娘と昼下がり
男三人は、中央棟に出かけていった。
乱闘の件を、キクリ正師に報告するためだ。
正師から依頼されていた手前もあるけれど、巻き込まれただけのクルトが処罰されないよう、嘆願しに向かったのである。
「二人は家にいてくれ。何があっても誰が来ても、絶対に扉を開けるな。乱闘が終わったと言っても、興奮している奴はいるだろうからな」
「はい。……あ、でも昼食用の食材が足りないのですが」
「俺が帰りに取ってくる。ユーリ、サキのこと頼んだぞ」
「うん、まかしておいて。三人とも気をつけてね」
三人を見送ってから、自分達はお茶を楽しむことにした。
泣いてばかりだったユーリは、部屋から顔を出したジュジュに夢中だ。
かわいい、かわいいと背中を撫で、ジュジュとじゃれ合っている。
どうやらジュジュは、涙の跡が見えるユーリを気遣っている様子で、抱き上げられても鳴き声一つ上げずに構われている。
主人の心を汲み取ってくれるとは、何ていい子なのだろうか。
ご褒美として、今日の餌には干し肉を混ぜてあげよう。
「ローグレストさんって、本当にサキちゃんのこと大好きなんだね」
親馬鹿な満足を得ていたら、不意打ちで急所を打たれ。ついお茶で咽てしまった。
「き、急に何を言うのですか」
「だってさー、対応が全然違うもんね。さっきだって頼んだぞって念押ししてたし。……はあ、羨ましいなあ。かっこいいし、真力も高いし、強くてたくましくてやさしいだなんて、文句のつけようがないよね」
いやいや。
ユーリは、恐怖のカルデス商人という要素を見逃してしまっている。
さらに言えば、悪戯小僧で、時折いじけ虫に変化することを知らないのだ。
照れを隠すため、ローグが隠しているあれこれを思い浮かべる。
それでも喉の奥深くに吸い込んだお茶が、なかなか取れてくれない。
ごほごほと咳き込んでしまって、涙がにじんできた。
三人がいなくて助かった。
最近の自分は、年頃の娘としてやってはいけないことばかりをしている。
気を引き締めなくてはならないと、一人猛省をした。
「ねえ、まだお返事しないの」
今度は、喉から変な音が出た。
どうして彼女はここまで率直に聞いてくるのか。同じ十五の娘として、恥らいを持ってもらわなければ困る。
しかし、友人である彼女とティピアには、報告くらいしておかねばと思っていた。
話題を切り出してくれたことだけ感謝をして、現況を伝える。
「返事は、昨日出しました」
「ええ、そうなのっ。何て、何て言ったの?」
桃色の瞳をきらきらとさせて、顔を覗き込んでくる。
……恥ずかしくて、思わず目を逸らしてしまった。
「その、お受けしますと……」
好きですと、伝えた。
そんなこと絶対に言えない。
それは断じて口には出せない。口にしたら、発熱して寝込んでしまいそうだ。
目を逸らしたまま床の木目を眺めていたら、ユーリから黄色い歓声が出てきた。
彼女は「やったあ」と叫んで立ち上がり、ジュジュを高くかかげて、その場でくるくると回り出す。
突然、喜びの舞いの相方にさせられた白い獣は、ふわふわの尻尾をぴんと張りながら、一緒にくるくる回っている。
助けてくれと、つぶらな瞳が訴えているけれど、いまは我慢してもらおう。
「やったね! おめでとう、サキちゃん」
我がことのように喜ぶユーリに気押されて、恥らいの気持ちが薄れてきた。
彼女の元気には、とうてい敵わないのだ。
それから、船の時のような花比べが再開された。
彼女の追及はなかなか手厳しく、二人の出会いから、昨日までの一連の出来事を白状させられてしまった。
人には聞かせられないような部分は、それなりに割愛しつつも。ユーリにすっかり乗せられた自分は、誰にも伝えなかった心を、いつしか進んで話すようになっていた。
「気持ちはわかるなあ。相手が凄過ぎると、ちょっと自分じゃ無理かもなって思っちゃうよね」
「卑下するなって言われても難しくて……」
「でも、ローグレストさんの気持ちもわかるよ。サキちゃんって遠慮し過ぎだなって思うから」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。丁寧っていうか、間隔が空いてるっていうか。……"ユーリさん"だと、距離を置かれている気になるよね」
ぱちり、ぱちりと瞬いた。
ユーリは彼と同じことを言う。やはりこれも悪癖に入るのだろうか。
「悪くはないけど……。友達同士なんだから気楽にしようよって思うな。ねえ、"ユーリ"って呼んでみてよ」
声に出さず、口の中だけで言葉を回してみる。
……何とかいけそうだ。
「ユーリ」
桃色の瞳が、弧を描きながら細められた。
「普通に言えるじゃない。じゃあ決定ね。ユーリって呼んでくれないと返事しないから」
友人の無茶なわがままが、何ともかわいく思え。くすくすと笑いが出てきた。
「あとはティピアちゃんもね。サキちゃんも協力してよ、絶対に"ユーリ"って呼ばせるんだから」
