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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第七章 旋廻の地
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黒の影

 黴臭い回廊の奥から、悲鳴が響いてきた。

 聞き覚えのある声。その尋常ではない叫びを聞いて、全員がいっせいに走り出す。

 先頭を行く黒の影を、赤毛の友人が追い抜いていった。

 クルトは誰よりも足が早い。体力の桁が違うはずのローグですら、追いついていくのがやっとなぐらいだ。


 ローグが予想した通り、"呪い"の場は里の東にあった。

 蠱惑の真術には、過去を映し出すものが存在する。導士の身でも直近の過去ならば再現できる。

 ジェダスが放った真術により、サキちゃんが窓から連れ去られたこと。そして、金の仮面達が犯人であることだけを知った。

 夢にも出てきたという金の仮面。

 きっと"呪い"の場に関連があるだろうと信じ、連れ去られた友人の姿を求めて東側にやってきたんだけど。

「先に行ってるぞ!」

 返答を待たずに、クルトが駆け去っていく。それを全員で追いかける。

 ローグは無言のままだ。

 しかし、周囲にこぼれている真力が感情で満ちていた。

 こいつのためにも、サキちゃんには無事でいて欲しい。しかし自分の願いは、きっと女神に届かないだろう。

 真導士の勘は、余計な時にもきっちりと仕事をこなしてしまう。

 苔むした石場の先。不気味に開かれていた回廊の中を、ひたすらに駆けていく。

 クルトが、回廊の出口に到達した。

 友人の名を口にしたクルトは、真円を描いて真術を展開する。焦ったような声に、ローグからあふれている真力が、さらに増えた。

 こんな場所で、史上最大の真力が解き放たれようとしている。……危険、過ぎる。

「ローグ、ここは地下だ! わかってるよな」

 返答はない。

 強く底光りしている黒眼だけが向けられた。

 感情を乱されていたとしても、場に合わせた真術を展開しなければ共倒れになる。冷静さを失いつつある友人に、無理やりにでも留め金をねじり入れた。

 回廊の出口――いや、一間に到達した。

 白楼岩でできた一間には、回廊と同じように苔がびっしりと生えている。鏡の床のせいで視界がまとまらない。よくよく目を凝らせば、金の仮面をつけた幾人かが、床に倒れ伏していた。クルトの真術に巻き込まれたんだろう。

