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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第八章 因果の獄
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冷たい再会

「お前、ちゃんと飯食ってなかっただろう」

 手の中の物を見ている友人は、元に戻せていない千切れた組み紐を眺めていた。手元に集中しているローグに、苦めの小言を出す。

 塔で見つけた手がかりは、里の上層へと渡った。色々と思うところはあったものの、オレ達ではこれ以上できることがなかった。

 時が流れるのももどかしく、中央棟の一室に七人で待機している。家に帰るよう言われたけど、そこは全力で拒否をしておいた。これからどのようなことが待っていようと、途中で逃げ帰るまねはしたくない。

 ……それが悲しい報せだと、わかっていてもだ。


 幻から飛び出た人物の名は、調べるまでもなく当人に行きついた。

 ドルトラントで、知らぬ者はいないと言い切れるほどの有名人。カーネル・ブランカと言えば、国一番と名高い騎士だった。

 まだ二十の半ばらしいが、ドルトラントではもはや敵なし。十年ほど前に行われた御前試合で、一敗をつけられたのを機に猛然と腕を磨き、以降は一度も負けたことがないと聞く。

 その腕前を買われ、いまでは国王直属の騎士団"黎明の嘶き(れいめいのいななき)"をまとめ上げている。

 "黎明の嘶き"は国王の意志のみで動き、どの領地でも介入することができる陛下の私兵だ。

 つまり、議会が真導士の里へ依頼した件とは別に、国王が動いていたということ。日のほとんどを寝床で過ごされていると聞いていたけど、さすがは陛下。いついかなる時も、民のためを思ってくださっている。


 かの人物との交渉に向かった上層の面々。

 彼等の帰りを、いまかいまかと待ちわびている。レアノアが強調していた通り、真導士の失踪はかなりの大事であるようで。交渉には慧師自らが足を運んでいた。

 唯一場に残ったムイ正師は、目を閉じて真円を保っている。

 右に旋回している真円を、静かな黒が見る。重苦しい沈黙の中、誰もがこの男を案じている。


「まいったな……」

「何が」

「結局、何も思い浮かばなかった。戻ったら真っ先に伝えないとならん……。だが、どう伝えればいいのか言葉が思いつかない。懐いていたから寂しがるだろうな」

 静かな黒が、困惑に揺れる。

「ジュジュは、いつ……」

「二日目の昼に見つけた。家にいると思っていたから探していなくてな」

 夜通しの捜索から帰って、草むらに躯が隠されていたのを見つけた。

 一晩、雨に打たれていたから、氷のように冷たくなっていた。そんなことをぽつぽつと語る。

「世話も放っている。どうしたものか」

 床を見つめていた黒が瞼に覆われる。その姿を見て、ふと思った。

 ローグは、知っているのか?

 "暴発"の意味を。それに伴う結果を理解しているのか。

 静かな黒からは何の感情も窺えない。でも、知らないことはないだろう。あれだけの書物を読み漁っていたのだし、拾った知識を生かせぬ男でもない。


「本当にまいった。泣かれるのはこりごりなのだが……」


 ぽつりと言ったのを最後に。黒髪の友人は何もしゃべらなくなった。




 ムイ正師の真眼が、強く輝いた。

 弾かれたように顔を上げ、真円の輝きを見る。

 強くまばゆく輝く真円は、一瞬で展開し、一瞬で収束をした。

 白を失った室内は、白楼岩の光のみで照らされている。密やかな光の中に三人の人影。慧師と、キクリ正師、ナナバ正師。出て行った時と同じ人数。同じ顔触れ。

 三人は一緒に転送されてきた木箱を中心にして、向かい合うようにして立っている。


 声を漏らしたのは誰だったか。明確には聞き取れなかった。

 白い木箱は、オレにとって馴染み深いものだ。残念ながら切っても切れない縁で結ばれている。白い木箱は、四大国のどこでも同じように使われていた。

 女神の祝福を表す白。

 祝福の色をまとい、惑うことなく大地に還れるようにと祈りが込められている――棺。


「お帰りなさいませ、慧師」

 静謐の中、シュタイン慧師が一つ肯きを返した。

 キクリ正師が歩いてくる。

 黒髪の友人の前まで歩いてきて、肩にそっと右手を置く。労わる動きを見て、ジェダスが小さく祈りをつぶやいた。キクリ正師に促され、棺に向かうローグの後ろを、一緒についていった。

