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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第七章 旋廻の地
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支配者の地

 井戸から汲んできた水を、一気に喉へと流し込んだ。


 冷たい水が、身の内に溜まった感情を、わずかに宥めて落ちていく。

 家の裏手には井戸があった。他の家では見かけない。自分達の家の近くにだけ、たまたま掘られていたものなのだろう。

 場所を選ぶ時は一切意識していなかった。夏の気配が濃密になるにつれて、ありがたい存在となっている。

 流水の水は、井戸水のように冷えてはいない。

 あと少ししたら倉庫に氷が出てくると聞いた。しかし、待ってはいられないというのが正直な話だ。

「水ばっかり飲んでると腹壊すぞ」

 ゆるい気配に戻ったヤクスは、のんびりとした口調でそう言った。

 頼りになるんだか、ならないんだか……。こいつの性質は、いまだに上手くつかめない。


 サキは眠りについてしまった。

 いつまで経っても居間に戻ってこないので、心配して様子を見に行ってみれば。寝床にもたれかかった状態で、眠りこけているサキを発見した。

 自室に戻った彼女は、着替えを済ませたところで力尽きたらしい。貧血でも起こしたかと慌てたけれど、いつも通り……ただ眠っているだけだった。

 寝息を立てている彼女を寝床に戻し。簡単に診察をしてもらってから、二人して居間へと引き上げてきた。

 ヤクスは、サキ本人から体調を聞きたいと言うのだが、いつ目を覚ますか不明。今夜はとりあえず家に帰ってもらって、明日から泊まり込みという話で落ち着いた。

 サキが目を覚ましたら伝えておかないと。

 蜜色の相棒は、独断専行に対して、食事で仕返しをしてくるから困る。

「……まさか、ジュジュも眠り病だなんて、思ってもいなかった」

 軽い口調であっても、責めてきている。

 そう。この症状が出ているのは、サキだけではなかった。

 サキが眠りに落ちるようになったのと同じ時期に、ジュジュも一日中眠り続けるようになっていた。

 明日になれば治るだろうと、毎日考えていたことが悔やまれる。無駄に日数だけ重ねて、症状は悪化の一途を辿っている。ヤクスの小言くらいは、大人しく聞いておこう。

「ヤクス、あれは何の病気なんだ……?」

 単刀直入に聞く。

 聞きながらも答えは知っていた。真導士の勘もある。だが、自分の結論の大半はヤクスの態度からの推察だ。病気であればこいつはすぐさま動くだろう。

「病気じゃないよ。……少なくともオレが知ってる病気の中に、あんな症状が出るものはない」

 やはりそうかと、虚脱した感覚が身体に広がっていく。

「と言っても真術でもないんだよなー。飛ばす時に真術の気配がしなかったからさ」

 念のため、眠る彼女を正鵠の真円で囲んでみた。

 期待はほとんどしていなかったというのに落胆はした。光立ち昇る真円に囲まれた彼女は、心のどこかで抱いていた期待を裏切り、昏々と眠り続けているばかり。

 正鵠の真円で飛ばす際に、真力であれば真力の。真術であれば真術の感触を得られるとヤクスは言う。感覚的に理解はしづらい。まあ、こいつが言うからにはそうなのだろう。

 例の霧のように薄い真術であっても、飛ばす時にはそれなりの感触が有るらしい。

「目に見えて衰弱もしてない……。本当に疲れて眠っているだけに見えるな。と言っても食事はちゃんととれてないし。眠ってると体力が落ちるから、長引かせるのもね……」

 ぶつぶつと何かを言っている。

 自分の中で考えを組み立てているらしい。こいつは考え事をしている最中によくしゃべる。話しかけられていると勘違いして、返事をしたこともあった。しかし、そうするとヤクスの思考が止まる。面倒な奴だと思えど、サキの体調についての思案なので、着地をするまでは放っておくことにした。


 人も居るからと、久々に窓を開いている。

 サガノトスの夏はじっとりとしていて、どうにも慣れない。故郷の海の方が断然暑かったはずなのだが、海風がないとこうも変わるのか。

 真導士の証である白のローブは、季節によって籠められている真術が変わる。それを知ったのは、つい先日の話だ。

 夏用のローブには、真導士が気力を整えやすいようにと、涼を感じられる真術が籠められている。

 倉庫に入荷されている衣服も、同じ真術が籠められていると聞き、夜着にしようと早速貰ってきた。気を利かせたティピアが女物も貰ってきていて、彼女の分も用意がある。寝込んでいるからとはいえ、勝手に衣服を貰ってきてはまずいだろうと思っていた。小さな友人の心配りには感謝をしている。


