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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
幕間 真導士の休日
52/121

真導士の休日(6) ~巧みな人~

 カップの中にある、赤紅色の液体を飲み干す。


 ほっとしたら喉が渇いてきた。何だかんだと今日はずっとしゃべりっぱなしだったから、それも当然だろう。

 バトは先ほどから席を外している。壮年の男性が、一度荷を確認して欲しいと言ってきたからだ。

 品を確認して、積み荷の形にしてからもう一度確認。これがいつもの流れなのだと勝手に推察した。

 一人で暇を持て余してしまった自分は、ぼんやりと部屋の様相を眺めている。右手側の壁に水槽があり。宝玉のように煌めいている小さな魚が、踊りながら泳いでいた。


「お待たせしております」

 丁寧な言葉が聞こえてきたので、視線を魚から壮年の男へと移した。

 茶がなくなっていることに気づいた店員は、次の茶を勧めてくれる。バトがいないのに頼んでしまっていいものかと悩みはしたが、これくらいなら……と主張する図々しい自分が勝利をした。

 お願いしますと伝えたところ。茶も出せるが酒の用意もあると言われてしまい、またまた悩む。

 昼間から酒を飲むなどはしたなくはないだろうか? ううんと悩みはじめた時、壮年の店員は誘惑の強い一言を出した。

「当店では果実酒も用意がございます。お嬢さまのお口にも合うかと思いますが」


 ああ、果実酒……。


 情けない記憶とともに、甘い甘い香りと味がよみがえる。

 ごくりと喉を鳴らした自分に、一口だけ味見しますかと畳みかけてくる壮年の男性。

 サキの中にある理性の針は、悲しいかなぱたりと横に倒れて落ちた。

 肯いた途端に天鵞絨の奥から、氷で冷やされたボトルを持った女性があらわれ、細長いグラスに薄黄色の液体が注いでくれる。

 注いでいる最中も、壮年の男性は気さくに話しかけてくる。

 先ほどより口調が砕けているのもきっと気遣いだ。丁寧過ぎる対応に戸惑っていたのもお見通しだったのだろう。


 壮年の男性は名をコンラートと名乗った。

 バトの担当になって長いのだと自己紹介をしてくれた。


「旦那様には、長らくご贔屓にしていただいております。お忙しいと伺っておりますので、ご用命次第では装飾具以外の品も扱うこともございます」

 詳しく話を聞けば、青銀の真導士の身の回りの品の大半を扱っているようだった。

 道理で品のある物を身につけていると思った。

 あれはバトの趣味ではなく、コンラートの見立てであったようだ。ならば貴族風になるのも無理はないと、一人納得した。

「どうでしょう、お嬢さま。本日これからでも仕立屋をお呼びできますが」

「い、いえ。滅相もないです。わたしはただのおまけなので……」

 お嬢さまなど、言われ慣れない呼び掛けをするものだから、ついつい言葉遣いがおかしくなってしまった。

 いくら何でもおまけはないだろうと後悔し。頬を恥で濡らす。

 へどもどとしながら顔を熱くしている自分を見て。コンラートは深く刻まれた目じりの皺を濃くする。満面に笑い、皺を刻んだコンラートは深く肯き、耳に心地いい声でこのようなことを言ってくれた。

「おまけなどとんでもございません。旦那様がどなたかを連れて来店されたのは初めてです」

 丁寧さと気さくさがほどよく混在した口調は、自分にはとても受け入れやすい。

 意識しない内にコンラートの内緒話に引き込まれていく。


「旦那様は大のお得意様ではありますが、装飾商としては少々物足りないところもございます。何せあれだけの品を購入されておきながら、まったく興味をお持ちではないのです。審美眼を磨かれるわけでもなく、数量と見栄えだけ確認してまとめ買い。悲しいことこの上ないではございませんか」

 大げさに悲しんだ振りをするコンラートに、くすくすと笑いがこぼれる。

 これは絶対に自分のためだけの顔だろう。

 上得意客を連れの前で貶めるなど、高級店の店員が好んでするとは思えない。変に力が入っていた自分を、どうにかしてほぐそうとしてくれているのだ。コンラートの気の利かせようをバトも見習えばいいと、意地悪な自分が心の隅っこでつぶやいた。

「ところがある日、旦那様が"見繕って欲しいものがある"と言ってきたのです。天にも昇る気持ちとは、まさにあのことだったのでしょう」

「めずらしいのですか?」

「それはそれはめずらしいことにございます。金銀玉であれば何でもいいと思っておられるお方が、わずかとは言え品を指定してきたのですから。星屑が空からこぼれるよりもずっとめずらしいことです」

