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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第七章 旋廻の地
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傀儡

 終わりではない。


 そう考えて立ち上がろうと試みたのに、ローグの腕に阻まれた。

 自分を支える力が完全に失われていたので。彼の意志に導かれるまま、あたたかい腕に収容されてしまう。

「離してください」

 頼んでみるものの、底光りする黒い瞳が向けられただけで、返答すらない。

 これでは足手まといだ。

 戦えはしない。でも、どこか邪魔にならないところに行かないと……。

 自分の言いたいことくらい、ローグなら理解しているはず。それなのに一向に腕の力を緩めない。意志を汲んでくれない黒に、妙な感覚が走った。


「その娘を置いていけ」

 仮面を剥がされた空虚な神官が命じた。

 同時に、気高い黒が眇められた。

「儀式は終わっていない。……邪魔立てはさせぬぞ」

 金の仮面の下からあらわれた男の顔は、どこかで見たことのあるものだった。言葉を交わした記憶はない。学舎のどこかで見かけたように思える。

 ひょろりとやせ細った身体と、青白い顔。あまり見かけない灰色の髪と瞳をした男。血の気を失っている自分よりも、ずっと不健康そうな容貌だった。

「お前っ、チャドじゃないか!」

 男の姿を認めて、自分達の側から驚いたような声が出される。

 四人組の一人だ。名前を教えてもらっていないけれど、額に銀色の鎖をたくさん連ねているのだけ見える。

「エリク、知り合いか……」

 低い声が、確かめるように言葉を重ねた。

 聞いたこともないような冷え冷えとした声に、またも妙な感覚に陥る。

「リーガの相棒だった奴っすよ」

 肩が思わず跳ねた。

 自分の震えを直に感じ取った相棒から、視線を受ける。忘れることのできない嫌悪。委細構わず、彼の胸に顔を埋めた。

 濁った黒と紫炎が、記憶の底から蘇る。

 眩暈と耳鳴りが強くなり、嘔吐感も高まっていく。この記憶だけは思い出したくなかった。

「チャド……、どうしてこんな。自分が何をしているのかわかっているのか!」

 エリクと呼ばれた男は、咎めるような鋭い声を出した。

「邪魔立てはするな。その娘を女神に捧げるのだ」

 何を馬鹿なと言いかけ、絶句したエリクの後を、ジェダスが引き受けて続ける。

「女神に……ですか。おかしいですね、女神は生贄などお喜びにならないはず。それこそ邪教の教えでしょう。神殿にでも問い合わせてはいかがですか?」

 相棒の発言の後ろで、ティピアが守護を編んでくれた。

 ローグと共に、白い幕の中で保護される。自分だけ逃げてはいけないと面を上げた。

 苦渋の表情となった四人の燠火達は、衝撃のあまり立ち竦んでいる。チャドと相対しながら苦みを噛み潰している彼らの影で、友人達が互いに距離を取りながら、ゆっくりと散開していく。

 チャドの周りをぐるり、ぐるりと舞う金の仮面は、天からの光を反射して不気味に輝く。

「神殿など通さなくても知っている。女神から直接天啓を頂いたのだ。神官の宣託よりもよほど確かだろう」

 空虚な神官は、両手を天に掲げる。

「女神がこの場所を教えてくださった。そして真実を……この地を掃うための力を蘇らせよとおっしゃられた。志を共にする仲間を集め、サガノトスを清浄な地へと導けと。……そう告げられたのだ」

 仮面を剥がれた導士達が、壁際で起き上り、チャドと同じように天に両手を掲げる。虚ろな眼差しの奥に潜む、奇妙な光を見て。耳鳴りがより高くなっていく

 足元に振動が伝ってきた。見れば鏡の床に、はっきりとひびが刻まれていた。


 勘が、ここから逃げよと警告を発している。


「サガノトスは汚れている」

 チャドは天に掲げた両手はそのままに、悲しげな表情を浮かべた。

「醜く、汚い場所だ。誰もが心を汚し。女神の宿命に背こうとしている」

 くつ……と、彼の喉が鳴るのがわかった。

 見上げたローグの顔には笑みが浮かんでいる。自分に向けてくれる穏やかな笑みとはほど遠い笑顔。

 あまりに不似合いな笑みは、まぎれもなく怒りを含んでいた。

「女神が望んだ世界を造る。――娘を寄こせ。その娘は邪悪な者の使徒だ」

 天に掲げていた両手が、自分を示す。

 前方からクルトとジェダスの真力が放たれた。

 ローグは、自分を抱えたまま立ち上がる。

 突然の移動を、頭が上手く処理できなかったらしい。眩暈がひどくなり、視界が真っ黒に染まる。世界がまた遠ざかってしまう。引き離されたくないと、決死の思いで彼のローブに縋りつく。

 自分が自分で在ることが難しい。離されたら、きっとすべてを見失ってしまう。

「本来であれば、この地はどこよりも聖なる力に満ちている」

 言いながら、チャドは一冊の本をローブの内側から取り出した。

「聖なるこの地がここまで荒れているのだ。何かしかるべき理由がある。お前達も不思議には思わなかったのか? 優れた力を持つ真導士が、ここまで理性を失っているのだ……」

