決着
「いた!」
「おい、お前ら。そっちから挟め!」
「クルト! 爆弾だけは投げるなよ」
わかってらい。
至極楽しそうな声に、全員が不安を覚えたことだろう。
狙うは接近戦。
距離をとられると、展開の速さと真術の威力で引けをとる。数の利と自分達の力量を考えれば、接近戦を選ぶ必要がある。
近づけば近づくほど、あちらも大掛かりな真術を選べなくなる。
実際の戦闘となれば話は別だろう。しかし、とにかく一撃が入ればいいという条件。近づいた方が確度が高い。
クルトとヤクスが真術を展開する。蠱惑と燠火。ヤクスの相棒は三系統の真術が使える。相棒から譲り受けたという輝尚石からは、同じ真円で違う系統の真術が展開される。意外性の演出に最適だ。
だが、この一撃もかわされた。動きの素早さが常人離れしている。やりづらい相手だ。
強烈な風の反撃を受ける。
上空に飛ばされた同期達。ジェダスとフォルとエリクは、正師の結界で守られている。
奴等は今日も棄権となってしまった。
「ヤクスは一旦引け。クルト、ダリオ、援護しろ」
三人から了が返ってくる。ジェダスが削られたのは痛い。ヤクスを温存しておかないと後が辛い。
輝尚石を掲げる。
手に熱を感じながら、力を解放する。
駆け抜ける炎豪。
火の威力が落ちない内に、真円を描き炎豪を展開して重ねる。重なった炎は、また紙一重で避けられる。それを見届け左手に隠していた輝尚石を展開する。
展開されていた炎豪が、風に乱されて範囲を広げた。男がいた場所を炎が飲み込み、大地ごと焼き尽くす。
「やった!」
棄権組が上空で歓声を出す。響いた歓声。被せるようにヤクスが警告を出した。
「――ローグ、後ろだ!」
振り返り、男の姿を捉える。掲げられた右手に鋭い風の気配。
真術を展開することもできず、両腕で身をかばう。その瞬間、腹部に鈍い衝撃を受けた。
一拍遅れて放たれた刃の如き風。大気を裂き、飛び去っていく。
「……チャド」
「攻撃の要がやられちゃ困るよ」
体当たりしてきた同期は、青白い顔で苦笑した。
「二人とも避けろ!」
反応した体が、男にしては細い腕を掴む。これもどうにか避けられた。
間一髪だ。
「おい、いなくなったぞ?」
言われて見やれば、男の姿が消えている。
まずい。
姿が見えなければ、どこから攻撃されるか予想できなくなる。
ジェダスはすでに削られてしまった。残ったのは真力が高い者達のみ。
「やられたねー」
緊張の面持ちでヤクスが言う。
「戦術を変えてきたようだ。お前が頼りになる。削られるなよ」
真力が高く、気配に鈍い者達だけ残された。
こちらの目論みに合わせて、男も戦い方を変えてきたのだ。ヤクスはその点でも例外。正鵠の敏さを男が知っているなら、狙われる確率がさらに高くなる。
「くっそ、あっちこっちに移動されちゃあ、狙いを定められねえ」
「問題は転送だね。どうしたら……」
そう、問題は男が"転送の陣"を扱えること。
上手く追い込めるまでにはなってきた。されど、転送で飛ばれては意味がない。
「転送を展開するまえに、めちゃくちゃ素早く攻撃するしか」
「それができたら苦労は……」
ブラウンとダリオのやり取りに意見を出そうと振り返り。金と金の間にそれを見つけて、声を張った。
「来たぞ!!」
二つの金の合間に、冴えた色が生まれていた。樹木に紛れ潜んでいた男が、こちら目掛けて風を飛ばしてくる。
ブラウンとダリオにぶつかる寸前、真術が地面を削った。砂煙に飲まれた二人の叫び声が聞こえる。
どこだ、大丈夫か。
応答を呼びかけつつ砂煙を払い、二つの金の行方を求める。
「あ……」
苦戦しながら砂煙の隙間に見つけた金達は、頑強な真術で保護されてしまっていた。
残すは四人。
「……なあ、爆弾投げていいか」
「やめとけ」
やけくそになってきたクルトを宥め、残った四人に指示を出す。
「散ろう。隠れて機を狙う」
あと少し。
もう少しで何かが見えてきそうだ。
号令に合わせて散開した直後、チャドの悲鳴が聞こえた。……あと三人、だ。
真術の余波に紛れ、身を潜める。
手加減はされている。真術がぶつかる直前、必ず威力を削っている。
