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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
幕間 微睡みの真導士
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微睡みの真導士(2)

 とろとろと眠る恋人を眺め、時を過ごしていると昼時になってしまった。

 昼を拵えようと立ち上がれば、やはり黒がぱちりと開かれる。

 ここまでになると苦笑が出てしまう。仕方ない人だと思いつつ、昼を作ると告げる。しかし腹は空いていないと返事がきた。

 言われてみれば、自分も同じ状況であった。

 今日は座っているだけなので、お腹が空く気配がない。そうであったとしても、何か食べさせねばと強く思う。ローグは病人と言ってしまえるほど弱っているのだ。

「ローグ。おかゆなら食べられますか」

「本当に何も」

「治るものも治りません。味付けには自信ありますよ」

 言うとぐったりとしながらも笑顔を浮かべた。

「それは知っている。……サキの飯を残したくない」

 本当に困る。

 ローグを説得しなければと思うのに、うれしさで心臓が騒いでしまう。

 隠しきれない照れを、指先でもじもじと誤魔化した。うちの相棒は口が上手くて大変なのだと、自分自身に言い訳をする。

 そうこうしている内に、また頬が熱くなってくる。言っている方は普段通りだからまた困る。うちの相棒、実は過去に娘を口説いた経験でもあるのではなかろうか?

「……何をむくれている」

 弱々しい声のささやきが、羞恥を厚く塗り重ねていく。

「教えません」

 ぷくりと膨れて答える。

 浮かんだ考えはありそうに思えた。ありそうだと思ったら、それだけで悔しくて、いじけ心が騒ぎ出す。抱いたときめきなど、あっと言う間に端の端へと追いやられていった。

 もそもそと起き上ったローグは、くたびれた顔で仕方がないと笑って言う。

「サキの機嫌は、海の天気よりも変わりやすいな」

 膨れた頬がゆるく摘まれた。

 皮膚が引っ張られて、右頬が変形する。

「痛いです」

「強くはしていないぞ?」

「ローグは人より力があるのですから、手加減してくれないと壊れてしまいます」

「それは失礼」

 わかればよろしい。

「頬ばかり触られると、取れて無くなってしまいそうなのですが」

「柔らかいからついな。あとよく伸びる」

「伸ばさないでください……」

「気持ちいいんだ」

 そう言って子供のように笑う。悪戯小僧が久々に顔を出してきた。

 熱い指先が、頬をちょいちょいと突いてくる。

「もう、全然話を聞いていないでしょう」

「触りたい」

「駄目です」

 強く言い切って横を向いた。

 悪戯小僧にやさしくしては駄目だ。どんどん悪戯を加速させてしまうのだ。甘い顔をして、何度も餌食になってきた。また同じ目を見るのはお間抜け過ぎる。

 視界の隅で、行き場を失った指先が宙を彷徨っている。

 機嫌を取ろうとしているのか、ふらふら揺れてみたり、くるくると渦を巻いたりと忙しない。我慢できずにくすりとした。

「やっと笑った」

 腕が伸びて、身体をさらっていく。

 素直に従った自分のすべてが、熱い体温に包まれる。

 膝に乗っている形だが、重くないのだろうか。

 いつもいつも気になっている。けれど、重いですかと聞くのも恥ずかしい。「重い」と言われたら落ち込んでしまいそうだ。

「サキ」

 恋人が甘い声で呼ぶ。

 恥ずかしい気持ちが強く出てきたので、胸元に顔を押しつけた。これはこれで恥ずかしいが、顔を見られるよりは幾分かましと言える。

 この位置にいると、顔を見ずとも笑っているのだけはわかる。

 ローグは笑いを喉で潰す癖があるのだ。かみ殺された笑いは、振動となってよく響く。

 低い震えを感じて目を閉じる。猫のようだとからかわれるのはうれしくない。でも、あたたかさに埋もれている時だけは、猫でもいいかと思えた。弱っているローグからは海の気配が薄れている。それだけが惜しいと贅沢な不満を抱く。


「ローグ、本当のことを教えてくださいね」

「何だ」

「いままで好きな人っていましたか」

「……急にどうした」

 訝しげな低い声。

 顔を覗かれたようだった。しかし、頑として閉じたままにしておく。目を合わせたら、平静を装うのが難しくなる。

「答えてください」

 胸元に深く埋もれる。

 視線が頭の上にきている。沈黙の中、真意を探ろうとしているローグから隠れて問う。呼吸をするたびに、薄い彼の香りが鼻をくすぐる。

 ……恥ずかしいから見ないで欲しいのに。

 視線が自分に張りついている。絶対に顔を上げないようにしよう。

「いない」

「本当に?」

「ああ」

「パルシュナに誓えますか?」

 いくらでも誓うと言って、額に口付けてくる。柔らかいぬくもりが真眼に触れた。

「なあ、何かあったのか」

「そういうわけでは……」

 気になっていたのだ。

 ローグにやましい何かは感じないが、学舎にいるだけで入ってくる話もある。同期の中には、故郷に恋人を残してきている者もいるらしい。そんな話が聞こえてくれば、自分だって心が騒ぐのだ。

