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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第八章 因果の獄
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嵐の予感

 浮かない気分のまま、とぼとぼと歩いて……。

 いつもより時間はかかったけれど、どうにか学舎にまで辿りついた。道すがら様々な視線にさらされていたせいで。学舎に着いたばかりだというのに、帰りたい気持ちでいっぱいだった。

 遠巻きから送られる好奇の眼差し――。

 普段、黒髪の相棒にどれほど守られていたのか思い知る。

 里にきた当初より、ずっと強くなった自分。その自分でもやはり耐え難いと感じてしまう。


(もう飽きられたのか)


(男の気紛れを、本気だと思い込んだのか)


(庇護があると調子に乗って。まったくいい気味だ)


 何も、いまこの時に言うことないと思う。

 剥きだしになっている心の傷口に、言葉の矢がいくつもいくつも突き刺さっている。

 門を通ったくらいから鼻の奥がつんとしていた。幾度も大きく深呼吸をして、塩辛い感情を抑えようとしてみたけれど、何でか上手くいかない。

(早く、会いたい……)

 彼に会って、おはようと言って、黒の瞳を確かめたい。

 きっと大丈夫なはずなのだ。昨日だって想いの炎はちゃんと視えていた。一晩や二晩会わなかったとして、彼の気持ちが変容することなどない。

 信じている。

 彼の気持ちは常に真っ直ぐだ。それに、自分達の絆はそこまで柔ではない。そうであるはずなのだ。


 大丈夫。

 大丈夫なはず。今度も絶対に……。


 熱くなってきた目頭を誤魔化そうと、激しく瞬きを繰り返し。もう一度、深く息を吸ってから顔を上げた。

 目の前にはいつもの光景が広がっている……はずだったのだが。

 あれ、と思ってから首を傾げた。

 普段であればキクリ正師が座っている場所に、見たこともない高士が鎮座していた。

 真術書を読んでいた高士は、教室に入ってきた自分をちょっとだけ見て、座りなさいというように指で席を示した。指し示された座席には、すでに幾人かの導士が着座していて、少し離れた場所に友人番の姿も見えた。

 着座している導士達は、高士の前だというのにだらけた格好で話に興じている。

 妙に高い声。

 興奮気味に話をしている者達に気づかれないようそろそろ歩き、ジェダスとティピアに小声で挨拶をする。

「あの、何の騒ぎでしょうか?」

「おや、サキ殿はまだ聞いていなかったのですか」

 驚きの表情となったジェダスとティピア。

 友人番から聞いた騒ぎの原因を知って、小さく感嘆の声を漏らすことになった。







 ――女神よ。

 大いなる我らが母よ。

 ……オレは何か悪いことでもしてしまったのでしょうか?


 馬車に揺られ。全身に刺さる荒れた気配を感じつつ、一人祈りを捧げる。

 どうしてこうなると、黒髪の友人はよくぼやくけど。いまだけは言葉を拝借しても、許されるんじゃないだろうか。言葉なら賃料だっていらないはずさ。

 国王名代との謁見。

 夏になると、里から選抜された導士が謁見の場に招かれる。毎年恒例の行事らしい。

 世間一般で言うところのいわゆる名誉。突然、そんな御大層なものを受けられるという話になり、黒髪の友人とともに学舎を出てきた。

 名誉より栄光より、とにかく恋人に一目会いたいと愚痴る憐れな友を宥め、用意された馬車に二人して乗り込み……思わず顔を見合わせたのは、ついさっきのこと。


 困ったことに、加護を失くしたのはローグだけじゃなかったみたいだ。


 馬車後方の座席は六人掛け。

 男の体格を基準に作られている座席を、四人の人影が占めている。

 今年里に入った導士の中から、特に力のある者が選ばれる。

 言葉の意味を、もっとしっかり考えておけばよかった。そりゃそうだ。今年の導士から選ばれる面子なんて、決まっているじゃないか。

 まず、向かいに座っている黒髪の友人。

 史上最大の真力を有するローグが、外されることはないだろう。当然の人選だと言える。

 その隣には、金の髪もまぶしくイクサが座っている。この人選も納得がいくものだ。イクサは真力も高いし人望もある。ゆくゆくは人の上に立つような人物となるだろうことも想像に難くない。

 そして、イクサの向かい。オレの右隣に陣取って、絶え間なく威嚇の気配を撒き散らしている一人の男――ギャスパル。

 ギャスパルの真力は高い。ローグに次いで二番目だと聞いた。ならば選抜されてもおかしくない。おかしくはないけど。この男に名誉を与えようとする里の方針は、いまいちよくわからない。

