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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第八章 因果の獄
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名乗らない来客

 気合を入れて腕まくりをした。

 めったに使わない前垂れを肩からかけて。準備を整えてから、腰に手を当てる。

 目の前には色とりどりの野菜と、分厚い肉の塊。吟味に吟味を重ねた最高の食材達である。

 今日は、わざわざ聖都ダールに下りて食材を揃えてきた。使うあてのなかった給金を、ここぞとばかりに使い込んで賄ってきた。色も艶も香りも申し分ない。聖都ダールの品揃えは本当に素晴らしい。

 先日、ちょっとばかり傷つけられた料理人として矜持は、料理を作ってこそ癒されるというもの。

 やってみせようではないか。自分の創作意欲を、最大限にまで発揮してみせようではないか。

 腰に手を当て、やや反り返りながら食材達を見渡す。

 想像としては兵達を見渡す指揮官のつもりだが、上手くいっているだろうか。

 悦に入りつつ、炊事場で不敵に笑う。


 友人番から聞いた吉報。

 彼に与えられた名誉についての話は、自分を大いに奮い立たせるものだった。

 今夜は盛大に祝うべきだ。

 ドルトラント国王は、賢君と名高き方。高齢のため王宮から出なくなってから久しいと聞いているけれど。名声は衰えるどころか、高まるばかり。

 その国王から名誉を受けるのだ。何と誉れ高いことだろうか。

 そんなこんなで恋人の名誉を祝おうと、いままでにないほどの豪華な夕食を構想しているのだ。

 今朝までの鬱々とした気分は、いったいどこに飛んで行ったのか。あっさりと気分を好転させた自分は、鼻歌交じりに聖都へ出掛け、二人では食べきれない量の食材を買い込んできた。途中、あの四人に会って幸運だった。突然話しかけられ、仰天の表情で固まった例の四人。意気軒昂な自分は、彼等を容赦なく引き連れて行ったのだ。もちろん荷物持ちとしてである。興が乗ってあれもこれもと買ったから、最終的には彼等の両手がいっぱいになってしまっていた。

 何度か大丈夫ですかと問うてみたが、男が女の荷物を持って「もう駄目です」と言うことはないのだ。ちょっと悪い事をしてしまった。……しかし、反省は二の次、三の次である。

 今日は、全力で最高の料理を拵える。

 これが自分のすべてだ。


 食材が余るのは仕方がない。

 明日には友人達も呼んで、もう一度お祝いをしよう。最近は番揃って世話になりっぱなしでもあるし、丁度いい機会ではないか。

 自分の考えに、心でそうだそうだと相槌を打った。

 それからふんふんと鼻歌を歌って、今日は使えないだろう食材を床下に収納していく。

 炊事場の床下には、真術で冷やされている一角がある。ここに入れておけば、夏場でも長期間の保管が可能だ。

 さすがは真導士の里だと一人褒めちぎる。

 そうやって片付けをしていると、視界の端に白が入ってきた。見れば入口付近に、つぶらな瞳の子がちょこんと座っていた。

「どうしましたか、ジュジュ? 餌はもう少し待っていてください。今日は干し肉ですからね」

 かわいい子に伝えれば、変な形に首を下げた。困っているようにも、呆れているようにも見える仕草だ。

 どうしちゃったのでしょうね、この子は。

 完全に舞い上がっている自分は、くったりとしたジュジュをよしよしと撫でて。またふんふんと歌い、野菜達の片付けを再開した。買い込んできた食材をどうにか収容し。さあやるぞと気合を入れ直したところで、一つ気になることを思い出す。