 先日、投げ掛けられた言葉の中に、そういった類のものだってあった。

 首席殿が"落ちこぼれ"に夢中だという話は、信じがたいことなのだろう。ただの遊びだとか。故郷の恋人の代わりだとか。さんざんなことを言われたものだ。

 まんまと不安を揺さぶられてしまうことだって、時にはあったりするのだ。

「いるわけないだろう。同じ年頃の娘もいるにはいたけど、縁遠いものだ。カルデスは男の方が圧倒的に多いからな」

 うんざりとした口調となったローグは、添え髪をいじりはじめた。

「そうなのですか?」

「ああ。この話はしていなかったか。話したような気がしていたのだが……」

「いいえ、聞いていません」

 故郷の話をする時。ローグはしかめっ面をしていることが多い。愛着はあれども、故郷に対する思いは複雑な様子だ。


「カルデスは、どんな人間であれ罪人でなければ受け入れる。過去に罪を犯した者であっても、罪を償った後ならば追い出すような真似は決してしない。だから人生をやり直したいと訪れる者も多い」

 語り出したローグに顔を向けた。

 彼の話はいつもたくさんの色に満ちているから、とても興味深い。

 見上げたローグは、穏やかな黒い瞳で自分を見つめていた。

 胸がとくりと音を立てる。

 しかし、いまは話の続きが気になる。早く続きを話して欲しいと視線でねだる。

「船乗りの大半は、海賊から足を洗った者や、かつてどこかの町で罪を犯した者達だ。罪を犯した者は、故郷の町から追い出されることもざらにある。居場所を失って各地を転々とした挙句、カルデスの海に流れてくるんだ」

 添え髪がくるくると回される。

 彼の指に巻き取られた髪の一部が耳をくすぐった。

「他の町で商売に失敗した者や、家に居場所がない次男坊、三男坊も多いな。話に聞いただけだから詳しくは知らんが。他の町だと一度失敗した者は、そうそうやり直しが利かないらしい」

「カルデスは大丈夫なのですか?」

 聞くと誇らしげな表情となる。

「まあな。商売が一度で上手くいくと思うのが甘い。店をやろうとするなら何度も失敗して、何度も挑戦するのが普通だ。うちの初代は十の店を潰したとか聞いた」

 それはすごい。

 十も立ち上げたのもすごいが、めげずに十も作る心の強さが何よりもすごいと思う。

「一人で立って生きていこうとする者にとって、カルデスはいい町だ。ただ、迷惑だと思うこともある」

「何でしょうか」

「……入ってくるのは男ばかりなんだ」

 暑苦しくてかなわないと、しかめっ面を深くした。

「しかも素行が悪い者ばかりだからな。町の娘が年頃になると、親は神学校に避難させたり。伝手を探して、よその町の仕立屋辺りに放り込む。相手を見つけて、そのまま嫁に行ってしまうこともある。だからいつも女不足で、嫁を取るのは命がけだ。よほどの豪商でない限り、カルデスで嫁を貰うのは難しい」

「そうなのですか」

「ああ。うちの兄貴達はいい年になってきたけど、誰も嫁を取っていない。あの町にいる内は絶望的だ……」

 だから、自分にそういった存在ができようはずもないと、渋い顔をして言う。

 故郷がそのような状態では、確かに信じるしかなさそうだ。

 安心する半面、ならばどうしてここまで口が回るのかと疑問が深まる。商人は皆、娘を口説くのが上手いのだろうか。

 それぞれに違う思いを抱きつつ、眉根を寄せて黙り込む。

 しばらくしてお互いの様を発見して、二人して笑った。

「とても言えないな」

「何を?」

「兄貴達には。……娘と暮らしているなどと言ったら、家に帰れなくなりそうだ」

 ローグはお兄さん達とよく喧嘩をしていたらしい。話を聞く限り、特に二番目のお兄さんとの喧嘩が多いようで、ここら辺もなかなか興味深い。

 悪戯な指が、顎を捉えてきた。

「ましてや恋人がいるとばれたら、それこそ海に放りこまれる」

 いつの間にか、悪戯小僧はいなくなっていた。

 絡み合った視線の糸。目の前にある黒の瞳には、呆けた自分の顔が写っている。


 ――捕まったと、心の中で呟いた。

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