出会いは事件と共に
およそ人生というものは「楽あれば苦あり」だと僕は思う。
良いことの後には悪いことが訪れ、悪いことの後には良いことが訪れる。そうすることで、人生全体における幸不幸のバランスをとっているのだろう。
だから、今僕が直面している事態もその理論に当てはめて考えてみればいいのかもしれない。
そう言えば、今日このコンビニに来るまでに赤信号に一度も引っかからなかった。それに昼の学食ではすぐに売り切れてしまう特製プリンが1個だけ、まるで僕のためにという感じで残っていたなぁ。
ひょっとすると、その幸運とのバランスをとるために、僕は今こんな状況なのかもしれない。
そう考えると、自然と笑みもこぼれてくるというものだ。
そうだ。これは理不尽でも何でもないんだ!
コンビニ立てこもり事件に遭遇することなんて……!
「ーーって、いやいや納得できないよ! 何で小さな幸せの代償に事件に巻き込まれてるんだよ僕!?」
「どうしたんだい、耕康くん。とうとう気が狂ったのかな? まあ、元から変人としての素質はあったけどね」
「……天海くん。君の冗談を冗談と受け止められるほど、僕はまだ君との信頼関係を築けていないのだけど」
「大丈夫。半分くらいは本気だからね」
「どこが大丈夫なん……え、半分? 前後どっち?」
ともあれ一旦クールダウン。まずは状況の整理だ。
現在店内にいるのは6人。
まず、コンビニの若い女性店員と中年らしい男性店員。女性の方はレジの近くに立っている。いや、状況的に「立たされている」と言った方が良いのか。どこかで見たことがあるような気がしたが、それは多分彼女が色白でモデルのようだからだろう。
一方、男性は店の奥でサボっていたらしい。先ほど犯人に突入され、「んぐっ」という間抜けな声と打撲音が聞こえたが、その後の詳細は知れない。
次に客だ。まずは僕こと成田耕康。僕の横で爽やかな笑みを浮かべているのが大学の同級生である天海秀一。そしてその隣りで一般人らしくオドオドしているのが高校一年生だという千畳敷和哉。
僕らはコンビニの端っこ、飲み物売り場辺りに両手首を縛られた状態で放置されている。
そして最後。金属バットを持ち、時折外を窺う男……犯人だ。
お約束といってはアレだが、顔はプロレスマスクのようなもので隠していた。体格や声からして40歳辺りの男性だろう。
要するに僕、というより縛られた僕ら3人は、人質というわけだ。
状況認識を終えた後、僕は改めて深いため息をつく。そして、今度は天海くんに気づかれないように心の中で呟いた。
ーー神さま。バランス全然とれてませんよ……。
大学一年になった僕の日常は、平々凡々とした日々の連続だった。トラブルが起こらないことを平和と呼ぶのなら、確かにその日常は平和だったのだろう。
しかし正直なところ僕は退屈していた。大学に入れば、何かが変わるのではないかと期待していたからだ。
そんな日常に少しスパイスを入れようと、その日は普段は行かないコンビニに行くことにしたのだったが……。
思えばその決断が僕の運命の分岐点だったのだろう。
慣れないことはするものではない。この後に僕はそれを嫌というほど思い知らされる。
先日オープンした全国にチェーン展開しているコンビニは、僕の住む鷹岡市の中心部から離れ、田んぼがちらほら見え出すような辺鄙な場所にあった。
最も近くにある人工物は掲示板で、地元劇団の開演チラシや何時のか分からない選挙ポスターしか貼られていないという残念っぷり。コンビニ側としてはかなりの冒険だろう。……もっとも、無駄に広い駐車場の隅に車が1台のみという客入りから、その冒険の成果はお察しである。
この店は長く続かないかもなぁ、なんて偉そうに批評しながら店の裏手に自転車を停め、僕は未だにピカピカとした店内に入った。
「やあ、耕康くん。奇遇だね」
フラフラと雑誌を見ている中、いきなり後ろから声をかけられた。けれど、そのハキハキとした役者のような声は、脳内検索をかけても心当たりがまるで無い。恐る恐る、という具合で振り向くと、そこにいたのはやけに爽やかな笑顔をした男。
その顔を確かに知っている。しかしそれは知り合いという意味ではなく、向こうが有名人というだけの話だ。
「あ。えーっと、天海くんだよね」
天海秀一。僕は彼をあえて有名人と称したが、それは正解であって正解ではない。
天海秀一という男を端的に、正確に言い表すならこうだろう。
変人、だ。
一年生にも関わらず、大学中の情報を知り尽くした情報通。これがちょっとした物知りや事情通なら良いのだが、彼の情報網は常軌を逸している。文字通り、知り尽くしているのだ。
自分と同学年なら名前と誕生日を諳じることができるほどであり、入学式から2ヶ月程経った今ではかなりの変わり者として避けられている。
「耕康くんはよくここに来るのかい? 大学からわりと離れてるよね、ここ」
「いや、僕は初めてだよ。天海くんは?」
「僕も初めてなんだ。情報としては知っていたんだけどね」
初めて話してみたが噂ほど変人ではなさそうだ……とそんな印象を抱いた。高校時代から変人と(まことに遺憾ながら)つるむことが多かった僕にしてみれば、まだまともな方に思えた。……その時点までは。
「そう言えば天海くんは情報通なんだってね。皆が噂してるよ?」
「いやいや、僕なんて大したことはないよ。ただそういうのが好きなだけで……そうだ。ちょうどいいから聞いてみようかな」
「え?」
「耕康くんは情報についてどう思うかな?」
何を言っているんだこいつは……?