「――なあ、ローグ」

 呼び掛けに視線だけを動かした。

 考えがまとまったのか? 案外早かったな。

「前々から気になっていたんだけどな、サキちゃんってちょっと変わっていないか?」

「……何だ、急に。変わっているとはどういう意味だ」

 人の恋人を変わり者呼ばわりするとは……。

 これでもかと顔をしかめてやる。

 サキは、少々人よりも遠慮がちで、人見知りで、泣き虫で、気が強い普通の娘だ。変わり者扱いされるのは気分が悪い。

「勘違いしないでくれよ。性格がどうこうとかは言っていないからな。サキちゃんはとってもいいお嬢さんだ。強いて言えば……真導士として変わっていないか?」

 ヤクスの性格を表わした人のよさそうな表情の中、独特の気配を帯びた紫紺の瞳がある。

 真導士は、相手の目をよく見る生き物だ。

 真眼を開くまでは気がつかなかったが、人の感情は目の中に色濃く映っている。どんなに上手く演技をしても真導士を相手にして、目に映る感情を隠しおおせはしない。

 目の前の紫紺は、自分の感情をどのように受け取ったのだろうか。

 苦い気分がじわりと沁みた。

「大げさに違うわけじゃないけどさ。サキちゃんの真力は、他の真導士と感触が違うんだよね」

「真力が少ないからだろう」

 無駄な抵抗と知りつつ、真実への道に障害物を置く。

「何を隠してるんだ?」

 いとも簡単にそれを踏み越えてきたヤクスから、逃れる道は残されていないらしい。

「真力の量で感触が変わったりはしないよ。例えばローグとジェダスの真力や真術を飛ばしても、重さが違うだけで感触は同じだ。サキちゃんの真力は、確かに軽いんだ。あっさりと飛んで溶けてくれる。でも、やっぱりちょっと違う。……上手い例えはできないけど、他とは違うと断言できる」

 真導士は厄介だ。

 その中でも正鵠は、飛び切り厄介であるらしい。

 ヤクスは人のことを恵まれ過ぎだとよく言うが、自分の恵みも大概だろう。


「……夢を見ると言っていた」


 どこまで話すか。

 自分の中で結論は出ていない。

 しかし、サキの容体を改善するためには、ヤクスの協力を得た方がいい。

 食卓の上に、無造作に積んである書物の山。その中から借りてきたばかりの一冊の書物を手に取った。

 『夢と予言』という題の、埃を被った書物。

 家に帰ったら、何をおいても先に読もうと思っていた。

「サキは、火事の夢を見て魘されることがあるんだ。一月に数度、あるかないか」

 全部が燃える夢。

 郷里を大火で失った悲しみは、いまだ鎮火されずに彼女を苛んでいるのだと、そう思った。

「見る夢はいつも同じだと聞いていた。しかし、ここ最近は傾向が変わってきた。奇妙な眠りにつくようになってきてからは、より顕著になってきたらしい」

「へえ、どんな内容だ?」

 真導士の里でなければ異常な光景だろう。

 男二人、大真面目な顔をして夢見について語っている。

「戦の夢、町の夢、騒乱の最中の夢、神殿での儀式の夢」

 時代背景も、土地の様相すらも合致しない夢の数々。だが、結末はいつも同じだと蜜色の恋人は訴えた。

「――生贄に捧げられる夢」

 紫紺が色を濃くした。

「結末を見るまでは、例え途中で起きても、次に寝た時に同じところから夢がはじまる。延々と夢を見続けて、最後はいつも生贄に捧げられて終わるらしい。石造りの神殿の地下回廊を通って、必ず同じ場所で殺される」

「気分がいい話じゃあないね」

「まったくだ……。どうにか助けてやりたいが、夢の中では手出しができない。せめて夢を見なくなる方法をと探していたら、真導士の夢は特別であるという書物を見つけた」

 『夢と予言』を執筆した人間が書いた、もう一冊の書物。

 題は『真導士と夢』

「真眼を開けば、すべての感覚が鋭敏になる。無意識下の力……これには、勘と夢も含まれるらしい。本能的な力が大いに冴える。個人差はあるようだ。だが、過去には夢で予言を行う者もいたとある」

「胡散臭いって言いたいんだけど、真導士の里に来てから言えなくなっちゃったんだよな。何が起こっても、どんな奇跡があってもおかしくない」

 不服そうに返事をしたヤクスの心情は、目を見ないでもつかみとれた。

 医者と迷信は、相性が悪い。

 医者不足の地域では、いまだ儀式や迷信で病の治療を行っている場所があると聞いた。何の根拠もない行いで、助かる人間が助からなくなる。

 医者が喜ぶわけがない。

「真導士は、真眼を通して世界を視ている。視たもの、拾った気配……真眼を開いている間に、掻き集めたすべてが蓄積され、一つに繋ぎ合わせられる。繋ぎ合わせられたものが、勘と合わさって予知となったり、警告として夢に現れる。個人差はあれど、真導士なら誰でもその能力を持っていることになる」

