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(2)

 古来より人々を恐怖に陥れ、生の象徴とされる血液を抜き取っていく吸血鬼は、邪悪なる者と恐れられ、忌み嫌われてきた。

 もし吸血鬼が人里に姿を現した場合には、必ずしなければならない儀式がある。

 それが吸血鬼狩りだ。

 吸血鬼狩りには二つの方法があり、一つは聖女が封印をする方法だ。一般的な吸血鬼狩りにはこの方法がよく用いられており、聖女が封闇歌ふうおんかを歌い吸血鬼を封ずるというものだ。

 そしてもう一つの方法が、封印する者――つまり聖女がいない場合のみに使われる、いわば最終手段だ。

 この方法はあまりにも卑劣で酷いもので、今まで実行されたことはほとんどない。誰もが命の危機よりもまず先に、それの示す意味に恐れ人間性を疑い、やってなるものかと避けていたのだ。

 こんな方法は残してはならない。と……。

 そう。誰もが恐れるその方法とは、吸血鬼の弱点を利用して殺める、抹殺というものだ。

 吸血鬼は魔の象徴であり、魔は闇の象徴である。

 闇は光と対なるもので、吸血鬼の弱点としては、陽光を浴びると灰になる・十字架を前にすると動けなくなる・木杭で心臓を貫かれると死ぬ・銀の武器でつけられた傷は治らないなどというものがある。

 つまり二つ目の方法ではそれらの弱点を狙うということであり、そして聖女がいない今、この方法で吸血鬼狩りを行うことになるのだ。


「今、この地に聖女はいない。しょうがないとはいえ、酷い方法で吸血鬼狩りを行わなきゃならないんだ」

 スヴェラはあれから、視線を誰とも合わそうとしなかった。ずっとずっと、テーブルの木目を見つめては、口だけを動かすだけで。

 その姿は、あまりにも痛々しく、見ていられなかった。ルゥシャは今更ながら、聞かなきゃよかったと、強い後悔に襲われる。

 確かにそれは、あまりにも非人道的な行為だ。昔は何度かあったのだろうが、今は少なくとも戦はない。

 でもそんなルゥシャたちは、戦で見るよりも無残な吸血鬼の姿を目の当たりにしかねないのだ。

 それもただの変死ではない。計画を立てられた上に、人為的に、そして誰もに認められて、酷い殺され方をされるのだ。

 正直、耐えられない。

「子供だけじゃなくて、大人にだって刺激が強すぎるよ。まさかこんなことになるなんて思わなかったし」

 リリアはあまりのショックに、その顔を歪めている。今まで下を向いていたスヴェラはリリアの異変に気付き、その背を優しく抱きしめた。

 スヴェラの腕の中で、リリアはか細い声を漏らしながら、泣いている。

 何もできないルゥシャは、二人をずっと見ているしかなかった。

「自警団は今夜の十時に動くよ。おそらく今晩八時からは、どの区域も外出禁止令が出るはずだ」

 スヴェラはリリアの背を優しく撫でている。

「ルゥシャ。君が何をしようとしているのか、俺には解らない。でも……無茶だけはするなよ」

「解ってる。……ごめんな、余計なことまで聞いちゃったみたいで」

 椅子から腰を上げると、長時間座っていたためか、足に妙な違和感を感じる。

「とくに…………はね」

 スヴェラがぼそぼそと呟く声が聞こえた。

「え……何?」

 背もたれに手をつきながら振り返り、思わずルゥシャは聞き返してみる。が、スヴェラは困ったように微笑むと、何でもないよとそれだけ言った。

「今日はありがとな」

「お役に立てたなら」

 どこかしっくり来ない。

 スヴェラは何が言いたかったんだろう……。

 冴えない表情を浮かべたまま、ルゥシャは二人のいる部屋を後にする。

 扉を開けると、あの喧騒が耳を突いた。


   ――…――


 来た時よりかは若干、外を出歩いている人の数も多くなってきている。でもすれ違うたびに首から提げた十字架が、その目に映った。

 いつもと同じようで、どこか異様だった。

 微かに聞こえる店娘の声は、こうしてみると、まるで何か仕掛けでもしてあるように思える。彼女たちの声で、街が動いているみたいだ。

 どこかにぜんまいでもあって、それによって生きたものとされているような妙な錯覚さえ覚える。

 考えすぎだろうか……?