 一間には、金の仮面達の他に意外な人物がいた。

 イクサの相棒。

 名前は確かディアちゃんだったか。

 ディアちゃんは三人の仮面達に囲まれ、苔の生えた壁に張りつけられていた。

 横暴な扱いを受けながらも、懸命に拘束から逃れようとしている。先ほどの悲鳴は、どうやら彼女のものだったらしい。


 仮面達に相対しているクルトは、じりじりと前方に歩を進めようとしている。

 向かう先は、妙な形の角を生やした金の仮面。角の仮面の奥には、えらく凝った造りの白楼岩の台。その上には、不吉な印象を与える鳥かごのような檻と、そして――。

「やだ……!」

 後方から、信じたくないと言いたげな声が発せられた。

 ユーリちゃんの涙声につられるように、共に駆けてきた幾人かが悲鳴を上げた。


 何て、ことを。


 鉄の檻の中、ぐったりと倒れ伏している人影。

 檻の外へ、救いを求めるように伸ばされた右手からは、多量の血が流れ出している。それだけではない。左肩には大きな矢が突き刺さっていた。

「サキちゃん……。サキちゃんっ!!」

 必死な呼びかけにも、反応は返らない。身動き一つしない彼女の様子に、焦りが大きく膨らんでいく。

 遠目からでも深手を負わされていることはわかる。

 早く出血を止めなければ。

 彼女は昨日も怪我を負わされている。それ以前に体力がすっかり落ちているはずだ。

 いまの状態で、また大量の血を失ってしまったら、命が危ない。


 最前線に立つクルトを、援護しようと踏み出した時。前触れもなく起きた現象に唖然とした。

 真眼が勝手に開かれていく。

 確かに開こうとはした。その事実に間違いはない。でも、意志を持って真眼を開いてはいなかった。

 後ろを振り返れば、同じように勝手に見開かれた真眼に動揺している友人達がいる。舎弟四人組は訝しげな表情で、額に手を当てていた。

 全員の真眼が開かれていることを確認し、勢いよく視線を走らせた。

 視線が捉えた黒髪の男。

 こんな無茶苦茶なことをしでかすのは、こいつぐらいしかいない。

 きっとこれが、無意識の"共鳴"というやつだ。人の意志を塗りつぶし、勝手に戦いの準備をさせられたんだろう。

 呼びかけようかと思ったところで、躊躇を覚える。

 瞬きを忘れた黒の眼差しは、一点に集中していた。

 捕えられ、傷を負わされている自分の相棒を――痛んだ翼を一心に捉え続けている。

 放たれている真力は、違えようもないほどに高い熱を帯びていた。だというのに、真力の出所である当人の表情は、完全に冷え切っている。


 正直、ぞっとした。

 どうしようもないほどの恐れを、黒髪の友人に対して抱いてしまった。

「ヤクス」

 低く轟く声に、怯みながら応答する。

「俺が突っ込んだら、続け。――全員、蹴散らしてやる」

 目指すは一点突破。

 最短の道から、彼女を救出するつもりらしい。

 ローグから出された張り詰めた声。向かう道にある障害への配慮は、微塵も感じられない。

「クルト殿!」

 ジェダスが声を張り上げた。

 彼女への道の直線上に掛っている友人に、大急ぎで注意を促す。

 距離があるせいか、それとも自身の真力が高いせいか。自分達の側で唯一影響を免れているクルトは、ローグの様子を確認し。慌てて一歩退いた。

 ローグが真円を描く。

 旋風の気配が、場にあふれる。ひりひりと焼けつくような真力を感じ取りながら、密かに呼吸を整える。


 いざとなったら。

 オレがこいつを止めなければいけない。


 何とも無謀な局面に立たされてしまった。正鵠の真導士はどこまでいっても損な役回りだ。

 けれど仕方ない。解き放たれるだろう巨大な真術を止めることなんか、他の誰にもできやしないんだ。

 手狭な場所で、真術をぶつけての相殺は無理。そもそもローグの真術を相殺すること自体が、かなり難しいはず。

 修業場で幾度となく見てきたその威力は、他の導士達の真術を遥かに上回っている。

 ローグは、いままで一度だって全力を出したことがなかった。内にある真力があまりに強過ぎるということを、自分自身でわかっているんだろう。修業場で展開していた真術だって、威力を高めるよりも、制御するのに比重を置いていたくらいだ。


「……なあ、少しは抑えてくれよ。気持ちはわかるが、サキちゃんに当たったらまずい」

 最後の賭けだ。

 彼女の名を出して、冷静さを戻そうと試みる。

 人の気なんかわかろうともしないローグは、ぎらつく黒眼はそのままに不敵な笑いを浮かべ、こう言った。

「サキにだけは絶対に当てない」

 それ以外は知るかと、言っているようなもんだ。

 いやな言葉を最後に、描いた真円に多量の真力を注ぎ出した。高い熱を帯びた真力に魅せられ、精霊が集まってくる。

 見たこともないような数の精霊が、ローグの周囲に舞い踊っている。

 床に転がっていた仮面達が、大急ぎで立ち上がり真円を描き出した。ローグは不敵な笑いを深くする。そして、対抗の姿勢を露わにした仮面達に向かって、殺意すら滲ませて言葉を切った。

「退け」

 背筋がぞくりとして、大急ぎで構えた。

 相手は里の導士だ。

 命まで奪ってしまっては、いくら状況を説明したところで追放を免れないだろう。下手すれば追放以上の罰を受けることになってしまう。


「返せ。……サキは、俺の翼だ!」

 吐き出されたどす黒い感情。

 言霊はなかった。もはや、こいつには必要がなくなっていたらしい。

 燠火に懐く、気性の荒い精霊達が歓喜に舞う。力を存分に発揮しようと盛んに輝いている。

 真円を描きながら、思わず腕で顔をかばった。とてもではないが目を開いていられない。ローグの真力によって開かされている真眼が、鈍痛を訴えている。

 まばゆい白の世界で、飛ばされて壁に叩きつけられる仮面達が見えた。

 各々が描いていた真円と真術は、ローグの旋風に一瞬で揉み消されていた。まともに食らった風によってか、揃いで被っていた不気味な仮面がはぎとられ、転がっていく。

 旋風は軌道上にいた者達を弾きながら、一直線に檻まで走る。そして、彼女を巻き込む直前で方向を変え、天へと駆け去っていった。

 自身が放った風に追いつけとばかりにローグが飛ぶ。

 時間差で放った旋風に乗り、血を流している彼女の元に舞い降りた。

 風と真力の圧迫が取れたのを確認してから、ローグの後を追った。そうこうしている間にも、檻の周囲を確認した黒髪の友人が、鉄の檻につけられている鍵を踵で蹴り落としている。

 ぼろりと落ちた鉄の鍵。

 あまりの馬鹿力に呆れつつも、患者の元までひた走る。

 後ろからも、友人達の足音がついて来ている。天水が二人もいるんだ、何とかなる。……いや、何とかしてみせると心に誓いを立てた。

 荒々しく檻を開いたローグは、恋人の名を呼ぶ。生まれたての赤子を包むように腕の中に収め、名を呼び続けている。

 ぴくりとも動かない彼女。彼女を抱いているローグの姿。何故だか気分がざわついて止まらない。

 無視できない何かが、そこにあるような気がする。


「ヤクス!」


 激情に染まった黒眼がこちらに向いた。

 束の間、我を忘れてそれに見入る。ざわつきは大きくなるばかり。しかし、いまはそれに構ってなどいられない。

 ぐったりとしている彼女からは、いまこの瞬間も血が失われているんだ。

 自分の命題を思い出し、患者の脇に膝をついた。

 苦悶の表情を浮かべる儚げな友人の姿。その姿を見て、首からいやな汗が一筋流れた。

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