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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第八章 因果の獄
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酔客

「くそっ……」


 どいつもこいつも人を馬鹿にしやがって。

 相棒にするなど、こちらから願い下げだ。

 いまのでもう片手を越した。訪ね歩いている同期の家は、まだ訪れていない家の方が少なくなってしまった。わざわざこちらから出向いてやっているというのに。どこまで冷たく、薄情な奴等か。

 あれが己の同期だと思うと、恥とすら思えた。


(女神がくださったいい機会だ。一度、自分を振り返ってみたらどうだい)


 つい先ほど訪れた家は最悪だった。

 事情を説明するや否や、あの極悪な二人の肩を持った挙句、居丈高に説教まではじめた。これを腹立たしいと言わず、何と言おう。

 行き場のない怒りを抱え、熱に乾かされた道を歩く。からからになった土を見ながら歩いていれば、自然と喉の渇きを覚えた。道の分岐まで来て、家に向かっていた足を逆の方向へと進める。

 そういえば飯の用意がない。

 気乗りはしないが、仕方なしにサロンへ向かう。


 里の北側――高士区域のサロンは、導士時代に利用していたそれとは、まったく違う造りとなっている。

 導士地区のサロンは、せいぜい酒と簡素な軽食が出るだけのものであった。しかし、高士地区のサロンは、食事も豪華で酒の種類も豊富だ。歴然とある身分の違いを強く感じる。

 気乗りせぬまま足を進めていけば、ラーレフィアという花を模したランプが、ぼやけながら灯っていた。酒を出す店によく掲げられているそのランプには、光に魅せられた虫達がもう集まりはじめていた。

 ラーレフィアは、不吉な花言葉を持つ大輪の花。

 もげそうなほど首を垂らしている様も、その不吉な花言葉も、溺れるほど飲む、気紛れな酔客達には好評なのだとか。いつどこで流行り出したかまでは知らない。だが、いまではどこの酒場も、ラーレフィアのランプを掲げている。

 虫のたかるランプを避けつつ、戸を開く。

 そろそろ夕暮れも近いためか、サロンはすでに盛況だった。

 酒が入り。気が大きくなった幾人かの声が響く店内。その片隅に腰を下ろした。周囲を見渡しても知己の姿が見当たらない。間がよかったと安堵し。安堵を覚えたことで腹立たしさが返ってくる。

 今日は気分が乗らないだけで、知己がいようがいまいが関係がない。むしろ、丁度よかったではないか。奴等の顔を見なくて済むのだ。

 愛想の薄い店員に声を掛け、腹もちのよさそうなものをいくつか出すよう言っておく。

 しばらくして出された食事をつまみ、独特の甘い味を誤魔化そうと酒を頼む。内容は豪華になったというのに味付けは変わらずだ。


「いったい何様だ、あの男は!」

 響き渡った怒声。

 酔っぱらいの放言と捨て置けない。多分に怒りを孕んだその声を、店内の視線が取り囲んだ。視線を集めた男は、酔いが回って気づいていないのか。同じ卓の者達に向かって、怒りを放出している。

 よく見れば、卓についている者達も同様に怒りを帯びていた。

 騒がしくなった店内は、居心地がいっそう悪い。

 早めに切り上げよう。

 そう思って腰を浮かした己の向かい。空いていた椅子に腰かけた人影がいた。

 思いがけない人との再会だ。

「お久しぶりね。セルゲイ」

「フィ、フィオラさん!」

 妖艶な微笑みを浮かべたその人は、向かいに腰かけるなり店員を呼んで酒を頼む。

「もう帰るところだったかしら?」

「いえ……。いいえ、まだ飲んでいくつもりでしたので」

 浮いた腰をすぐさま下ろして返事をする。答えに満足したらしい彼女は、頬笑みを湛えたままよかったと言った。

「私、任務上がりなの。夏の任務は辛いわね、喉が渇いてしまって……。ジーノは報告に向かったのだけど、我慢できなくて先にきてみたのよ。セルゲイがいるなんて、とっても奇遇ね」