 覇気のない店娘の声と同じく、街には覇気がなかった。陽光に反射し、胸元でキラキラ光る十字架の数々。

 ルゥシャはそれを身につけた人を掻き分けて歩いて行く。すれ違う誰もが、怯えていた。

 すると、どこからともなく、鼻を衝くような刺激臭が漂ってくる。

 その残り香はだんだんと意識を飲み込んでいくような甘い香りとなっていく。

 それは昨日館で、ウェリウスと会った時に嗅いだにおいと、まったく同じもののようだった。

「えっ……」

 ルゥシャは思わず後ろを振り返る。…………と。

「覚えてくれたのかな? それとも……血を吸われる快楽にでも溺れたい?」

 眼前にはルゥシャを抱き寄せるような形で、ウェリウスが立っている。昨日同様に頬を撫でられ、もう片方の手で手首をしっかりと掴まれていた。

「調子付いてんじゃねえ」

「おー、怖いの。そんなんじゃ、モテるもんもモテないぜ」

「何でお前がここにいる」

 ルゥシャはウェリウスの言葉を完全に無視した。二人を遠目に、人々は見ている。怒りと動揺を露にしたルゥシャは、ウェリウスを眼飛ばした。

「それは街にいることに対しての疑問かな? それとも性質上の疑問?」

 嘲笑いながら、ウェリウスはルゥシャを引き連れて路地裏へと入っていく。

「どちらもに決まってるだろう!」

 放せと喚くルゥシャの声が、路地の間でうぁんうぁんと反響した。「るせぇなあ」とウェリウスは耳に指を突っ込んでいるが、それでも放そうとはしなかった。

 だがそれも人目のつかない所まで来ると、ウェリウスはあまりにもあっさりとルゥシャをその手から開放する。

「じゃあ、教えてやるよ。俺が街にいるのは、ただ単に腹が減ったからだ」

 ウェリウスはポケットを弄りながら、お前もクッキー食う? と聞いてくる。でも……

「何でお前が外を出歩ける。吸血鬼は――」

「陽光に当たったら灰になるってか?」

 先読みでもしたかのように、ウェリウスは言った。

「それに十字架だってニンニクだってあったのに、何故そこまで普通に歩ける」

「当たり前だろ。ていうか、人権侵害? 俺は陽光に当たったって灰にはならないし、十字架だって余裕だし。ニンニクにいたっては食ったことだってあるんだけど?」

「は……!?」

 なんだそりゃ? だって一応吸血鬼でしょ? こいつ。

 ルゥシャはいまいち思考がまとまらず、ウェリウスの顔をほげーっと見ていた。

 ウェリウスはポケットから取り出したクッキーを、もそもそと頬張っている。

 っていうか根本的な部分からして、吸血鬼がクッキーってどうかと思うが…………。

「まあ基本的に好き嫌いがなけりゃ、何でも食えるし。それに聖水だって平気だぜ。勿論、霧とか狼になんてなれやしな

いけど」

「何で?」

「…………お前さあ、俺を何だと思っているわけ?」

 眉間に深い皺を寄せながら、ウェリウスはその碧色の瞳を呆れ色に染めた。

「って、吸血鬼でしょ」

 確かにウェリウスは昨日『一回気の強そうな子の血も、味わってみたかった』と言ったのだ。それが吸血鬼以外の何であろう。

「だって普通、吸血鬼って言ったらそういうものだろ?」

「普通ねー……」

 ウェリウスは飽く迄も呆れた表情を崩さない。それが癇に障ったルゥシャは、躍起になって、声をあげた。

 あたしらの中じゃ、それが普通なんだよ!

「だったら、木杭で心臓を貫かれたらどうなるんだよ」

「そりゃあ死ぬだろ。血液を送る所をあんなぶっとい物で貫かれて、生きていた方が逆に化け物じゃん」

 正論だ。

「じゃ、じゃあ銀の武器で傷つけられたら傷が治らないってのは?」

「嘘に決まってるだろ。大体何でも傷くらいつけられるし、相当深いものじゃなかったら普通に治るし。常識だろ」

 尤もです。

「きゅ、吸血歯きゅうけつしがあるってのは?」

「ねえよ、んな牙なんてよ。俺は爪を使って皮膚に穴を開けてるし。あと、念のために言っとくけど、鏡にもちゃんと映るからな」

 何も言えなくなった……というか常識が通用しないことを知ったルゥシャは、どうすることもできずに突っ立っている。遠く聞こえる街の音が、本当に遠く聞こえてきた。

 ウェリウスはしばらくルゥシャを見ていたが、くるりと背を向けるとどこかへ歩き出してしまう。

 どこに行くんだよと一歩踏み出したルゥシャが声をかける前に、じゃあなと後ろ手に手を振りながら、ウェリウスは去っていった。

 これ以上は何も聞かねえと物語る背中を見てルゥシャはため息をつくと、連れてこられた道を戻っていった。

 もしかしたら、ウェリウスは――……

 その時だった。

「伏せろ、ルゥシャ――!!」

 突如鼓膜を突き破るかのような声が、ルゥシャの背中を押した。

 伏せろと言われても、あまりにことが唐突すぎて、ルゥシャはその場で立ち尽くしてしまった。

 どこかでチッと舌打つ音が聞こえた。

 ……次の瞬間、ルゥシャは飛び込んできた誰かに押し倒された。

 誰かの肩の向こうで、鈍色に輝く何かがもの凄いスピードで過ぎ去って行く。

 ルゥシャはその光景に怖気を覚えた。

 ズザザ――ッ! と二人は赤レンガの地面を転がっていく。庇われて落ちたためあまり衝撃はなかったが、左の肩を思い切り地面に擦らせた。……痛い。

 しかしそんなことを思っている間もなく、ルゥシャは庇った誰かに起こされる。走れ! と言ったあの声は、先刻別れたばかりのウェリウスのものだった。

「肝心な時に、何ぼさっと突っ立ってんだよ、このガキ大将!」

 ぐいっとその腕を引かれて、全力で走っていくウェリウスの後を、ルゥシャは走った。

 引かれている右腕も、痛みを発する。

 一体何がどうなってるんだ!

