駆ける
(行ったか)
暗い心地で、事実を噛みしめる。
サキ達は窮地を脱した。
それなのに、安らぎが湧いてこない。
娘達だけでも、中央棟に走らせる。理性が出した最善の策と自身の勘とが、上手く重なり合っていないように思える。
……これで、本当によかったのだろうか。
前方から炎が上がった。
すかさず、旋風をお見舞いしてやる。
力量差は、誰の目にも明らかだ。
奴らにもわかっているだろうに、何度も飽きることなく撃ち返してくる。
蒸気に満ちた場。
せいぜい隣に立つ、ヤクスくらいしか視界に入らない。
クルトとジェダスは近くにいる。
自分が真術を展開すると気配が薄れるから、収束のたび位置を確認している。……真力が高いのも考えものだ。
「ローグ、やり過ぎるなよ」
「わかっている」
喧嘩くらいなら処罰はされない。
しかし真術を使って大怪我をさせたら、さすがに罰を免れないだろう。
こういったときの罰は、重くて謹慎程度だと聞いた。
だが、自分が外に出られない状況を作りたくない。一人になったサキが狙われることなど、目に見えている。
奴らに炎豪は使えない。
導士相手に使う真術としては、威力があり過ぎる。
道の後方から進んでくる気配は、まだまだ遠い。奴が来るまでには場を抜け出せるだろう。
「おかしいですね」
蒸気の向こうで、ジェダスが悩んでいる。
「誰も追いかけませんか。狙いはローグレスト殿一人……ということでしょうかね」
白く濁っていた大気が晴れてきた。幻惑の蒸気が消えていく。
「いっそ、ローグレストを置いていくか」
薄情な悪餓鬼が笑っている。
「それは名案だね、一人でも大丈夫そうだし。早くお嬢さん方を追いかけないと……」
「どいつもこいつも冷たいな。本格的に、友人の選び方を考え直すべきだろうか」
喉で笑いを潰しながら、足元に真円を描いた。
蒸気の役目は終わっている。視界を確保した方がいいと、そう判断した。
旋風を展開する。
白の竜巻が、蒸気と幻影を消し飛ばし、天空まで舞い上がっていった。
確保した視界には、五人の男。林の中でうろついていた奴らも、すでに姿をあらわしたようだ。
「クルト。どいつが燠火だ」
燠火から潰していけば、あとが楽になる。
放たれていた炎豪の威力を鑑みても、自分一人で二人までならば、同時に相手ができる。
奴が来る前に、余計な人間を片づけておきたい。
「おい」
何故か、言葉を詰まらせているクルトに催促をする。
急ぎたいというのに、どうしたことだ。
「やりやがった……!」
怒りを吐き出したクルトを見る。
挑発を仕掛けてきていた男が、不愉快な高笑いをした。
「ローグレスト、罠だ。後ろの二人は喫茶室ではいなかった。それに……ギャスパルの相棒が来ていない!」
視界が赤に染まる。
自身の勘が発していた警告を、みすみす取りこぼしてしまった。
自分の迂闊さを呪い。サキが駆けていった道を行こうとして、二人の男に塞がれる。
腹の底からの咆哮と共に、輝く白を吐き出した。
邪魔をする奴らを弾き飛ばしながら、ただそれだけを脳裏に描く。
かけがえのない蜜色を求めて、今度こそ大地を駆けて飛んだ――。
「がんばって。もう少しだよっ」
中央棟に向かう、最後の角が見えてきた。
石壁の角を越えれば、残すは直線のみ。
中央棟の入口から、真っ直ぐに伸びている道。正面の大扉へと連なっているその道まで、あと少し。
遅れがちになってきたティピアの手を取り、ひたすらに駆ける。
(早く、早く……)
先ほどから、耳の奥がきんきんと鳴っている。
後方で展開されている真術の余波と――里のあちこちに視える白の光。
学舎で。
修業場で。
同時に複数の乱闘が起きている。
どうりで見回りと出くわさないはずだ。
これも、ギャスパル達の作戦なのだろう。黒髪の相棒への異常な執念を感じて、いやな汗が背中を伝っていった。
中央棟に正師はいるだろうか?
