真実のかけら
「慧師! 何ゆえ二人を戻したのですか」
転送で二人が飛んで行った後、たいそうな剣幕でナナバ正師が慧師へと詰め寄った。
「娘の力をろくに確認もせず。目覚めるための手立てすら探さず。しかも、あの男の状態は――」
「よい」
「慧師!」
「いま、あの番を刺激してはならぬ。……キクリ」
「はっ」
「番の家に幕を張れ。覚られぬよう。だが、決して穴のなきよう」
「承知致しました」
「ムイよ」
「はい」
「その者達を」
「承りました」
「……あの、慧師!」
銀色にきらきら光る瞳と、ばっちり視線が重なった。
……うー、緊張する。
何考えているかわかんない人って苦手なんだよな。特にこの人には勘が働かないし。
「サキちゃんは、真術では目覚めないのですか」
銀が揺れる。仕草で肯定が示された。
「何か方法は……」
「我らが知る真術にはない」
「方法が見つからなければ、このままってこともあり得ると」
再びの肯定。
慧師の後ろで、ナナバ正師が何か言いたげにしている。
興奮と混乱が渦巻く場で、何かをつかみかけていた。頭の中に答えがある。尻尾を捕まえようとすると、するすると逃げていく。あともうちょっと。もうちょっとだけど届かない。
「ヤクス、ジェダス、オレ達も行こうぜ!」
「ならぬ」
赤毛の友人の行動を、白銀の慧師が止める。クルトは何で止めるんだともどかしそうに慧師を見た。
「あの番を刺激してはならぬ」
重ねられる禁止。
それを素直に飲み込める状況じゃない。それでもシュタイン慧師が言うと、聞かなければならないように思える。
「落ち着くまで、あの番のことは忘れておれ」
「でも……!」
「娘の力へ干渉ができぬ以上、我々に打つ手はない。ローグレストにまかせよ。無為に触れようとすれば、あの者は真実を覆ってしまうだろう」
友人達が、互いの顔を見合わせて思案している。二人が心配だし、何よりも友が生きていることがわかった。力になりたいと思っているのは、また一緒だ。
でも、いまは。
「ローグに、まかせてやろう」
「ヤクス……」
「ああなっちゃったら、絶対に聞かないからな。久々の再会なんだ、邪魔したら恨まれちゃうよ」
カルデス商人に恨みをかうのは御免だね。
不承不承、肯いた友人達と一緒に中央棟を後にする。外に出た時、ずっと降り続いていた雨が、小さく細かくなっていることに気づいた。
明日には止むだろうか。
期待を胸に空を見上げる。小雨が顔にぱらぱらと落ちてきて、とても心地いいと思えた。
額を重ねる。
ひやりと冷たい彼女の温度を感じつつ。真眼の奥に満ちる真力に触れようとして、強烈な青の壁に阻まれる。
やはり駄目だ。
幾度手を伸ばしても、彼女の世界に触れられない。
いつもならば、するりと入り込める彼女の世界。いまは、何人たりとも通さぬとの強い意志に塞がれている。
青に眩んだ視界と、激しくなる頭痛に苦しみ、大きく溜息をついた。
「どうしたものか……」
時を止め、眠り続ける彼女の添え髪に、指を絡めた。
さらりと指の間を滑る感触は、常と同じ。唇に手触りのいい金糸を押し当て、また彼女の額を見つめた。
サキの真眼は、完全に開いている。
この状態で幾日も過ごしてきただろうに、枯渇の兆しはなかった。真力が枯渇すれば、青の壁が消え、彼女が目覚めるやも……と考えたが、どうも難しそうだ。
再び真眼に触れる。
今度は潜り込もうとはせず、ただ観察することを目的とした。
清涼な風の気配が満ちた真眼。
サキの真力がこんなにも近くにある。求めていた気配に触れ、ざわめく歓喜。それをどうにか控えさせながら、青の壁の継ぎ目を探す。
ぴたりと閉じられた世界。常ならば、涼しげな風がゆるく流れている。だが、壁が作られた彼女の世界には、風が吹いていない。窓を閉め切った室内のように、しんと静まり返っている。
手当たり次第に探してみるが、やはり隙間はどこにもなかった。
青に満ちた世界で、立ち往生する。
本当にどうしたらいいのだろう。ここまで頑なに拒まれると、さすがに辛い。
「……怒っているのか?」
それとも拗ねているのか。
いくらでも謝るから、道を開けてはくれないだろうか。
寝床に横たえた彼女は微動だにもしない。青く満ちてそこに在るのみ。
持っていかれた。
そんな風に思えて仕方がない。