 三人の燠火に囲まれたオレとしては堪ったもんじゃない。正鵠はめずらしいから、絶対に選抜されると言われたけど……今回ばかりは大迷惑だ。

 気まずさも、居心地の悪さも最高潮。

 馬車に乗り込んでからこっち、黒髪の友人は腕を組んだ格好で、じっと外を睨んでいる。他の二人とは目を合わせようともしない。

 ローグの左隣に座るイクサは、持ってきていたらしい真術の教本を読んでいる。澄ました顔と柔和な表情は相変わらずだけど、こう見えてかなりの頑固者。そんでもって見かけからは想像もできないような剛毅さを持っている。胸中はローグと似たり寄ったりだろう。

 現状を無視している二人。

 気が合いそうで合わない、難儀な二人のその正面。どっかりと椅子の中央に陣取っているギャスパル。

 この男のおかげで、オレは扉に貼りつく形になっている。気まずさの主な原因となっている迷惑な男は、激しい炎の気配を撒き散らし。燠火の二人を延々と刺激していた。

 たぶん……。いや、絶対にオレのことは眼中にない。

 情けなさもあるにはあるけど。対立を深めている三人の間でできることといったら、縮こまって気配を消すくらいだ。

 いつの間にやらにょきにょきと伸びていた身体に、小さくなれ小さくなれと無意味に念じて。気まずい時間をどうにか耐えることにした。


「おい」


 うわ、やめてくれ。

 心の声も虚しく、ギャスパルが火ぶたを切ってしまう。

 声に応じて顔を上げたイクサと、ひたすら外を睨んでいるローグが、オレの位置からよく見える。

 良好過ぎる眺望を恨みつつ、さらに背を縮ませる。折れそうだと背骨が悲鳴を上げている。でも、心の悲鳴の方が強かった。

 悪いけど耐えてくれよ、オレの背骨。

「どっちだ、奴等を痛めつけてくれたのは」

 なぬ?

 いったい何の話だと問う前に、イクサが柔和な笑みのままそれに応じた。

「男が複数固まって、娘一人を追いまわすのはどうかと思ってね。帰ったら彼等に伝えてくれないか。人の相棒を追いまわすのはもうやめてくれと」

 まーた黒髪の友人が大暴れしたのかと案じていたのに。何と犯人はイクサだったらしい。

 イクサもローグも、その外見に似合わないことばかりしてくれる。ほんと、これだから燠火は面倒なんだ。

 真導士は、その系統によって性格がわかると言われている。

 往々にして燠火は好戦的。対して天水はおっとりとしていて戦いに向かない者が多く、蠱惑はひと癖ある性格だと。

 ちなみに正鵠は、中立を基本とし争いを好まないとか何とか。

 伝説の正鵠の影響を、かなり引きずっている寸評だ。それなのに、友人達は一様に納得していた。

 喧嘩が起こったら頼りにしてます、とジェダスは言っていたけど。中立の立場を好むだけで、仲裁が得意などとは誰も言っていない。


 特に、この三人の仲裁は……絶対無理だ。


「金髪野郎の方か。外面とは違ってえげつない手を使うじゃねえか」

 真正面からギャスパルの真力を受けているイクサは、やんわりとした表情を崩す気配すらない。

 えげつない何かをしでかしたらしい男は、取り澄ました顔で「そうかな」とだけ言った。馬車内の大気が、一気に冷え込んでいく。真夏だというのに、どうにも耐えがたい寒気がした。

「彼等の無事を願うのなら、オレと相棒には構わないでもらえないかい」

 やさしげに細められた紫の瞳。

 学舎ではすっかり隠している金の男の真力が、奥の方で光っている。

 荒れた空気の中。断固として外を見続けている友人の足を、ささやかに蹴ってみた。なのに、こちらを見る素振りすらない。

 完全な無視を決め込むつもりだろうか。

 他人事にできるような状況じゃないと思うけどな。

「無事を願うだと……。俺がわざわざ気に掛けてやる必要があるのか?」

「そう。……では何故声を掛けてきたんだい。それこそ必要のないことじゃないかな」

 堂々とした反論に、ギャスパルが目をかっと開いた。

 猛禽類を思わせる酷薄な瞳は、不気味な印象だけをもたらす。

「奴等はエドガーが勝手に動かしてるだけだ。俺の知ったことじゃねえ」

 問題の男が口にした話を、意外な思いで聞いた。

「"共鳴"させておいて、面白いことを言う」

 柔和な表情のまま言うイクサ。

 面白いという表現を使う場面だろうかと、密かに思った。ただ、口には出さなかった。燠火の喧嘩に巻き込まれたら、火傷だけじゃすまないもんな。

「それもエドガーがやったことだ。俺の真力が欲しいと言うからくれてやったまで。まあ、奴が相棒であることに不満はないがな。よく働くいい駒だぜ」

「へえ……、エドガーがね。相手に尽くすだけの相棒が、いい相棒とは言えないと思うけど。ずいぶんと酔狂だね」

 遠慮ない物言いをするイクサというのもめずらしい。

 これは結構怒っているとみていいのかな?

