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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第八章 因果の獄
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たびびとさん

 幹の中にいる小さな子供。

 泣いていたせいか目元が赤い。幼さを強調する丸い頬も、真っ赤に染まっている。


(サキ……!)


 言葉に出そうとして、ごくりと飲み下した。

 怯えを見せている子供に、大声を出してはまずい。変に脅かしたら、せっかく出した顔を引っ込めて隠れてしまいそうだ。

「……お兄ちゃん、だあれ。ジュジュのおともだち?」

 甘ったるい声が問う。

 ぐずぐずと鼻を鳴らしているから、やや聞きづらい。泣きべそをかいた小さなサキは、聞いておきながら身を少し隠した。

「まあ、そんなところだ。ジュジュはいるか?」

 聞けば、ふるふると首を振った。穴の中にはいないらしい。

 回答が曖昧だったせいか、またも深くへと身を隠す。

 片目だけを覗かせるサキを宥めようと笑いかけたが、どうも狙った効果は出なかった。困ったことに彼女の人見知りは、子供の時からだったようだ。

 どう話しかければと悩み。ふと、聞いておくべきことを思い出した。

「サキか」

 琥珀が見開かれた。

 そんなに開いては目が落ちるぞと、からかいたくなる気持ちを何とか堪えた。


「何で知っているの?」


 サキは、少なくともこの頃から"サキ"であったらしい。

 いくつくらいだろう。三つか四つか……。チビ達の面影と重ねてみて、ここらへんだろうかと探ってみる。

「ジュジュから聞いていた」

 無垢な目をしたサキは、ひょこりと姿を見せた。

「ジュジュから……。ねえ、お兄ちゃんはだあれ? 木の方から来たの?」

 答えずに笑んだ。

 無用な質問には答えずにおこう。下手に答えて、隠れられては困る。黙っている自分の様子を、小さなサキが窺っている。

 ううんと悩んで小首を傾げて――。

 こみ上げてきた笑いが、つい飛び出た。

 これは卑怯だろう。いつも通りの仕草をしたサキが、どうしようもなく微笑ましい。

 笑われたことにびっくりした琥珀が、また落ちそうなほど開かれる。それから口を「あ」の形に作りなおしてから、わくわくしたような笑顔に変わった。

「もしかして、お兄ちゃんは"たびびとさん"なの?」

 期待してますという風に言われ、どうしようかと悩んだ。

 "たびびとさん"か……。まあ、行商に出ていたこともあるし、言えなくもない。それに、きらきらと目を輝かせている子供の期待を裏切っては悪いような気もする。

 小さなサキの期待に押されて、ついつい「そうだ」と答えた。返答を聞いたサキは、白くて丸い頬をさらに赤くして、うれしそうに笑う。

 その笑顔を見て、幼いサキにとって"たびびとさん"とやらが、特別思い入れが強い人物なのだと理解した。

 よくはわからないけれど、期待に沿えたらしいのでよしとしよう。


 ほくほくの笑顔となったサキが、すっかり警戒を解き。目の前まで歩いてくる。

 小さな手に小さな足。

 ……見慣れない衣装をまとった幼き彼女。成人前だから後ろ髪は出したまま。二つのお下げが、サキの背中で揺れている。

 樹木が風に靡いた。

 風に乗って、耳を痛める無音が轟く。思わず耳をかばって、紅い空に目をやった。

 紅い空の方からただよってくる、不吉な気配。

 あれは何だと問う前に、袖に力が加わった。くいくいと意識を引こうとする力。振り返れば、笑顔をまた曇らせてしまったサキが、袖を懸命に握っている。

「だめだよ。見つかっちゃ、いけないの……」

 小声を出して、慄くサキ。

 怖がっている様が庇護欲をそそる。

 だからそっと頭に手を置いた。一度、二度、三度と撫でれば、サキはあっけなく涙を引っ込めた。

「サキはここで何をしている? ……親はいるのか」

 親はいないと知っている。しかし、とりあえずの質問をした。可能なら、育ての親に会ってみたいと常々思っていた。

 いい機会だと聞いてみたところ、想定していなかった返答が出た。

「おとうさんはいない。おかあさんは、まだあそこに……」

 あそこと言って紅い空を指し示す。

 あどけない彼女は、いま自分が話した内容から波及する事柄を想像してもいない。


 この娘は、誰だ。

 父はいないと知り、母を恋しげに呼ぶこの娘は誰だ。


 サキすら知りえないことを知っている"サキ"。彼女の謎の根底にいるだろう"サキ"の目を見つめた。

 不思議そうに見返してくる無垢な瞳。その瞳が、自分から逸らされて横へと流れる。

「……ジュジュ!」

 白の獣が駆けてきた。

 必死な様子で、太い木の根を飛び越えて、サキの足元へと。

 屈んだサキの鼻に、ジュジュが鼻面を当てた。にこにこと笑う彼女は、ジュジュの背中を撫でてこちらを見る。

「ジュジュ、おともだちの"たびびとさん"が遊びにきたよ」

 きらきらの目が細められた。その足元で、白の獣が不穏な気配をただよわせている。

 ……何やら文句があるらしい。これには、無視を決め込んだ。

(サキ、隠れていてねって言ったのに。出てきちゃだめだよ)

