姿が見えぬ害意
サガノトスに、"闇の鐘"が鳴り響く。
道に、見回りの高士が姿を見せた。高士の動きに合わせ、四人が家路を急ぐ。
ヤクスは泊まりだ。
知らぬ間に、ローグと話がついていたらしい。
いくら男性主導が一般的と言っても、前もっての相談くらいはして欲しいと、少し拗ねている。
自分達は番なのだ。独断専行はよくない。
今夜も聖都ダール風が食べたいのかと問えば、平に陳謝された。
反省の証として、彼の腕には自分が造った組み紐の術具が巻かれている。
クルトと一緒になって渋っていたけれど、胸やけの恐怖には勝てなかったようだ。
肩をすぼめながら飾りをつけているローグを見て、ヤクスは盛大に笑った。
「サキちゃんは、猛獣使いだね」
また一つ、うれしくない例えが増えた。
動物からは外れてくれたが、年頃の娘としては複雑である。
斜めになった機嫌をぶら下げながら、夕食を拵える。
居間の方では、ローグとヤクスの会話が続いている。
前もっての相談はなかったが、ヤクスだけ泊ってもらった理由は、すぐにわかった。
「じゃあ、あれが"森の真導士"だったのか……」
「ああ、奴の真力は間違えようがない。相変わらず胸が悪くなるような気配だった」
実習での話は、忘れたことになっている。
かと言って、"森の真導士"の話を黙ってはいられない。
二人はぎりぎりの線を辿りながら、核心にあたる部分を避けて会話を続けている。
……聞いているこっちの方が疲れてしまう。
「"森の真導士"、ギャスパル、"隠匿の陣"が籠められた色紐。全部で三つ……。まずいな、追いかける要件が増え過ぎだ。四人じゃ手が回らない」
「それでもやるしかない。一気にやろうとしないで切り分ければいい。"森の真導士"には手を打てないのだから、警戒しかできないしな。修業は怠らない、まずはこれが第一だ。ギャスパル達の件はいままで通りでいい。見回りも強化されてきているから、人気がある場所を選べば、乱闘になることもあるまい」
「お嬢さん方はどうする 今日来たってことは、また来るに決まってる」
「俺を訪ねてきたらしいからな。明日から、集まる家を移動しよう。クルトの家もまずいから、ジェダスの家にするか。俺達の修業場も、ジェダスの家から一番近い場所に移そう」
二人の会話を耳に入れながら、懐かしい気分を味わっていた。
ローグがここまで能動的になったのは、"迷いの森"以来である。
「……それがいい。学舎で会った時にでも伝えよう。――なあ、ローグ。急にどうしたんだ」
長身の友人も、同じ疑問を抱えていたのか、会話の隙を見て質問をした。
「どうした、とは?」
声だけで、彼がどのような表情をしているのか、想像がついてしまう。
いまはきっと、眉をひそめていることだろう。
「お前が、そこまで主導を取るようになったのが意外だと思って。何か心境の変化でもあったのか」
鍋をかき混ぜながら、耳をそばだてた。
……気になる。
いったい何がきっかけで、彼がここまで変わったのだろう。
「特に、何も」
「嘘つけ」
そうだ、そうだ。嘘はよくない。
悪徳商人殿は、嘘を隠すのが実に上手い。
だが今回ばかりは、嘘がばればれだ。
ヤクスに加勢しようと、輝尚石を弱火にしてから居間へ向かう。
ひょこと顔を出したところで、黒と視線が交わった。
味方が増えたと知ったヤクスが、目だけでにっと笑う。
二対一だ。
絶対に口を割らせてみせよう。
「準備できたのか」
「ええ、少し煮込めば完成です」
追い払おうとしたって、そうはいかない。