 ギュッと唇を噛み締めながら、ルゥシャは何も言わずにウェリウスの後ろ姿を見ていた。


「あーあ。逃げちゃったよ、あの二人。……ねえ、追った方がいいんじゃない?」

 レンガ造りの家影で、真紅の髪が踊った。

 少年はふいっと後ろを振り返る。髪と同じ灼眼は、好奇の色を湛えていた。

「大丈夫だよ、ロザネス」

 不気味な含み笑いが路地裏で反響する。

「きっとすぐに捕まるさ」


   ――…――


 ずっとずっと走り続けて、足が重たい。

 吐き出される呼吸は、自分でもどうやってしているのか解らない。

 ただ、無性に喉の奥が痛かった。ひりひりして、変な感じだ。

 通り過ぎる秋風はたいして冷たいとも感じない。背中にも頬にも、大量の汗が浮かび、伝っていった。

 足が重い。痛い。

 正直、もう走りたくなんてなかった。

 一生分の走力を使っているような気がする。

 でもウェリウスはそれを許してはくれず、少しでもルゥシャのペースが落ちるとその腕を引っ張って、走れと言う。

 畜生! とやけくそになったルゥシャは、歯を食いしばってペースを上げる。ここまできたら、何十キロだろうと走ってやろうじゃないかと、ルゥシャは半ば自暴自棄になっていた。

 しかしそうは言うものの、誰にだって限界というものはある。いくら体力のあるルゥシャとてそれは例外でない。

 自暴自棄になっていたルゥシャは、それだけで気力を維持してたと言っても過言じゃないのだ。

 だが、もう駄目だ! ……そうルゥシャが思った瞬間、ウェリウスに引き連れられて、二人はいつの間にか着いていた館の中へと転がり込んでいった。

 痛みを和らげた深紅の絨毯は、肌に張り付き十二分に暑苦しかった。

 ゼエゼエと当分整いそうにない呼気を、二人は惜しげもなく吐き出している。一回座り込んでしまうと何とも億劫で、もう立ちたくも動きたくもなかった。

 もう何にもしたくはなかった。

 火炙りにされているかの如き熱さに、身体が蝕まれていく。一体いつまで流れ続けるのだろうというほど、不快な汗は止め処なく溢れていった。

「大丈夫か、ルゥシャ?」

「……誰が……大丈夫な、もんか! こちとら普通の、学生なんだよ。……疲れるっての」

 ひいひい言いながらも、とりあえず嫌味は言えるようで、ウェリウスはホッとした表情を見せる。

 だがルゥシャは相反し、のぼせた顔を天井に向けていた。肩でする息は、まだ荒い。

「って言うか、そもそもにして、あれは何だったわけ? 突然何かが飛んでくるとか、マジありえないんですけど」

 締め切った館の中、ルゥシャは大きな声をあげた。その顔は熱く紅潮しているにもかかわらず、蒼白しているかのように生気がない。

 ルゥシャはあの光景を、思い返していた。

 あのウェリウスの大声を。

 あの飛び出してきたウェリウスの必死さを。

 あの過ぎ去っていった鈍色の何かを。

 肩を思い切り打ちつけた、あの瞬間を。

 全てが全て、現実離れしていた。でも、実際にこの身に起こったことなのだ。……偽りじゃない。

 ルゥシャはその背を震わせた。

 ――あたしの周りで、何が起ころうとしているんだ。

 ぎゅっと握りこんだ掌に、爪が食い込んで白くなっていた。静かな館内で、二人の呼吸音だけが、やけに大きかった。

「なあ、ルゥシャ。一つだけ聞いてくれ」

 苦々しいウェリウスの声が、響く。

 天を仰いでいたルゥシャが振り向くと、妙に真剣な面立ちをしたウェリウスと、視線が重なった。「何だよ」

 穏やかでない雰囲気の中、小鳥の囀りが聞こえてきた。時は刻一刻と過ぎていく。

 気まずくなったルゥシャは、少し視線を逸らした。

 ……が、

「お前は聖女だ」

 ウェリウスの発言と同時に、今度は驚き眼のまま、ルゥシャはその視線を元に戻した。

「そして俺は、――お前の聖身せいしんだ」


 聖女はその力が目覚める時に、同時にパートナーとなる聖身をも目覚めさせるのだ。それを契約と言う。

 契約を交わした聖身は、その瞬間から聖女の手足となり、主従の関係を持たねばならなくなる。また何時であろうと、その身を持って聖女を守らなければならないのだ。

 たとえその命を落そうとも……。

「俺は封印が解ける際、お前の声を聞いた」

 あまりに真面目な瞳を、ウェリウスは向けてくる。外れかかった窓から、一筋の風が流れ込んできた。風は二人の頬を撫で、部屋の奥へと消えていく。

 でも、こんなことってありえるのか?

