表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第七章 旋廻の地
46/121

歪み

 深夜に目を覚ました。

 昼寝が響いたのか。夜中に覚醒するのは最近ではめずらしい。


 ランプからただよう彼の気配に、手をかざす。指先がかじかんでいるのを、灯る真力であたためる。

 季節は夏真っ盛り。昨年であれば、寝苦しさに悩んでいた時期である。

 今年に限って寒く感じる。

 真導士は夏に強いのかと思った。でも、ローグとヤクスの様子を見る限り、それはなさそうだ。

 無心に指先をあたためてみて気づいた。どうも、全身が冷え切っている。

 このままでは眠れない。

 夕食に出したスープが、まだ少し余っていたはずだ。

 時間を掛けて寝床から抜け出し、足音を立てないようにそっと歩く。

 二人を起こしては忍びないと思っていたのに。居間への扉を開けたところで、いまの努力の半分は無駄だったと知ることになった。

「どうした」

 遠慮気味に出された低い声が、冷えた身体に沁み渡った。


 泊りにきた友人に、寝床を譲ったらしい。黒髪の相棒は、ランプに照らされながら長椅子に寝そべっていた。

 手には分厚い本。眠れなかったのか、それとも本に夢中になって眠らなかったのか。

 灯る炎を映しこんだ黒は、睡魔を寄せつけていないように見えた。

「起きていたのですか」

「ああ」

 薄い掛け布を身体から引きはがしたローグは、長椅子に座りなおしてから自分を招いた。

 おいでと差し出された手に、目的を忘れた身体が勝手に従う。隣に座ったところで、肩に掛け布をくるりと巻かれる。

 彼の体温が、布を通して伝わってくる。


 あたたかい。


 ぬくもりと馴染んだ熱い気配が、芯まで冷えた身体に幸福を運んできた。

 その幸福が、胸のどこかをちくりと刺す。


 命を摘まれた娘達は、この幸福を得られなかったのだ。悲鳴と苦痛の中、助けてくれる人もおらず。自身の命の終焉を、見つめていただけだった。

 可哀想などと、簡易な言葉で済ませたくはない。

 しかし、自分の拙い表現の中から、適切なものを選び出すのも困難だった。

 言葉の棺に入れて、丁寧に埋葬してあげたいという気持ちはあるけれど。それができるようになるには、もう少しだけ時が必要だ。


 あたたかい手が、添え髪に触れた。

 髪を撫でている指からぬくもりを感じる。肌に直接当たっているわけではないのに、ローグの熱がふわんと頬を撫でた。

「……ローグ」

 もっと気配を感じたいと心で願う。

 ランプの炎を囲っている黒の瞳が、うっすらと細められた。

 馴染んだ気配は、彼に気持ちを運んでくれる。口に出すのは恥ずかしい。でも、これなら存分に甘え心を訴えられる。


 強欲な癖に、言葉足らず。

 ……それでもって意気地なしだ。


 照れを隠し、自分を散々に詰っておく。

 これで罪滅ぼしとはならないだろう。でも、そうでもしないと罰が下りそうだと思う。ローグには理解してもらえないけれど、どうしても後ろめたい。自分だけ幸せを謳歌するなど、許されないような気がする。