 話しながら興が乗ってきた様子のコンラートは、楽しそうに語り続ける。

「よくよく聞けば、人に贈る物だとおっしゃるではありませんか。ここで張り切らずにどこで張り切れと言うのでしょう。女神から頂いた好機を存分に生かそうと、夜も寝ずに考えまして……そうしたらほら、こんなに皺くちゃになってしまったのです」

 言って自分の皺を指差した。

 最初に抱いた印象との落差があり過ぎて、悪いとは思っても笑いを止められない。

 ここまで年上の男性なのに、こんなにも愛嬌があるのはどうしてだろう。男の人に可愛いなどと言っては失礼だと思っていたけれど。コンラートのせいで感覚がひっくり返ってしまいそうだ。

「お嬢さまもお気をつけくださいまし。しわしわになってからでは遅うございます」

「はい。ちゃんと寝るようにしますね」

 ええ、ええと肯くコンラートは、空いたグラスに果実酒を注ぎ直してくれる。

「見繕うにしても、お相手の特徴を聞かずには見繕えませんので。あれやこれやと詮索したのでございます。……旦那様はあのようなお方でしょう? 聞き出すのにも骨が折れました。おかげ様で髪が半分も白くなりました」

「コンラートさん、大変でしたね」

 笑い混じりの返答に、コンラートは泣き崩れる真似をした。

「慰めてくださるので……、何とお優しいお嬢さまでしょう。しかしこのコンラート、まだまだ未熟者にございます。旦那様はのみならず、このようにお優しいお嬢さまを満足させることもできぬとは……」

 泣き崩れる真似をしていたコンラートは、一転して寂しそうな顔をする。突然変わった話の流れに乗り切れず。目を白黒とさせていれば、笑い皺を刻んだ眼差しが自分の左手に触れた。


「お気に召しませんでしたか」

 眼差しが撫でる左手首を、つい隠してしまう。

「まさか、ゼニールの腕輪ってコンラートさんが……?」

「ゼニールをご存知でしたか。お嬢さまはお目が高くていらっしゃる。そのようなお方の満足を得られず、無念でございます。ああ、申し訳ございません。どうぞお顔を曇らせないでいただきたい」

「あの、ち、違うのです。とてもきれいな腕輪でした。見たこともないくらい素敵な腕輪で。だから気に入らなかったのではなくて。その……」


 言おうか、どうしようか。


 コンラートはとてもいい人である。いい人であるコンラートを、悲しませるなどしてはいけないように思う。

 それに、気に入らないというわけではない。単純に……そう、単純に――。

「とても高価な腕輪なのでしょう? わたしは……貴族の姫君とは違いますし。日常で身に着けて、傷などつけてしまったら……」

 コンラートの表情が、目に見えて明るくなった。

「掃除してる時に引っかけたらとか、料理している時にぶつけたらと考えてしまって。だから、とても着けられなくて。それにわたしが着けたら、変に悪目立ちをしてしまうでしょうし……」

「なるほど。そういうことだったのですね」

 ほっとしたところで、青銀の真導士がようやく帰還した。

「お帰りなさいませ。いかがでしたでしょうか」

「あれでいい……。指定した場所に運んでおけ」

「承知いたしました」

 足取りも軽く、天鵞絨の奥へと戻ったコンラートを見送る。

 大仰な溜息を出した真導士は、手ずからボトルの酒を注ぐ。甘そうな匂いなどかけらもしない酒の香りが、鼻を強く刺激した。


「コンラートの話術に引っ掛けられていたのか」

「え?」

「あれは商売人だからな。油断しているとえらい目に合う」

「そうでしょうか。とても見えません」

 声の調子を落としてから、唇を湿らせる。口から出そうとした言葉は、しかし喉の奥から一向に姿を見せずにいる。

 一番聞きたかったことは、まだ聞けていない。

 いや、聞かずともどのような回答が来るかわかる。わかってしまったのだ。きっとバトは答えてくれない。幾重にも隠されたサガノトスの過去について、青銀の真導士が口を滑らせてくれるとは思えない。

 十二年前。

 近いようで遠い過去。確かに刻まれていた日々への道は、想像以上に険しいものだ。

 ふいに夢の世界が頭を過ぎる。

 もう一つ。自分の中に渦巻き続けている疑問が顔を出した。

 いま真眼を開けば、周囲には真夜中の気配がただよっているはずだ。そして――あの幻の光も瞳に浮かんでいることだろう。

(ねえ、バトさん。……彼女は、誰なのですか?)