 ジュジュが言えば、サキの泣きべそが帰ってきてしまった。

「だって……」

(あぶないから……。いい子だから戻ろう)

「いや……」

(サキ)

「いやだよう……」

 しくしくと泣き出してしまう。

 小さな手で、一生懸命に涙を拭っている姿が危なっかしい。

(サキ……。隠れておいでよ。ちゃんとぼくが守ってあげるから)

「おかあさんのところに、帰りたい」

(だめなんだ。もう帰れないんだ)

「みんなと一緒がいい……」

(サキ。お願いだから言うことを聞いて)

 しくしく泣きが、号泣になるまで時間はかからなかった。困り顔になっているイタチは、泣きじゃくる彼女の裾をくわえて、ぐいぐいと引っ張っている。穴に戻ることを促している獣の様子と、泣いて拒否する幼いサキの様子を見比べて、決意を固めた。

(いい子だから)

「うん……。わかったよジュジュ」

 そう言って、穴に戻ろうとする小さな背中へと呼びかける。

「俺と行こう」

 ぴたりと泣き声が止んだ。

 真っ赤になった大きな目が、ぽかんとしながら自分を見る。

「ここで一人はいやなのだろう。なら俺と一緒にいればいい」


 推察するに。

 ここは青の壁の内側だ。何故、サキの姿が小さいのか。元はどこなのか。謎が謎を呼ぶ不可思議な世界は、きっと彼女を囲って隠しているのだ。

 サキが怖れている何かから。


「だめなの……。ジュジュもだめだって言ってる。見つからないようにしていないと……」

 言って、紅い空を見た。

 不安に揺れる琥珀。痛々しい表情が、胸に沁みる。

「だから隠れていたのか」

 こくりと肯く。

「ずっと隠れているつもりか」

 肯き俯いた。

 そこに逡巡があったのを、決して見逃さなかった。

「一緒に行こう」

(君ではこの娘は守れないよ)

 口の中に苦みが沁みた。自分の小ささを詰る言葉を受け止め、彼女の腕を取る。

(ローグレスト!)

「そうだな、俺では守れないかもしれない。サキを傷つけてしまうことも、あるだろう」

 自分の無力さは、自分が一番よく知っている。

「でもな、ジュジュ。やはりここでは駄目だ。ここはサキが望んだ場所ではない」


 彼女を守っている安息の地。

 ジュジュが作った壁の世界。頑強な青の壁ならば、彼女を守り抜けるのだろう。試練から逃れることもきっと可能だ。どこかで願っていた真綿の世界が、ここにはある。

 でも、ここは駄目だ。

 だってそうだろう。こんなにもサキが泣いている。誰よりも孤独を嫌うサキは、ここで一人過ごすことを望んでいない。


「サキ、おいで。一緒に行こう」

 試練渦巻く世界に。数多の苦難と恐怖と幸福にあふれた世界に。

「皆も待っている。俺達のことを待っている。たくさん泣かせることになるだろう。それでも一緒に行こう。守りきれないかもしれない。そうだとしても、俺と一緒に来てくれ」

 琥珀が輝く。

 森の白を反射して、光に溶ける。

「一緒に……」

「ああ、一緒に」

 蜜色に瞳が輝いた。

 うるんで溶けた蜜が、ぽろぽろと森に落ちる。

 胸に小さなサキが飛び込んできた。ぎゅっとローブをつかみ、胸に顔をうずめて泣く。

 わんわんと泣きじゃくる彼女を、そっと抱き締めた。

 白の獣と視線が絡む。ジュジュは納得していないような表情ながらも、黙って見ている。賭けに勝ったことを理解してから、泣きやまないサキの背中を撫でた。




 幼い彼女のしゃくりあげが収束したのを見計らって。いやそうな気配を出しているジュジュに言った。

「さあ、帰るぞ」

(……ぼく、納得してないけど)

「ぐだぐだ言うな。最初から"サキが望むなら"って話だったろうが」

(ちぇ)

 しばらくの間、文句ありますとただよわせてはいたけれど。最後には、仕方ないなと尻尾を振った。

(サキ。外にでるよ)

「うん。……でも、どうやって?」

 これには大いに焦った。……まさか、出ようとしても出られないとか言うんじゃないだろうな?