 視線を降ろし、左の足首に注目する。

 服と革靴に隠されて見えないそれ。違和感を感じさせず、密かに収まっている術具。

 あの人からの贈り物。


 ううん、と悩む。

 今日はローグを徹底的に祝う日だ。

 ならば、彼が不快に思うすべてを、取り除いておくべきではなかろうか。

 この術具の存在は知られていない。だからといって着けていていいのだろうか? 普段は仕方がないとしても、今日この日ばかりは外した方がいいのでは……。

 悩んで悩んで……結局は、一旦自室へ戻ることにした。

 今日は真術を使うこともないだろうし、炊事場の輝尚石なら触れるだけで展開できる。

 外す時に、青銀の突き刺さるような視線を思い出す。なので、明日からは外さないようにしますからと、届かない謝罪をする。


 アンバーの鎖を外してから炊事場に戻り、下ごしらえに取りかかる。

 うちの相棒は、本当によく食べる。

 どうやらまだ伸びしろがあるようで、里にきた時よりも背が高くなっていると言っていた。服の買い替えが面倒だとぶつくさ言いつつ、どこかうれしそうでもあった。きっとヤクスに対抗しているのだろう。彼の負けず嫌いは相変わらずだ。

 育ち盛りな相棒の好みは、だいたい把握している。港町出身のローグの大好物は魚――ではなく肉だ。魚は食べ続けていたせいか、めずらしくもないという。だからこういう時は、肉を焼いてあげた方が喜ぶのだ。

 買ってきた分厚い牛肉に、塩と胡椒で下味をつける。塩はちょっと多めがいい。

 馴染ませている間に、たれを拵える。ここからは秘密の作業。ここ数カ月で編み上げた、秘伝のたれの出番である。

 あれやこれやと混ぜて、深めの壺に牛肉を入れてから作ったたれを注ぐ。きっちり蓋をしめ、あとは寝かせるだけ。本当は二、三日つけた方が味が沁みていいのだけど。今夜の食事時には、それなりの具合になっているはず。

 さてお次はと、スープの支度をはじめる。

 とんとん軽やかに野菜を刻んで、ことこと煮る。野菜の甘みが引き出されるよう、ゆっくりと煮ていく。

 しばらく煮て味見をしている時、居間の方から音が聞こえてきた。


 どうやら来客らしい。


 輝尚石をつついて火を止め、鍋に蓋をした。

 誰だろう。

 友人達だろうか? 燠火の四人だろうか?

 思い浮かべてみたけれど、しっくりこない。そもそも彼等は黒髪の相棒がいる時にしか、家にやってこない。

 "呪い"の場の一件があって以降、そういう風になってしまっていた。

 彼が見せた過剰な反応に対する、友人達なりの配慮なのだ。周囲に心配ばかりかけていることを思い出して、胸がちくりとした。

 思いに耽ってしまった自分の耳に、またもや扉を叩く音が入ってくる。

 先ほどよりも音が大きい。

 居留守は使えなさそうだ。炊事場から匂いが出ている以上、それは難しい。

 ローグがいない時は、誰がきても扉を開けるなと言われている。応答もしなくていいとも言われている。

 そろそろと足音を消しながら居間へと赴く。

 窓掛けは下ろしてあった。一人でいる時は下ろすようにとの言いつけだった。ローグが家にいる時だけ上げられる窓掛けは、友人達や燠火の四人にはわかりやすい合図となっている。

 これが下りている時に訪問してくるのは、すっかり主治医と化した長身の友人だけ。

 けれども今日、ヤクスの訪問はない。ローグと一緒に、謁見の場へと向かっている。


 居間に立ち、扉を見つめている自分の耳に、再び音が入ってきた。今度の音は、強く。高く。負の感情と気配をただよわせていた。

 その気配に触れて、最後に残されていた可能性を静かに消す。

 あの人でも、ない。

 扉の外にいる気配は、記憶を懸命にさらってみてもどうも思い当たらない。

 ギャスパル達でもなさそうである。


(誰……)


