真導士サキと二つ星

幕間 真導士と花祭り

真導士と花祭り（３）

　鏡台の前で座りこみ、盛大なため息をもらした。

　白い獣が、足もとで心配そうに鳴いている。左手を伸ばし、頭をひとなでしてからほほえんだ。

「わたしをかばってくれたのでしょう」

　小さな頭を「いい子、いい子」となでながら、思い出すのはローグのこと。

　彼としては不愉快だろう。怒るのは当然である。

　なにせ自分の恋人に、ほかの男から装飾品が届いたのだ。普通の反応だと言える。

　これがただの腕輪だったら、自分だって受け取らない。

　しかし、あの人の腕輪だけは例外だ。これは自分にとっての命綱。真導士として在るために必要な術具だ。

　鏡台の上に置かれている小箱を見てから、左腕に視線を流した。

　よく見れば、銀の腕輪も高価な物だ。なにかとうとい自分でも、それはわかる。術具として見ていたから、眼が曇っていたらしい。

　高価な品をおとりの術具として使うなんて……あの人の感覚は理解しがたい。

　金の腕輪を選んだ理由はわからないけれど、これがどういう意味なのかは、ちゃんとわかっている。

　"首輪"だ。

　場所は手首であるが、これも首輪の一種といえよう。

　つまり、飼い犬へのごほうびなのだ。

　先日の実習での活躍を、あの人なりにほめているつもりらしい。

　犬のしつけは、適切にほめることが大事だと聞いたことがある。それゆえに、むっとしたまま金の腕輪をにらみつける。

　失礼な人だ。

　年頃の娘を犬あつかいするなんて、絶対に許せない。

　むかむかとしながらも、金の腕輪は失えない。

　実習から帰って早々に送られてきたということは、真術の効果が切れることを嫌ったのだろう。"暴走"を引きおこされたら面倒だと、腕輪の輝きが言っている。

　でも……本当にどうしようか？

　ローグはすっかり誤解をしてしまった。

　このままではローグにも、友人たちにも悪女あつかいされてしまう。

　初めての恋なのに、変な誤解から彼との関係がこじれるのはごめんだった。

　しかし、話すべき事実は確約によって縛られている。

　ローグはとても敏い人だ。

　そして自分は、誰かをあざむくような話術が使えない。

　少しでも話してしまったら、誘導されて全部を白状させられてしまうのは、目に見えていた。

　それだけはできない。

　里の暗部を、自分の立場という瑣末な事柄を理由にして話すことだけはしたくない。

　その行為は、一人すべてを背負って、里の安寧を支えているあの人への裏切りだ。

　そして、自分の里に対する愛着への裏切りでもある。

　彼は、いまだにきな臭いと嫌っているけれど。自分にとってサガノトスは大切な場所なのだ。

　帰る場所があるという安心感。

　戻ってくれば、自分を迎え入れてくれる人がいる幸福感。

　波乱に満ちていたとしても、あって欲しいと強く願う。

　自分のつながりと思い出が、ごっそり削り取られるなんて、もうたくさん――。

　そこまで考えたとき、唐突に視界が青に染めあげられて驚愕した。

　おどろいて声を出しかけた頃には、元の世界に戻っていたけれど。……つかの間、青が世界をうめていた。

（まさか）

　目の錯覚だ。

　まぶしい金ばかり見つめていたから、目がくらんだのだろう。

　だって、青の真術が出てくる要因がない。

　自分の命に関わる時にだけ、青が展開するのだ。

　あばれる心臓に、経験から得た知識をに塗り込んでいく。

　激しく脈打つ胸を、右手でゆっくりなだめ。鏡のなかにいる、変わりばえしない自分と見つめ合う。

　サキという名の、天水の真導士。

　これが、自分を言いあらわすすべてだ。

　故郷はないし、親もいない。

　故郷は確かに実在していた。けれど、いまでは嘘のようにかき消えてしまっている。

　残されている家々の焦げた残骸も、いつか風雨に沈められ大地へ還っていくだろう。

　自分のうしろをふり返ってみても、歩いてきた足跡すら見つからない。

　薄い色に彩られた、印象に残らない自分。

　そして、その薄い自分に連なっていた、すべての時間。

　もっと欲しい。

　自分と世界をつないでくれるなにかが、もっともっと必要なのだ。

　そうでないと、自分で自分がわからなくなる。

　わたしは、わたし。

　でも、"わたし"って誰だろうか？

　鏡ごしの自分と手を重ね合う。手の平に、ひんやりと冷たい感覚が流れてきた。

「あなたは、誰……？」

　サキという名前は、村長がつけたのだろうか。

　長年、サキと呼ばれていたので、疑問にすら思っていなかった。

　最初からサキだったのか。本来は違う名前だったのか。違う名前だったのなら、誰がつけたどんな名前だったのか。

　なんのつながりも持たない自分は、どうして青の奇跡をおこせるのだろうか――。

　さけてきた。

　自分も、ローグも。

　二人して、現実から目をそらし続けてきた。

　里に広がる不穏や、"森の真導士"とは違い。青については詳細を探ろうともしていない。

　まだ早い。

　受け止めるには大き過ぎる。

　真導士の勘は、働き者だ。自身のために、本能の導くまま動き続けている。