 ルゥシャは固唾を呑んだ。だって――

「ウェリウス。でもお前――吸血鬼だろ」

 そう。ウェリウスは吸血鬼なのだ。

 この国で吸血鬼は魔の象徴であり、闇の象徴だ。それに対してルゥシャたち人間は、光の象徴である神の加護を受けている。

 闇と光は対なるもの。常に隣にあって、決して近づけない存在なのだ。それなのに……

「お前が、聖身? それに、何であたしが聖女なんだよ……」

「本当に自覚がないんだな」

 ウェリウスは目を丸くしているが、ルゥシャにしてみれば、たまったもんじゃなかった。

 そもそもにして聖女という存在は、この国において、国王にも並ぶ存在なのだ。

 国王が動かすは行政を。

 聖女が動かすは運命を。

 両者の下す決断は絶対だ。何人たりとも背くことを許されていない。

 それに、聖女の役割には『吸血鬼狩り』という任もある。勿論その主導権も聖女が握っているため、吸血鬼狩りを行わないと言えば、それも一国の意見となるのだ。

 しかしそんな重大な任をまかされている者が、聖女の自覚のカケラもなくて、しかも対なる存在の吸血鬼を聖身につけていいのだろうか。

 ……おそらく、前代未聞の事態だろう。

 ウェリウスはそんなことなどとうに気付いていた様子だが、いまいちパッとこないことを急に言われたって「おお、そうか」と頷けるはずもない。

 ルゥシャはただそのことに驚いて、右往左往するばかりだった。

「でも俺は嘘偽りは言っちゃいねえ。お前は確かに聖女だし、俺はお前の聖身だ」

 ウェリウスは淡々と話を進めていく。

「だからといって俺がお前の下で素直に従うかって言えば、それは別物だけど。……まあ今回は状況が状況だし、守らざるをえないようだな」

 外はあまりにも穏やかだった。

 暖かな陽光が、昨夜は不気味に感じた窓から差し込んでくるのだ。随分長い間館内にいたので陽は傾きを増している。それでも燦々たるその光を秋の地上へと届けているのだ。

 ウェリウスはすくっと立ち上がると、面倒臭そうに頭を掻き回した。

「相手もこれ以上待ってはくれなそうだし」

 行くぞと言うと、ウェリウスはルゥシャの前に、その手を差し伸べた。

 ――瞬間、耳が潰れるかのような轟音が、広間中を駆け巡っては反響しあった。

 思わず差し伸べられた手をルゥシャは握る。と、ぐいっとウェリウスに引っ張られて、ルゥシャはそのまま彼の胸へと倒れ込んだ。

 そのまま抱きしめられたルゥシャは「何をするんだ!」と怒鳴りかける。

 だがウェリウスの背後でガラスの割れる儚い音を聞き、その言葉は飲み込まれた。

 透明なガラス片が、二人の足元に飛び散っている。

 行くぞ! と再度言ったウェリウスの口調は、先ほどよりも荒いでいた。

 ルゥシャは頷く時間も与えられずに、それでも必死になって走ろうとした。ガラス片の砕ける音が、足元に聞こえる。

「無駄だよ」

 軽薄な笑い声が、喧騒の中、聞こえてくる。

 そしてそれは、ルゥシャの足を止めた。

 突然立ち止まったルゥシャに、手を引いていたウェリウスはつんのめった。

「ルゥシャ!」

 最早怒声にも近い声色で、ウェリウスは叫ぶが、ルゥシャはまったく動こうとはしない。

 ただ、にわかに信じられないと、その表情を愕然とさせていた。

「だから無茶するなって言ったでしょ。『とくに吸血鬼にかかわようなことはね』って」

 ――嘘だろ。冗談じゃない!

 不気味に笑う男の声が聞こえた。

 叫び続けるウェリウスの声が聞こえた。

「ああそうかよ」

 立ち尽くすルゥシャは、込み上げてくる全ての感情を抑えて、戦慄く唇を動かす。

 ウェリウスの引き攣った顔を前にして、男の興味深げな視線を、ルゥシャはその背に感じた。

 一つ拳に力を入れると、髪が乱れるのも構わずに、頭をぐわっと振り上げた。

「でも……、あの時は何でもないって言ってたよなあ、スヴェラ!!」

 紡がれた言の葉には、憎悪にも似た感情が練り込まれていた。館内には幾重にも渡ってルゥシャの声が響き続ける。

 振り返り、窓の外を眼光鋭く睨みつけるルゥシャに、ウェリウスは言葉を失っていた。

「あー。そうだっけ?」

 誰もいなかった窓の外。

 面倒臭そうな声を一つ吐き出して、そこからよく見知った――いや。つい先ほどまで顔を合わせていたスヴェラが、窓枠を飛び越え入ってきたのだ。

「でも言ったことに、変わりはないでしょ?」

 その姿は先ほどとは打って変わり、真っ黒なローブを身に纏い、首にはボロ布のような黒のマフラーを巻いていた。顔しか、肌が露出していない。まるで魔術師や錬金術師のようだった。