 ぱちんと額が音を出した。

 かなり加減をして放たれた攻撃。

 目の前には、少し機嫌を悪くした黒髪の相棒。彼は黙ったまま、じっとこちらを見ている。

 しまったと思っても後の祭り。自分の気配は、余計な考えまで彼に運んだようだ。

「……サキ」

「ごめんなさい。変なこと考えました」

 素直は最大の防御なり。

 カルデス商人の本格的な攻撃を避けるためには、素直でいるのが一番だ。

 黒髪の相棒は、よろしいと尊大に肯いてから、半分しか開いていなかった真眼を全開にしてくれた。


 額を合わせ、深呼吸をする。

 そこに広がる穏やかな海。終わりのない彼の世界を一人占めする。

 水遊びをしたことがない自分でも、溺れる心配がないローグの気配でなら安心していられる。

 気配の中を泳いで進むごとに、体験した娘達の思念が、洗い流されているように思った。一人の思念を降ろすと、その分だけ自分の身体が軽くなる。

 眠りの病を発症してから、ずっと感じていた倦怠感が、ちょっとだけ薄くなる。

 たぶん気のせいだ。

 薄くなったと錯覚しているだけだ。自分は何て単純なのだろうか。


 ぐんぐん泳いで進んでいけば、より熱い海の領域に当たる。

 熱に埋もれようと深く入り込んで――顔にかっと血が満ちた。

「――っ!」

 迂闊なことをした。

 大慌てでそれから離れる。

 ついでに距離を取ろうと身体に指令を下したが。とっくの昔に黒の檻には、錠が降ろされていた。

「あの、腕をっ……」

 がっちりと固められた腕から逃れられず、じたばたとする。

「大声を出すな。ヤクスを起こしてしまう」

 喉で笑う彼の口調は、やさしい。

 これで妙な色を帯びてなければもっといいのにと、焦りながら思った。

「人の心を盗み見ておいて、逃げようとするなど卑怯だろう」

 ごもっともと納得しそうになる。しかし、流されてはいけない。

 ここで流されてはまずい。

 絶対にまずい。まずい度合いで言えば、酔っぱらったローグと相対した時の、三倍くらいはまずいだろう。

 毅然とした態度で撤退するべきである。


 指揮勘が、断固とした指示を下した。

 一兵卒である理性は、ただ黙々と従うのみだ。


「離してください」

「いやだ」

 最近の相棒はどうもわからず屋だ。

 悪戯小僧の次は、わからず屋だなんて……。変わり身するにも種類を選んでいただきたい。

「人の腕に飛び込んできたのは自分だろう?」

 ぐいと身体を引かれ、顔を固定された。

 わからず屋の悪徳商人殿は、愉快そうな顔をしている。

「それは……」

 黒の瞳の奥で、きらりと何かが光った気がした。

「警戒するにしても遅い。逃げ帰ろうと必死になるより、夜着姿で人前をうろつかないよう気をつけるのが先だろう」

 目をぱちぱちと瞬く。

 ……彼を見て、自分を見てから我に返った。

 頬が、火であぶられたような熱を持つ。


 自分は、何とはしたないことをしていたのか。

 眠りの病のせいだ。夜着姿でいる方が多かった。だから、完全に忘れていた。


 羞恥で硬直した自分に、ローグはさらに追い打ちをかけてきた。布で覆って隠している後ろ髪の束を、おもむろにつかんだのだ。

 恥ずかしさで汗が浮いた。

 捕縛された後ろ髪をまとめている布には、麻紐が巻かれている。きちっと結わえている蝶結びの紐。ローグは、麻紐で作られた頼りない輪に人差指を潜らせた。

「解くのは簡単だ」

 感情が落とされた声音。緊張のあまり、唇が震えた。

「自分が女だということを忘れているのか……?」

「忘れているわけでは……」

 否定しようとしたのに上手く言葉が出てこない。

 身を切るような無音の世界。心拍数だけが上がっていく。


 彼の瞳を見られない。

 怖くてとても見られない。


「無防備が過ぎる」

「ローグっ……」

 口を塞がれた。くぐもった音が、彼の手の平にこもる。

 首に柔らかい熱を感じた。悪寒に似た、味わったことがない何かが背中に流れる。

「ほら……、抵抗できない」

 吐息が、一瞬前まで熱が触れていた場所にあたる。熱を加えられていた反動で、吐息に冷たさを感じてしまう。