しかし、と僕は平凡な頭で考える。ここで「特にない」というのは何だか学がないと思われてしまいそうだ。大学生ともなれば、一般的にこういったことを考えているものなのかもしれない。だったら、無理にでも絞り出さなければ。情報……情報……。
「えーっと、情報って……やっぱり重要だよね? ほら、昔は情報伝達のミスとかで戦いの勝敗が分かれたりもしたしさ?」
「ははは。耕康くんって変わってるね。普通だったら、特に無いとか、答えを濁したりとか、そんな回答で終わっちゃうのに」
「えぇ!?」
何だそれ。恥ずかしすぎるだろ僕。
「いやいや褒めてるんだ。即興でそこまで言えたら凄いよ。君は他人とはどこか違うね……!」
爽やかな笑みは崩れることはない。僕は次第に心を開いていく自分がいることに気づいた。その証拠に、続けて彼に質問していた。
「天海くんは何か意見を持っているの?」
すると、彼は待ってましたとばかりに目を光らせ、口を開いた。
「僕かい? 僕はね、思うんだよ。ーー情報ってのもまた平等でなくてはならない、って」
饒舌になり出した彼に驚き、辺りを見回す。週刊漫画誌を立ち読みしている高校生が一人と店員がレジに一人。まあ、そこまで迷惑にもならないだろう。
「人類は平等であるとするのなら情報もまた平等に知れ渡らなければならないと思うんだ。妻の家計簿も政治家のカネの使い道も……全てが平等に公開されるべきなんじゃないかな?」
流れる川のような語り口。しかし聞き取りづらい速さというわけでもなく、むしろ自然と頭の中へと入ってきた。
平等、ねぇ。確かに素敵な意見ではある。しかし、その意見は実現不可能に思われた。平凡な僕の頭でも流石にそれくらいは分かる。
「でも、どうなんだろう。プライバシーとかもあるしなぁ」
「うん。今はそうだよね。だから例えば、の話だよ。でも僕はいつかやってみたいことがあるんだ」
「やってみたいこと?」
自然と口から出る問い。それくらい僕は彼との会話に引き込まれていた。そして彼は微笑を浮かべながら、堂々と僕という観客に向けて披露した。
「情報のファストフード店、なんてね。どうかな?」
「情報、の……ファストフード?」
ファストフード店のことは分かる。しかし、「情報の」と言われると謎だ。そんな疑問はどうやら顔に出ていたらしく、彼は続けて口を開いた。
「つまり……」
そこで彼の話は中断する。
空気を切る音。
蛍光灯の破砕音。
高校生の驚く声。
天海くんの演説に被さるように、そんな三重奏がコンビニに響き渡ったからだ。
「全員そこを動くな!」
そこにさらに加わったのは太い声。見ると、金属バットをレジ担当の女性店員に向けている男がいる。顔はプロレスマスクで覆われていた。
男は店内にギョロリと目を向け、客である僕らへと声を投げた。
「お前らを拘束する」
そう言って近付いてきた男に、僕を含めて誰も抵抗できなかった。
コードなどをまとめる時に使う、プラスチック製のヒモらしきものーー結束バンドというのだったかーーでキュッと手首を封じられ、座らされ、おまけにコンビニの商品にあった「お休みアイマスク」とやらで目隠しまでされた。
もはや、僕らはされるがまま。少なくとも僕は完全に呑まれていた。
その時ーー
「お願いします前田さん! 警察を呼んでください!」
そんな店内に女性の声が響いた。同時に諦めかけていた僕らに希望が湧く。奥にまだ人がいたらしい。
「ちっ……良いか。おとなしくしていろよ?」
そう言い残すと、男はレジの方へと戻っていったようだった。それから1分もしないうちにひどい破砕音がして、僕らの希望の灯は消えたことを知る。
その後のことは語れない。ゴソゴソという動作音くらいなら聞こえたが、当然ながら何をやっているのかは分からないからだ。
横に居る天海くんの含み笑い、そしてそれに反応してビクッとする高校生の身体の動きくらいしか、僕は感じることができなかった。