 心音と緊張が高まる。

 胃の辺りがずっしりと重い。そうっと背を丸めて辛い重みに耐えた。深呼吸して、手を強く握って……気力を整えてからついに応答をした。

「どちら様でしょうか?」

 外の気配が増えた。複数人いるのか。

「開けよ」

 居丈高な声が響いた。

 視界の下で白が揺れる。自分の傍に寄りそう白の獣。ふわふわと揺らしていた尻尾をぴんと張り、自分と同じように緊張を示していた。

「失礼ですが、どちら様でしょうか……」

 譲らず、同じ返答をする。

 里に来て数カ月。時折やってくる名乗らぬ訪問者は、必ず不吉を伴ってきていた。

 握った手に……汗が浮いてくる。

「我らは見回り部隊である。所要があるゆえ、扉を開けよ」


 ――見回り部隊。


 高士だ。

 導士地区で見回りをしている高士達とは別に。里の境界を見回っている高士達がいると聞いた。

 里にとっての憲兵と言うべき存在、それが見回り部隊だ。

 その彼等が何故、自分の家にやってくる?

 いやな予感がした。しかし相手は目上の高士。礼を失することがあってはいけない。

 意を決して扉を開いた。

 目の前に立つ者達のローブを確認して、一礼をする。

「導士のサキとは、そなたのことか」

「はい、確かにわたしですが……」

 高士達の頭。見回り部隊の特徴である、赤い刺繍の入ったフードに目をやる。

 一様に被っているフードは、彼等が任務中であると暗示していた。

 自分のことを何故知っている。いったい何の用なのか。聞きたいことは、胸の中でうず高く積まれている。けれど、明確に引かれている階級が問いを阻む。

 導士は、許可がなければ発言すら控えるべきとされていた。

 先頭に立つ男は、扉を開けた格好で固まっている自分をじろじろと眺める。

 足から頭の天辺まで、きっちりと視線を流して――無慈悲に笑んだ。

 ぞっと鳥肌が立つ。

 耳鳴りはしていない。でも絶対によくない。この高士達は自分に害を成す存在だ。

 確信が胸に走り、一歩だけ後退した。

 ぬるく湿気を含んだ風が吹く。草と木々のざわめきに紛れて扉を閉めようと試みた。相手にとって無礼な行いだと理解していた。それでも本能が理性を抑え、身体を突き動かした。

 不吉な予感。

 好ましくない未来を遮断するはずの扉は、拳ほどの大きさを残して動きを止めた。

 外から入る夏の日差しが、怖くて怖くて堪らない。

 ああ、何で扉を開けてしまったのだろう……!


「無礼な、用があると申している。……そなた庇護者がおらんと会話も持てぬのか?」

 力を振り絞って取っ手を引いても、外界からの光を遮れなかった。

 奥歯が、かちかちと鳴っている。震えが止まらない。閉じて、閉じてと願い、取っ手を両手できつく握った。ぐいぐいと引っ張っても閉じない扉。

 何でどうしてと焦り、扉の隙間に硬そうな革靴が差し入れられていると、やっと気がついた。

 無理だ。

 全身を流れる悲痛な声。せめて守護を編もうとして、さらに絶望を深める。

 いまは真術が使えない。

 引いていた扉から手を離し、全力で自室に向かう。

 後方で、複数人が一斉に動く気配がした。一瞬で捕獲され、身体を征圧される。見回り部隊に配属されるほどの力量ある高士にとって、雛を一羽捕獲するなどわけもない。当然の結果ではあった。

「いったい何なのですっ。わたしに何の用ですか!?」

「黙れ。誰も発言を許可しておらん」

 目の奥に火花が散った。

 呼気も、思考も唐突に切られた。

 展開された真術は、感覚を白に塗り潰して収束する。残されたのは苦痛と緩慢な痺れ。

 かくりと首を折った自分の顔を、無慈悲な笑顔の男がまたじっくりと観察している。視線が顔の上を這っていて、鳥肌が悪化した。遠くでジュジュの鳴き声がしている。悲しくて苦しくて胸が痛い。

「金に琥珀……、確かにこの娘のようだ」

「タチの悪い冗談だろう。本当にこの娘か? ……何がいいのかさっぱりだな」

「まったく、本当にいい趣味しておられる」

 つぎはぎだらけの会話を一通りして。無慈悲な笑みの高士が、ただ告げる。


「導士サキよ、そなたに任務だ。我らと共に来てもらおう」

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