 不安を加速させるように、白の獣が首を傾げた。


 勘弁してくれ。

 冗談だとしても、きつ過ぎる。


 悶々と悩んでいると、サキがまた「あ」と口を開いた。自分の顔をじいっと見て、しゃがんでくれと合図を出してくる。言われるままに頭の位置を下げれば、小さな額を、自分の額に重ねてきた。

「広いね」

 サキもジュジュも、話しの軸を盛大に端折ってくれる。

 何について話をしているか、ちっともわかりはしない。

「入れるかな?」

 疑問を口に上らせる前に、真眼に負荷を感じた。大量の真力が入り込んでくる感触に、意識が遠のく。

「きゃっ」

 小さな悲鳴を聞き、遠のきかけていた意識を立て直す。


 ――何だいまのは。


 呆然としている自分の目の前で、サキが尻もちをついている。

「入れないよう……」

(当たり前だよ。無茶するんだから)

 ぐずぐずと泣き出したサキに、ジュジュが呆れ声で説教をした。

(入れないの。絶対に交わらないの。わかった?)

 叱られて、しょげてはいるものの、サキの目は諦めていない。何とかしてやろうとの気概がしっかりと見えている。そうこうしている内に、三度目の「あ」を作って、サキがポケットを探り出した。今度は何だと恐々としていれば、小さな手が白い実を取り出した。

「はい」

 見ようと思えば、リズベリーにも見える白い実を、とてもうれしそうに差し出してくる。

(だ、だめだよ、サキ。だめ、だめ、だめ、だめー!!)

 うるさく喚いて、白イタチがぴょんぴょんと跳ねる。

 しかし、サキは止まらない。うんと背伸びして、白の実をジュジュから遠ざけて、自分に渡そうとがんばっている。

「お兄ちゃんにあげる。食べて」

(サキ、待って。それは本当にだめ)

「だいじょうぶ」

(だいじょうぶじゃないの! それは大事に取っておくんだ。早まっちゃだめだって)

「いいの。"たびびとさん"に食べてもらうって決めてたもの」

 小さな手に乗っている白い実を、ジュジュに奪われる前にと手に取った。

(ローグレスト、返して!)

 悲鳴のようなジュジュの抗議を、今度もしっかり無視してやった。

 口に放り込んだ白い実は、予想どおりリズベリーに似た味をしている。さっさと噛んで、飲み込んだ。

(ああ! 何てことを……)

 にこにこと笑うサキの横で、ジュジュが恨めしそうに睨んでいる。

「これでいいのか?」

「うん!」

 頬を紅潮させたサキが、満面の笑みで肯いた。

 またまた合図を出してきたサキの額と、自分の額を重ね合わせる。

「……何をする気だ」

「一緒に行くの。今度はちゃんと入れてね」

 言うが早いか、真眼に負荷を感じた。しかし意識は遠のくことはなく、するりと入った気配がしただけだった。

 すべては一瞬のこと。

 目を閉じて、開いた時には、サキの姿はどこにも無かった。

(……ひどいよ、ローグレスト。ぼく絶対に許さないからね)

 残っていたのは、文句たらたらのジュジュだけ。

 だから何の話をしていると聞きたかったのだが、それはできなかった。ジュジュが青く輝いて、唐突に世界を終わらせたのだ。青の中、崩れ落ちる真綿の世界。

 崩壊の音が、晴れやかに響き渡る。




 気がつけば、サキの部屋に戻っていた。

 部屋に満ちていた青は、かけらも残されておらず。夜の闇が広がるばかり。

 確認のため、ランプを灯した。

 部屋をあたたかく染めた光は、眠る彼女を映し出す。

 寝息が聞こえた。すうすうと眠る彼女の呼吸が、耳に触れる。

「サキ……?」

 瞼が震えた。

 錯覚ではないかとも思えたので、近づいてぬくい頬に触れてから、もう一度呼んだ。

「サキ」

 ん、と音が漏れた。

 蜜色の瞳が浮かび上がる。ランプの炎を中に映して、ゆらゆらと揺れる恋しい色。


「……ローグ」


 眠そうな声が、自分を呼ぶ。

 この時、どう返事したのか記憶には残っていない。

 あふれた感情に任せて、彼女を抱き締めた。


 それだけしか、覚えていられなかった。

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