……そんなわけで、冒頭の状況に至る。
あの後も天海くんは懲りずに話しかけてきたが僕はそれを全力で無視した。彼には悪いが、僕だって命は惜しい。
そんなことを考えていると誰かがアイマスクを外してくれた。おそらく店員だろう。助かったことに安堵しながら正面を向いた僕は思わず目を見開く。
「よぉ」
「うわぁ!」
……目の前にはプロレスマスクがあったからだ。
驚く僕らを一通り眺め、犯人はレジに向かう。僕らが見守る中、店員にいよいよ大きな声で要求した。
「金を出せ……!」
どうやらまだ金を奪っていなかったらしい。
青ざめた女性店員は、慌ただしくレジを操作し出す。緊張しているのだろう。レジの操作から何から、その動きは実にたどたどしい。その緊張がこっちにも伝染してきて、とてもじゃないが見ていられない。
こういう時こそ男性の方が根性を見せるべきではないかと思ったが、多分奥でのびたままなのだろう。
「始まっちゃったね」
天海くんが心なしか弾んだ声を出す。僕は慌てて注意しようとするが、彼はお構い無しに高校生にも問いかけた。幸いなことに犯人は気にかけていない。
「君、名前は?」
高校生は不審そうに天海くんと僕を見つめていたが、やがて諦めたように口を開く。その反応に安心する。彼も僕と同類な、愛すべき一般市民のようだ。
「……千畳敷、和哉です」
「へぇ。カッコいい名前だね。よろしく……って、その制服はタカイチじゃないか。じゃあ僕の後輩にあたるワケだ」
タカイチというのは市内有数の進学校、県立鷹岡第一高校のことである。てか天海くんもなのか。へぇ、頭良いんだなぁ。
……って、そんな雑談している場合ではないだろうに。
「天海くん、君はどうしてそんなに落ち着いていられるんだ? それとも君はバカなのか?」
「まったく酷いな耕康くんは。取り乱していてもしょうがないじゃないか。僕らが殺されるわけでもないし」
「え?」
僕は千畳敷くんと顔を見合わせた。僕らが気に病んでいる点を彼はあっさりと否定したのだ。
「でも、分からないことも多いんだ。ちょっと僕の話を聞いてくれるかい? 情報を整理したい」
「そんな場合じゃ……。というか僕らは本当に殺されないのか?」
「犯人も無駄に罪を重ねたくはないだろうからね。まあ、断言はできない。いかんせん今の状況は特殊だから」
特殊? いったいどういうことだろう。
「いいかい? 立てこもりでよく見かけるのは自分の主張を通すパターンだ。人質の解放を条件に、政治的や金銭的な要求をぶつけるものだね。しかし、このパターンは当てはまらない。犯人は外部とコンタクトをとろうともしていないからだよ」
確かにそうだ。犯人はチラチラと外を確認してこそいるが、主張も要求も何もしていない。僕らの親への身代金みたいなものも、無い。
「また、強盗という面で見てみよう。客を拘束し、人質とする。ドラマでよく見る光景だ。しかし、どうだろう。コンビニでそれをするメリットは無いんじゃないかな?」
「いや、だって客を拘束しないと逃げたりするだろ?」
そんな浅はかな意見にも嫌な顔をせずに、彼は続けた。
「銀行なら、分かるよ。何故なら時間がかかるからね。ありったけの金をカバンに入れさせる間、客に逃げられたり通報されたらたまったもんじゃない」
だったら……と言いかけて止める。まだ彼の話は続いていた。
「けどね、コンビニだよ? レジの金額なんてたかが知れている。さっさと奪って、逃げてしまえば良いじゃないか」
そこでようやく、彼の疑問を理解できた。
要するに、このコンビニ立てこもり強盗の理由が分からないのだ。
強盗目的にしては利益が少なく、立てこもり目的にしては静かである……だから妙だ、というワケだ。
「……衝動的だからじゃないですかね?」
そう呟いたのは、千畳敷くんだ。年下ながら中々鋭い。深い意図による行動ではなく、突発的な行動。だから不可解である、か。
