表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第九章 暗流の青史
91/121

暗転

 ヤクスがきてくれた。


 密かな望みが叶ったのだ。さすがは女神パルシュナである。

 自分の心の声を聞き、長身の友人に願いを送り届けてくれたのだろう。

 さらに言えば、キクリ正師まできてくれた。

 これは願ってもいないことだった。

 何しろ、ローグの真力は枯渇したまま。真力は、一晩しっかりと休めば元に戻る。そう言われている。

 それなのに、ローグの真力はちっとも回復しない。二日丸々眠っていたのに、半分も戻っていないのだ。これは異常事態である。

 体調の悪さが影響しているのかとも思えたけれど、自分の知識では断定できなかった。正師ならば何か助言をくれるだろう。

 体調が悪いせいか。もしくは真力が枯渇しているためか。今日のローグは機嫌が悪いようだ。

 彼の先ほどの態度については、後で謝っておこう。

 湯を沸かすついでに、来客へ茶を出す準備をする。居間へと戻り、まずはキクリ正師に茶を出した。簡単な礼を伝えてきた正師の様子を、こっそりと窺う。

 ……うむ、怒ってはいなさそうである。

 胸を撫で下ろして、診察中のヤクスに声をかける。ちょくちょくと訪れる長身の友人には、指定席が出来上がりつつある。長椅子に最も近い場所。食卓のその一角に茶を置いた。

「ヤクスさん、どうでしょうか?」

 無言で診察していたヤクスは、振り向いてにっこりと笑う。

「風邪ではないね。疲れが抜けてないみたいだ。食欲の方は……?」

「きちんと食べています。いつもより量は少ないですけれど」

「そっか。でも食えてるなら大丈夫」

 ふうと息を吐いた。

 ローグまで原因不明の病になってしまったら、どうしようかと思っていたのだ。自分もやっと、眠りの病が治ったところだ。うちだけ、また別の病に魅入られては堪らない。

「といっても……。真力は回復していないなー」

 機嫌悪そうな黒が、ヤクスを見た。

 文句でもあるかと言いたげである。

「そうなのです……。早めに休んでいるのに、全然戻らなくて」

「サキちゃんに隠れて、夜更かしでもしてたんじゃないのか?」

「……誰がするか」

 むすっとした声がヤクスに抗議する。いつもと同じような口調であっても、覇気が薄い。

「夜更かしはしていません。夕飯の後、そのまま寝床に入って、あっと言う間に眠ってしまいましたから」

 右手を頬に当てて、ついつい深く溜息を出した。


 本当にローグはどうしてしまったのだろう?

 彼ほどの真力量だと、回復にも時間がかかるのだろうか。座学で習ったことを確認しようと思いつき、奇妙な顔をしているキクリ正師と目が合った。


「サキよ、それは確かか?」

 何となく裏がありそうな問いだと思った。

「……え、ええ。確かです」

 変なものを含んでいる問いに対して、それでも正しく返答した。

 引っ掛かりがあるので、返答に少しだけ迷いが混じる。キクリ正師と見つめ合うことしばらく。ヤクスが突然咳払いをした。演技がかっていて、ひどく不自然な行為である。

「あー、その。もしかして長椅子で寝ていたとかかな……」

 もごもごと言ったヤクスは、それじゃ疲れも取れないよねと一人納得をしている。

「いいえ? 長椅子で寝てはいませんよ」

 そんなこと、させるわけないでしょうと言ってしまってから、はたと気がついた。

 咄嗟に唇を押さえる。けれどもう遅い。外に出してしまった言葉は戻らない。もはや正師の瞳を見ることができず、唇を押さえたまま床に視線を落とした。

 居間に落ちた静穏の中、ヤクスが鞄から物を取り出す音だけが響く。

「仲がいいことは素晴らしい」

 大仰に語り出した正師。

 真剣な声音の中に、からかいの色が混じっている。

「素晴らしいのだが、あまり男の部屋に長居をしてはならんぞ。看病目的とは言え、お前は娘の身なのだ」

「……はい」

 ようよう絞り出した返事。そこにある嘘だけは絶対に知られたくないと思った。


 言えない。

 ローグの部屋ではなく、自分の部屋にいたのだ。

 そして……その先のことは尚更伝えられないと、固く口を噤むことにした。


 床の木目を撫でていた視線を動かし、ちらりとそちらを見てみれば、長椅子の上で背中を向けている恋人がいた。

 黙して語らずを貫くつもりらしい。

 ずるいとも思ったが、迂闊なことをしたのは自分だ。責めるに責められず。この手で撒いた羞恥が、むくむくと大きく育つのを、黙って見守ることにした。

「ところでサキちゃん」

「は、はい。……何でしょうか」

「サキちゃんの体調はどう?」

 窮地を救ってくれた友人に感謝をしつつ、質問の意味を考える。

「わたしの体調ですか。普通ですよ。もう、ちっとも眠くありませんし……」

「そうかー。夏は食事とかに気をつけてね。井戸水もそろそろやめておいた方がいいよ」

「わたしは飲みませんから。やっぱり一度湯にするべきでしょうか」

「できればね。……他のところは」


 他?

