絡みつく
「行ってくる」と言って、彼等は出掛けていった。
共同生活を開始してから、今日で三日になる。
あの日以来、我が家には常に人がいるようになった。
しばらくの間と銘打っていた共同生活は、開始早々に終わりが見えなくなってしまった。
たった三日の間で、乱闘が五件も発生したからである。
確実な荒みを見せている里の気配に、全員が長期戦を覚悟した。
"二の鐘の部"の五人は、座学が終わると同時に、我が家へやってくる段取りとなっている。
昼食を共にし。
"三の鐘の部"が終わる頃に、男達が学舎へ行き。
そして、幼馴染の番と合流してから、夕食の材料をとって一度帰ってくる。
ユーリを無事に家に連れ戻ったら、三人の娘を家に残して四人で修行場に向かう。
この一連の流れは、ジェダスの提案が採用されたものだ。
"三の鐘の部"は、厳しい鍛錬を自身に課している者が多い。
もちろん、ギャスパル達も例外ではない。
次に接触してきた時のため、自分達も力を蓄えておくべきだろうと、全員が修業に励むこととなった。
天水は穏やかな真術が多いので、家にいながら修業が行える。
しかし、燠火と蠱惑はそれが難しい。
そんな理由で、男達は連日、修業場に顔を出している。
三人の娘達は、食卓の上に輝尚石と紐を並べて、それぞれの作業に集中している。
自分とユーリは、青銀の真導士の助言に従い、"浄化の陣"を覚えるべく悪戦苦闘中だ。
昨日まで根を詰めて修業していたティピアは、ひと息入れて休むことにしたらしい。
そしてユーリから話を聞き、組み紐に興味を持ったようだ。
彼女は六色の紐を食卓に並べ、腕飾りを作っている。
「上手くいかないよぉ……」
しょんぼりとしたユーリの声に引っ張られ、自分も思わず音を上げた。
「これは、難し過ぎますね」
青銀の真導士は簡単に言ってくれたものだが、"浄化の陣"は力の調整がとても難しいのだ。
それもそのはず。"浄化の陣"は、教本の後方に掲載されている。
本来であれば、習得は年の後半になるのだろう。
二人して、色香のかけらもない吐息を出した。
「たまには息抜きしたいねー。毎日毎日ずっと家の中じゃ、気が滅入っちゃう……」
桃の瞳が、うらめしげに外の方を眺めた。
ぴたりと閉じた居間の扉からは、物音一つしない。
自分達が戻るまでは、窓掛けも上げるなと言われているので、夕方ではないのに少し薄暗い。
元気な彼女にとって、密室と化した居間が我慢できないのだろう。
外出が得意ではない自分ですら、わずか暗い気分になってきているのだ。無理もない。
連日のように起こっている揉め事の詳細は、男達しか見聞きしていない。
彼らが、自分達にそれを伝えないからだ。
無駄に不安がらせないようとの配慮だと思うが、枠外に置かれているのは面白くない。
この時ばかりは、男女という越えられない壁の存在が、煙たく思える。
政に限らず。日常で発生した大概の事柄は、成人した男にしか参加する権利も、口を出す権利もない。
女子供は、男が決定した内容に粛々と従うだけなのだ。
同じように責任が割り振られる真導士の任務の方が、例外的であると言えよう。
「ねえ、少しだけ外に出てみない?」
食卓にうつ伏せているユーリが、まずいことを言い出した。
「駄目。危ないってジェダスが言ってた……」
組み紐から目を離さないまま、ティピアが釘を刺す。
一緒に過ごす時間が長くなったので、小さな彼女は人見知りをしなくなった。
自分達限定ではあるけれど、大きな前進だ。
「次の休みには、聖都に遊びに行こうと約束しているのですから。もう少しだけ我慢しましょう」
それでも食卓の上でごろごろしているユーリは、不満そうに鼻を鳴らした。
「……だってずるいよ。どうして女だからって家に閉じこもってないといけないの? クルトだって外に出てるじゃない」