「わかりました。……ユーリ、実はおいしい焼き菓子があるのですが、食べますか?」
食べる! という元気な返事を受けて、炊事場に急ぐ。
皿が入れてある棚の奥から、内緒にしていた焼き菓子を取り出した。
ローグと食べようと思っていたけれど、リズベリーを食べてしまったいじけ虫への報復として、娘だけで食べてしまうことにする。
中央棟から帰ってきた頃には、食べ終わった甘い匂いだけを味わうはめになるだろう。
焼き菓子の紙箱を持って、いそいそと食卓に戻る。
戻りながらも、自分がいつになく浮き足立っているのを感じていた。
同じ年の娘と、ここまで深い話をするのは初体験だ。
ユーリと話をしているのが、とても楽しい。娘同士の話は長いというのも納得できる。
話しても話しても、語り合いたい気持ちが尽きはしないのだ。
今度はティピアも呼んで、お茶会をしようか。三人で焼き菓子を作るのもいいかもしれない。
誰にも言えなかったけれど、娘同士の遊びを一回やってみたかった。
村にいる時は、まったく羨ましくないと思っていた。
しかしそれは、羨ましくないのではなく。羨ましいと言えなかっただけだと、やっと認められるようになった。
ほこほことあたたかい心を抱えながら、二人で甘い焼き菓子を摘む。
そうして話題はいつしか、近ごろ流行っているという"おまじない"に移っていった。
「わたしが作るのですか?」
「そうそう。願いが成就した人に作ってもらうといいんだって。恋人が欲しいなら、恋人ができた友達に編んでもらうと効くらしいよ。"三の鐘の部"の女の子は、みんな組み紐をしてるもん」
娘の流行りに疎いた、。ユーリが教えてくれた"おまじない"の仕組みが、いまいち理解できない。
「別に恋人のためだけじゃないの。苦手な真術を覚えたい時も、もう覚えた人から組み紐をもらうと、早く真術を習得できるようになるんだって」
「お守りのようなものでしょうか」
「近いかもね。ちょっとした遊びだと思うよ。気になる人に、話しかける機会にしている人もいるけど」
「では、男の人も組み紐を編んでいるのですか?」
「編んでくれる人も多いらしいよ。女の頼みごとは断れないって、言い訳しているの聞いたもん」
成人した男が、娘の遊びに付き合って紐編みをしている姿というのは、どこか想像したくないと思えた。
黒髪の相棒は、絶対にやってくれないだろう。
「ねえ、組み紐を編んでくれないかな? 今度お礼に、とっておきのお菓子屋さんでケーキ買ってくるから」
「おいしいのですか」
「すっごくおいしい。ほっぺた落っこちちゃう」
それは楽しみだ。
聖都ダールのお菓子は、どれもこれもおいしくて目移りしてしまう。
村にいる時は、お菓子を食べるという習慣がなかったので、なおのことおいしく感じる。
誘惑につられて快諾したところで、男達の声が道から聞こえてきた。
「ただいま」
紙袋を抱えたローグを筆頭に、男達が居間になだれ込んでくる。
人数が増えたことに驚いたらしいジュジュは、自分とローグの足元をうろうろとした挙句、自室に走っていってしまった。
ティピアの人見知りと一緒に、ジュジュの人見知りの改善もするべきだろうか。
「クルト、どうだった?」
「大丈夫。キクリ正師もわかってくれたし、オレ達以外にも報告しにいった奴がいたみたいだ」
心配そうな声を出したユーリを、また一つ叩きながらクルトが言った。
幼馴染だからなのか。
二人は接触に、深い意味を抱いていない様子だ。
成人したというのに、子供の頃の関係の延長にあるらしい。
どうにも理解できない感覚だけれど、見ていると心が再びほこほこしてくる。
ジュジュがお腹に乗っている時のような、柔いあたたかさを味わっていたら。ローグからずっしりとした紙袋を渡された。
「これでよかったか」
紙袋を開いて中身を検分したところ、確かに注文した品々が入っていた。
礼を述べようと彼を見上げれば、彼は複雑な顔をしたまま食卓を見つめていた。
視線の先には、すっかり平らげられた焼き菓子の箱が一つ。
何かを言いたそうにしている黒の瞳に、悪い微笑みを返した。
大人の男として在ろうとしている彼は、友人達の前で苦情を申し立てられないのだ。
焼き菓子くらいで何と情けないと、そう思われることを恐れている。
リズベリーの仇を取ったと確認して、上機嫌のまま炊事場に入る。
紙袋の中には、注文したよりも芋が多く入れられていた。好物が食べたいらしい彼のために、芋を揚げる支度からはじめることにした。
一気に騒がしくなった居間に耳を傾けつつも、昼食を作っていく。
ユーリが手伝いに参加してくれたので、五人分の昼食があっという間にできあがった。
空腹を訴える三人の男達に急かされ、食卓に料理を運び、突然の昼食会が開催された。
特別休暇の初日は、朝のうちこそ大荒れであったが。その後は嘘のように穏やかな一日となったのである。