「話が本当なら、サキちゃんと夢は相性がよさそうだ。あそこまで気配に敏いんだから、拾っている気配も、オレやローグとは全然違うだろうし」

 確信を持って、同意を返した。

「サキは異能だからな。気配だけではなく、残された思念を声の形で受け取れる」

 ベロマの地下に残されていた、子供の悲鳴を聞きとった彼女。

 そして、真眼を開いたまま里を歩くようになった時から、サキの夢は始まっている。

 彼女が気配を辿れる範囲は広い。船の実習で遺憾なく発揮された実力。あれならば、サガノトスの端々まで視れるだろう。強い気配に隠されると視えなくなるらしいが、それでも十分と評価できる広さだと言えた。


「ここからは俺の予想だ。サキの夢は、サガノトスに刻まれている歴史を拾い上げた産物だと思う」

「……サガノトスは、生贄の処刑場だったって言うのか」

「率直に言えばな。真導士の里が生まれた過程も調べていたんだ。どのような理由で、各国の聖都に里が配されているのか。いくら何でも揃い過ぎている。真導士の里を覆っている慧師の真術は、真穴を利用しているものだ。真穴など、そうそう都合よく空いていないからな」

 十二年前の調査とは違って、この件に関してはどうにか答えを得られた。

 大戦前の歴史は、おぼろげにしか残されていない。残された歴史の破片から読み取れた答えをヤクスに伝える。


 真導士の里が配されている土地は、元々聖地だった。

 いまではあまり知られていないが、昔はどこにでも真術があり。呪いがあり。"魔獣"が徘徊して人々を悩ませていた。中でも"魔獣"は脅威だった。邪神の分身とも、手先とも言われる悪の存在は、容赦なく人の命をもいでいったからだ。

 "魔獣"を討伐する力を持った者が聖職者となり。聖職者が力を存分に使える場所が聖地となる。聖職者は時間を重ねる内に王族となって国を創る――四大国はこうして生まれた。

 聖地だった場所が、支配者を得て王都となり。悲劇の歴史を通過して聖都と改められ。現在では真導士の里となっている。

 中央棟は、サガノトスが創られる前までは"離宮"であったようだ。王族が、特別な儀式を行う時にだけ開いていた建物。

 この場所は、時代時代の支配者が治める土地。類まれなる力を持つ者だけが住まうことを許される場所。

 きな臭い、辛気臭い、黴臭いと三拍子揃った土地は、そのような側面も持ち合わせていたらしい。


「大昔から儀式に生贄が使われることはざらにあった。禁止されたのは真導士の里ができてからだ」

 捧げられた数多の命。すべてが望んで命を差し出したとは思えない。

 恨みや、辛み、そして命をもがれる恐怖は、思念として土地に深く刻まれているのだろう。

 恨みを含んだ思念は"呪い"と呼ばれる。

 つまりサキは、真導士の里に刻まれた"呪い"に苦しめられていることになる。


 自分が考えた予想は、いまのところ机上の空論だ。

 けれど、大幅に外している感じはしない。自分の勘だけでは頼りない。ただ、ヤクスからも否定が出されることはなかった。無言の後押しを受けて、打ち立てた予想を元に行動しようと決めた。


「また、追っかける案件が増えたなー……」

 ぼやいてはいても、ヤクスには降りるつもりがないようだ。

「明日、"浄化の陣"の輝尚石を貰ってくるか。場所を特定しないと使えないけど、手分けして探して"呪い"を見つけたらすぐに清めよう。長引けば、サキちゃんの体力がもたない。……何でこんな大事な話を隠していたんだ。ギャスパル達よりずっと優先にしなきゃいけない話だろ」

「騒ぎにしたくはなかったんだ。ギャスパル達に知られたら隙を突かれる。同期の連中が動揺している最中に、"呪い"だの何だのと言い出したら、さらに収拾がつかなくもなる。真眼を閉じて、真力を回復させて治るなら、それに越したことはないと思っていた。……俺の誤断だ。迷惑をかけてすまん」

 大仰な溜息を一つ、頂戴した。

 明日からの行動と、金の仮面共の件を相談して、ヤクスは帰ることになった。

 八人だけには話せと言い募られて、無理やりに約束を取りつけられてしまった。帰り際に念押しをされて、すっかり信用を失ったものだと反省を深めていた自分に、友人は置き土産までしていってくれた。


「これが解決したら、オレには全部話してもらうからな。お二人さんは、どうも隠し事が多過ぎるよ」

 じゃあなと、帰っていくヤクスを見送りながら、実に厄介な友人だと逆恨みをしてしまった。


 自分は、少し疲れているらしい。

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