　いつか、それに挑むときがくるだろう。

　まだまだ、ずっと遠い未来だけど。宿命の道の先で、自分たちを待ちかまえている。

　いまはひたすら、眼前の試練に立ちむかうべきだ。雛のままではいられない。時は確実に流れているのだ。

　鏡から、手をそっと離した。

　目の前にいる、印象が薄い自分から視線を外し、ゆっくりと立ちあがる。

　金の腕輪が入った小箱にふたをして、そろりそろりと居間へむかう。

　怒りに満ちていてもかまわない。ローグに名前を呼んで欲しかった。

　確かな輪郭と。新たな彩りを与えてくれる、恋しい人の元へ向かうことにした。

　ローグは、やはり居間にいた。

　長椅子のところで本を読んでいる。

　自分が居間に戻ったことはわかっているだろう。しかし、本に集中しているのか、顔をあげるそぶりもない。

　気配をうかがってみれば、めずらしく真眼を閉じ切っているようだった。

　そのせいで感情の機微が、たいへん読みづらくなっている。

　怒っている……かも。

　基本的にローグは、真眼を開いたまま生活をしている。

　真眼を開いたままにしていても、彼の膨大な真力は枯渇などしないからだ。

　人をねたんだり、あざわらったりする者が発する、辛気くさい気配が嫌いだと、彼はつねづね言っている。

　ローグの場合、とくに意識して真力を放たずとも、真眼を開いているだけで自信の周囲に真力の膜が生まれる。

　"守護の陣"を使えないローグは、そうやって自分の身と心とを、気高くあるよう守っているのだ。

　彼ほどの強い真力が、おしげもなく周囲に注がれていれば、感情を覚ることは容易だった。

　しかし、ぴたりと閉じられた真眼からは、いつものように感情を抜き取れなかった。

　負い目と怖気を背負いながら、そうっとそうっと近づいていく。

　食卓のところまで戻ってきているのに、まだ顔をあげてくれない。完全に無視されている。

　これは、悲しい。

　恋心を乗りこえて、本当のさみしさが前にせり出してきた。

　思わずしおれてしまう。

　水気を失った草のようになりながら、彼のとなりに腰をおろす。

　知らぬ存ぜぬと、本を見つめる黒の瞳。

（……どうしよう）

　取り急ぎ反応をもらいたくて、そでを引っ張ってみる。だがしかし、ローグが反応を示すことはなかった。

　彼は、自分を無視したまま、本の頁をぺらりとめくる。

「あの」

「なんだ」

　返ってきた反応はえらく淡白だったから、さみしさが増幅してしまった。

「怒っていますか……？」

「なんの話だ」

　重ねられる淡白な返事。

　苦手だ。

　感情のうかがえない表情も。

　淡々と紡がれる言葉も、大の苦手だった。

　そでを引っ張ったまま、視線を合わせようと黒の瞳をのぞき続ける。

　仲直りのしかたは、あいかわらず学べていない。

　謝らなければいけないほどの事態は、"迷いの森"以来である。

　自分は、人との確かな関係をきずくための経験が、圧倒的に足りていなかった。

　ごめんなさい――だろうか。

　いやいや駄目だ、それはまずい。誤解が深まりかねない言葉だ。

　難題を前に、普段はあまり使っていない知恵を雑巾に見立てて、からからにするくらい絞る。

　ううん……と、熱が出るほど頭を回転させていたら、熱い親指が唇にふれてきた。

「悪いくせだな」

　しかめっ面になったローグを見て、涙が出そうになる。

　ようやく、彼に表情が戻ってきた。

「そんなにかむな。また血が出てしまう」

　指の熱を感じていたら、かわした口付けを思い出してしまって……耳朶が赤をはらんだ感覚がした。

　悪癖を責めてくる恋人の声に、心が震える。

　戻ってきた彼の感情を、一心に見つめた。まゆを曇らせた彼は、静かな目で自分を見ている。しかし、真眼はまだ開かれていない。

　彼が持つ、豊かな真力と感情への扉は、ぴたりと閉じられている。

　視えない。だからこそ知りたい。

「ローグ、真眼を開いてください」

　整ったまゆが、くいと持ちあがった。

「人の願いは聞かず、自分の願いばかり押しつける気か」

　言葉につまって、ついひるんでしまった。

　ローグの言い分はもっともだ。

　彼の願いを退けている自分は、彼に願いを伝えられる立場にはない。

「そこまでかたくなに"聞くな"と言い張るなら、もうなにも聞かない」

　ずっと責め立てられていた事柄で、急に身を引かれると不安になる。

　ついに、自分はあきれられてしまったのだろうか？

　想いを通わせてから一月も経っていないのに。こんなにも早く、初恋が終わるなんて悲しすぎる。

「だが……、願いを受け入れる対価をもらってもいいだろう」

　悲しみと不安に飲まれかけていた自分に、黒い笑いが示された。

　悪徳商人殿のご降臨である。

「対価……ですか」

　今度はなにを要求されるのだろう。

　結局、最初に示された対価は、なし崩し的に生活の一部となってしまった。

　自分はこれからの日々を、返し切れない利子にまき取られていくのだろうか。

　……うむ、ありうる。

　実現の可能性が高い未来に、ふるふるとおののく。

　そんな自分に突きつけられた対価は、想定外と言っていい形をしていた。