 どうもイクサの感情は読みづらい。ローグくらい素直だとわかりやすくて助かるんだけど。

「君が彼等に興味ないことは理解したよ。ただ、そうなると何故オレに絡んでくるのかがわからない」

「奴等がどうなろうと知らないが、てめえが俺の邪魔であることには違いない。誰の軍門にも下らないとか言っていたそうじゃねぇか」

「ああ、それかい。確かに言ったけれど、何か問題でもあっただろうか?」

 言葉の激しさとは反対に、表情の柔和さが濃くなった。

 笑顔って怖いものだったんだなと、一人汗をかく。

 頼みの綱の友人は、外を睨んだまま微動だにしない。この状況で、表情をちらとも変えずにいられる胆力には恐れ入る。

「大ありだぜ。てめえみたいな奴が一番邪魔だ」

「それは光栄だ」

「話には聞いていたがようやく面を拝めた。噂通り、ひょろっこい野郎だ。てめえも……そこの黒髪野郎もな」

 思っていた通り、盛大に火の粉が飛んできた。

「体格がよくても、実力が伴ってなければ意味ないと思うけどね」

 澄まし顔で返したイクサが、同意を求めてこちらを見た。

 その柔和な微笑みに向かって、首を横に振っておく。

 オレを巻き込まないでくれ。巻き込むんなら是非ともローグにしてくれと、目だけで合図した。足にささやかな衝撃がきたけど、いまは放っておこう。

「けっ……、気に食わねぇな。骨をぶち折るのがてめえの実力の証明か?」

 イクサの奴、やっぱり怒らせると怖いんだな。

 率直な感想を抱きつつも、涼しげな顔にじっとり視線を飛ばしておく。しかし、確固としてそこにある鉄仮面を想定していたというのに、話の流れに沿わない微妙な顔をしたイクサがいた。言われた内容を吟味しているのか、わずかばかり時間を経てから訝しげな顔に変わる。

「……おかしいな。骨は外したけど折ってはいないよ」

 そしてまた、少しばかり考えてから右手側に視線を流した。

 自然、オレの視線もそれを追う。

 視線が追いかけていった先には、ひたすらに車外に睨む……黒髪の男。

「ローグレスト、君かい?」

 柔らかではあっても、確信を持った問いがイクサから投げかけられる。


「……うちの相棒の部屋を覗こうとする、不埒者がいたのは覚えている」


 結局、お前もか。

 ぐったりと溜息を吐いてやる。もういやだ、一刻も早く里に帰りたい。

「ああ、それなら何をされても文句は言えない。娘さんの寝所を覗くなど、男として最低な行いだ」

「そうかもしれないけどさー……、限度ってものがあるだろ? 二人共、もう少し穏便に事を収められないのか。見回りの高士に見つかったら大変だぞ」

「きちんと見回っていない方が悪い。俺は自衛に務めただけだ」

「どいつもこいつも相棒、相棒と。乳臭い女の尻を追いかけるのが、そんなに楽しいか」

 ギャスパルの嘲笑うような物言い。

 それをこの二人が素直に受けるはずもなかった。

「娘さんへの気遣いができない男だと言われては、それこそ恥だと思うけどね」

「相棒が猫目野郎では、ひがみたくなるのも無理はない。華の色も見えぬ暮らしぶりに同情してやろう」


 一触即発。


 放出される三者の真力をまともに浴びる。成す術なんてどこにもありゃしない。

 好戦的な視線がぶつかり合って、苛烈な火花を散らしている。

 いっそのこと馬車から飛び降りてしまいたい。危ない決断をした方が、まだ安全なのではと思えてしょうがない。


 誰が動いてもおかしくない切羽詰まった状況。

 それを一変させたのは、進行方向から響いてきた軽快な音だった。

「――諸君。緊張しているのはわかるが、少し落ち着きなさい」

 救いの手を差し伸べてくれたのはキクリ正師だ。付き添いで来てくれていた人の存在を思い出して、縮めていた背をぐいと伸ばした。

(助かったー……)

 背もたれに寄りかかったのとほぼ同時。火花を散らし合っていた三者の視線が分かれた。

 イクサとギャスパルの視線が剥がれたのを確認し。恨みと八つ当たりを込めて、向かいの友人の足をささやかに蹴っておく。ローグはむっつりとした表情でこちらを見てきたが、負けじと睨んでやった。

 沈黙の馬車は、気まずい空気とそり合わない男達を乗せて、真っ直ぐに進む。

 どうにか取り戻した平穏の中、黒髪の友人を真似て外を見た。

 聖都ダールの景色が流れていく。気まずい馬車は、相変わらず盛況な市場に差し掛かっているようだ。その賑やかな都の空に、真っ黒な雲が浮かんでいた。天候の悪化を察知して、また一つ重い溜息を吐く。


 ――今夜は荒れるに違いない。


 この時、胸に抱いた予感を。

 その意味を。

 もっと深く考えるべきだったと、後に悔むこととなる。

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