第三話 リク
「なぁ、―――は、俺を助けに来たのか?」
「うん。だって、君は自分の子同然だからね。
居なくなって、本当に心配したんだ。
まさかこんなところにいるなんて思いもしなかったけど」
リシャナが出ていってから少ししたあと、少年は目を覚ました。
「夢、か」
白衣を着た、優しい声の女性の夢。
顔はぼやけていて、誰だかはわからない…。
寝返りをうつと、テーブルの上にカップが2つ置いてあることに彼は気づいた。
起き上がり、キョロキョロと周りを見回すが、リシャナの姿が見えないことに少年は気づかなかった。
ひた、と床に足を付ける。
ひんやりとした冷たさに、記憶の奥底で何かが蠢くが、静寂を突き破る音に負け、それはふわりと消えた。
ドタドタ、という階段を登る音に、ここが2階であることを知る。
近くにあった箒を手に取ると、少年は構えた。
誰が来ても構わないように、もしも自分を連れ去るような奴だったら―――
しかし、それは杞憂だった。
「フィオ!!」
現れたのは、リシャナだったからだ。
リシャナは箒を持ち、突っ立っている少年の両肩をつかむ。
その手には力が込められており、痛みが走る。
突然のことに、ただただ呆然としている少年を、彼女は涙ぐんだ目で見つめ、こう言った。
「フィオ、なの?」
フィオ。
その言葉には、聞き覚えがあった。
遥か彼方の遠いどこかで、と、いうような感じだった。
でもそんなやつは知らない、でも何か。
そう考えていると、リシャナの目からは涙が溢れ、少年にすがりつくようになりながらずるずると力が抜けていき、ついには床に崩れ落ちてしまった。
ふっと力が抜け、手から箒が滑り落ちる。
カランカラン、その音に我に返った少年は、はっきりとした声で、
「俺は、フィオじゃない、フィオと言う奴は知らない…」
と言った。
それを聞くと、リシャナはそのまま顔をあげ、涙を浮かべ微笑んだ。
「そ、だよね。えへへ、変なこと言っちゃってごめんね。
スープできてるよ。飲もう?」
スッと立ち上がり、寂しそうな表情を浮かべる彼女に、少年は何故か胸が締め付けられた。
部屋の中心に置かれたテーブルの上に、微かな湯気を上げるカップが2つ。
対になるように置かれた椅子が2つ。
それに座る、少年とリシャナ。
「ありあわせで作ったオニオンスープで…ごめんね?」
「いや…ありがとう。おいしい…」
ぽつりぽつりと交わされる会話。
しかし、少し前の気まずさが漂うようなものではなかった。
「あのさ」
リシャナは少年の目を見て、言った。
「君は、どこから来たの?」
少年は首を横に振り、答えた。
「何もわからないんだ。
どこから来たのか、なんて名前かも」
するとリシャナは言った。
「君の名前ね、考えてたの。
もしも何も思い出せなかったらどうしようって思って」
「名前を?」
「うん。
だって、名前がないと呼びにくいもん」
少し困ったような顔をしたリシャナ。
席を立つと、1階へ降りて、紙とペンを持ってきた。
何をはじめるのかと少年が見つめていると、サラサラと文字を書き始めた。
そこには、「Riku」と書かれていた。
「君の名前…リク、で、どうかな」
「…何でリク?」
少年は思ったことを口にした。
すると、リシャナは少し恥ずかしそうに答えた。
「昔、世界には陸というものがいっぱいあったんだって。
今はほんの少ししか無いらしいんだけど。
本でしか見たことないけど、なんていうのかな、優しそうな気がしたから…」
そこで突然言葉を切り、リシャナは俯いた。
「…って、理由です」
少年はくすりと笑って言った。
「そんな大層なものから…ははは、俺の事、どういう風に見てるんだよ」
笑い出した少年につられて、彼女も笑い出す。
「ふふ、優しそうって感じだよ」
穏やかな空気が2人を包み込んだ。
しばらくの間、笑っていたが、リシャナはあることに気づき、言った。
「で、君の名前…リクでいい?」
少年は微笑み、言った。
「ああ。俺は、今日から…リクだ」