 スヴェラは音もたてずに広間へ足を踏み入れると、不気味な微笑を浮かべながら、二人の方へと近づいてきた。

 ルゥシャの腕を掴むウェリウスの手は、緊張のあまりに力が入った。

「ふざけた真似しやがって……」

「ふざけているのは、君でしょ? ルゥシャ」

「なんだと……?」

 急にスヴェラの目つきが変わった。空気が凍てついたかのように静まり返る。

 木々を揺らし、音を宿した風が、窓から吹き抜け入っていった。

「何だって、僕の忠告を無視して吸血鬼なんかと接触したんだ。……何とも愚かだよ、君は。吸血鬼なんかに会っていなければ、そのまま彼を殺すことくらいできたのにね。……それとも、まさかその行為によって住民が恐怖しないとでも思ったのかい?」

 スヴェラの哀れんだ瞳が、ルゥシャを射抜いた。

「いくら君が聖女であって彼が聖身であっても、それを真に受け止められる者が果たして何人いると思う? どれだけの人が怯えて聖女を拝むと思う?」

 吸血鬼は魔の象徴だ。闇の象徴だ。

「君はこの国全体を、闇で彩ろうとしているのか? 仮にも聖女なのに」

 闇と光は対なるもの。常に隣同士にあって、決して近づけない存在――

 そう。仲良くだなんて、到底なれないのだ。 ――でもあたしは……

「スヴェラ。……お前は、一体何なんだ?」

 小鳥が鳴いた。木々がざわめいた。

 そして……

 スヴェラはニッと笑った。

「僕は――魔道師まどうしだ」


「…………嘘だ」

「嘘じゃない。これは真実で、現だ」

 颯然と吹きぬける風に、ルゥシャの声が流された。目を見開き愴然とするその様は、あまりにも痛々しい。

 それにもかかわらず、とどめとでもいうように、スヴェラの口は動き続けた。

「嘘だ、嘘に決まっている! お前が魔道師なわけがあるものか!」

 ただ我武者羅に、ルゥシャは否定し続けた。

 それもそのはずだ。何故なら魔道師もまた、闇の象徴であり、魔の象徴なのだ。

 彼らは全てを消し去るために存在している。――それがたとえ、聖女だろうが国王だろうが、彼らには関係ないのだ。

 でも、スヴェラは真顔のままだ。

 否定するルゥシャの声だけが、空しく虚空に響いている。その顔を真実から背けながら。

「いい加減にしたらどうだ? 君なら解るだろう。誰が普通の人間で、誰が普通の人間じゃないかくらい」

 スヴェラは目を細めて言った。

「だって君は、聖女なんだから……」

 背筋に汗が伝っていく。

 足が震えていた。

 あたしは本当に、――聖女なのか?

「いい加減にするのはお前だ、魔道師」

 ルゥシャは後ろに引っ張られた。抵抗する気力さえ失ったルゥシャはあっさりと後退し、後ろにいたウェリウスに受け止められた。

「ルゥシャはまだ、聖女の力が目覚めきっていない。勿論自覚だってない。まだ見極められなくて当然だ」

 それまで黙っていたウェリウスはルゥシャを庇うと、冷たい怒りを湛えた瞳をスヴェラに向けた。

 しかしスヴェラは面白そうに、ウェリウスをまじまじと見つめている。

「そう。っていうことは、君たちは『なりそこない同士』ってわけか」

「そういうことになるかもしれねえが、……果たしてルゥシャはどうかな」

 ――なりそこない、同士?

 ルゥシャの見つめるものは、二人であって、二人じゃない。もっと奥底にしまい込まれた何かを、闇雲に探し当てようとしていた。

 抱かれた背中から、緊張に荒れ狂うウェリウスの鼓動が伝わってきた。

 眼前からは、いつもと明らかに様子の違うスヴェラの視線を感じた。

 ……何もかもが、間違っている。

 尋常じゃない。

 これが本当に現なのか?