 ヤクスは何を聞きたいのだろうか。


「いえ、特に」

「そう。……そうか」

 何だか曖昧な気配だ。もやもやと悩んでいる時、視界の端でローグが起き上がった。

 彼がヤクスを見る。そしてヤクスは彼をじっと見返している。

 背中がそわりとした。

 感じたことがない、奇妙な感覚が意識を支配する。

 身体が浮いた感じがした。もちろん錯覚だ。眩暈とは違うが、変なのだ。

「サキよ」

「……っ、はい」

 急に元いた場所に戻された。頭がくらりとしたけれど、ゆっくりと瞬きをしたらどうにか治った。

「掛けなさい。少し話を聞かせて欲しいのだ。先日の一件だがな……」

 寄せて返る荒波の中、不吉な影が視えた。影が拡大するにつれ、背中の震えもひどくなる。

「お前を任務へ連れ出した者について聞きたい」

「正師、それが……」

 熱い真力が激しく波打つ。その動きに包まれながら自分の中にある真実を語る。




「――覚えていない?」

 こくりと肯いた。

 肯くよりほかに、するべきことがなかったのだ。

「ちゃんと覚えていたように……思うのですが」

 いまでは思い出そうとしても何も思い出せない。靄がかかるという言葉は適切でなかった。完全に切り取られ、消え失せてしまっている。


 あの日の朝。

 朝食を終えて、炊事場へと食器を片づけていた。

 食べ終えて長椅子へと移動し、沈むように腰かけたローグが何か聞きたそうにしていたのを覚えている。そこは確かに記憶していた。

「――サキ」

 重く閉じていた口が自分を呼んだ。

「何でしょう」

「誰がお前を連れて行った。名前は……、顔は覚えているか?」

 彼の問いに答えようとした。

 自分に中にある真実を伝えようとした。しかし、それは叶わなかったのだ。

 気がついた時には彼の腕の中にいた。目を覚ました自分が見たのは、青ざめた顔で名を呼び続けるローグの姿。


「真術の気配はしたか」

 キクリ正師の言葉に、肯定を示した。

「何も思い出せません。家で食事の支度をしていたのです。スープが出来上がりそうだったので、次の料理を作ろうとして……。ふと気づいたら高士の方と歩いていました」

 雨の中、足元の具合を確かめ。ゆっくりゆっくり歩いている最中だった。

 塔に向かっているのだと自分は知っていた。

 それが任務であることも、浮かない気分を抱えていたのも覚えている。

「任務に随行した高士は覚えているのか」

「ええ」

 人相を伝えれば、キクリ正師が人差指でこめかみを押さえて目を瞑った。

「確かに任務に随行した高士だ。だがな、その者はお前を引き渡されたと言っている」

「嘘を言っているってことは」

 正師はヤクスの質問に、それはないと断じた。

「慧師の下問があった。慧師の前で嘘はつけぬと、座学で教えただろう」

 慧師は、里にいるすべての真導士を束ねている。

 数が限られていると言っても、里には多数の真導士が在籍している。そのすべてを束ねるため。そして絶対的な存在として君臨するため。どの里の慧師にも、特別な真術が伝えられているのだ。

 慧師のみが知ることを許された真術――これを禁術と呼ぶ。

「下問がある際には、必ず禁術が用いられるからな。嘘をつくことは不可能だ」

「じゃあ、随行した高士以外の誰かが……」


「帰ってくれ」


 はっとして彼を見た。

 長椅子に座り、額を右手で抑えているローグ。

 予感に呼ばれるまま駆け寄った。頭痛でもするのか。額を抑え、辛そうに眉をしかめている。左手はズボンを握っていた。力任せに握り込まれている布地には、深く、くっきりとしわが刻まれている。

「……もう、たくさんだ」

「ローグ、落ちついてください」

「帰れよ!!」

 大声を間近で出されて、身体が跳ねた


 気配が荒い。

 いつになく態度が固く、表情も険しい。

 機嫌が悪いと一言で片づけられない相棒の有様を見て、手の平にじわりと汗が浮いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