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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
幕間 真導士の休日
53/121

真導士の休日(7) ~犬猫協奏曲~

 日が傾いてきている。


 じきに"闇の鐘"が鳴る頃だが、彼女はまだ帰ってこない。

 あの男と、いったいどこまで行ってしまったのだろう。

 転送で飛ばれては、追おうとしても不可能だ。手も足も出ないというのは身に堪える。


「お前さ」

 一日中、我が家に居座っていた長身の友人は。つくづくといった気配をまとって、きついことを言ってくれた。

「せっかくの見栄えを、まっっったく生かせてないよな」

「……ほっとけ」

 こいつは人が気にしている事柄に、真正面から切り込んでくる。

 生かせていないどころか、この顔に生まれてよかったことなど、いまのところ一つもない。

 鬱陶しい視線を引き寄せるわりに、肝心なところで役に立たん。マタタビ代わりになれば、女神の加護だと思えただろう……しかし、琥珀の猫に効果がないようだし。


 脱力して、ずるずると椅子に深く沈んだ時、またもや真術の気配がただよってきた。

 空中ではなく床に描かれた真円を見て、大急ぎで立ち上がる。今度はいったい何を放り込まれるかと案じていれば、真円から人影が姿をあらわす。

 真術を通ってきた男を見て、思わず絶句した。

 凍りつくような気配を撒いている男は、腕に彼女を抱えている。すっぽりと包まれた蜜色の相棒。全身の血が、逆流したように思えた。

「――おい、サキの部屋はどこだ」

 人の家に乗り込んできながら、偉そうに問う男の態度にも。台詞の内容にも我慢がならなかった。

「貴方が運ぶ必要はない。……俺が運びます」

 ここは自分とサキの家。この男に自由に闊歩されるのは御免。ましてやサキの部屋に入られるなど、絶対にお断りだ。

 感情を押し殺しながら出した声は、相手に何かを覚られるに十分だろう。

 それでいい、構うことはない。


 真術で飛んできたばかりの男は、真眼を開いている。真力の総量はクルト以上にはあるだろうか。

 真力も高いが、問題はこの威圧……。

 内臓を圧迫するような気配は、確実に自分の真力よりも圧がある。

 真力の量だけで言えば、自分の方が上のはず。どういった細工が成されているのか謎だが、実力の差を見せつけられているのは間違いない。かといって引くわけにいくかと、冷めた色をした青の眼光をひたすら睨みつける。

「俺に喧嘩を売ってくるとは……、威勢のいい雛だ。力量差がわからぬわけでもなかろう」

 威圧の気配が濃厚になった。

 腹に力を入れてから真眼を見開く。

「サキを渡してください。送っていただいたことにはお礼申し上げますが、後は俺がやります。どうぞお帰りください」

 後方から、ヤクスが小声で自分を呼んだ。

 だが、睨めつける力を緩めるつもりは毛頭ない。とっとと帰れと気配に乗せ、無言で睨み合うことしばらく。男の腕の中で、彼女が動いた。

 もぞもぞと動き。はっと瞼を開いてから、ぼんやりと周囲を見ている。無防備に眠っていた彼女の頬が赤い。眼差しの方も、どうしようもないくらい虚ろだ。


 いやな、予感がする。


「あれ……」

 予感的中。

 声が完全に酔っぱらっている。

 この男、人の恋人を酔っぱらいにさせて何を目論んでいるのだ。むかむかした気分が胸でわだかまる。

 不快感にまみれている自分の気など露知らず。サキは虚ろな瞳を泳がせて男に問う。

「お酒は?」

 膝から力が抜けそうになった。自分の有様がわかっていない相棒は、まだ飲むつもりでいるようだ。

「……お前な、弱いのなら酒量を考えて飲め」

 呆れつつも彼女に苦言を呈した男は、状況に対応しきれず石となりかけていたヤクスに視線を向けた。

「"長いの"、水を持ってこい」

 言ってから勝手に場所を移動し、長椅子の上に彼女を降ろす。

 起きたての酔っぱらいは、色々とよくわかってないらしく、きょろきょろと周囲を見て小首を傾げている。

 ううんと悩んでいる彼女の膝に、男は小振りな籠を置いた。

 その光景を見て、腹の底から焼け焦げるような感情がこみ上げてくる。炊事場から水を汲んできたヤクスからグラスを引ったくり、急いで彼女の元に向かった。


「あれだけ深酒するなと言ったのに」

 とりあえずは叱っておく。

 虚ろな彼女の手にグラスを持たせてみたものの。力の入っていない細い手に心もとなさを覚え、自分の手で支えてやる。隣に腰掛ければ、ことりと寄りかかってきた。酔っぱらったせいで警戒心を落としてきたようだ。これは僥倖と満足しつつ、肩に手を乗せ、水を飲む彼女を見守る。

 つと視線を感じ、嫌々ながらもそちらを見やれば、男が呆れ顔で自分とサキを見比べていた。


「何か」


 用が済んだのなら帰れと匂わせて言えば、男は皮肉な冷笑を浮かべた。

 胸の内で、いやな予感ばかりがじわじわと勢力を増していく。勘に誘われて、夢中になって水を飲んでいるサキを抱き締めた。

「……後は俺が面倒を見ます。お帰りください」

 重ねて言えば冷笑が深くなる。

 束の間、剣先のように鋭い眼光がひときわ強く輝き、背に冷たい何かが走っていったように感じた。

「そうか」

 言葉とは裏腹に、放っている気配には「だからどうした」と乗ってきている。


 再びの睨み合い。


 視界の端に、首を縮めて立ち竦んでいるヤクスの姿がある。「勘弁してくれよ」と口が動いたようだったけれど、意識の外へを無理やり追いやった。

 緊迫した大気の中。突如、男が真円を描く。

 紛れもない転送の気配。やっと帰る様子を見せた男に安堵して、油断を生んでしまった。

 すっと伸びて来た手は、止める間もなく彼女の添え髪に触れた。

 男が女の髪に触れる。

 その行いが示す意味は、たった一つしかない。

 自分の目の前で起きた現実に、血が沸騰するような熱が生まれ、全身を駆け廻っていく。

「貴様……!」

 口を割って出た暴言をさらりと聞き流し。腹立たしい高士は、状況を把握できていない彼女に意味深な言葉を残した。

「いい子にしていろよ」

 男は転送の直前に、彼女の頭を一つ撫で……そして消えた。

 撫でられた彼女は、相変わらずよくわかっていない表情で首を傾げている。その無垢な姿に焦燥を覚え、抱き締める力を強くした。




 居間の中。ヤクスの「あちゃー……」という間抜けな声だけが、ただ虚しく響いていく。

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