 こういう時、医者は無力だ。真導士も無力だ。

 無力だと知っている。それでも一緒に棺へと向かう。


 白の棺の蓋が、風に乗って開いた。蓋は風に舞い、どこへともなく消失する。

 中には、ずっと探していた友人が、密やかに眠っていた。

 つい五体を確認する。白い装束の下には、確かに手足の形が残っている。見える範囲に怪我らしい怪我はない。ほっと胸を撫で下ろし、本当に眠っているだけに見える遺体の姿に、安堵と悲しみを覚えた。

 額を覆い隠し、瞼に影を塗っている布を見やる。

 人は、道を終えると魂が抜ける。その魂の出入り口は額だと言われている。女神の大地に還る躯が、邪神に惑わされることがないよう。身体が乗っ取られることがないよう、死者の額には布が巻かれる。

 真導士が籠めた、結界の術具でもある絹の布が、眠りについた友人の額に巻かれていた。

 死者である証を見とめ、黒髪の友人へと視線を移した。


 ローグは。

 探し求めていた恋人の変わり果てた姿を、静かに見下ろしている。

 泣きも喚きもせず。呆然としているローグの様子に不安が募る。


 衣擦れの音が、やけに大きく聞こえた。

 永遠とも思える時間を越えて、ローグが動いた。膝を折り、床に置かれた棺に手を伸べる。

 祈りを捧げる形で組まれたその手に触れ、掠れた声で呼ぶ。

「サキ」

 泣き声が聞こえる。

 すすり泣きは、徐々に大きく。悲しみの色も強くなっていく。

「なあ、サキ」

 ローグが、もう一度名を呼んだ。恋人の手を撫でている仕草は、壁を撫でていた時とまったく同じだ。

 労わり。慈しんで。やさしくあたためている。

 右手が動く。白い頬に当てられた手が震えていた。

 一度。

 二度と撫ぜて。動きが止まる。

 また、彼女の名を呼んだ。慟哭に染まった声で。

 声だけで泣くローグは、あたためれば彼女が目覚めると信じているかのように、頬を包み続けている。

 教え子の肩を抱えているキクリ正師は、目を閉じて空っぽの慟哭を聞いていた。声に、仕草に、悲しみをありありと浮かべている友人の表情は、変わらずに呆然としたまま。ローグが、握った彼女の手を自身の頬に運ぶ。

 無力なオレは、その姿を見ているしかできなかった。







 嗚咽が聞こえる。

 娘達の泣き声が、耳を通って抜けていく。

 あれほど自分を苛んでいた頭痛は、ぴたりと止んでいた。研ぎ澄まされた大気の中、頬に当てた手の冷たさを感じている。

 こんなに冷え切って。

 辛かったろうに。早くあたためてやろうと強く擦りつけているが、一向にぬくもりが戻らない。

 サキは眠っている。

 寝顔は見慣れていた。最近は、眠る彼女をこうやって見守ることが多くなっていた。いつも通りの時間を、共に過ごす。

「ローグレストよ、すまない……」

 言葉が滑って流れていった。

 眠る彼女の頬を見る。涙はこぼれていない。悪夢に魘されていないことだけを確認して、また時間を重ねる。


 冷たい手。

 冷たい頬。

 聞こえるはずのささやかな寝息は、泣き声に埋もれてしまっているらしい。


 白に埋もれたサキを、家に連れて帰ろうと思った。

 夜も遅い。家で休ませようと思いつき、身体を抱き起こす。望んだ通り、難なくもげた白の彼女を腕に収めた。

「よしなさい。眠りを妨げてはならない」

 奪おうをする手から、サキをかばう。

 きつく抱いて、すべてから守る。

「棺に戻すのだ。サキには郷里がないと言っていたな。里の中で葬ってやろう。もし、望みの場所があれば用意をする。できる限りのことはする。お前達の無念は、必ず晴らすと約束しよう。さあ」