「『闇と光は対なるもの』だっけか? ……だったらお前はおしまいだ。闇は光に太刀打ちできない。闇は光に飲み込まれりゃいいんだよ!」

 ウェリウスの鼓動が、大きく脈打った。

 明らかにいつもとは違うオーラを身に纏ったウェリウスが、ここにはいた。

「だったら君たちも終わりだ。光だって闇に飲み込まれるからね」

 スヴェラの顔が、不気味に歪む。

「僕は綺麗事にも御託ごたくにも、もううんざりしているんだよ」

 そこにはもう、昼間に会ったスヴェラはいなかった。ここにいるのは、闇に全てを捧げた魔道師だ。

 ルゥシャは紛れもない恐怖を彼に感じた。

 窓から流れ込む風は、突風へと変貌する。

 ……と、スヴェラのすぐ隣に、ストンと誰かが舞い降りた。

 紅髪灼眼の少年――ロザネスは、スヴェラの隣に立ち、その燃え滾る瞳で二人を見据えていた。

「お前、……ロザネスなのか!?」

 しかし何よりも驚いたのは、ウェリウスのようだ。ウェリウスの身体が強張るのを、ルゥシャは確かに感じた。

「ロザネスは僕の魔身ましんだよ」

 ふふふとスヴェラは不気味に笑い出す。

 確か魔身とは、魔道師に全てを捧げ、仕える者だったんじゃ――。

「聖女の聖身と同じ、なりそこないの吸血鬼のね。――そうそう。今回の吸血鬼事件だけどね、ロザネスの罪を全て聖身に擦り付けさせてもらったから」

 ――え? じゃあ、ウェリウスは?

「僕は情報屋だからね。愚かな奴等に思い込ませるのは、本当に容易かったよ。ここまで信じるものなんだってね」

 ククッとスヴェラは喉で笑う。

「あんなのばっかじゃ、この国もそう長くはないかもね」

 イカれて闇に塗られたスヴェラの瞳が、二人を縫い付けて放さない。

 暴言ともいえるその言葉は、次第に記憶の彼方へと追いやられ。真っ白になりそうな脳内を、ルゥシャは食い止めるので精一杯だった。

 ただ、これだけははっきりした。

『ウェリウスこそ、この事件の被害者だ』

 勝手な情報を、しかも自分の役目を利用して。そんな手口があるだなんて、一体誰が想像しよう。

 嫌悪にも勝る憎悪で、腹の底が熱くなった。

「さあ、役者も揃ったことだし、始めようじゃないか。これが君たちにとって、最高の晩餐になることを祈ってね」

 辺りはもう、暗くなり始めている。

 不穏な空気に包まれた広間の中、スヴェラが大仰に両の腕を広げていた。

 不気味な風は、絶え間なく窓から入り込むばかりで。


「クソッ! 調子付いてんじゃねぇ!」

 ルゥシャを抱えたウェリウスは、チッと舌打ちながら毒づきだす。ギュッと抱きしめたらそのまま走り出すんじゃないかっていうような剣幕のウェリウスに、ルゥシャは思わず振り返った。

 ――しかも、この少年は一体何なんだ?

 ルゥシャは再び前を向く。スヴェラの隣には、ウェリウスと同い年くらいの少年の姿があった。だが、突如現れたこの紅髪灼眼の少年は、ウェリウスとどんな関係を……?