「クルトさんは、男の人ですから」
当たり前のことなのに、ユーリはとても不満そうだ。
「何よ、成人したらいきなり大人ぶっちゃってさ。昔は一緒に文句言ってたのに、十五になった途端、お父さんやおじさんと同じこと言い出して。わたしばっかり除者にするんだから……」
いじける彼女を慰めようとしたのに、意に反して苦笑がこぼれてしまった。
どうやら、大人の男として在ろうと背伸びをしているのは、うちの相棒だけではなかったらしい。
「最近のクルトは変過ぎるの。ちょっと前まで、悪戯ばっかりしてたのに急に常識人になっちゃって。あいつには、全然似合わないよ」
幼馴染とは、皆このように悩むのだろうか。
桃色の娘は、幼馴染に置いていかれたように思っているのだと、容易く想像がついてしまった。
留守番を命じられ、悲しげに鳴くジュジュのようで愛らしい。
「……男の子はそういうものだって、お姉ちゃんが言ってた」
小さな友人の発言も、慰めにはならなかった模様である。
「ティピアちゃんまで、うちのお母さんと同じこと言わないでー」
くすくすという笑いが、居間に満ちていく。
自分では得られなかったもの。
手にすることが叶わないものでも、その一端に触れるくらいは許されるらしい。
広がり続ける女神の世界は、やはりとても美しい。
つと顔を上げる。
耳に詰まりを感じて、真眼を開いた。道の角に、いやな気配が留まっている。
「サキちゃん?」
「……どうしたの」
二人に向かって、動かないでと合図をする。
両手をこめかみに置き。意識を真眼に集めて、世界を視る。
ティピアが、「抑えて」と言霊を出した。
食卓の上のランプが消え、部屋に影が落ちる。
真眼を半分だけ開いている気配。片生とは違い、確かな力を有する真導士を追うのは簡単だ。
人数は三人。
劫火の本体ではないようだ。
しかし、皆が皆して似たような気配をまとっていた。
家に――向かってきている。
急いで自室とローグの部屋を確認する。
大丈夫、窓は開けていない。
真術で構築された樫の家は、外への道が開かれていなければ、要塞のように安全だ。
窓を割ることもできないし、火で燃えることもない。
真術の炎ならば燃やせることもあるが、そのためには真術を施した真導士の力量を、上回る必要がある。
正師の力を上回る導士など、いるはずもない。
鉄壁の守りの中、娘達は息を潜めて外を窺う。
家路を進んで来る三つの足音が、徐々に近づいてきていた。
我が家は、居住地の外れ。
近隣に家はない。
自分達に用事がある者以外、道を辿ってくることはないはずだ。
窓掛けの隙間から、人影を示す灰色が揺れる。
……中を、見ようとしている。
手荒に扉を叩く音がした。
居留守を決め込もうかとも思ったが、真眼を開いている状態では誤魔化せない。
扉から一定の距離を保ったところで、訪問者へ声を掛ける。
「どちら様ですか」
「ローグレストはいるか」
名乗らないまま要件だけ伝えてくるのは、穏やかとは言い難い。
火傷しそうな気配に向かって、精一杯の意地を張る。
「どちら様でしょうか」
返答に腹を立てた訪問者が、大きく扉を蹴ったようだ。
樫の扉が激しく音を立て、軋む。
「ローグレストは、いるのかって聞いてるんだ」
「出掛けています。用事があるなら伝えておきます。……名乗っていただけますか」
威嚇するような罵声が飛んできた。
樫の扉を通しているせいで、鈍い音となり耳に届く。
声から推察するに、喫茶室で邂逅した男達だ。
外に出て来いと言ってきたけれど、断固として拒否を返す。
乱暴者の前に、のこのこ姿をあらわすなど、誰がするものか。
意味のない押し問答を繰り返し。しばらくして男達が立ち去った時、膝から崩れ落ちてしまった。
手の平の汗が、べったりと床に張り付く。
「サキ、大丈夫?」