最悪、当たっても大丈夫なように。正師の結界が間に合うように。自分達でも避けられているのは、奴の手心のおかげだ。隙と言えば隙に当たる。ただ、どうも弱い。決定打にはならんだろう。
チャドの言う通りだ。問題は転送。転送されれば、こちらはどうしたって追えなくなる。
転送の直前を狙う。奴が転送をする時は、大掛かりな真術を狙った場合のみ。例えば自分が真術を展開する前に、ヤクスかクルトに攻撃を仕掛けさせれば。……いや、それは難しい。真術の展開速度では追いつけない。何かを仕掛けようとしても、奴の真術の方が早い。
(ローグ、落ち着け。急ぐと見えるものも見えなくなる)
わかっている。
考えているから放っておいてくれ。
(全部を一緒くたにしようとするのはお前の悪い癖だ。一括だけにするな、分割も考えに入れろ)
分割。行き止まりにぶち当たったら、とりあえず全部分けてみろ。自分だけわかったような顔をして、兄貴はそう言ってくる。
わかっているなら助言ぐらいしろとぶつくさ言ったら、痛烈なデコピンを食らった。
あれは本当に痛かった。
(誰も見たことがない、聞いたことがない代物ってのは、いままでもあった何かの新しい組み合わせ。卵がなければひよこも生まれない。予想外ってのもそうだ。組み合わせが思いつかなかっただけで、駒はとっくに揃っている。よく自分の手の中を見てみろ)
手の中か。
言葉を反芻し、腰に手を当て、あるはずの袋がどこかに落とされていたことを知る。
迂闊なことをした。彼女の輝尚石を全部なくした。自分の輝尚石も、残り一つ。
(いつも言っているが、突拍子がないだけじゃ駄目だ。突拍子もなく、かつあり得ると思えるものが一番。馴染みが薄いものには誰も見向きをしない。目を凝らしてよくよく探せよ。いざとなったら倉庫を空にしろ。破産したら全部持っていかれるんだ、出せるだけ出してしまえ)
空だ。とっくに何も。
……いや?
ポケットをまさぐっていた手が、意識的に避けていた駒を見つけた。
(駒が揃ったら、あとは組み合わせを考えるだけ。昔から得意だろう)
あの男にとって予想外な事態。突拍子もない出来事。突拍子がないと感じるが、心のどこかであり得るとも思える何か。
転送。別の地点に移る真術。
導士相手には手加減をする。雛の保護。慧師の指令は絶対。任務の遂行。そして手の中のこれ。
靄がかかっていた思考に光が差し込んできた。
視界がぱっと晴れる。下りてきた閃きは、きれいな蜜色に輝いている。
これだ。これならいける。
「ヤクス……!」
小声で呼ぶ。
呼べば、長身の友人が草陰から顔を出す。ヤクスとは一定の距離を保っていようと、示し合わせていた。
「これを」
ポケットに残っていた最後の輝尚石を、転がして渡す。
「合図をしたら、全力で放て」
「……悪い考えでも浮かんだか?」
言葉がおかしいだろうと、苦笑いを返す。
「いい考えと言ってくれ」
一番小ざかしかった"赤いの"に流水を見舞う。左手に隠し持つ袋を風で切り、こぼれた中身を転送で飛ばしておく。
「あー、オレの最高傑作が! 返せこの野郎!!」
輝尚石から大降りに展開された炎豪を弾き返し、炎の追撃を重ねる。展開した真術が、厚い壁に当たった感触。
的確に展開された結界を見届け、残る二つの気配を探る。
結界の内側から、返せ、返せと喚く餓鬼の声がやかましい。
何が最高傑作だ。
ローブに引っ掛けてしまったせいで、飼い犬が鼻とへそを曲げていた。吠え癖が悪化したらどうしてくれる。
残すは"長いの"と"黒いの"。
正鵠と燠火の組み合わせだけは避けるべきだが……、まあいい。"長いの"はどうやら正鵠の真術を使えぬようだ。奴の輝尚石を早めに潰せばいい。
まだ喚き続けている餓鬼の声が、無駄に響く。潜伏している二羽の雛は真眼を閉じている上、餓鬼の声が微かな物音を遮っている。
どこからくるか。気配を鎮めて動きを待つ。
「ローグレスト殿、まだまだいけますよ!」
餓鬼の声に他の声が被さる。上空から落ちてきた歓声が、さらに場の静寂をかき乱す。
(……あいつら)
上空から。地上から。雛達の鳴き声がする。音を探らせないつもりか。柘榴の雛はまた格別に癖が強い。