 しかしそんなことを考えている余裕さえも、彼らは与えてくれないようだ。

「行け、ロザネス」

「オッケー、スヴェラ。任せとけ」

 ロザネスは言うなり、二人に向かって飛び掛ってきた。向けられたのは特別な武器でもなければ何でもない。鋭く磨がれた爪だった。

 青褪めるウェリウスとは相反して、ロザネスは嬉々とした表情をその顔に浮かべている。振り上げる手の先で、爪がギラリと光った。

 ヤバイ! 心ではそう思うも、ルゥシャの身体はウェリウスに抱かれたままだ。全然動けやしない。

「遅いよ」

 だが走る勢いを更に上げ、ロザネスは跳躍してくる。

 その輝く冷たい瞳で逃げ惑う二人を見据えながら、ロザネスは容赦なく腕を振り下ろした。

 すぐ目の前まで、あの爪の先は迫っていた。

 刹那、ウェリウスは横に大きく跳び退る。

 ギリギリのところでロザネスの爪は空を切った。ロザネスの毒づく声が、小さく聞こえてきた。

「誰が遅いって? オイ」

 深紅の絨毯から、無数の埃が舞い上がる。

 どんどん間合いを詰めてくるロザネスをその都度かわしながら、二人は広間内を縦横無尽に駆け回った。

 にもかかわらず、ウェリウスは一向に立ち向かおうとはしない。攻撃を避けるばかりだ。

「衰えたのはテメェじゃねえのか?」

 後ろに跳び退きながら、ウェリウスは皮肉を言う。が、その表情はどこか悲しげだった。

 跳躍したロザネスは着地すると、勢いを殺さずに、そのまま蹴りかかってくる。

 すると飛び退いたウェリウスの軸足に、それは命中した。ウェリウスの口から痛みを堪えた吐息が漏れる。

「やっぱり衰えたのは君の方だね」

 鼻で笑いながら、ロザネスが見下してきた。

 着地に失敗した二人は、派手に深紅の絨毯の上を転がり滑っていく。ウェリウスの腕が、ルゥシャから離れてしまった。なんとも、呆気ないほどに。

 わけが解らないルゥシャは状況を把握しようと、その頭を上げて。

 すると遠くで、スヴェラがこっちを見ていた。

 冷酷な瞳と視線が合い、背筋に戦慄が走る。

 何て、恐ろしいんだ……。

 すると深紅の絨毯の上に、大きな影が滑って行く。見上げれば、宙にはロザネスの姿が。

「まずは聖身から闇に帰りな!」

 ロザネスはその爪の切っ先をウェリウスに向けて振り下ろした。

 だが間一髪でその手を掴むと、ウェリウスは体勢を反転し、真上から拳を振り上げる。

「ルゥシャ、逃げろ!」

 それを振り下ろす寸前、ウェリウスは叫んだ。

 その光景に意識を奪われていたルゥシャは、はっと我に帰り立ち上がろうとして――その腕をスヴェラに掴まれた。

 一体いつの間に?

「……ッ。放せよ」

 ルゥシャはその手を懸命に振り払おうと動かした。それなのにスヴェラの手はまったく離れやしない。

 畜生とルゥシャは毒づいた。

 何が聖女だよ、何で聖女なんだよ。

 誰も頼みやしないことを勝手にさせやがって、その結果がこのざまか?

 聖身が傷ついて自分を庇って、友だと思っていた奴にことごとく裏切られて……。

 何でこんなめに遭わなきゃいけないんだよ。

 広間の片隅で、ウェリウスの呻き声が聞こえた。ロザネスの微笑が聞こえた。

 何で、こんなめに……


『あなたも目覚めたらどうなの?』


「!」

 脳髄の奥底で、誰かが囁いた。

 それは誰かも解らない、女の声だった。

 ただ、そんな声など知らないはずなのに。心が妙な懐かしさを感じていた。

 温かかった。

 スヴェラの表情が一気に強張る。

 引き攣った悲鳴を、スヴェラは漏らした。

 その瞬間を、ルゥシャは見逃さなかった。

 それが何を意味するかなんて解らなかったけど、

「闇より光に帰った方がいいんじゃねぇの?」

 ルゥシャはこれ見よがしに、大きく息を吸い込んだ。

 きっと今しかチャンスはない!