「大丈夫ですよ、ティピア。……ユーリ、真術の修業は終わりにしましょう。また彼らがきた時、他に人がいると悟られてしまう」
そうだねと応じたユーリは、輝尚石を箱に片付ける。
片付けの様子を見ながらゆっくりと立ち、冷たい水を飲もうと炊事場に向かう。
自分達は、ここ数日で肝が据わってしまっていた。
実習を経験したのが大きかったのだろう。
急速に、真導士としての誇りと自覚が芽生えてきている。
起きてしまった荒事は、男達が戻ってきてから報告すればいい。動揺して、不用意に動くのが一番危険だ。
落ち着こう。
息をしっかり吸って、気力を整えよう。
炊事場で冷水を汲み、一息であおってから深呼吸をする。
ローグに何の用だったのだろう……。
ジェダスは、目をつけられたと言っていた。残念ながら予想が当たったらしい。
すべてを己の下に置こうとしている劫火の男にとって、ローグの存在は邪魔なのだ。
今後も、同じようなことが起こるだろう。
幸い自分の察知能力は、ばれていない。上手く使えば、接触せずに済むはず。
彼は、傍から離れるなと言っていた。
けれど、彼こそ自分から離れない方がいい。
高い真力を有する彼は、他者の気配に鈍いのだ。
気力が整ったのを確認してから、食卓へと戻る。
ティピアとユーリは、組み紐を編みはじめていた。
何かしら手を動かしていた方が、楽になれそうだ。
また訪問者が来た場合に備えて、真眼を開いたまま。急遽、紐編みに参加する。
たわいない話をしながら夢中で編んでいるうちに、七本の腕飾りが完成した。
「ちょうど七本ですね」
「ねえ。せっかくだから真術を籠めて、本物のお守りにしようか」
それはいい考えだと、三人で"守護の陣"を籠めていく。
真術を籠めるのは、水晶が一番簡単。他の基礎は、少し難しい。
しかしこれも修業だ。
お互いの失敗を笑って。励まし合いつつ七本の術具を造りあげた。
帰ってきたら男達に渡してあげようと、卓に並べておく。
ヤクスとジェダスは、素直に喜んでくれそうだ。しかし、背伸びをしているローグとクルトはどうだろう?
照れ臭がるかもと想像して、口元を緩める。
もしローグがいやがったら、皆が帰ってからお願いしよう。二人の時なら、きっと受け取ってくれるはずだ。
ユーリと一緒に、どの模様を誰に渡そうかと相談している横で。ティピアが、新たな組み紐に取りかかった。
完全に嵌ったらしい。
次はもっと大きな図柄にしようと、小さな手で長めの紐を探している。
「なくなっちゃった」
寂しそうな声に二人して振り返った。
ティピアが好んで使っていた、朱色の紐が底をついている。
「もっと貰ってくればよかった……」
「明日、座学の帰りにでも倉庫に寄りましょう。前よりも多めに貰ってきましょうね」
小さな肯きを見ていたユーリが、ごそごそとポケットを探しだした。
「ちょっと待って。他の子に貰った紐が残っているの」
あった、あったとポケットから出されたのは、朱色と黄色の長い紐。
大喜びで礼を言うティピアに、朱色の紐が手渡される。
その途端、ぎり……とこめかみが痛んだ。
「待って」
桃と紅水晶の瞳が、丸くなる。
二人は紐を手渡した格好のまま、右手でこめかみを抑えている自分を、驚いた表情で見返してきた。
「その紐、貸してください」
「え……、うん……」
小さな手から受け取った、朱色の紐。
一見、何の変哲もないただの色紐を、第三の視界を見開いて観察する。
手に置かれた時に走った、ささやかな違和感。
何もないのにそこに有ると感じる、ぼやけた気配。
自分はこれを、よく知っている。
「――"隠匿の陣"」
何故、この真術が色紐に籠められているのか。
上位の真導士しか操れない。
籠めるのにも里の許可が必要なほど、警戒されている真術なのに。
ローグの言葉から端を発した奇妙なそれらが、日を追うごとに繋がり、絡まっていく。