 白く彩るマーディエルの花壇と、夕暮れ時のサガノトスの記憶。

 振り返らない背中を、無心に追っていたあの娘は、いったい――。


「お待たせいたしました」

 弾んだような口調のコンラートが、いそいそとした足取りで戻って来た。

「……だから言ったのだ」

 それを見たバトが、口角を上げて皮肉っぽくつぶやいた。

 何を言っているのだろうと困惑した自分の目の前に、コンラートが木の箱を置いた。

「旦那様もお人が悪い。最初からおっしゃっていただければよかったのです」

 楽しそうなコンラートは、流れるような手つきで、バトの目の前に羽ペンとインク壺を置いた。

 次いで引き出しから紙を二枚取り出し、同じように並べていく。

「白金の髪。琥珀の瞳の十五の娘。これだけでございましたからね……見繕う方のも大変なのですよ。ちゃんと慎ましやかなお嬢さまであると加えてくださらないと。ご注文の時くらいは、いま少し正確にお話いただきたい」

「客に随分なことを言うな、コンラート」

「お客様の満足を得ることは大事でございますが。贈り物の場合、贈られる方の満足が何よりも重要にございます。……さあ、お嬢さま。どうぞこちらをご覧くださいませ」

 真っ白な手袋によって木箱の蓋が取り払われる。

 出されてきたのは金の輪。コンラートは華奢な鎖から成る金の輪を、自分の手の甲に乗せ、楽しそうに語り出す。

「アンバーという作家の作にございます。取次から紹介されまして、当店でも取り扱うことになりました。駆け出しの作家の作品と言ってしまえばそれまででしょう。新人の作品というのは取り扱いが難しく、いい品でも買い手が見つからないことも多いのでございますが……」

 一旦言葉を切り、絶妙な間を取ってから声を潜めた。

「この作家化けますよ。いまにゼニールほどの人気となると保証いたします」

 手の甲に乗った金の鎖は、触れている感触がしない。

 角度をつければきらきらと光を弾いて返す。加減によっては白く輝いているようにも見える。大気に棲まう愛らしい彼らの姿のようでもあり、つい口元に笑みが浮かぶ。


 ――きれいだ。


 うっかり場に飲み込まれそうになったところで、理性が警告の鐘を打ち鳴らした。

 いけない、いけない。

 どんなに駆け出しの作家の作品であろうとも、高い値の品に決まっている。

 コンラートが選んでくれたのにという気もするけれど、とても賄う気にはならない。そもそもこんなに華奢な鎖では、引っ掛けただけで千切れてしまいそうだ。

 断ろうと口を開きかけた時、大げさな身振りをしたコンラートに先を越される。

「肝心なことをお伝えし忘れておりました。こちらの作品ですが、実は手首ではなく足首に着けるものなのです」

「足……ですか」

「足、でございます。装飾品をお求めになるお客様の多くは、人に見える品をお探しです。アンバーは気鋭あふれるといいますか……新しい試みをする作家ですので、多数のお客様のご意向には沿わない。ですがお嬢さまにはぴったりですよ。足布と靴で覆ってしまえば、傷つける心配もございません。かさばってお邪魔になることもない。お嬢さまは目立つ装飾がお嫌なのでしょう?」

 つっかかることもなく説明を終えたコンラートは、バトに向き直りこう言った。

「旦那様、こちらにご署名をいただけますか」

「抜け目のない男だ」

「お褒めいただき、光栄に存じます」

 急激な流れに置いていかれた自分は、二人の会話ですべてが終わったことに気付けなかった。


「サキ。それと腕輪を寄こせ」

 "それ"と称された金の鎖と、左手首に嵌っている銀の腕輪を、言われるまま手渡した。

 バトは茫としている自分の目の前で、銀の腕輪の真術を弾いてしまう。

 何をする気なのかと驚いたが、青銀の真導士は口を挟む隙を与えず、金の鎖に真術を籠め出した。閉じた真眼の隙間から、馴染んだ真術の気配がただよってくる。

 鎮成と隠匿の気配。


 やられた。


 完全に嵌められたと目を見開いた自分に、バトは言った。

「これで銀の腕輪は何も成さなくなった。お前に残された選択肢は三つ。先日の腕輪を着けるか。この鎖を着けるか。それとも何も身に着けないか。好きに選べ」

 慈悲深いだろうとでも言いたげな口調に、悔しさが募る。

「……ずるいです」

「さてな」

 抗議を受ける気などさらさらないバトは、それっきり話を打ち切った。

 ついでにここで書類を片付けるから飲んで待ってろと、凍えた指示が出される。


 こうなったらやけ酒だ。


 悔しさをばねに、果実酒をぐいぐいと飲み進める。酔った勢いで悪態を吐いてやろうとの試みだったけれど。ささやかな悪だくみは、どうやら女神の耳に入ってしまったらしく……。

 青銀の真導士に何も言い返すことができないまま、深い眠りの世界に沈没していったのであった。

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