 背中がぞくぞくする。

 熱風邪に魅入られた時のような寒気が、自分の背後で勢力を拡大する。

 足掻きをものともせず。またも彼は、首筋に口付けを落とした。

「サキを見ていると、もどかしい気分になる……」

 理性が白く焼き尽くされていく。

「他人ばかり案じて。どんな危険な目に遭わされても、自分の痛みはどこか他人事だ……」

 口付けの合間に出される吐息が、くすぐったい。

「里に来てからずっとそう。互いを守ると約束したはずなのに……、俺から離れるとすぐ自分をおろそかにする」

 彼の気配の中、あの時感じた影を見つけた。

「何度言っても直らない」

 そして同時に気がついた。彼が触れている場所は、仮面達に傷つけられたところだ。

 癒しを掛けて傷は塞がっているが、赤い筋が残されていた。時が経てば残っている赤い筋も消えると、ヤクスがしっかり保障してくれている。

 自分の中では過去となっていた傷口を、彼は唇でなぞる。

「いっそ、どこかに隠してしまおうか」

 口を覆っていた手が離れた。

 首筋から昇ってきた唇が、自分の唇に触れる……寸前で止められた。

 至近距離で自分を貫く眼差し。奥には燃え盛っている炎。

「誰の目にも触れない場所に、仕舞っておこうか」

 ぞわりと鳥肌が立った。

 炎に混じる影の気配が、気になって気になって仕方ない。

「見つからなければ傷つけられることもない。誰にも奪われることも、ない……」

 ローグは、いつかの弱い自分と近いことを言う。

「誰にも――」

 目元を忙しなく血潮が巡る。

 むき出しにされた独占欲が、容赦なく襲いかかってくる。

 自分のちっぽけな牙など、何の役にも立たないと思える脅威。噛みつかれたら、骨ごと食い千切られてしまうような大きな牙。


 怖い。


 大好きな黒の瞳が。

 いつも自分を守ってくれる、恋しい人が怖い。


「ローグ。ローグやめて……。お願い」

「もう遅い」

 低い声が耳に注がれる。やさしさが微塵も感じられず、恐怖が募る。

「や、あっ……!」

 ぎりっと背中が圧迫された。加減されずに締められた身体が、悲鳴を上げる。


 違う。

 こんなのは違う。ローグらしくない。


 開きっぱなしになっていた真眼が痺れている。凶暴な真力が、無遠慮に侵入してきている。とても受け止めきれない。

 耳鳴りが……する。

 彼の腕の中が。ローグの傍にいることが危険だと、本能が判断を下した。

 悲しい事実に、涙が伝う。

 恐怖よりも強い悲嘆が心に刺さった。

「……っう」

 決壊した感情が、雫と化して落ちていく。唇を噛みしめて耐えてはみたけれど、止まらない。

 ローグが怖い。怖いと思うことが悲しい。

 好きな人なのに。大切な人なのに……。大事な想いを汚してしまったようで、自分への嫌悪も止まらない。

「サキ……」

 戸惑いを浮かべた声がする。

 瞼は開けなかった。堰を切った感情を留めておこうと無駄な努力をする。

 腕が緩められた。

 黒の檻はどこにもない。

 けれど、長椅子の上から動くことができなかった。


 夜はこれだからいやだ。

 暗くて怖くて……。助けを求めるのも難しい。


 手で顔を覆った。くしゃくしゃになった顔なんてローグに見せたくない。

 熱い手が、夜着越しに背中へと置かれた。全身が反射的に強張る。慄きに接触した手は、逡巡した後、ゆっくりと離れていく。

 緊迫した声が謝罪を出した。

 戸惑いを大いに滲ませた声に肯いて、肯いて……止まらない涙を拭い、また肯く。




 この夜、ぴたりと寄り添っていた二人の間に歪みが生まれた。

 埋めることは容易かったかもしれない。しかし、この夜にそれが成されることはなかった。

 天に輝く"二つ星"。

 まとう光が、日を追うごとに強大になっている。そのことを、まだ二人は知らない。

 サガノトスに眠る、大いなる影にも――気づかないまま。


 運命は二人を飲み込もうと、ついにその口を開いたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