「任務だったのですか。それはお疲れ様でした、フィオラさん」

 色香も艶やかに礼を述べたフィオラは、怒声を撒き散らしている卓へ視線を流した。

「……盛り上がっているみたいね」

「ええ、どうやらそのようです」

「あのフードだと、見回り部隊かしら。年寄りばかりになっていたから、若い隊を編成して育ててるとは聞いていたけど。お酒の飲み方も教えてもらった方がよさそう」

 美しい顔で嘆いた人に酒を勧める。

 周囲の卓にいる男達は、突然登場したフィオラが気になっているようだ。そんな人と卓を共にできていることが誇らしい。下らぬ輩達に傷つけられていた矜持が、少しずつ癒されていくのを感じた。


「あの男……、自身に与えられた特権を振りかざしおって。慧師がいなければ何もできぬのだろう!」

 いきなり吐き捨てられた言葉の破片が、意識に突き刺さる。

 聞き覚えのある不愉快な内容だ。

 さすがにフィオラも気になったらしく、店内のどこよりも騒がしい卓を見つめている。

 店内の視線すべてをつかまえた騒がしい男。その男の口から、次に流れ出ていったのは聞いたこともない罵倒だった。

「薄汚れた"鼠狩り"風情が……!!」


 店内が、水を打ったように静まり返る。

 沈黙と緊張が、蜘蛛の糸のように張り巡らされている。

 二十近くいる客が、示し合わせたように動きを止めたのだ。不自然極まりない。

 誰も身動きを取れず、何も口にしない。


「……あんたら、危ない話をするなら出ていってくれ。他の客に迷惑だ」

 あまりに奇怪な現象を終わらせたのは、先ほどの愛想の薄い店員だった。

 危ない話、だと?

 いまの会話のどこに危険があったというのだ。

 そもそも"鼠狩り"とは何だ? 会話の流れからの推察だと、あの男のことを指しているとしか思えないが……いったい。

 表に出せぬ疑問が、胸の内で蠢いている。

 周囲を窺い見れば、誰もが目を合わせぬように俯いていた。

 それは禁忌なのだ。

 知っている者すべてが、口を噤まなければならない掟とされているのだ。その証拠に、暗黙の了解によって閉ざされた各々の口は、固く引き結ばれている。

 しかし口を引き結んではいるが、よくよく観察を重ねていると彼等は二つに分類されていた。何かを隠し、表に出さないようにしている者。そして周囲の沈黙に合わせているだけの者。

 船の中で伝えられた言葉が、天啓のように思い出される。


 本来なら、高士ですら伝えられない事柄。


 そうか。

 隠し事をしている者達は、秘密を伝えられている数少ない者達なのだ。彼等は高士の中でも特別に伝えられた者達なのだ。

 一見、愚鈍にすら見える者達が知っていて、何ゆえ己が知らぬのか。それは許し難いことだった。優秀な真導士に、必要な知識を与えるべきだ。そうでなくては、里にとって大きな損失となってしまうではないか。

 酒を含み口を湿らせ、疑問を上らせるための機を窺う。


「あら、あの男帰ってきていたのね」

 静まり返った店内を、妖艶な声が裂いていった。予想外の発言に誘われて、彼女に目を向けた。

 視線のすべてが、美しい一人の高士に集まっていく。注目を集めた彼女は、それらに惑わされることなく、気だるげにグラスの縁をなぞっている。他者の動揺を顧みることもないフィオラの、熟れたように赤い爪が目に焼きついた。