いや、三人の正師がいなくても、慧師だけはいるはずだ。
確信と希望が混ざり合った願いを抱えて、大地を駆けた。
ティピアの手が、ずるりと落ちそうになる。
躓いてしまった小さな友を振り返り、解けないように手の平を握り直して前を向く。
振り向いて見れば、十歩先を駆けていたユーリが、そこで立ち止まっていた。
肩で息をしているユーリ。
彼女の三つ編みが、肩越しの世界で震えている。
「やっと来ましたか。待ちくたびれましたよ」
聞いたこともない金属質な男の声。
声と一緒に、目指していた角から、二人の男が姿を見せた。
「手際が悪くて参ってしまう。立てた作戦が失敗したかと、案じてしまうではないですか」
男は、手元にある文言を、読み上げているような口調で話す。
耳の後ろで束ねている栗色の髪は、ゆるく波を打って左肩に流れていた。柔らかそうな髪とは非対称な、極端に釣り上がった細い目が印象的だ。
そばかすが散った顔には、張りつけたような笑みが浮かんでいた。
男の周囲にも、劫火の移り火が舞っている。
「エドガー、何で貴方がここにいるの?」
「何で……ですか。簡単に言ってしまえば待ち伏せです。思い通り過ぎて、張り合いがありませんが。まあ、作戦が失敗するよりはいいでしょう」
さて、と呟いた男は、ポケットから一つの輝尚石を取り出した。
「ローグレストの相棒は、どちらですか」
輝尚石を掲げながら、自分とティピアに問いかける。
咄嗟にティピアの手を引いて背にかばおうとしたところ、頑なな抵抗を受けた。
自分の横に立つ、小さな友人。
彼女から真力の放出を感じ取り、自分の傲慢を胸のうちで恥じ入った。
自分も真導士なら、ティピアも真導士だ。
友の勇気を傷つけてはいけないと、繋いでいた手を離す。
「どちら、と聞いているのですが……。"落ちこぼれ"をかばっても、いいことなどありません」
笑いながら問うエドガー。
その後ろで、静かに黙っていた男が真円を描いた。
描かれた燠火の真円に対抗して、三人で真円を描く。
「天水だけでは逃げ切れませんよ」
「やってみなければ、わからないじゃない!」
「わかります。……いやだな、意味のないことは嫌いなのだけれど。答えないなら構いません、全員ギャスパルに従わせればいい。三人とも、僕の言う通りにしてください」
「誰が! あんな男に従うなんて、絶対にお断りよ」
噛み合わない会話の外側で、ローブのポケットを探った。
丸い感触を確かめて、ぐっと握り……袖に隠して持つ。
「何が、目的ですか?」
聞けば、自分にエドガーの目が向けられる。
「ギャスパルの下に入ってもらいたいのです。自分の相棒が下ったとなれば、ローグレストもギャスパルに逆らわないでしょう。後はクルトですかね。あれも真力が高いから、早いところ組み込んでしまいたい」
「クルトが、あんな男に従うわけない! わたしを利用しようが何しようが、あいつは人の下に入らない。それこそ意味がないわ」
ユーリの必死な抗弁に、エドガーは乾燥した笑みを濃くしていく。
「意味はありますよ。真力が高ければ高いほど、相棒の意味が重くなる」
口内を潤そうと、唾を飲み込んだ。
「……相棒の真力を、利用する気ですか?」
エドガーからの返答はなかった。
しかし、劫火の下にある真力が小さく揺れた。
「僕達についてきてください」
「いやです、と言ったら……?」
「試したいのですか」
物好きですねと言ったエドガーは、言霊も使わずに輝尚石を展開させた。
瞬時に展開した三つの"守護の陣"。
白い膜に弾かれた炎豪が、力を残したまま後方へ抜けていく。
紛れもないギャスパルの気配。
怖気のあまり、真眼を閉じてしまいそうになる。
真術の炎よりも、劫火の気配の方が、遥かに脅威だった。
絶対に触れてはいけない。
触れればそこから喰らわれて、飲み込まれてしまう。
怯懦を振り払い。右手で隠し持っていた輝尚石を掲げる。
「放て!」
熱い海の旋風を、全力で解放した。
撒いて押し返していく風を、一心に掲げて伸ばす。
旋風を放っている自分の横を、ユーリが駆けていく。
ティピアもそれに続いた。
後方の林に入ったのを見て、自分も駆け出した。
ちらと後方を振り返ったら、エドガーともう一人の男が、旋風によって飛ばされ、大地に倒れ込んでいた。
すぐには起き上ってこないと踏んで、二人に合流することを目指す。
「ユーリ、どこへ?」
「林に隠れながら、みんなのところへ戻るのっ。もしギャスパルが居たら少し奥に入って、迂回して家に帰ろうよ。クルトならそうしろって言うはずだから」
ティピアと一緒に了と返して、林に入り込んだ。
「あの男は、誰なの……?」
足音に紛れて響く小さな質問に、ユーリが答える。
「ギャスパルの相棒!」
返答と同時に、後方から劫火の気配がした。
「右へ――」
左手後方に炎豪が着弾する。
飛び散る火の粉と熱風が、守護を持たない娘の肌を照らした。
道のある左手に向かって、執拗に炎が撃ち込まれる。
合流を阻止しようとしているのだろうか。
しかし、エドガー達が派手に真術を放っていれば、いずれ彼らが気づいてくれる。
けれどいまは、とても攻撃に耐え抜けない。
「ユーリ、サキ。奥へ行こう……」
炎に炙られながら、林の奥に向かう。
爆ぜる煙の臭いが喉について、息をするのも苦しかった。