「家に……」

「ならぬ。ローグレスト、気をしっかりと持て。死者の眠りを妨げる真似をしてはならない」

 何故、邪魔をする。

 サキと一緒に家に帰るだけだ。

 一晩休ませれば疲れも取れる。明日がくれば、体温が戻って元気になっている。

「ローグ」

 ヤクスが隣に屈んできた。

 紫紺の瞳が、眠るサキを捉えている。

「駄目だ。正師の言う通りだ。眠っている者を起こそうとしてはいけない」

 不思議な色合いの紫紺が、自分の感覚と理性を呼び醒ましてしまう。

 霞みがかっていた世界に色が戻る。

 視界のすべてに色がつく前に視線から逃れて、眠るサキの頬に、自分の頬を重ねた。

 冷たい。

 近くで触れあっているのに、寝息が届いてこない。清涼な気配にも触れられない。

「眠らせてやろう」

 そう言って、ヤクスの手がサキの肩に触れた。不思議なことに嫌悪は出なかった。


「――え?」


 頭に残っていた霞みを、素っ頓狂な声が吹き飛ばしていった。

 サキの身体を半分だけ抱えたヤクスが、瞠目している。

「どういうことだ?」

 頬に当てていた腕をもぎ取られそうになり、決死の思いで奪い返す。

「正師、ローグを抑えていてください。ジェダス、クルト、手伝ってくれ……!」

 全力の抵抗も虚しく、彼女の身体すべてをヤクスに奪われる。

 身体中の血が、目に集まり、視界を赤く赤く染め変えた。奪い返すべく手を伸ばしてみるが、腑抜けた身体は思うように動かない。


「よく視えている」

 朗々とした声が間近で聞こえた。白銀の慧師がサキを見ている。

「シュタイン慧師。これはどういう……」

「視たものを語ってみよ」

 問いに問いで返した慧師は、ヤクスに先を促した。

 一呼吸おいて、ヤクスが語る。

「遺体……ですよね。数日前に魂が抜けた身体なんですよね」

 ひとり言めいた言葉に、ナナバ正師が答えた。

 騎士団が発見した時にはすでに事切れていた。彼等は埋葬の準備をしつつ、家族の元に帰そうと遺族を捜していたのだ、と。

「では、数日経っていることは確実ですね……?」

「確かである」

 ナナバ正師の返答を聞いた紫紺が、サキを見た。

 奪い取った彼女の腕をさわり、袖を捲って何かを観察している。

「ヤクス殿、いったいどうしたのですか」

「綺麗過ぎる」

 観察していた腕に触れ、何かを確かめていたヤクスは、彼女の手首に二本の指を当てた。

 脈を取ろうとする仕草に、ジェダスが息を飲む。

「夏場、数日経った遺体にしては、綺麗過ぎるんだよ。変色もない上に匂いもしていない……。こんなことあり得ない」

 言葉がするすると流れて消える。

 音は聞こえていても、頭に留まらず大気へと溶ける。

 抑えつけられている身体は、やはり鉛のように重いままだ。消えていた頭痛も戻ってきている。

 紫紺が一度こちらを見た。そして慧師へと顔を向けて……彼女を見る。

 気のせいか。

 紫紺に、針先ほどの尖った光が映り込んでいた。

 瞳の中に映った光は、星灯りに近い色をしている。ぼんやりと淡い光。

「ヤクス、何してんだっ!?」

 目の前で手が伸ばされた。真っ直ぐに、彼女の額を覆っている布目がけて。

 止める間もなく、聖なる守護布が取り払われた。




 まばゆい青が満ちる。




 あふれだした青は、遮るものから解放されたことを喜び。触れたすべてを自身の色で塗り替えた。

 どっと流出した青が真眼を通って、身の内へと浸透する。

 そよ風のように入り、枯渇しかけた真力と混ざるサキの気配。

 呼吸すら忘れて、青に見入る。


「青の、奇跡……」

 キクリ正師の声が、どうしようもなく大きく聞こえた。

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