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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
愛読お礼小話 日々のかけら・その1
86/121

黒の狼と金の羊

 うーん。

 目の毒とはこういう光景を指すのか。

 薬草を煎じながら、横目でそちらを窺う。ずっと見ていたいと思うような光景じゃないけど、興味くらいは一応ある。

 何せオレだってお年頃。

 色恋に首を突っ込むのを、やっと許されたばかり。興味ない何て言ったら嘘になる。

 ここは知り合ったばかりの友人宅。

 その家の住人である、天水のお嬢さんの居室だ。

 熱に苦しめられているサキちゃんのため、熱さましを煎じている真っ最中。


 昨日の様子から、医者が必要になると予想して家を出た時。とんでもない勢いで突っ走ってきた首席殿と、ばったり会った。

 学舎へと走り去ろうとしていた相手を呼び止めて、何事かと事情を聞いてみれば。案の定、体調を崩してしまったということだった。

 それで、実は医者なのだと打ち明けた途端、えらい馬鹿力で腕を取られ、そのまま家に連れ込まれた。……正直、肩が抜けるんじゃないかと思った。

 さすがはカルデス商人。大力無双の評判はダテじゃない。

 腕をちょっと動かすたびに、肩がぎしぎしと痛む。痛み止めも一緒に作るか。それとも麗しいお嬢さまに頭を下げるか。


 ……でも、男だから我慢しろとか言われそうだな。


 つらつらと考えて、またそちらの光景をちら見する。

 視線の先には、呼吸するのもきつそうな娘さんが一人。高熱のあまり朦朧としてしまっていて、夢と現実の境をふわふわとただよっている様子だ。

 そんでもって問題は、彼女の脇に控えている男の方。

 眉目秀麗とはこいつのためにあるような言葉だと、密かに思っている。希少な存在である真導士の中で、歴代最も真力が高い男。同期の中でも一際目立っている首席殿……もといローグは、そのやたらと整った顔を曇らせ、荒く呼吸をしている相棒に寄り添っている。

 時々、ずれた掛け布を正してやったり。額に乗せている布を、水で冷やしたりと甲斐甲斐しい。

 まあそこまではいい。

 出会ったばかりの赤の他人と言っても、他の人間より自身に近しい存在だ。何といっても相棒は、真導士にとってかけがえのないもの。しかも相手は年頃のお嬢さんだ。ここで役に立たねば男の恥。

 だから献身的に看護することは当然だと思う。


 ……でも。

 でもなー。ちょっとこれは行き過ぎだろ。


 もやもやとした感想を抱きながら、ちらちらと盗み見ていれば当然相手にも気づかれる。視線を感じ取ったローグは、顔をしかめて「何だ」と聞いてきた。

「いやー、まあ……ね」

「歯切れの悪い……。言いたいことがあるならはっきり言え」

 んなこと言ったって。

 これはどう突っ込めばいいんだ?

「あー……、やっぱり家に帰って出直してこようかと」

「薬は? お前、患者を放っておく気か」

 恐怖のカルデス商人に、つい気圧される。けれどオレにだって矜持はあるさ。ここだけはしっかり言い返しておこう。


「患者を放棄したりはしないよ。ただ、二人のお邪魔なのかなって思っただけだ」


 目の前で固く手を握られてたら、気が散ってしょうがない。

 すっかり寝入っているお嬢さんの素肌に触れるとは、なかなか油断のならない男だ。

 歯切れよく答えたら、ローグがしかめっ面を緩めた。代わって出てきたのは腹黒い笑顔。人の悪そうな笑顔が心底様になっていて、頬がひくりと引きつった。

「妙な遠慮はしなくていい」

 おお、何て堂々とした返事だろう。

「二人はそういうご関係?」

 もやもやとしているのも気分が悪い。えいやと思いきって聞いてみた。

「いや」

 思いがけない否定に肩すかしをくらう。拍子抜けのする返事をした男は、それでも余裕の表情で腹黒く笑んでいる。

「俺だけ急いでも仕方がないからな。ゆっくり歩まなければ着いてこれんだろう」

 なあ? と同意を求めてくる。腹黒さの上に、いやらしさが上塗りされた。


 ……この好色漢め。


「関係が進んでいないのなら、肌に触れちゃまずくないか」

「拒否されたことは一度もない」

 うわあ、こいつ思った以上に図太い。これが商人か。面倒な奴だと内心で散々なことを言ってやる。

「破廉恥な男は嫌われるぞ」

 ついうっかり、本音の一部がこぼれ落ちてしまった。

 言ってから後悔した。相手はカルデス商人だ。いくら見た目が中身を裏切っていようと恐ろしい相手には違いない。

 会話と会話に間が生まれた。

 だらだらと冷や汗をかき、無言のまま薬草を煎じ続ける。気まずい空気よ流れてくれと、ごりごりやりながらひたすらに念じる。

「どうも、世慣れていない」


 ……よ、よかった。

さっきの言葉は気に障らなかったようだ。意外と頓着しないタチらしい。


「聞いた話を鵜呑みにしてしまうことが多い。小さな村の出自で、疑うような相手がいなかったのだろう。こういうものだと聞けば、そのまま肯く。素直すぎるのも心配なんだが、そういう娘だ」

 突然、語り出したローグは彼女の手を擦っている。

 人の悪そうな笑顔とは対照的な動作を、飽きもせず繰り返している。

 聞かずともよかったな。見ればわかる。態度が何よりも雄弁に語っているじゃないか。何とわかりやすい男かと呆れ、ちょっとだけ羨ましくなった。

「だから俺がこういうものだと……。当たり前のことだと言えば、素直に飲み込む。要は疑問を感じさせなければいい」

「そう上手くいくか? 他の連中が、それは違うって言ったら駄目になるだろ」

 羨ましいのでちゃちゃを入れる。


 話している内に、眠るお嬢さんがのんびり草を食んでいる金の羊に見えてきた。

 いまにも牙を立てられてしまいそうな羊の身を、心から案じる。金の羊は気づいていない。隣で礼儀正しそうにしている黒の獣は、犬ではなく狼だ。


「人見知りが激しいからな。他の連中と話すのが稀だ。……しかも"落ちこぼれ"だ何だと、やかましく喚き立てる奴等を信じるわけがないだろう。例外は――お前くらいだ」

 真眼が危機を察知して、びりびりと痺れた。

 これは……まずい。

 恐る恐る視線を上げれば、やはり黒の瞳はじっと自分を見据えていた。

 喉が、ごくりと鳴る。

「もちろん協力してくれるよな?」

 ローグはいっそ妖艶とも言える笑顔で、極悪な言葉を投げてくる。

 涎を垂らした狼にがぶりとやられたのだと理解して、命乞いの代わりに何度も肯いた。


 死にたくない。

 まだこんなに若い。

 一度もいい思いをしたこともないし、恋人くらいは作って死にたい。


 必死の思いは、どうにか狼に伝わったようだ。返事に満足した様子のローグは「頼りにしている」とだけ言って、また彼女に向き直った。

 狼の背中から視線をべりっと剥がして、薬草へと落とす。


(女神よ、オレは何かしでかしたのでしょうか?)


 こっそり祈りを捧げ、己の不運をただ嘆いた。

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