私が詳しいことは何も言わないのに、明るく話しかけてくれて、せっかくだから、二人でお花見をすることにしたんです。それからKUROKAと立ったまま桜を見て、お酒を飲んで話しをしていました」
――KUROKAさんとお二人で、そうでしたか……。
「それで、その最中に会話がふと途切れたことがあったんです。同じようなタイミングで大きな風が吹いて、桜の花びらがゆらゆらと落ちて行くのを二人で眺めていたら、KUROKAの口から突然、上がる筈のない人の話題が上がったんです」
――上がる筈のない人の話題、ですか?
「えぇ、KUROKAは私のことを気遣いながら、”アイツがいないと、やっぱり寂しい? ”って、そう尋ねてきました。私は暫く、それが誰を指しているのか分かりませんでした」
――えぇ。
「すると私の耳に、誰かが走って来る音が聞こえてきたんです。私が向いているのと反対側の方から。それに気づいたKUROKAが眉を上げて、視線を向けると、”あ~、やっぱりね ”って。” アイツは噂をすれば現れる奴だと思ってた ”って、楽しそうに笑いながら言うんです」
――アイツ……ですか。
「はい、アイツです。私は信じられない思いでその言葉を聞いて。その意味を理解すると……涙が次々と湧き上がってきて、顔が、クシャクシャになっちゃって。本当は、直ぐにでも振り返りたかったんです。でもそんな情けない顔……アイツに見せたら、からかわれちゃうから……それで、それで……」
――ゆっくりで構いませんよ。
「有難う……御座います。その間にも、走る音は近付いて来るんです。足音が私の後ろで止まると、アイツの存在を直ぐ傍で、熱い程に感じました。涙を拭いながら振り返ると、そこには本当にアイツが、アイツがいたんです」
――えぇ。
「それでアイツは、私の顔を認めると、” よぉ ”って、何でもないみたいに声を掛けて来るんです。まるで昨日、別れたばかりのように。私は何かを言いたかったんですけど、上手く言葉に出来そうになくて。そうしているとアイツが、優しい目をして、子供みたいに屈託なく笑うと……言ったんです」
――大久保さんは、何と仰ったんですか?
「” 長い間、待たせて悪かったな ”って」