煩わしい歓声を聞き流し、気配を探す。"長いの"はともかく、"黒いの"の気配なれば……。
(ここか)
右手後方にそれらしき気配がいた。"長いの"も近くに潜んでいるだろう。奴等の距離は近い。
探り当てた先で気配が拡大した。暑苦しく荒々しい、巨大な真力。
振り向き。方向を定め。反撃の展開をしている最中に、想定の人影とは違うと気づいた。
「いっけえ、ヤクス!!」
囮のつもりか。
反撃を取りやめ、転送に切り替える。"長いの"が構えている輝尚石から炎豪の気配。"黒いの"の輝尚石と見て間違いなかろう。
奴の力は厄介だ。
尋常でない真力量のせいか、多重真円の真術に近くなっている。
転送を展開しつつ、"長いの"の周囲に目を凝らす。近くにいるだろう黒い人影を探している時、想定していなかった気配を探り当てた。
(何故)
完成間近だった転送を弾き、風を編む。
(大人しくしていろと言い聞かせたはず。家を出るなとあれほど)
己の足元。"長いの"と相対している側の空間に、展開がはじまっている。ほのかに揺らぐ、清流に似た風の真力。
地面にくっきりと描かれた天水の真円と、大気に流れる"守護の陣"の気配。
お前は何をしている。何を考えている。
人をかばっている場合か。お前の真力では太刀打ちできぬ。
苛立ちを覚え、弾かれてしまうだろう守護の前に風を生む。奇想天外な娘は、こちらの想定をいとも簡単に逸れてしまう。躾が先だったかと、己の不手際を激しく悔やんだ。
(この馬鹿犬が……!)
炎を風で遮ったことを視認し、勢いを増幅させ炎を押し返す。
「っうわあ!!」
腑抜けた悲鳴と共に、展開されていた炎豪が消失した。巨大な炎豪を生み出していた輝尚石が派手に割れ、代わりに結界の展開が成される。
わずか息を吐いた己の真後ろに、風の気配。
そして、背中に衝撃が加わった。前へと屈んだ動きが間に合わず、食らわされた打撃が、肺の機能を一時止める。
前転して着地した己の目の前には、黒い髪の雛鳥。
「――見事」
若い正師が言い。雛達から飛び切りやかましい歓声が上がる。
「入ったあ!」
「勝ったぞー!!」
「やりましたね、皆さん」
「オレの最高傑作を返せー!」
「蹴り入れるって、お前さー……」
ぜいぜいと肩で息をしている黒の雛鳥の手を見やる。そこに握られている千切れた組み紐から、風の気配がしていた。
"守護の陣"が籠められた術具。
輝尚石だけだと油断したか。己の迂闊さに舌打ちをする。
「……お返しだ」
乱れた呼吸の合間に、黒い雛鳥はこう言った。何の話かと考え、雨が降っていた過日の出来事を思い出す。
「隙がなければ隙を作る。……突拍子もなく、それでいてあり得そうな事態」
手の中の組み紐を眺め、雛は言う。
「やりかねないと思ったでしょう。自分のことなどお構いなしで人にかまける。サキはそういう娘だと。……同じ意見なのはうれしくはありませんが、俺もそう思います」
確かに、あり得ると思った。
"張りぼての町"でも、船の実習でも同じような行動をしていた。己の怪我を省みず、人を救うために戦う難儀な天水。
何をしてもおかしくない、究極に厄介な娘。
「複数の輝尚石をばら撒き、煙幕代わりにする手法。これを応用しただけだ。見知った真力が一つあれば、当人だと錯覚するかもしれない。気配に敏い相手なら難しい。しかし、真力が高く気配に鈍い相手ならどうか……。貴方の実習は役に立ちました。お礼を申し上げましょうか」
「ぬかせ」
加減をしてやるのではなかったか。
背中の鈍痛のせいで、苛立ちが倍増した。
「キクリ正師。真術ではありませんが、一撃は一撃でしょう」
問われた相手が快活に笑った。
記憶を刺激するその姿で、男が言う。
「制約は設けておらぬ。賭けはお前達の勝ちだ。よくぞ成し遂げた」
誇らしげに笑った黒い雛に、散り散りになっていた雛が群がる。
口々に称え合い、かと思えばからかい合う。
誰が誰よりも怪我をしているだとか、実に下らぬ話で盛り上がっている雛達と、羽の短い群れを見守る正師の影。
いつしか苛立ちが消え、光景に見入っている自覚を持った。
懐かしいと思えてしまうことが何よりも不思議だと、そう思った。