そろそろと歩き、ローグの隣に腰を下ろす。
半分だけ開いている真眼から、真力の揺れが伝わってくる。波の気配は穏やかながら、やや忙しなく行き来している。
「サキちゃんの前で、格好つけようってわけでもないよな」
ヤクスは、わかりやすい罠を張ることにしたらしい。
食いつくとは思えないけれど、羞恥を抑えつつ状況を見守る。
「いまさらだろう」
思った通り、簡単にあしらわれた。
ううむ……と考えてから、油断をさせようと話をずらすことにした。
「でも、ローグが修業すると言い出して、本当にびっくりしました。修業の方は順調なのですか?」
「まあな。輝尚石の火炎流は作れるようになった」
それはすごい。
自力で多重真円を描くより、確かに難易度は下がる。
そうだとしても、導士としては十分だろう。
彼の物覚えのよさには感服してしまう。
「いままで怠けていたのに、修業はじめたらこれだもんな。女神はローグを贔屓し過ぎだ。真力でも何でもいいから、どこか一か所分けてくれ」
これは作戦ではなさそうだ。
ヤクスが言いたくなる気持ちもよくわかる。
気の抜けた軽口。
いつもの如く、悪徳な笑みを作ると思っていたのに、ローグは何故か顔をしかめた。
「ローグ?」
機嫌を悪くするような話とも思えず、ヤクスも戸惑いを浮かべている。
「全然駄目だ。これではちっとも対抗できない」
対抗? "森の真導士"にだろうか。
さすがにそれは無茶だ。
あれだけの爆発を引き起こせるような真導士に、自分一人で対抗しようなど。
まさかまた、自分を安全な場所において、ローグだけで戦おうとしているのか。
そうならば許せない。
共にと誓い合ったばかりなのに。
「まずは、多重真円を自力で描けなければ話にならん。後は速度だ。先手を取れないと、勝機は見えてこない」
ずいぶんと具体的な話になってきた。
"森の真導士"を相手取るなら、多重真円は必須となる。
しかし、速度の話はどこから出てきたのか。
もちろん先手も取れた方がいいけれど、ローグには爆発の展開が見えていたのだろうか。
黒の瞳が天井を見上げた。
さらりと、鮮やかな黒髪が揺れる。
見惚れてしまいそうだったが、友人の目の前で間抜けな顔をさらしてはまずい。
彼が言葉を続けるまで、身動きせずに待つ。
「真導士は階級がすべてだと思っていたが、実力次第ではねじ伏せられるようだからな。導士だからと諦念しなくともいい」
話が見えなくなってしまった。
"森の真導士"に階級がどう繋がるのか。もうさっぱりわからない。
相棒の横顔を困惑しながら見つめていれば、ヤクスの方から忍び笑いが響いてきた。
「……まさかと思ったけど、それで一念発起したのか」
天井を見上げていた黒が、向かいの友人を睨んだ。
ヤクスには、彼が変化した理由がわかったらしい。
「そうと決まったわけじゃない。早とちりかもよ?」
「もしもの備えだ」
「だとしても無謀だ」
「……いまの状態ではそうかもな。多重真円さえ描ければ、最低でも迎え撃てるくらいにはなれるだろう。真力は俺の方が高い」
右手で目を覆って笑い続ける友人と、睨みながら反論している彼の会話について行けない。
二人の間で視線をうろうろとさせていたら、紫紺の瞳がこちらを見た。
「これから大変だよ。サキちゃん」
「何がでしょうか……」
わかったのなら、教えてくれてもいいと思う。
共同戦線ならば、裏切りは無しだ。
「男の悋気は、タチが悪いって言うからね」
悋気?
ローグが"森の真導士"を相手に、焼きもちを焼いていると……何でまた?