前々からの危惧が現実となったのだ。何故目を離したのか。自分の過ちを、いまさらではあるが大いに責めた。
また大きく溜息を出した。
身体がだるい。真力が枯渇すると体力も極端に落ちるようで、彼女を寝床に運ぶことですら困難だった。何とか落とさず寝床まで運んだけれど、いまはもう、寝床に身体を任せていないと苦しいくらいだ。
床に半身を投げ、肘で身を起こした格好で冷たい頬に触れる。
右手の甲でサキの右頬を撫ぜた。それだけで少し救われたように感じる。思わず苦笑が漏れる。これはかなりの重症だ。ヤクスに薬でも煎じてもらおうか。
強情に立てていた肘から力を抜き、サキの隣に頭を転がす。
目を閉じて眠ってしまいたい。
彼女が戻ってきた。青に遮られて最後の一歩が届かないけれど、そこまで急く必要もないだろう。
明日。
そう、明日がんばればいい。
今日はもう眠って……明日、目覚めさせる方法を見つけよう。
疲れが消えればきっと妙案も浮かぶ。この数日、休みらしい休みは取っていなかった。砕けた意地と共に、寝床に沈んだ。
弛緩した身体はどんどんと重みを増して、寝床深くまで誘う。足は床に放り投げたまま。わずかにずり下がったが、上手いこと止まってくれた。
鉛の身体が溶けていく。
頭痛からくる刺激すら眠気を誘う。このまま黒く深い場所に沈もうとした矢先、瞼の向こうで青が煌めいた。
――ねえ。
頭の芯に触れる、声。
細い声音に覚醒を促される。寝床に沈んだまま目を開いた。
――誰か。
呼び掛ける声。
寂しそうに震える、サキの声。
――応えて。
「サキ!?」
青に眠る、彼女の肩を揺する。
静かに横たわっているだけの彼女。だがその真眼が、星のような煌めきを見せている。
「……サキ、聞こえているか!」
ここだ。
俺はここにいる。
寂しがりの恋人に、声の限り呼びかけた。
そうやって、煌めく青の奥から聞こえる声に応えても、やはり愛しい琥珀との再会が叶わない。焦れて、焦がれた自分を嘲笑うように青があふれる。もどかしさで苦しみが増す。苦い感情が血脈を通って足先まで到達し、眠りを流し去った。
反動だろうか。久しく整っていなかった気力が、ここにきてようやく元の形となった。思考が思うままに動き出す。
塞がれている。
彼女の意志ではない。他の何かによって塞がれている。
彼女自身は青の奥で呼んでいる。外に手を伸ばしているサキの意志を、青が阻害しているのだ。でなければ、こんなに悲しそうな声を出しているはずがない。
何だこの気配は。サキに近い。とてもサキの気配とよく似ている。されど、微妙に違うこの気配は?
過去を手繰る。
青の気配は、常に傍で触れてきた。
"迷いの森"で。ベロマで。呪いの祭壇で触れた気配は、すべて覚えている。青の力は、その強さも。理解し難い現象が起こったしても、気配自体は彼女のもの。
……いや?
過去を手繰っていた思考が、引っかかりを掴んだ。
たった一度だけ、違う気配が混じっていた。あまりに馴染んでいたから。そして、突然の出来事だったからすっかりと記憶に埋没させていた。
ベロマで。
土砂に塞がれた地下で、彼女は青を解き放った。白を塗りつぶし、青だけで世界を染めた彼女は、空に手を掲げて招いた。
そして……。
――ジュジュ、いくよ
彼女の元に降り立った白の獣。
首をひねりたくなるほど、彼女の言葉に理解を示す白イタチ。謎の多い彼女に寄り添って暮らす、愛らしい獣。
疑問はずっと抱いていた。彼女にばかりかまけていたから、後回しにしていた謎の切れ端。眠りの病に倒れたサキと共に、昏々と眠っていた姿をやっとのことで掘り起こした。
雨に打たれ、冷たくなっていたジュジュ。
息もしていなかった。心音も途切れていた。死んでいるとしか思えなかった様相は、いまのサキと……同じだ。
縺れる足に動きを取られ、転倒しそうになりつつ外へと駆けた。
小雨の降る中、獣の墓へと向かう。
埋葬する時に使った木の板を手にし、大地へつき立てた。数日前と同じ場所で、同じように大地を掘る。
今度は埋めるためではなく、掘り起こすために。
いくらもしない内に、木の先がかつりと当たった。木箱の蓋を開く。埋葬した時と、寸分の変わりもなく眠るジュジュを抱いた。頭の中、友人の言葉が響く。
(夏場、数日経った遺体にしては、綺麗過ぎるんだよ)
こんなこと、あり得ない。