だが、天海くんは微笑を絶やさずに指摘した。
「日常的に金属バットと結束バンドを持ち、マスクをして歩く人なんかいないだろう?」
「あ、そうですね。すみません……」
「いやいや、耕康くんよりはマシさ」
……何故僕が理不尽に貶されているのかはさておき。
道具を用意しているという事実は、この件が計画的な犯行ということに繋がる。
「もう一つ、犯人は何故目隠しを外したんだろうか?」
目隠しを外す。つまり今まで見せなかったものを見せる……。
「目隠しを外すってことは……何かを見せたかったから」
「そうだね。その何かとは……」
ゆっくりと、天海くんは瞳を閉じた。視覚情報を遮断し、彼は思考する。
僕には見えてすらいない何かを、彼は掴もうとする。
やがて彼は口角をクイッと上げていつもの微笑を浮かべた。
「……ああ、そういうことか」
と、そこで彼は口を閉じた。てっきり解決編が始まるかと思っていたのでこちらとしては拍子抜けだ。勿体ぶっているのかとも思ったが、どうやら違うらしい。何かあったのだろうか?
何気なく彼の視線を追うと、またしてもプロレスマスクがいた。
「随分と楽しそうじゃねぇか」
バットを肩に置きながら、ドスの効いた声が響く。マスクのせいで、当然のことながら表情は窺えない。しかし、良い気持ちではないだろうと流石に分かった。
ここは僕が全力で許しを乞うしかない。とことん下手に出て怯えれば、あちらも満足するに違いない。
僕がそんな情けなくも安全性の高い策を実行に移そうとしたときーー
「すみません。調子に乗りすぎましたね」
あの天海くんが謝罪を述べていた!
僕と彼は少し話した程度の仲にすぎない。「あの」なんて言うほど彼を知らないし、別段親しくもない。けれども、このような相手に謝罪をしないと思い込んでいた。それが、この数十分の会話で受けた印象だったから。彼は、強者には屈しないと思っていたから。
「ふん。最初からそうしていりゃいいんだよ」
男はこちらに背を向ける。そして金を詰め込ませたレジ袋を店員から奪い取り、立ち去った。
遠ざかる車のアクセル音が僕たちに事件の終わりを告げた。
「いやぁ一時はどうなるかと思いましたよ……」
心の底から安堵の声を吐いたのは千畳敷くんだ。犯人が逃走するとすぐに店員は僕らの拘束を外してくれたため、今の僕らは肉体的にも自由だ。その迅速な対応に、実のところ僕は少し泣きそうになった。
極度のストレスに追いやられると、人は感情を爆発させてしまうらしい。僕は涙として、そして天海くんはーー
「はははははっ! はははははは!」
「……天海くん大丈夫?」
ーー笑いとして。
それはもう、思わず本気で心配してしまうくらい笑っていた。というか、あまりにも笑いすぎてて正直僕は引いていた。
「何がそんなに面白いのやら……」
「何がって……もちろんこの茶番劇が、だよ。こんな綱渡りな計画を実行しようとするなんてどうかしているね」
茶番劇……綱渡りな計画…………ん?
「ちょっ、天海くんどういうことだ? 茶番って何なんだ?」
「その名の通り、劇だよ。僕らは人質じゃなくて観客だったってわけさ」
「もっと直接的に表現をしてくれよ」
「これでもちゃんと説明しているつもりなんだけれどな……」
彼は自由になった手でオーバーに「やれやれ」とアクションする。そんな反応をされたところで、僕の平凡な頭脳は平常運転しかしてくれないのだから仕方がない。
「いや、本当頼むよ。全然スッキリしないんだ。これでもう終わったのか?」
すると、彼は千畳敷くんを手招きし、僕らを店内隅ーー飲み物売り場とデザート売り場の角ーーに集めた。
「今回の事件は、茶番劇だったんだ」
「……いや、天海くん。そうじゃなくて」
「こう言った方が分かりやすいかな……店員による自作自演の事件だった、ってね」
自作、自演。全てが劇でしかなかった?