「サキ」
低い声が自分を呼ぶ。
声に、まずい何かが混ざっている気配がして、背筋が伸びた。
「は、はい……」
黒の眼差しが、縫い止めるような力を持って、こちらを見据えている。
ローグの右手が伸びてきて、その指先で喉元を撫でた。
人前で肌に触れるとは何と破廉恥なと、大声を出しかけたのだけれど……。
黒の拘束力が想像以上に強くて、抵抗ができなかった。
「何もないのだがな」
疑問であふれ返った頭に、また大いなる疑問が落とされた。
ちゃぷんと投げ込まれた新たな疑問。それに返す言葉を、自分は持たずにいる。
「ローグ、あの……」
長身の友人の笑い声は続いている。ヤクスは楽しそうなのに、自分は冷や汗が止まらない。
「首輪とは、どういう意味だ?」
……そういうことか。
あの人は、本当に迂闊なことをしてくれた。
誤解が誤解を呼んで、ぐしゃぐしゃに絡まってしまったではないか。
何も話さないと約させたのだから、責任を持って誤解を解いていただきたい。
それにしても、まさか青銀の真導士がきっかけだとは、思ってもみなかった。
負けず嫌いを発揮するなら、どうか相手を選んで欲しい。
この調子では、ローグの命がいくつあっても足りなくなってしまう。
「聞かないでくださいとお願いしています。何も話せないのです」
ローグは、腕輪の真術についてのみ知っている。
あの人から貰い受けたという話はしていないし、真術を籠め直してくれたという話もしていない。
そんな話をしたら、絶対に一悶着が起きてしまう。
自分の嘘はすぐにばれるのだから、黙っているのが一番安全だ。
「三人しかいない。俺もヤクスも誰に漏らすというわけでもない。もういい加減に話してくれ」
「駄目です。何も答えられません」
「何故そこまで強情を張る。いったいあの男とは――」
耳を塞いで、音を消した。
「聞こえません、何一つ聞こえません」
誰にも会わなかったし、何も見なかった。
男と言われても記憶には何もない。
ないったらないのだ。
必死なやり取りを、面白そうに眺めていたヤクスが、唐突に席を立つ。
塞いでいる手の平の外側で、窓を開けてもいいかと声がしたようだった。
でも自分は、あまりに必死だったので返事はできなかった。
それでもヤクスは、勝手知ったるという具合に窓掛けを上げた。
外に通じる道を開いた友人から、声が上がる。
音が鈍くて聞き取れなかったけれど、ローグがそれに反応したのだけは見えている。
話が逸れるやもと期待して、両手をわずかに浮かせてみた。
「近頃は霧がよく出るねー。サガノトスはそういう場所なのかな」
めずらしがっている声と共に、夜風に乗って霧が入り込んできた。
湿り気を帯びたぬるい風に、全身が総毛立つ。
金属を叩きつけるような耳鳴りが、頭の中で喚き立てた。
「駄目、閉めて……」
こめかみが痛む。
錐で穴を開けられているように痛んで、目が霞んだ。
霞んだ視界のなか、振り返った二人の影像が揺らいでいる。
「ヤクス、霧だ!」
ローグの声に、ヤクスが大慌てで窓を閉じる。
ガラス戸で霧の侵入を阻んでも、耳鳴りは消えない。
霧に染まってしまった大気から、身をかばおうと縮こまる。
触れてはいけない――これは毒だ!
「サキ、"浄化の陣"は?」
縮こまりながら首を振る。
あの真術は、まだ展開できない。
「ローグ、まかせろ。二人とも真力は出さないでいてくれよ……!」
言うや否や。
家を丸ごと囲む、大きな真円が描き出された。
正鵠の真円は、立ち昇りながら家中の大気をさらさらと中和していく。
しばらくして、確認するように自分を見てきた紫紺に、肯きを返した。
耳鳴りは消えたし、身体を支配していた悪寒も治まった。
危機は脱したと判断してもいいだろう。
「……ねえ、オレの真円で消えたってことでいいんだよね」
「ええ。間違いなく消えていきました」
ヤクスの真円によって、掻き消される霧の正体。
その答えは、たった一つしかない。
「この霧も真術ってこと?」
「恐らくは……、霧に"隠匿の陣"の気配が混ざっていましたから」
だから、触れるまでは気づかなかった。
触れて。
身体に吸い込んで。
それでやっと感知できるくらいの、ごく薄い真術だ。
「……全部で四つ、か」
低い独白のあと、三人で視線を交わし合う。
迷宮は誘う。奥まで来いと。
囲って。
塞いで。
戻れなくなるまで追い立ててくる。
進まなければいけない。
けれど、どこへ向かえばいいのだろう?
闇夜に問いかけても、女神からの慈悲は返ってこなかった。