「戻ってこなくてもいいのに。せっかくの休暇中に顔を合わせるなんて御免だわ」

 不満を隠しもしない、率直な意見。

 店内にいる幾人かが、ぎょっとしたように目を剥く。

「あの男をご存知か……」

 騒がしかった卓を囲んでいた男が、フィオラに問いかけてきた。再開された曖昧な会話。これを注意をするべきか否か悩んでいる店員の姿が、視界の端にちらついている。

「ご存知も何も、ちょっと前に任務が被ったのよ。どんな因果か知らないけど、前々から被ることが多くて辟易しているの。そうよね、セルゲイ?」

 いきなり振られた会話。

 問いに連なって、視線が己へと流れてきた。

「え、ええ……、まったくです。事前打ち合わせでも現場でも、独善としか言えぬ横暴さでしたから」

 出した答えを聞いて、フィオラの笑みがさらに艶やかさを増した。どうやら彼女を満足させられたようだ。

「何と、貴殿らはあの男と任務を共にされたのか」

 フィオラから視線を外し、ひときわ大きな声を出していた男を見やる。

「そうよ。やり方が合わないからうれしくもないわ」

 彼女の腹立たしげな答えを聞いて、男達の驚嘆が深くなる。それと同時に、違う感情も浮かび上がってきた。

「……貴殿らは、さぞや腕の立つ方々なのだろう。あの男と幾度も任務を共にし、無事に戻られるのだから」

 言葉に、視線に、表情に。彼等の発するすべてに賛辞が滲んでいる。

 己とフィオラを讃える視線が、店内から惜しみもなく注がれてきている。

 高揚を感じた。

 先日のあまりに理不尽な通達以降、傷つけられ、踏みにじられてきた矜持が。持っていてしかるべき自信と誇りが、己が身に再び明るく灯ったようだった。


 何を恐れていたのか。

 何を戸惑うことがあったのか。

 己の歩むべき場所は。宿命のその道は、こんなにも美しく輝いているではないか!


「あら、いけない……。騒がせてしまったみたいね」

 くすんだ栗色の前髪をゆるく梳いて、彼女はこう言った。

「出ましょう、セルゲイ。場所を変えた方がいいわ。皆さんのお邪魔をしては悪いから」

 少し惜しい気がした。

 いま少しだけ、賛辞の視線を浴びていたいと思えた。

 だが、それはやめておこう。彼女の誘いに乗ってこの場から去った方がきっといい。己の素晴らしさを知らしめたいが、立ち去った方が強く印象に残るだろう。

 店を出ようと支度をしている最中。フィオラがふいに男達へと振り返った。

「そうだわ、面白い話を一つだけしてあげましょうか」

「面白い話? あの男についてか」

 ふっと笑みがこぼれた。妖しく咲く彼女は、笑みをいっそう深くしてこう言った。

「そうよ。あの冷血漢が、夢中になっている導士の話」

「何……?」

 男達の酔いに任せていた表情が、一変した。

「私も貴方達みたいに驚いたものよ。だってあの男……待機中、片時も手放さないんだもの」

 唖然とし、思わず呆けた彼等に、フィオラが畳みかける。

「女か」

「男なわけないじゃない。お嬢ちゃんの方もよく懐いていたわ。そういうところがいいのかしら? 冷血漢に懐くなんて、どうかしているとしか思えないけど……」

 フィオラが合図するようにこちらを見た。

 裏に思惑を秘めた視線。彼女の期待を裏切らぬよう考えて、告げるべき言葉を導き出す。

「それでいて現場には連れて行かないときている。余程、大事にしているのでしょう。任務を忘れているとしか思えない。雛だとしても、甘やかし過ぎるのはよくないのですがね」

 愉快そうに細められた目。どうやら、彼女の意向を正しく汲めたようだ。

「名は……」

「さあ……? めずらしい名だった気はするんだけど、よく覚えていないの」

 出し惜しみをするように囁いて、出口に向かった彼女の後を静かに追う。

「名前は覚えていないけど、髪と目の色なら覚えているわ。めずらしくもない金と琥珀。……それ以外に、特徴らしい特徴なんてないような娘よ」

「それはそれは……、いい趣味をしておられる」

 揶揄を含んだ台詞を聞いて、フィオラが薄く笑った。


 店を出た時には、もう日が傾きはじめていた。日中より幾分か過ごしやすくなった大気を浴びながら、静かに歩く彼女を追った。

「伝えなくて良かったのですか」

「あら、何を?」

「あの小娘の名前ですよ」

 不愉快な男が連呼していた名だ。彼女とて覚えているはず。

 疑問を口にすれば、楽しそうな声でフィオラは言った。

「全部が全部教えてあげる義理はないわ。もし気になるのなら自分達で調べればいいし。それでどうなるかなんて、私達が関知する必要もないじゃない。……それよりも、どこかで飲み直しましょう。久しぶりなのだから、ゆっくりお話でもしましょうよ」

「もちろんです。お付き合いしますよ」

 艶やかに微笑う彼女と共に、日に乾かされた道を行く。




 サロンに着く前まで抱えていた気分はどこへやら。意気揚々と歩いていくセルゲイ。

 彼を止める者は、どこにもいなかった。

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