「ずっと不思議だったんだよ。あんな不審者が入ってきて、蛍光灯を壊すなんてこともしたというのにーー何故女性店員は悲鳴をあげなかったのか、そして何故もう一人の店員がすぐに現れなかったのか……」
悲鳴……言われてみると彼女からは緊張こそあったものの、恐怖などの感情は窺えなかった。あまり深く気にしていなかったけれど……もし彼女も演者だったのなら話は早い。
「女性と犯人はグルだったのか……」
「じゃあ、奥に控えていた前田とかいう店員も?」
「いや、それは違うね。彼はーー」
そう言って、彼はチラリと店員の様子を窺う。散らかった店内を戻すべきか保存すべきかと話し合っていた。僕からすればどちらもあんな犯罪を企てたようには見えない。彼の話をそのまま信じて良いものだろうか?
「まあ、詳しい話は警察が来てからにしよう。その方が何かと都合が良い」
「都合って何だよ天海くん。そりゃあ2度も喋りたくはないかもしれないけど……」
「そういうことじゃないよ。大丈夫さ。全部解決してみせるから」
自信満々にそう宣言する天海くん。僕と千畳敷くんは顔を見合わせることしかできなかった。
「……そして、犯人は車で逃走。というわけで、僕たちは無事人質から解放されたわけです」
「なるほどねぇ」
ドラマでよく見る事情聴取なんてものは、無縁だとずっと思っていた。しかしこうもあっさりと現実のものになってしまうとは。
といっても話しているのは主に天海くんだけである。僕らは相づちを打ったり、時折補足を加えるだけ。もっともその補足情報すら必要ないくらい彼の説明は細かく、分かりやすかった。
「……でもやっぱり店員さんたちの迅速な対応のおかげで僕らは無事で済んだようなものですよ」
彼はそう語り、2人の店員を見つめた。照れくさそうに笑う女性ーーネームプレートには「新山」とあるーーと、額にガーゼを貼った男性、前田さん。
「そう言えば、お2人の貴重品は無事でしたか? 財布とかカギみたいなのが盗まれてたりなんてことは……」
「私のは大丈夫でしたよ」
「ああ、俺もだよ」
「それは良かった! あ、車のキーはどうですか?」
「もちろん、ここにーー」
その瞬間、場が凍りつくのを感じた。
キーを出した前田さんが固まり、天海くんはほくそ笑んでいる。
僕と千畳敷くんはよく分からずに疑問符を浮かべ、気づいた刑事はその違和をいち早く言葉に出した。
「前田さん。あなたの車は何処にあるんですか? ……表には無かったようですが」
駐車場に目をやる。警察車両がいくつか停まっているが、一般車両は見当たらない。一番始めに1台だけ停めてあった軽自動車も、無い。
「…………は、犯人に! 犯人に盗まれましてね?」
「あれあれ、耕康くん。僕は車を持っていないから分からないのだけれど、果たしてキー無しで車は動くのかな?」
小馬鹿にしたような口調の司会者から、その回答権を渡された僕は首を横に振る。
当然のことながら、動くわけはない。
「ちょっと署まで来ていただけますか、前田さん?」
こうして、彼が言うところの茶番劇のような事件は幕を下ろした。
「こういうことさ。つまり、あの場にいたのは5人。前田さんは犯人役も担当したんだよ」
帰宅が許された帰り道。傾き始めた陽の光を浴びながら僕ら3人は自転車を押して歩く。乗らない理由は至ってシンプル。天海くんの話を聞くためだ。
それでは今回の解決編だ。存分に語ってもらおうじゃないか。
「彼らは犯人と被害者を演じ切り、まんまと店の売り上げを懐に入れようと企んだわけだね。そのために観客の目と耳が必要だった」
彼は小さな掲示板の前で立ち止まる。先ほど僕がちらりと見た、地元劇団のチラシと古い選挙ポスターしかない、ただの掲示板。
しかし、帰り道においてそれは重要な意味をもった。そのチラシには団員の顔がずらりと並んでおり、その中に見覚えのある2つの顔があったからだ。
「……どうりで上手いわけだよ」
犯人たちの顔写真に向かって、僕はため息混じりに呟いた。
まず、準備を行って裏口から出た前田さんは犯人を演じる。
次に僕たちを拘束し、もう一人奥にいるかのように振る舞う。僕らは目隠しをしている。耳だけの僕らを騙すなんて朝飯前だったろう。