 ずきりと頭が痛む。こめかみから伝わってきた痛みが、自分に伝えようとしている事柄がある。

「その娘が原因だ。……そいつは、邪悪な者の使徒なのだ。考えてもみるがいい。里の荒事には大なり小なり、その娘が関わっているだろう」

 熱い海の真力が、猛々しい気配へと変貌を遂げた。

 長身の友人から視線が送られてくる。彼に送られた視線に気づいたのは、残念ながら自分だけであった。

「女神の意志を全うするに、これ以上相応しい存在があるか。――さあ、娘を寄こせ」

 金の仮面が、自分を見据えた。

 もはや中には誰もいない。しかし、ぽっかりと開いた双眸から鈍く光が視える。

 空虚な演説をしているチャドから。壁際で両手を掲げている導士達から、細く細く――蜘蛛の糸のような何かが出ている。煙のようにも見えるそれは、悲劇の祭壇に流れるわずかな風に乗り、たなびきながらも金の輝きに吸い込まれて消える。

 祈りを捧げる彼らの顔からは、生気が感じられない。

 まるで命を仮面に奪い取られているようだ。

「あれは……」


 そう、あの仮面はきっと。


「術具です。仮面が彼等から真力を奪っています!」

 宙を舞う、金の仮面が……ただの物であるそれらが、にやりと不気味に微笑んだ。

「……なるほど、そういうこと。どうりで気配が薄いって思ったんだ」

 ヤクスが納得した風につぶやいた。

 導士達の真力を吸収している仮面は、少しずつ回る速度を上げている。

 どのような真術が籠められているのか……。皆目見当もつかないけれど、彼等を操っていることだけは確かそうだ。


 仮面の一つが描いていた軌道から外れ、自分達の方へ突っ込んできた。

 クルトとジェダスが後方に飛び、仮面の直撃を避ける。金の仮面が鏡の床を削り割って、銀色のかけらが周囲に撒き散らされる。

 それを合図としたように、他の仮面も順々にこちらへと向かってくる。

 危ないと声を出しかけた時、唐突に生まれた風に息を止めた。二人を押し上げる風は、熱い海の気配に染まっている。ローグの真力に守られながら、そのあまりに強い気配に圧倒される。

 襲撃を繰り返す仮面達の内、三つの金がこちら目掛けて追いかけてきた。風で駆けるには狭い場所だというのに。避けても避けても追跡してくる仮面から、絶妙な間をもって旋回する。

 風を巧みに操る相棒は、逃げ回っている最中も一点に視線を向けていた。


 一向に動く気配のない角の仮面と、病んだ笑みを浮かべているチャド。


 襲いかかってきている金の仮面からは、あまり脅威を感じ取れない。あれらも角の仮面の傀儡なのだろう。

「サキ、腕を回せ。ちゃんとつかまっていないと危ない」

「でも……。ねえ、やっぱりどこかに降ろしてください。ちゃんと隠れていますから」

 再びの懇願も、意味を成してはくれなかった。

「駄目だ。絶対に俺から離れるな」

 今日の彼は、ひどくわからず屋だ。

「ローグ!」

「駄目と言ったら駄目だ。ちゃんと張りついていろ。目を離しているとろくなことないからな」

 言い合いをしていると、金の仮面が速度を上げて突っ込んできた。

 不気味な笑顔のまま、口を大きく開いて噛みつこうとしてきた仮面を、ローグがまた一つ旋風を生んで弾き飛ばす。

 いつの間に、二つの真術を同時に展開できるまでになっていたのか。

 彼の器用さが、心底うらやましく思えた。

「ヤクス、こいつらの真力を全部飛ばせ!」

「さっきからやってるよっ。やってもやっても追いつかないんだ。元を断たないと全然意味がない」

 そう言って。長身の友人は、両手を掲げ続けている導士達を見渡した。

 精神を乗っ取られているだろう彼等は、何の疑問も抱かない様子で自身の力を供給している。


 ヤクスから出た要求を受け取り、黒眼が眇められた。

 真眼から膨大な真力が吐き出される。

 恋しい人の馴染んだ真力から、旋風の気配を感じる。一網打尽にするつもりらしい。

 空を駆けている自分達の下では、友人達が防御の姿勢を取っていた。

 荒れる海への対策は万全のようだ。

 濃密な気配の中、暴風が展開される。次々となぎ倒されていく導士達の姿に、どうしてもはらはらしてしまう。

「手加減を……」

「している。サキはあいつらを心配し過ぎだ。もっと自分ことを心配してくれ」

 八人の導士と仮面を倒したローグは、ただ真っ黒に笑う。

 悪徳商人殿の笑顔に、ほっと胸を撫で下ろした。ローグに抱いた妙な感覚は、気のせいだったようだ。いまの自分は普通の状態ではないから、色々と混乱しているのだろう。


「さて、残るはあいつだけだな」

 低い呟きにつられて、眼下のチャドを見る。

 角の仮面に魅入られた男は、仲間を削られてもなお両手を掲げて立っていた。

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