 一気に青褪めたのは、スヴェラの方だった。

 ルゥシャからその手を放し、一歩二歩と後退していく。

 そして――

 一つの歌声が。封闇歌ふうおんかを、大地を響かせた。

 辺りは光に包まれる。


 一体自分の身に何が起こっているのかなんて、そんなこと解らなかった。

 ただ、ルゥシャは頭に浮かんでくる音階を、うたを口にしていた。

 それは止まることもなく、自然と紡ぎ続けられていた。

 曲名も、何もかも知らなかったはずなのに。

 今まで聴いたこともなかったはずなのに。

 それなのに、ルゥシャは妙な懐かしさをその胸に感じながら、ただ一心に歌い続けた。

 何かが壊れる、儚い音がする。

 何でか解らないけど、涙が一つ、頬を伝った。


   ――…――


 全てのうたが終わった。

 壊れた窓の外は既に暗く、一つの明かりもない。

 そこにルゥシャとウェリウスは立っていた。

 真っ暗な部屋の中で、ポツリと。

 歌い終えたルゥシャは一息ついて瞼を持ち上げる……と、足元でスヴェラが横たわっていた。それに、ロザネスの姿が見当たらない。

 だがその状況を、ルゥシャはすぐに飲み込むことなどできなかった。

 ただ飲み込んでからは速くて、ルゥシャは慌てて口を覆った。それでも思わず、ヒッと小さな悲鳴が漏れてしまう。

 もしかして、あたしは――……

「ルゥシャ!」

 後ろからウェリウスが駆け寄ってきて、ルゥシャは思わず振り返った。

 その顔は蒼白で。懇願を湛えた瞳は今にも泣き出しそうだ。

「どうしよう、ウェリウス。あたし何をやらかしちゃったんだろう?」

 震える声でルゥシャは言った。

 いつもの強さは微塵も感じられない。

 ただ、大きな過ちを犯してしまったんじゃないかと、その顔に書いてあった。

 ウェリウスは二人に近づいていく。横たわるスヴェラを見て、一つ息をついた。

「お前は封闇歌を歌ったんだ。闇を封ずる、あの詩を」

 ウェリウスは奥を見やって、それからルゥシャの頭をポンポンと叩いた。

「大丈夫。死んでもいねぇし、封ざれたのは闇に犯された心だけだ。一晩寝て起きりゃあ、元に戻るよ」

 どうすればいいのか解らないといった風のルゥシャは、ウェリウスの言葉を信じるしかない。それが真なのか偽りなのかは判断できなかったけれど。それでも――

 心配を露にしながらも、ルゥシャはきっと平気だと心中で唱えた。

「診療所にでも運んでやろうか」

 ウェリウスはそう言うと、スヴェラの身体を背負いだす。

「ああ」

 そして二人は、揃って外へと歩みだした。


「あのさ、ルゥシャ」

 二人は森の中を突き進んでいた。

 月明かりが浩々と照らす獣道を、二人は並んで歩いている。

「今日は、ありがとな」

「え? 何がだよ」

 ルゥシャは訝しげに隣を歩くウェリウスを見やった。

 しかしどこまでも清々しげに、ウェリウスは歩み続けている。

 夜鳥が静かに鳴き、風が一つ通り過ぎていった。

「実はロザネスなんだけど、俺の友達なんだ」

 あまりにこともなげに衝撃的事実を告げられて、ルゥシャは思わず言葉をなくした。同時に、心が痛んだ。

 だって、ロザネスはルゥシャが封印してしまったのだ。目覚めた聖女の力で……。

 それでもウェリウスは浮かぶ月と瞬く星々を見ながら、歩き続けている。

「あいつと俺は、唯一の同類なんだ。でも俺はある日、封印されちゃってさ。ルゥシャの聖身になるため戻ってきた時、あいつは言ってきたんだよ。『僕はずっと君を待っていたんだ。だから僕が封印されたら、今度は君が待っていてよ』って」

 ウェリウスは上を向いたまま、話し続けている。どこかやっぱり、悲しげだ。

「今日会って魔身になったって知った時には、やっぱり驚いたし、襲い掛かってきた時にはそれこそ心が痛んださ。これはたちの悪い夢だってね」

 友の裏切りに、ウェリウスは傷ついた。

 友の振るう拳に、ウェリウスは傷ついた。

 でも――

「でも、あいつは封印されたがっていたんだ。ずっとずーっとこの地上で生き続けてきたんだもんな。当たり前だよ」

 培われてきた互いの絆は、いつまでも繋がり続けるんだろう。

 彼らのずっとが、一体どれほどの単位なのかなんて、途方もなくて、いまいちパッとこなかったけど。

 ただ、それだけ長いんだろう。

 途方もないほど長かったんだろう。

 そして、その中でさえ絆は衰えない。

 あたしにはそれしか、解らなかった。

 漠然としすぎていて……。

 一歩遅れて、ルゥシャはウェリウスの後をついていく。

 すると突然、ウェリウスは振り返った。

「不器用なあいつの夢、叶えてくれてありがとな」

 その顔は、どこまでも穏やかだった。

 美しかった。

 けれど――

「礼なんか言われるようなこと、してねえよ」

 それが事実だ。

「あたしはたまたま目覚めた聖女の力をコントロールできなかっただけだ。それにあれは自己防衛に過ぎない。……あたしはただ、お前を失いたくなくて、自分が傷つきたくなかった。それだけだ」

 そんな綺麗事、並べられないんだ。

 結局は自分が可愛くて、それで……。

「……それでも、いいんだよ」

 静かな森に、ウェリウスの声が大きく聞こえた。

「たかが偶然だろうが何だろうが、全てが丸く治まったんだ。それに越したことはねえ」

 その声には一点の曇りもない。

 ウェリウスは振り返ると、その顔を嬉しそうに綻ばせた。

「それらしく生きていけばいいんだ。最後がよけりゃ、何でもいい」

 本当はウェリウスに怨まれているんじゃないだろうか。許してなんかもらえないんじゃないだろうか――と、ルゥシャの心配なんて拭いきれない。けど、これだけは言える。

 彼の顔は今、最高に輝いていた。



 その夜、聖堂前は多くの人々でごった返していた。

 皆が礼服に身を包み込んで、他愛ない話を、そしてこれから起こるであろうことを話し続けていた。

 しばらくして、聖像の前に二人の少年少女が現れる。二人は高位の聖職者だけが身を包むことを許されている修道服を身につけていた。彼らの姿を見て、人々の興奮の高まりは絶頂にまで達した。

 修道服を身につけた少女が、一歩進み出る。

 初々しくも力強いその瞳を、民衆に向けて、大きく息を吸い込んだ。

「聖女、ルゥシャ・ゲリエンスは、ここに宣言をする。聖身、ウェリウス・クォルダンと共に、国民全ての希望を絶やさぬことを。そして、全ての者に幸多かれと――」

 ここに新たな聖女が、誕生した。

 吸血鬼の少年は、晴れて聖身の身となった。

 彼らは新たな道を共に歩み続けるのだろう。

 カケている互い同士を信じ合いながら、互いに互いを補いながら。

 立たされた道を、歩み続けるのだろう。

 二人は誇らしげに、聖像の前に立ち続けた。

 夜の闇は、民衆の歓声に包み込まれていた。


 天上では、大きな大きなギバウスムーンが、満月になる前の光で地上を照らしている。

 まるでルゥシャとウェリウスのように。

 何かがカケていながらも、強く生きていくその姿勢を映し出したかのように……。

 カケているのは、これから満ちていく準備のため。

 そして、満ちるために努力する美しさを、より引き立てるため。

 十三夜のギバウスムーンは今日も輝きを増していくのだろう。

 ――満月になるのは、まだもう少し、先の話だが。



おわり。

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