そして目隠しを外し、僕らに現場を見せつける。ここで冴え渡るのは新山さんの演技だ。たどたどしく、いかにも怯えているという動作。僕のような凡人を欺くには十分すぎる。
最後に、車で逃げ、適当な場所に隠してから戻ってくる。頭にガーゼをつけることも忘れずに。
周りの風景が変わっていく。田んぼばかりだった先ほどまでと違い、徐々に建造物が見え出し始めた。
そこで、天海くんは言葉を止め、歩行も止めた。
信号が赤く点灯し、僕らの行く手を阻んでいた。彼の高説に熱中するあまり、回りが見えなくなっていた。
「おや」
すると、天海くんは何かに気づいたように声をあげた。ニッと笑うと、右手でそれを指し示しつつ、彼は言った。
「ただ、彼らはいくつかのミスを犯した」
右手の先には住宅の合間に隠すように停められた軽自動車があった。
それは彼の推理通り、最初に僕が見た車と同じだった。
犯人たちのミスの1つは悲鳴。
声の演技、特に感情のこもった悲鳴というのは難しい。下手に間抜けな悲鳴をあげさせるよりは……と演技に通じる犯人側は考えたのかもしれないが、それが僕らに違和感をもたらした。
2つ目。これが最も決定的な証拠となる、車だ。
僕が来た時、車は端に1台のみ。さらに店内にいる客は全員未成年だった。だったら答えは簡単。それは店員の車である。
そして、犯人は来店時に車で来てはいない。いかにエコで静かな車が主流のこの時代でも、駐車する時には様々な音を出す。まして僕らは駐車場側ーー雑誌スペース前ーーで話をしていたのだから、車が来たら流石に分かる。
だが、犯人は車で逃走した。ならば答えは明白である。
「多分すぐに共犯だったことも吐くと思うよ。人間ってのはそういうものだ。自分だけが不利益を被るのを嫌う。死なば諸とも、ってやつだね」
街の中心に近づいている。僕は彼のそんな話に何も返せない。あまりに疲れすぎていた。そんな体調の中で暗い話題を彼と語りたくなかった。
話題を転換したくて僕は頭を捻り、やがて彼の話が途中だったことを思い出した。
「ねぇ、天海くん。さっきは話が途中になってしまったけれど、情報のファストフード店ってのは結局何なんだい?」
頭を下げて礼を言う千畳敷くんと別れ、二人きりになったのをきっかけに僕は尋ねてみた。
彼は一瞬驚いたようにこちらを見つめ、それからまた微笑を浮かべた。
「耕康くんは……本当に変わっているね」
「いや、君にだけは言われたくないんだが」
「はははっ、それについては今度話すよ。それじゃあ、また大学でね」
サッと自転車に乗り、僕に手を振りながら彼は去っていった。一人残された僕もまた自転車にまたがり、こぎ出す。
夕暮れ時の風は春といえど冷たい。そんな風に頬を打たれながら僕の頭は彼の言葉でいっぱいだった。
情報のファストフード店……それはいったい何なんだろう。
情報屋、なんてのは創作上でよく目にする職業だ。それが派生したものだろうか?
もし……と僕は想像する。もし、「情報を平等にするべき」とする彼の意見を冗談としてではなく本心と捉え、ファストフード店という言葉の意味をそのまま受け取るのなら……。
情報のファストフード店は、大人から子どもまで、誰もが気軽に入れて安価で好きな情報を買うことができる情報屋ということになる。そしてそこに並ぶメニューは、政治家から主婦まで多種多様なものになるのだろうーー
「……なんてね」
流石に妄想が過ぎるかな。だって、こんなのあり得るわけがない。狂っている。やはり僕は疲れているのだろう。
きっと天海くんのことだから、比喩や冗談を織り交ぜた表現だったに違いない。
でも、少しだけ。彼ならそんな変わったこともやってのけるんじゃないかとも思ってしまった。
ーーこれが僕と天海秀一の出会いだった。これから先、僕の大学生活はいろんな意味で変貌する。……主に奇妙な人に絡まれ、奇妙な事件に巻き込まれるようになる。
しかし僕は振り返ってこう思うのだ。
おそらくこの出会いは人生における「幸」だった、と。
ちなみに、大学在学中に彼がその夢について話すことはなかった。
彼がそれを再び語り出すのは、僕が探偵事務所を開いた後、ひょんなことから再会した時なのだが……それはまた別の話、だ。